BRM1007一宮1000km 2006
リザルト

体調は最悪だけれど

一宮に行ってきます。黄金バットと海坊主に会いに…

雨が酷く降っています。午前中まで仕事をして、仕事場で自転車を輪行袋詰め、千葉駅西口までおかあちゃんに車で送ってもらいました。感謝!!!いつものように歩道橋を駆け上がって駅構内に入りましたが、30秒ほどで全身ずぶぬれになってしまいました。とってもまずい雰囲気です。東京駅で新幹線に乗り換え、着席後眠りの体制へ、でも発車してうとうとしかけた所で車掌さんの検札が…その後は全く眠れず名古屋駅に到着、東海道線に乗り換えて木曽川駅に向かいます。三日後はこの電車と平行してゴールを目指しているはずと自分に言い聞かせて駅を降り立ったのは千葉を出て3時間半後でした。木曽川駅の空は千葉駅のものとは全く違い、明るいお日様が顔を出しておりました。一緒の電車を下りてきた輪行袋を担いだ方がほかに二名、今日から三日間、同じ旅を行う同士でしょう。昨年はスタート会場までなかなか行き着けず、大変な思いをいたしましたが、今回はコンビニで買い物をしたにもかかわらず、15分ほどで到着しました。スタート会場ではいつものマコ母の笑顔が待っていてくれました。とってもほっとして緊張が一気に解けていくのが自分でも分かりました。マコ母は関東近県のブルベには必ず顔を出してくれるブルベ界の女神さまのような人、「いつもありがとう、マコ母」とても嬉しいけれど、ちょっと待って、マコ母は5日前に静岡でメイクウィッシュラリーを主催したばかりでしょ、休まないで大丈夫?ちょっと心配…

私はこの一年間ずーっと考えていたことの準備をすることに、あんまり目立ってはまずい、でもみんなに気付いて欲しい。心が通じるといいけれど…出走サインをして、一時預けの荷物やドロップバックの荷物を預け準備終了です。次々と集まってくる参加者の笑顔を見ながら、自分が笑顔でいられているのか、我に返って心配してしまう。一人でいるとついついうつむいてしまい、知っている顔があちこちで談笑しているのにその輪に入っていけない。気付くと左肩につけた黒い布切れを握り締め、心ここにあらずの状態。実は5日前に義母を送ったばかりで自転車のことなんて考える時間が無くて、今もそのことが頭から離れません。ただ日本中旅をして回った義母にまたお土産話ができればとここまで着ましたが、こんな自分に合いに来たんじゃない!、布切れはすでにほつれ始めていました。スタート会場の隅っこで立っていると肩をたたく人が、「監督〜」久しぶりに会う岩DHIさん、今年二度目の1000km出走です。しばらく談笑していると「あれ、かおりんは?」スタートまで30分なのに姿がありません。電話をかけると渋滞でスタートに間に合いそうもないとのこと、ブリーフィング中も次々と駐車場に入ってくる車を気にしながら間に合うように祈ることしか出来ないもどかしさ、でも、おかげでブルベから離れていた気持ちを取り戻すことが出来ました。

初日からどうしましょ

車検を受け40人以上の参加者が整列します。20:00、左肩の布切れを握り締め、心の中で「行ってきます」そして右側に立って見送ってくれるスタッフに対してクリートのはまる音にかき消されないだけ、出来るだけ大きな声で「いってきま〜〜すっ!」今日の活動をおえようとしている公園の自転車道に白と赤のLEDの帯が走り出しました。かなり後方でスタートしたのでテールライトの赤い帯が幻想的です。AJ愛知!素敵な演出ありがとう!気持ちは完全にブルベモードになりました。1.2km先の折り返しを終えた参加者と対向した時は、ヘッドライト帯がまるでUFOの編隊のようでこれまた幻想的!とっても綺麗でした。車の往来の少ない堤防道路に出たところで徐々に前に出て行きます。10kmあたりで4番目あたりを走るカリスマさまを発見、マークできる位置まで上がって見失うようにします。17km地点の岐阜羽島駅あたりでは先頭集団は7名ほどに、スピードは37km/h程、後方は見当たりません。30km地点、R21に入ると集団は4名に、しかしそのすぐ後でもう一人のカリスマさまのIさんが追いついてきました。この人、やはり化け物!かなりの速度差で追い上げてきたようで、初めて息が弾んでいるのを見てしまいました。43km地点より広域農道に入ります。二人のカリスマさまががんがん引き始めました。ちょっとしたアップヒルに差し掛かり二人が腰を上げたときに後方から「マイペース!」「OK!」の声が、一瞬迷いましたが私は腰をあげてダンシング、心拍は一気に170拍を越えアラームが鳴り続きます。情けないけれど、全く前を引くことなどなくひたすら三番目を走り続けて22:50、先頭と同タイムで78.0km地点、PC1に到着しました。

当然後続を待つことなどなく、水とゼリー飲料を補給して5分後には走り始めました。走りだしてすぐに始まった上りを二人は30km/hオーバーで上っていきます。私はあっという間にアラームが鳴り出し、85km地点で先頭から脱落しました。でもこれっていつものブルベのパターンなんですよね。ここから大体5kmで1分離されていくんです。しかし、単独走行になって国道を離れて車の往来がなくなると、今まで経験したことのないような激しい眠気が襲ってきました。この二週間はほとんど寝ていないので、当たり前といってしまえばそれまでですが、視野はどんどん狭くなってしまいかなりペースが落ちてきているようです。(真っ暗な市道の上りの途中で猪に出会って一瞬目が覚めましたが)何のために作ったのか解らないような延々と続く1.5車線の真っ暗な須掘りのトンネルの中で時計のアラームとともにブルベ初日が通り過ぎました。

やはり無謀なのか

睡魔と闘いながら、峠を越えて高速道路の下をくぐって日本海側に出ると雨が降ってきました。水溜りもでき始めた林道を慎重に下り、海岸沿いの道まで降りてくると雨はさらに強くなり、強烈な逆風が吹いていました。時折大粒の雨になることもさることながら、あまりの風に前輪の接地感がなくなることもしばしばです。全くの平地で風が吹くと15km/hあたりまでスピードが落ちてしまいます。完全な嵐状態、ひょっとして台風が上陸したの?でも、雨粒が急に大きくなると、はっと我に返るようで、とりあえず居眠りはしないで済みそうです。延々と続く逆風吹く海沿いの道、早く内陸に入りたいと思い始めてから60kmほどそのままの状態で放置プレイ、苦しめられました。さらに150kmあたりから腰が痛みはじめました。もともと持病なのですが、この二週間、重い荷物の移動が多かったため、腰にはかなりの負担がかかっていると思っていました。一番おこって欲しくないことが起こりつつあります。同じ姿勢で走ることはかなり辛いので、平地でもダンシングで腰を伸ばすようにしました。100回転シッティングしたら20回転ダンシング、そんな感じでごまかします。

何とか午前4時前に179km地点のファミマ三国新保店に到着。マコ母の歓迎を受けました。マコ母はブルベ界の女神さま、でも無理だけはしないで欲しい…とっても大きな力をいただきました。10分ほどの休憩でおにぎり二つとカフェインドリンクの世話になり、再スタートです。東尋坊を経由して金沢に向かいます。少しずつ夜が白み始めたころ、一瞬意識がとびました。このままではかなり危険なので、屋根つき長いすつきのバス停で横になることにしました。走り出して10時間ほど、情けないけれどこうなることは覚悟はしていたこと、横になるやすぐに眠りに着きました。40分ほど眠って、走り始めると誰かと併走して会話をしたような気がします。ここから80km先の高松まで、金沢市内の迷路を走ったのですが記憶がほとんどありません。わずかに記憶があるのは去年ミスコースしたポイント「ここを左折しなかったんだ…」「ここを真直ぐ行っちゃたんだ…」なにせこの区間で去年は30km余分に走ってしまったんです。それと後二度ほどバス停のお世話になったこと。とにかく眠いのと腰がつらいので、いつやめてもおかしくない感じ、スピードも這うような感じで、全く安定しない状態、走り続けているのが不思議な感じでした。そんな状態で278km地点のサークルK高松店に着いたのは9時40分でした。

コンビニではオレンジジュースとおにぎりで朝ごはんを済まし、15分ほどで再スタートしました。ここからは前の区間で一緒になったじんじんさんとTさんと同行することにしました。が、走り出してすぐに後輪がパンク、ガラス片を拾っていました。幸い雨は小雨で問題なくチューブラーの張替え終了、エアーカートリッジを使ってあっという間に走り出せました。でも、また単独走行になってしまいました。風は相変わらず向かい風の強風、雨は小雨〜土砂降りを繰り返していて、時たま晴れ間ものぞいたりしてよく分かりません。交通量もかなり少なくなってきましたし、かなり走りやすい道になってきましたが、いかんせん体調が悪すぎて…相変わらずダンシングを繰り返して腰を伸ばしながら進みますがそれもそろそろ限界のよう、そこで、一か八か、ステムを裏返してハンドルポジションを高くしてみることにしました。ハンドル廻りにはいろいろなものが着いているので、ステムをはずすのに手間取りましたが、何とか30分ほどで手術終了、走り出してみると腰痛はかなりましになりました。けれど今度はおけつの具合がちょっと…ごまかしながら走っていると輪島の手前でまたしてもガラス片を踏んでパンク、今回使っているタイヤは初めて使うTUFOのエリート、23mm幅で乗り心地はいいのですが、どうも対パンクベルトが薄いみたいでビットリアの方がこの辺はいいのかも知れません。近くにコンビニがあったので、おにぎりを食べてからタイヤ交換をしました。輪島からは交通量もぐっと減り、向かい風の嵐も横風になり、海岸線を快適に走ります。程なく午後2時30分、388km地点PC4民宿『浜野』到着しました。いつもでしたら、この休憩所あたりはそのまま通過するところですが、今回はお風呂に入って、暖かいものをいただいて、しっかり仮眠を取りました。正直言うと、このまま目が覚めなければ良いと思いながら横になったのですが、腰の痛みがかなり酷くって、意識が飛ぶまで熟睡することはなく、うつらうつらしている程度でした。

ぼろぼろ


午後5時30分、ライトとGPSの電池交換をして、休憩所を出発するほかの参加者に混じって(誰だったか覚えていません…)走り出しますが、最初の上りでどんどん置いていかれます。もう全く走れていない状態、心拍は130拍ほどですがそれ以上力を入れることが出来ません。それでも、峠の途中で集団に追いついて、そのまま珠洲のサークルKに到着、座り込んでしまうと二度と走り出せそうもないので、水だけ補給して、一足先に再スタートしました。向かい風はもうありません。しかし、激しい雨脚にたびたび襲われ、そのたびに首をすくめます。走り方は相変わらず、100回転シッティングしたら20回転ダンシング、機械的にこのリズムで走っている状態です。おそらくこの走り方だと集団の中では走れないでしょう。この区間は海岸線と小さな峠を行ったり来たりするルートで、道幅も広くとても走りやすい道、しかし海岸線では波が高くって、時々道まで押しかけているよう、警戒のため、監視の車が走り回っていました。

ずーっと単独走行、程なくほぼ半分の490km地点、PC5サークルK鹿島田鶴浜店に着いたのは日が変わった午前0時30分でした。身体がかなり冷えてきたので、今回のコンビニ食は肉まんとチャーハンとコーヒー、補給食も羊羹やゼリー飲料も飽きてきたのでカロリーメイトに変更、お腹と背中には新聞紙を入れて防寒&吸水を試みました。これが正解、お勧めです。一時間ほどしてしっとりしてきた新聞紙は新しいのに交換すると効果倍増、身体や衣類の濡れた感じが全く感じなくなりました。コンビニを出て一時間もするとまたしても激しい睡魔に襲われました。今回は激しい雨に打たれても眠気がぜんぜん覚めず、かなり危ない感じ、一人で上りの途中にあるラブホテルに入ろうとも思いましたが、ホテルのすぐそばにあった屋根つきバス停に避難しました。ヘルメットをかぶったまま一時間近く眠りました。目が覚めると機械的に新聞紙を入れ替えて出発です。よし走るぞ!とか次のJRの駅で止めようとかそんな感情は全く生まれませんでした。530km地点の氷見から富山市内は去年酷く迷ったところ、ところが今年はとってもすんなり行ってしまいました。何か大きなバイパスが出来た感じで、いたってシンプルに通過できました。富山の街中から少し走ったところの、去年は「ここ、ほんとに国道?」と引き返した極細、素掘りトンネルのR472も今年はなつかしく感じます。極細区間ではたくさんの小動物に混じってイノシシに二度も会うし、凄い道です。昨年直進して20km余分に走ってしまった鋭角右折の信号も今年はしっかりとQシートに載っていました。

ここまでこれといったミスコースもなく、午前5時30分には570km地点のPC6サークルK富山八尾店に到着しました。身体がかなり冷えていたので、肉まんとカップ麺でお腹を満たして、新聞紙を交換(時間帯が悪かったのか危ない新聞しかなくてちょっとためらった、というか持って帰りたかった)補給食はカロリーメイトのフルーツからチーズ味に変更(たいした違いじゃない?)ウェットオイルをチェーンにたっぷりつけてスタートしようとしていたら、じんじんさんとTさんが到着、やはりバス停で眠っていたそうです。午前6時に一人で走り出すとまたしても眠気が襲ってきました。交通量が多いR41、緊張して走っているせいか何とか眠らずに持ちこたえますが、R360に入り、車の往来が途絶えるととたんにまぶたが重くなります。仕方なくまた屋根つきバス停で横になることにしました。雨はもう上がっているようで、鳥のさえずりがあちらこちらで聞こえます。どのくらい眠ったのか、目が覚めると日が差し込んでいました。アマガッパを脱いで走り始めると、じんじんさんとTさんが抜いていきました。お二人ともとても元気です。私は何時止まってもおかしくないくらい弱っていて、走りも安定していない状態なので、集団には参加せず、少し距離を置いて走ることにしました。R360〜R471は流れの激しい宮川沿いを高山線とともに走る道、高山線は運休してかなりたちますが、線路の上にアスファルトをひいて道路を横断させているようなところもあって、復旧はかなりかかりそう。同様に道路もあちこち工事中、でも入ってくる車がほとんどないので自転車は走りやすい道でした。めったに合うことのない車が後方から来ると、乗っているのは大塚バットとマコ母!「がんばって〜」って言ってくれる言葉、とっても嬉しいけれどそのまま返したい!俺たちは頑張るから、おめ〜らはたのむからもう頑張るな!休んでくれ…でも、私がこんな状態で何で走り続けていられるのか、絶対に納得できる結果などないことは分かっているのに、なんで止めようとしないのか、私なりの理由が少し見えてきたように思いました。「ありがとう…」

R41に入ると交通量がとたんに増します。自転車は当然路肩に押しやられ、アンチパンク能力が低いことが明らかとなっているTUFOタイヤは、またしてもガラス片を踏んでパンク!これで今回用意した3本のTUFOタイヤ、全てパンクしてしまいました。後のスペアタイヤは全てビットリア、頼みますよ!またしても一人になって走ることに、R41を離れても高山市内は交通量が多くって気が抜けません。それでも美女峠の上りに入るととたんに交通量がなくなり、上りながらリラックスできます。やはり私は、どんなにきついコースでも交通量の少ない道が好きなようです。車と一緒に走ること自体、とてもストレスになるようです。インナーローを駆使して何とか峠を上りきり、さあ下り、しかし…下り始めて下バーを持った瞬間、背中に激痛が走りました。何とかブレーキをかけて停車して、路肩に倒れこみます。しばらくうーうーうなっていましたが、うなっていても仕方ないので、立ち上がって背中を伸ばしてみます。伸ばしてみると痛みは耐えられないほどではなく、深く前屈しなければ走れそうです。でも握力の低い私は、下バーを持ってのブレーキングでなければ手のほうが持ちそうもないので下バーを持って、ブレーキングだけサドルに腰掛けて、それ以外はトップチューブに座って背中を伸ばすようにして下るようにしました。とってもかっこ悪いです〜。美女峠を下って、PCまであと20km、ゆるい上り坂が続きます。道の駅で行われているお祭りを横目で見ながら(屋台が楽しそう!)だらだら上って行きます。この辺お昼なのにかなり気温が下がっているようで、上りなのに汗が全くでないどころか、手足の指先が冷えて痛くなってきました。PCまであと少しのところで大塚バットのプリウスと対向、頼むから、じっとして休んどいてくれ〜!午後1時20分、675km地点、PC7胡桃島温泉、休憩所到着しました。ここではまず温泉!、ドロップバックで衣装を着替えて上は半袖の上に長袖を重ね着、レーパンも新しく履き替えました。さらにマコ母からチョウザメのお刺身とビー○のサービス(マコ母のお箸でです!)ありがとう!ご馳走様でした!休憩所(はなれ)に帰ってひたすら眠りをむさぼります。久しぶりの布団、身体が温まります。

神様のいたずら?

午後3時、アマガッパとレッグウォーマー、シューズカバー、冬用指つきグローブで走り出します。まずは下り、下バーを持つとやはり腰が痛むので、ブレーキブラケットを握って、ペダルの上に立ち上がって下ります。しかし、しばらくするとやはり指の握力が足りなくなってしまい、下バーを持ってトップチューブに座る作戦をとることになりました。長峰峠への上りは、急激な斜度変化もなく淡々と上って行きます。途中じんじんさんと前後しますが、似たようなペース、心拍は130拍ほど、しかしこれ以上上げると眠気が襲ってくるし、腰もきつくなって来ます。程なく峠通過、下りはまたしてもトップチューブに座る作戦、当然、じんじんさんとは差が開き、あっという間に見えなくなってしまいました。開田高原に入り細かなアップダウンが続きます。これがこたえました。この区間は地蔵峠の上りがあるぐらいで後は下りと思っていたものなので、何度も繰り返されるアップダウンは腰へのダメージをさらに深刻なものにしていくのでした。最後の上りを終えて木曽福島まで下る13kmは斜度がゆるいところは立ち上がって腰のストレッチ、急なところはトップチューブ作戦で下りますが、あまりの痛みに脂汗が出てきました。何とか下りきると今度は魔のR19です。この道はどう考えても自転車は走るべきでは無いと思います。今回は上りなのでまだましだと思っていましたがやはりムリ!じんじんさんは、ひっきりなしに大型トラックが通過する車道を淡々と走って行きますが、私は歩道を選択、ゆっくりと行きました。歩道はかなり荒れていてガラス片が光っています。とにかくムリをしないようにしてパンクしないように走りました。

そんなこんなでR19沿いの751km地点、PC8のタイムリーに着いたのは日も暮れた午後6時でした。ここでも肉まんとカップ麺を主食にして暖をとり、コーヒーで目を覚まします。後4km、R19を走らなければなりません。歩道をゆっくり走って行きます。今年開通した権兵衛トンネルに向かう道に入ると、車の往来もぐっと減り大変走りやすくなります。いかにも峠道という上りをしばらく行くと目の前にこの場に似つかわしくない風景が入ってきました。まるで高速道路のインターチェンジのようなループ橋がライトアップされていたのです。ここまでやらなくても、もったいないと思うのは私だけでしょうか。ループ橋の端はトンネルにつながっているのですがそのトンネルの中もまだ上り!結局三番目のトンネルの途中までアウターに入れることが出来ませんでした。トンネルを抜けると眼前の恵那峡目指して真直ぐに下るダウンヒルです。実はこのために今回第三のライト、『3ワットLED』を仕込んできたのです。ランタイムは2時間ほどですが、とっても明るい!最高の下り!と思ったのもつかの間、腰が酷く痛み出しました。どうにもこうにも我慢できず、急制動、わき道に倒れこみました。仰向けになって腰を伸ばしながら真上を見上げると、そこにはなんと満天の星!天の川を見るのなんて何年ぶりだろう。酷い腰痛も私にこの夜空を気付かせるための神様のいたずらですか…ならばもう少し優しくしてよ…なぜか分からないけれど涙が溢れてきました。痛い思いをするのも素敵なことに感動するのも生きているから…腰の痛みも忘れて瞬く星に圧倒されていると、頭のすぐ脇を自転車が二台通過して行きました。わたしも行かなきゃ…夜景の中に吸い込まれていくテールライトを追うように走り始めました。恵那と飯田を結ぶR153は、恵那市内は路肩が少なく、荒れていて大変走りにくい道、しかし、市内を離れるととたんに交通量が減って走りやすくなります。しばらくするとじんじんさんらに追いつきました。じんじんさんはかなり余裕があってスプリントなどして遊んでいました。私はもういっぱいいっぱい、短い上りで置いていかれて、長い上りで追いつく、長い下りで離されて、短い下りで回復する状態そんなことを繰り返しながら、827km地点、PC9健康ランド『湯〜民』に着いたのは午後10時40分でした。

ここでは大塚バット娘さんにサインをいただき(ご主人も似ている)自転車のライトとGPSの電池交換をして、ドロップバックから食料を取り出して、出発しようとしましたら、じんじんさんらは仮眠をとるとのこと、私もしっかり便乗しました。お風呂に入って休憩室で仮眠を取っているころ、日付は四日目と突入しました。

上りも地獄下りも地獄


休憩所で目が覚めると午前0時40分、先に出ることを目を覚ましている参加者に告げて駐車場に向かいます。出発の準備をしていると目の前にマコ母がいました。こんなとこまでありがとう…「AJ愛知の新しいスタッフを紹介しますね」とマコ母が指差す方を振り返ると、どっかで会った事のある人が…誰だっけ…「新しいAJ愛知のスタッフの岡NOです」ってかおりんじゃん!!!金沢でリタイアしたことは聞いていたけれど、一番助けてあげなければいけない人と行動するなんてかおりんすごい!うんうん、誰よりもブルベのこと分かっているんだ〜もう私より上行っている、あんなはなたれだったのに…(涙ぐむ)マコ母を頼みますと颯爽と出発!でもペースはとっても遅くてかっこ悪いです。

治部坂峠まで600mアップ、現在でも気温はかなり低い。峠前の最後のコンビニで肉まんとコーヒーを補給、コンビニのおじさん(年下だろうけど)に「凄く寒いぞ〜」と脅されました。ゆるい上りをシッティング34×23、ダンシング34×19で行きます。(ケイデンスは止まる寸前)この道は始めて走る道ではなくて、静岡ブルベでよく逆走したところ、私は『褒美ダウンヒル』と名づけたのですが、ノーブレーキで延々下れるところで、それを逆に上るのだから斜度はきつくないはず、でも辛い…治部坂峠の少し前に一回ピークがあってちょっと上り返しがあって峠だよな〜なんて記憶していましたが、この登り返しがぜんぜんちょっとじゃない!斜度が長くってきつくってインナーローでよろよろです。何とかスノーシェード風の治部坂峠を越えると平谷まで5.5kmのダウンヒルです。ここでも3ワットのLEDの威力は甚大、もうこれなしでは下れません。けれどやっぱり腰が辛くって下バーが持てません。あきらめてまた止まって寝転がろうと思いましたが、見上げた夜空は「おまえに見せる星空はねエ!」曇っていました。いけるとこまでトップチューブ作戦で我慢しようと、下って行きますが、全身油汗が出ています。ただ、この辛さのおかげで眠気はゼロ、良いんだか悪いんだか…良く分かりません。平谷を過ぎてからは少し上って長めに下るパターンで距離を稼いでいきます。途中の電光温度計は『3℃』!下りでは指先は完全にしびれて感覚がありません。左手の指に力が入らなくてフロントのシフトが大変です。最後は右手でシフトしてました。ただ救いは道路の舗装が凄くきれいなこと(トンネル内を除く)振動によって腰痛が増幅されるようなことがまったくなくて助かりました。伊勢神トンネルを抜けるころになると空が薄っすらと白みはじめました。30年前に東海自然歩道を自転車で走破したとき野宿した香嵐渓をなつかしく思いながら通過すると、午前5時40分、910km地点、PC10(最終PC)サークルK足助大橋店に到着しました。

名古屋市内は面白迷路

コンビニにはすでに蓮Iさんが出発準備をしていて、最後の90kmに出かけるところでした。一年ぶりの挨拶をして見送り、カップ麺と肉まん(ワンパターン)でお腹を満たして、15分後に蓮井さんの後を追うように出発しました。出発して最初のポイントを見事にミスコース、10分ほどのロスをしました。今回のブルベで最初のミスコースかも知れません。923kmで巴川を離れるといよいよ豊田市、街中の迷路に入っていきます。しかし時間帯なのか思ったほどの交通量ではなく、かなりスムーズに走れます。ただ、逆に住宅街に入るとけっこう車の出入りがあって、さすが商人の町、朝が早いというか、落ち着きがないというか…950km付近で、先行する蓮Iさんに追いつき桶狭間までご一緒しました。桶狭間の古戦場跡は小さな公園になっていました。駐車場も小さく、交差点には信号すらありません。どうも観光スポットではない様子です。ここで、防寒の手袋、シューズカバー、アマガッパを脱いで、軽装にに、今日はとってもいい天気になりそうです。ここから清洲城までの25kmは『信長の道』を行きます。旧東海道はところどころ古い家並みを再現していて趣があります。思わす見入ってしまいスピードもポタリング調になってしまいます。笠寺観音を過ぎたところですでにゴールしたIさんと遭遇、なんとお迎えランとのこと、計り知れないそこ力です。蓮Iさんもコンビニに寄るとのことで、ここからは単独走となりました。せっかくのいいルートなのに名古屋駅のすぐ東を走るR247〜R19では交通量は少ないのですが毎回信号に引っかかり(道幅が片側4車線とやたら広いので信号の間隔がとっても長い)、とっても疲れて、のこりの25kmの辛いこと辛いこと、それでも最後の堤防道路に入ると何かうるうるきちゃって、柄でもない…公園のゲートの影からテントが見え、そこにはK村組長、マコ母、そしてかおりんの姿がありました。何で走り続けたのか…何でやめなかったのか…「ただいま!」自転車のブレーキをかけながら最初に出た言葉が答えだった気がしました。

はだかですみません

ゴールした後、腰の痛みがあまりに酷くて、自分が何をしていたのかよく覚えていません。ただ、体中がにおってにおって、この匂いを何とかしないとみんなの中に入れないなと思っていました。とりあえず、衣装を脱いでQシートを提出、午前10時57分、62時間57分、三人目に旅を終えました。ボトルに水を汲んでシャンプーしちゃって(かなり顰蹙をかってしまったかも)、しばらくレーパン一丁でぶーらぶら。顔がとってもひりひりするので日に焼けたかなと思っていましたが、これがなんと凍傷!翌日から厚く皮がむけ始めてびっくりしました。凍傷は足の指先にも受傷していてあの夜の寒さを物語っていました。そんなカッコウッでもスタッフの方は優しくしてくれて、手作りのスープとパンをいただき幸せな気持ちになりました。次々とゴールする仲間を迎えて午後1時にはかおりんの車で一宮を後にしました。日差しがとっても暑くって、数時間前の寒さがうそのようです。さすがに連休の最終日だけあって、東名は大渋滞、でもずーっとかおりんが運転してくれて、午後10時過ぎに帰宅しました。かおりんありがとう!

とっても反省

なめていると言われるかも知れません。今回のブルベ参加は参加者として最低限の約束事を無視しての参加でした。ブルベ前の睡眠時間は2週間で10時間に満たないものでした。かなり重い荷物の移動が多くって全身の筋肉はスタート前にカチカチに固まっていました。当然トレーニングなど行えませんでした。

参加した理由はただ一つ、どうしても今回のブルベでやりたいことがあったこと、それはどうしても今回でなければならなかったことで、走らなくてもよかった…走ることは二の次でした。

実際走り出すと、当然のように走れない自分が居て、今回のレポートも辛いことしか書いてないように思います。実際辛かった…去年よりずーっとペースは遅いし、休憩は多い、なのに苦しくて苦しくて、でも不思議と止めようと思いませんでした。何で走り続けるのか、何でやめなかったのかその答えの入り口は少し見えているのですがまだはっきりしたものではありません。

答え…その一つにQシートの存在があります。今回の1000kmのQシート、初めて発表された時から人のぬくもりが感じられるいいものだな〜って感じていました。何度か正確性を求めて発表後修正を重ねられましたが、私にはこのQシート、正確性は二の次で良いように感じていました。単独で走っている時その先にあるスタッフが作ってくれたポイントにたどり着く事の喜びとその時に感じられる人のぬくもり、そのポイント一つ一つをつなぎ合わせて1000kmを描く地道な作業、明らかなのはスタッフが作った道であること、人が作った道であること、大方の道筋があれば後は参加者が判断する、それで良いと思うのです。大会前はスタッフには休んでいてほしい。今回、私にとってQシートはスタッフそのものだった気がします。次のポイントにたどり着けばまた誰かの笑顔に会える、そんな思いでQシートを追っていたように思います。Qシートが無かったら、このQシートでなかったら、『止める』という思いが私の気持ちの中で生まれていてもおかしくなかった、私にとってQシートの存在ってそんな感じなのです。だから参加者の目線で作られていた去年のQシート(正確さでは今年のQシートには及びませんが)も大好きです!

そしてスタッフの存在、当たり前だけれどスタッフが待っていてくれるから走り続けられる。最後に私から感謝したいから…

それから…きりが無いのでおしまい


どうしてもやりたかったこと

実は、スタート、ゴール地点に募金箱を設置しました。『スタッフありがとう募金』

ブルベの参加費はどんな距離でも上限\1500です。これは国際的に決められていることで日本がもっとも参加費が高いとされています。でも、この参加費でブルベ特に二日以上にわたるブルベを開催することは絶対不可能です。スタッフのみんなが手弁当で、身銭を切って開催しています。私は1000kmの参加費は\10000位が妥当だと思っています。けれどルールで主催者側はお金を取れません。お金で物事の価値を決めてしまうような行為は好きではありませんが、自分が妥当だと思う参加料を主催者に届ける方法としてこの募金箱を設置してみました。お金を入れる人が私一人でもそれは仕方ないことだし、今後無視されても仕方ないかも知れません。ただ、来年、私の参加する400km以上のブルベには必ず募金箱を設置する予定です。そうしないと私が妥当だと思う参加費がはらえないから。

打ち上げで美味いもん食ってほしい、それが私の感謝の気持ちなのです。