Antipsychiatry試論:Appendix

 

 以下は、僕が大学2年〜3年の時に纏めていた心理学レポートの部分抜粋です。
 Antipsychiatry試論は、この心理学レポートに引き続いて整理したものであり、僕の中ではこの二つの間には密接な関係があります。それゆえ、本来ここに載せられるようなものではないのですがあえて再掲します。
 読み返していて感じたことですが、この頃の自分って本当にまだ幼いなぁ、ということ。議論も未熟だし、知識もないし、自分で恥ずかしくなります。第一東浩紀のパクりじゃんねぇ……。これもかつての自分なんですね。

 

#1.

 

 フロイトが為し得たことは、あまりに大きく、またあまりに漠然としており、また必ずしも彼自身がそれに対して完全な解答を準備していたわけではなかったので、あちこちにフロイトの考えであると称して誤解ばかりが流布することに、確かにフロイトの責任の一端はあるように思われる。しかしだからと言って、我々がそうした解釈に従う義務はないであろう。私は、ここで、フロイトについてごくわずかの特徴線のみ抽出する。そしてそれについて考察する。その事は、私たちがここで取り扱おうとしている問題に、幾ばくかの照明を与えるだろう。

 さて、フロイトの系譜を考える際に、ごく大きく、図式的に、精神医学と精神分析との差異について追っておくのも有益であろう。私は、以下のように考えている。

 精神医学の特徴は、これは、クレペリンに端を発する、いわば分類学であるということにある。したがって、医師はあくまでもその分類に、あるいは、分類するという立場に、固執することが許される。医師−患者関係は、決して逆転しない。これを比喩的に表現すれば、自然科学者−観察対象ということが出来よう。(以下の議論を先取りして言えば)医師=meta levelであり、患者=object levelなのである。

 さて、では、精神分析の系譜はどこから始まるのだろうか。また、どのような特徴を持つのだろうか。私は、やはり、フロイトにおいて精神分析は始まったと考える。それは、単に史的事実を述べているわけではない。フロイトは、他の分析家と比して、明らかに新しい、斬新な方法論を発明したのであり、その有効性は現時点においても衰えていないと考えられるからである。フロイトは、クレペリンとは違った、何を発明したのか? 私は、それを、観察者が患者と同じレベルに立ち現れ得る点、あるいは、理論の上でも患者自身がメタレベルを有するという点、まとめると、医師−患者関係は単に観察者−観察物の区分を超えて、ある奇妙な関係を有する点にある、と考える。これは、meta levelとobject levelのレベル分けが維持されないことと、考えることが出来る。

 我々は、大体、精神医学と精神分析の系譜を、この両者の差異に重ねて理解することが出来る。精神医学への批判あるいは再検討は、常にここで言う精神分析の形を取ってきたことは注目に値する。例えばロジャースのクライアント中心療法や、レインやクーパーの反精神医学運動など。したがって、現時点においてもなお、フロイトの視点は重要な示唆を与え得るのである。

 さて、しかしこれでは我々が書いたことは単なるイメージに過ぎない。そこで、これらを明確化するため、思想史の系譜をたどることにする。近代哲学において、自己は超越論的自己(meta level=認識する自己)と経験的自己(object level=体験する自己)とに常に二重化され、かつそれによって自己同一性を保つという巧妙なモデルを作り上げた。object levelの自己は、meta levelの自己によって、常に判断され、隷属化されるわけだ。それを、主体化と呼ぶ(subjectivityとは、主体化と同時に隷属化をも意味する)。これはフッサールによって丁寧に練り上げられた。このようなモデルを、形而上学と呼ぶことが出来るだろう。このモデルは、あまりに強力であって、現在もまだ自然科学を筆頭に、さまざまな科学において採用されているモデルである(最も、これらは自己を対象にしないことが多いので、その意味ではこのmeta level/object levelの区分のみの採用ということになろうが)。

 この区分に異議を唱えたのは、ハイデガーである。ハイデガーは、この2つのレベル分けを、もはや正当なものだとはみなさない。よく知られているように、ハイデガーは、『存在と時間』において、このレベルを常に侵犯する存在であるdaseinの分析を提唱する。daseinは、自分自身世界内に存在し(=object level)ながら、同時に世界自体を創出する(=meta level)ものとして、ハイデガーにおいては特権的に扱われている。ハイデガーにおいては、したがって、この論理空間におけるねじれ、metaとobjectとがもはや関係を持たないものと言えなくさせる特権的存在者であるdaseinの分析が、哲学の目的であるとみなされるようになる。

 更にハイデガーは、この関係について、さまざまな興味深い記述をする。さまざまな現象の世界(daの平面)は、閉じられてはいない。したがって、我々は完全な認識を、従来の形而上学的な捉え方において、持つことは出来ない。そこには、欠如があるのだ。その穴、daの平面にあいた欠如、ハイデガー風に言えば世界の成立における無根拠性から、我々を呼ぶ呼び声(Ruf)は聞こえてくる。それは無の様態において語るもの、欠如自体において我々の良心に語りかけるものとされる。それが我々の主体の確率に不可欠な役割を演ずる。言い換えると、我々はmetaとobjectの二重性によって主体となるのではなく、daの平面に空いた穴、世界の無根拠性によって(無に語りかけられることによって)主体となる。そしてそれはdaseinにのみ可能なこととされる。dasein以外のものは、生物無生物を問わず、VorhandenseinもしくはZuhandenseinに留まる。

 ハイデガーは、このようにして、daseinのみに特権的に認められるレベル横断性を分析するのである。それを支えるのは、daに空いた穴、そこからdaseinへといたるRufという超越論的シニフィアンによってである。さて、フッサールからハイデガーへ、metaとobjectのレベル分けを主張する立場からそうしたレベル分けを侵犯する立場へと変化したが、この変化は私の考えでは、前者の考えはクレペリン=自然科学的立場・フロイト学派であり、後者の考えがラカン=否定神学的精神分析に対応する。

 さて、ではフロイトは、どのような考えを述べていたのであろうか。一体、フロイトの言う精神分析とは、どのようなものなのであろうか。しかしそれを述べる前に、ラカンについて概略的に、ここで必要な限りでの説明を加えることにしよう。

 ラカンが依拠するのは、フロイトの1900年代から10年代中頃までの、性と主体化に関するテクストである。ラカンは、フロイトの読解に際し、ハイデガーを参照する。ラカンは、絶対的外傷(=去勢=無)をめぐって主体は形成されるという。そして、精神分析は、主体の核をなす性的原光景、更にはその原光景を事後的に再構成するとされる実証不可能な性的原幻想の意味を求める解釈学的ディスクールとして、組織される。その際にラカンは、言語学的モデル、論理学のターム、さまざまな隠語を駆使し、「主体」や構造の「意味」を追い求める。こうした精神分析の方法論は、確かにこの時期のフロイトが行ったものである。そしてこの時期のフロイトは、ラカンが解釈したように、前述のハイデガーのフォーマットによって、充分理解できる。

 たとえば、ラカンがおこなったVerneinungの解釈は、それをよく表している。フロイトにおいてVerneinungは、独特の理論的意義を持つ。それは単なる肯定との対立項ではないのだ。ラカンは、その周到な読解において、これがobject levelとmeta levelとを横断することを示す。イポリットも言うように、フロイトのVerneinungは、negation(否定すること=object levelでの否定)と、negationのnegation(否定したことを否定すること=meta levelでの否定)を同時に響かせる。否定したことは、そのままの形ではなく、それを否定したという形で、主体に到来する。これは、上で述べたハイデガーにおける無、その主体への回帰(Ruf)という構造と同形である。その無こそが、主体を形成するのだ[註1]。

 ところで、フロイトはこうしたハイデガーのフォーマットに安住していたのだろうか。そうではない。その後のフロイトは、確かにラカンが読むようにハイデガー的解釈によってかなり理解できる。しかし、同時に、そこから逸脱するようなことを名指してもいたのである。それは、1900年の『夢判断』にさかのぼる。また、1920年代以降のテクストも、注目する必要がある。

 

 フロイトは『夢判断』など前期のテクストに於いて見られた唯物論的説明観を、1920年代以降のメタ心理学的傾向を強めた時期のテクストにおいて、再び採用している。ここにおいては、上で述べたハイデガー的フォーマットは大きく変更され、むしろそうしたRufの構造=否定神学モデルを撹乱させる「経路」のモデル、ニューロンの比喩による「ネットワークモデル」を採用する。こうした著作群の詳細を追うことは本論の目的ではない。以下では、その特徴線を追っていくことにしよう。

 例えばラカンが採用したハイデガー的フォーマットでは、主体の核となるのはあくまでもdaの平面に空いた欠如であって、その欠如をめぐって主体が形成される。主体はそれゆえ、不可避的に一般化(=単独性の欠如)されるだろう。このモデルは、幾つかの点で、きわめて建設的である反面、最終的に主体がさまざまな(共役不可能な)問題を現実として抱えているという事実について、何ら説明を与えない。さまざまな様相はもつとしても、主体の不安は不可避的に単一化(=Ruf)されてしまうのだ。フロイトはこの極めて観念的なモデルに満足しない。そこから、まったく別なモデルを追求し始める。

 さて、先のラカン=ハイデガーモデルにおいては、どうして最終的に主体が形成されるのか。それは、世界(=私)の無根拠性が、無としてのRufに単一化され、私の安定した自己意識を脅かすことによる。無によって、さまざまな諸問題は統合される。言い換えると、Rufは、それ自体何も語ってはいないということで、必ず私に届き(=「必ず届く手紙」)、自身に届くさまざまな情報を隠蔽するのである。したがって、このモデルについての批判の方向も定まる。Rufの単一性と、その伝達不完全性の隠蔽。フロイトはこうした理論的問題の解決のために、ニューロンの比喩を必要としたのである。

 さて、ところでフロイトが与えるネットワークモデルの理解のために、ここで現在もっとも徹底したフロイト読解を続けるデリダの整理を見てみよう。デリダは、parole/ecritureという対立を取り出す。paroleは、それによって我々の自己同一性を補強する。それは何故か。人においては、「言う」自己が、同時に「聞く」自己である。これは単に人の聴覚上の特性に過ぎない。しかしこのモデルは近代において「意識」一般のモデルとして採用された(先のフッサールにおける議論を参照のこと)。paroleは、「言う」と「聞く」の同時性によってまさにその自己同一性のモデルを表してしまい、その間にある不可避的な「ずれ」を隠蔽する。だがecritureでは事情が異なる。いかなる言葉も、その書かれたコンテクストから離れ得る。そこではさまざまな誤解や、伝達上の不完全性は必然的である。また、ecritureは分割可能である。なぜなら、ecritureはそれ自体としてはただの物質性においてしか存在しないのだから。我々は、このparole/ecritureの対立を、フロイトを読む上で重要なものであると考える。[註2]

 この区別をもとに、フロイトにおける別なモデルとは何かを考えてみよう。1891年のテクスト『失語症論』において現れた物表象/語表象という概念は、ラカン=ハイデガーとは違ったモデルを示唆する。この概念は、本格的に扱われるのはやはり後期に入ってからである。さて、この二つは、いずれも表象であるが、フロイトによれば我々はこの二つの表象を自身の中で区別する。そして、物表象は主として視覚に、語表象は主として聴覚に由来するものとされる。フロイトは、この2つの表象に関して重要なことを述べている。意識はこの両者を含むが、無意識は語表象を持たない。つまり、無意識においては物表象しかない。このフロイトの考えは、極めて重要な点を示唆する。語表象は思考同一性の条件であり、したがって意識においては思考同一性が保たれる。しかし無意識においてはそうではない。意識情報が無意識に入り込む時に、それら2つの表象はすべて物表象に書き換えられる。物表象それ自体はただの視覚性情報なのだから、常に破砕可能性を帯びている。

 更に見てみよう。フロイトは、その初期のテクストにおいて、経路の隠喩を用いた説明を行っている。しかしこれが精密に論じられるのはやはり後期のテクストによってである。フロイトは経路についてはこのような事を言う。我々の中では、経路は複数存在する。しかし、意識状態においては、ある情報が持つエネルギーはあるニューロン経路のみに流れる。しかし、夢においてはそうではない。そこにおいては、情報のもつエネルギーは、より抵抗の少ない経路へと、容易にその進行を変える。そこでは、もはや単一の情報は単一なままに保持されない。ある言葉=情報のもつエネルギーは、バラバラにされ、さまざまな経路によって伝達されていくだろう。情報は、無意識においてはもはや完全なままに伝達されない。そしてそれはもはや調整不可能である。

 デリダの言葉を借りれば、フロイトにおいて、無意識にはparoleがない。あるのはecritureだけなのである。ここにおいて、Rufはこの調整不可能で不完全な情報伝達のネットワーク、デリダの言葉によれば「郵便空間」を隠蔽した所に生ずる「無」だったのだと判る。まさにフロイトにおいて、フロイト自身によって、Rufの循環構造は批判され、乗り越えを示唆されていたのである。

 

 フロイトについて、本来ならばここで精緻な読解によってその思想を確認しなければならない所だが、ここはその場ではない。今ここで考えるべき事は、あくまで本論に関する限りにおいてのフロイトである。本論においてフロイトについてすべきことは、一つには精神科学におけるまったく新しいperspectiveを切り開いたものとして、正当に評価することである。そして、もう一つには、それ以外の精神科学の在り方に対する批判的視点をそこから引き出すことである。前者については概説した。後者について少し触れておこう。

 精神科学(精神医学や、心理学など)に於いては、一つの傾向として常にクレペリン流の単一化が存在した。これは、本論では、meta levelとobject levelという2つのレベルの分離ということを意味する。つまり、クライアントを一つのmeta level(=理論の枠組み)の下において考察することが、その特徴であった。しかしハイデガーのdasein分析によって、そのレベル分けに異議が出された。これによって、クライアントは主体性を持つことが認められた。しかしそれでもなお、クライアントの単独性、すなわち「この私であって、他の誰かではない」という意味での「この」性は、やはりなお理論の上で示すことは出来なかった。フロイトは、この意味での単独性に関する問いを提起した。

 単独性とは、現実世界から出発しては考えられない。他のどんな在り方であったとしても「この私」は「この私」であるということが、単独性の意味なのであるから。この意味での単独性は、一つにはmetaとobjectとの境界を侵犯するdasein分析によって示される。しかしこのハイデガー的フォーマットでは、どうしてもある種のmeta化が避けられず、最終的にはやはり単独性にまで達することはない。したがって同時に、可能世界について、そこから遡行してのみ考えられるplus=単独性について、精神科学は解決しなければならない。これまでの精神科学は、この問題について、まったくといって良いほど解決出来ていない[註3]。ここにおいてこそ、フロイトが提起した精神分析を、考えることが出来るだろう。

 

[註1]

あくまで参考までに。ハイデガーは、後期には、Sein自体について考察するようになる(しかし同時にSeinの対象化を最後まで拒否する)。そうした中で、Es gibtの運動に、積極的な意義を見出すようになる。そして、Es gibt Seinという構造(またここでEsは、ハイデガーによればSeinのことである)を特権的に取り出してくる。このSeinの循環構造は、ラカンが読むフロイトのタナトス概念と、極めてよく似たものである、と私は思う。

[註2]

言葉の「根源的ecriture」性、それによるmeta/objectのレベル分けの批判をするデリダの着想自体は、ある意味で極めて常識的に理解できよう。例えば我々は、まさに文章(ecriture)において、metaもobjectもない世界に触れている。そのどちらも言葉なのだから、何かをmetaと考えるには、別の考え方(慣習=権力)が必要である。本質はそこ(=ecriture)にはない。あるのは表層だけだ。この考えは、以下のフロイトの解釈において、極めて有益である。語表象/物表象が物表象に書きかえられる点を参照のこと。

[註3]

例えば反精神医学の運動も、精神医学に対してまた別のmetaを持ってこようとした運動である、と、私は考える。それでは解決にはならないのだ。ここに、反精神医学の理論的限界がある。

 

 

#2.

 

 私一般に還元できない、「この私」性を、単独性(singularity)という。単独性といっても、それは何か「私」が特殊であることを意味しない。私は、いかなる意味においても特殊ではない。しかし、この私は、別のものとは取り替えが利かない。そうした意味で、私が持ついかなる性質(=特殊性)が仮に別のものであったとしても、それでも「私は私である」だろう。

 このことは、「この私」以外にも当てはまる。例えば、私が猫を飼っていたとする。もしその猫が病気で死んだりしたら、私は他でもない「この猫」の死を嘆くのであって、「猫」一般について私は考えることはない。他でもない「この猫」と言う時の「この」性とは、何であろう。

 

 単独性は、常に可能世界から遡行してのみ考えることが出来る。たとえばアリストテレスは哲学者であったが、我々はアリストテレスが哲学者でなかったかもしれない、と言うことは可能である。また、アリストテレスはアレキサンダーの教師であったが、我々はアリストテレスがアレキサンダーを教えていなかったかもしれない、と考えることも出来る。「かもしれない」という可能性において考えた時、アリストテレスという固有名は、ラッセルの考えに反し、確定記述では言い換えることが出来ない[註1]。このように「かもしれない」という可能性において考えられた世界が「可能世界」(possible world)であり、我々は固有名を、そのような可能世界的想定を許すものとして使っている。そして、我々が固有名を使うのは、それが単独者であるからなのである。

 可能世界を通じ、さまざまな想定を許しつつ、にもかかわらずある「同じもの」を名指すのが「固有名」であり、固有名によって名指されるものは単独性である。したがって、さまざまな性質(特殊性)によって記述され得る一般性と、単独性によって示される普遍性とは、まったく別のことであると理解できる。

 ところで、可能世界についての問いが、単独性について問うことを可能にしたというのはいいにしても、可能世界について考えることは、例外なしにこの単独性を考えることを要請するのであろうか? 私はそうは思わない。可能世界については、さまざまな人がさまざまな解釈を絡み込ませているが、それらのうちでこの単独性について考察しているのはほんのわずかである。それは偶然ではないのだ。可能世界についてただ考えることは、むしろ時に単独性について考えることを不可能にする。言い換えれば、我々が仮に単独性について問うとするならば、まさに単独性が問い得るような可能世界論とはそもそもいかなるものなのか、まず考えねばならないのだ。

 こうした中で私は、クリプキの可能世界論は注目されるに値する、と考える。『名指しと必然性』における彼の議論の特徴線を、以下で追ってみよう。

 まず一つ目は、可能世界は、過去(あるいは過去と関連する現在)についてのみ考えられる、ということである。この点は重要である。クリプキは、この本の中で、決して未来についての例を口に出さなかった。このことは、少なくともクリプキにとっては可能世界について論じるのは、その対象が過去についてのもののみ意味がある、と考えていたことを意味する、と思う。このこと(未来についての可能世界的想定は意味が無い、としたこと)は、多くの人にとっては奇妙に感じられるだろう。それゆえ、この限定は、クリプキの意図を逆説的に語っている。

 二つ目は、更に奇怪な限定である。単独者は、すべての性質が偶然的であるのではなく、ある種の必然的性質は存在する、というものである。これは、クリプキが「名前は確定記述では言いかえることは出来ない」と言っていること、更にその説明も本論で私が使ったのとほぼ同型のものを使っていることを考え合わせると、なお奇怪である。しかしこのことはクリプキにとってはどうしても譲れないことであった、と思う。

 二つ目のテーゼは、こう書くと極めて理解しがたく思われる。この本でクリプキが挙げている例を参照してみよう。クリプキは、このテーブルが木で出来ていなかった、ということは可能である、という(例えば、木に非常によく似てはいるが、実はテムズ川の氷であるかもしれない)。しかし、もしも何らかの方法でこのテーブルが木であるということが判ったとすれば、もはやいかなる可能世界においても、このテーブルが木であることは必然的である[註2]。また、宵の明星と、明けの明星は、かつては違うものだと考えられていた。しかし、我々はそれらが同じ「金星」であるということを知っている。したがって我々は、いかなる可能世界においても、宵の明星と明けの明星が同じ星ではなかった可能性を考えることは出来ない。更に、次のような例も与える。自分は、現実にはある父親の精子と母親の卵子とによって生まれたとすれば、その父親と母親から生まれなかった自分というのは、いかなる可能世界においても不可能である。

 クリプキの議論はまだ続く。しかし、幾つかの特徴は素描可能である。クリプキは、たとえばモーセについて語る時、彼は人間ではなかったという可能性については考察しない。アリストテレスについて語る時もそうだ。こうしたクリプキの奇妙な必然性の保持は、一体いかなる意味があるのであろうか。いかなる性質も偶然的であると、どうして考えられないのであろうか。

 ここで、別の例について考えよう。例えば、クリプキは「ナポレオン」という名前について聞き、それをペットのツチブタの名として使うとすれば、それはふさわしい使い方ではない、という。「サンタクロース」という名も、それが現時点では、昔の聖人を指す用法では用いられていないのは、やはりふさわしい仕方で使われてこなかったことによると説明する。クリプキは、固有名を、その現実における伝達過程のみから説明する。初めに「命名儀式」が行われたが、そこで固有名には何らかの(記述できない)剰余が宿り、それこそが現在にまで伝わっているのだと。クリプキが「一角獣」を例にとって、以下のような説明を与える時、このことはより意味深い。一角獣は、存在したかもしれなかった、といわれる。しかし私はそうは思わない。正しくは、「一角獣が存在し得ないことは必然的であるという言い方をするのではなく、いかなる状況の下でなら一角獣が存在したことになるのか我々には判らない、とだけ言うべきなのである」。たとえ我々が一角獣神話で知っている性質をすべて持つ動物の化石が明日見つかるとしても、それを「一角獣がいた」事の証拠にはならない。また、そうした動物が明日見つかるとしても、それを我々は「一角獣のよく似た新種の動物」と呼ぶのであって、神話などで聞く「あの一角獣」が発見された、とは言わないであろう。このクリプキの説明から、逆にクリプキの考えが伝わってくる。

 クリプキが固執するのは、伝達されてきたまさに「この対象」の歴史性であって、仮想的な可能世界なのではないのだ。確かに、いかなる事もありえたかもしれない。しかし、本当に現実においてまったくありえないことを考察することは無意味である(一角獣は、「いたかもしれない」という想定を許すような言葉として使ってはいない)。クリプキの可能世界とは、その意味で「もしかしたらそうした事実が発見されるかもしれない」ものであり、またその意味でのみクリプキは可能世界を認める。アリストテレスがアレキサンダーを教えなかった可能性が発見されることはあり得るだろう。またアリストテレスが書いた本が、実は別の人間が書いたということも発見されるかもしれない。しかしアリストテレスが人間でなかった可能性は決して発見されない(されようが無い)。つまり、クリプキは、可能世界論を、その見かけとはまったく逆に、「この世界」「この歴史」を解析するためのみに要請されるlogicとみなしているのである。

 このように考えていくと、クリプキの考えが、極めて倫理的な問題に接近していることが分かる。クリプキの可能世界論は、現実の他者を一つのmeta levelに従属させることの拒否において極めて重要な点を標記するだろう。なぜか。もしも、現実の他者がたどった過去が、一意的に解釈を許すものであるとすれば、我々はその他者を、我々の用いるmeta levelによって、その将来を決定的に提示し、評価することが出来る。だがいかなる規則も決して他者の未来を拘束できないと考えるなら、この結論は避けなければならない。それゆえ、いかなる解釈も越えるplus=singularityが、一つの論理という考え方を倒壊させる、可能世界とは、そのようなものとして捉えなければならない。

 クリプキの考えるsingularityは、meta/objectという論理構造には従わない。このように考えていくと、クリプキは、ハイデガーのdaseinとは別の形で、他者をある一つのmeta levelの下に置くことを拒否する論理を構築しようとしていたことになる。精神分析の系譜を読解しようとする時、我々はクリプキの考え方を無視できない。単独性の問題圏を考察できない時、我々は決定的にクレペリン風な精神医学に荷担していることになるだろう。

 

 しかし、クリプキの考えに、ある問題があることも事実である。クリプキが行った限定は、少なくとも論理的には正当化できないだろう。しかし我々が最も考えねばならないのは、クリプキが自明のものとみなしている、固有名は単独性を一意的に名指すという考え方である。ここでは、単独性に固有名が対応するという透明な関係を、少なくとも疑う可能性は権利上ありえない。しかし、考えてみれば、(クリプキが一部例に取り上げているように)我々は固有名を誤解する可能性、あるいは誤使用する可能性は常にある(伝達の不完全性)。そして固有名は、それが言葉(ecriture)である以上破砕可能性にさらされる。『ヴィトゲンシュタインのパラドックス』でクリプキはいかなる記号も固有の意味を担わないと論じた。それとまったく同じ事が固有名についても必然である、といい得るのではないか。クリプキがこの論考で無視したのは、まさにこの郵便空間である。

 クリプキは、現実の歴史における伝達の問題圏にあくまで固執する。このことこそ、クリプキを他の可能世界論者と分かつ決定的な点である。我々はこの着想を高く評価すべきである。ただし、クリプキが「この対象」における「この」性(単独性)を何か実体のあるもの(固有名がそれを担う)と捉えていたのに対し、我々はもはやその不自然さを見ないわけには行かない。固有名は、実体としてはただの言葉なのだから、郵便空間(伝達不完全性・破砕可能性)をやはり通過せざるを得ない。むしろ、固有名に単独性が感じられるのは、クリプキの考えていたのとはちょうど逆に、固有名がその伝達においていかなる超越的な(実体としての)性質も持たないこと、まさにそれによって常に伝達不可能性が付きまとうことによる。[註3]アリストテレスについて語られたことは、どこかで行方不明になったり、入れ替わったり、バラバラになったりする。名「アリストテレス」の担う「意味」は、それゆえ決して一つの視点によって決定できない。このことが、固有名がある特殊な仕方でplusを指し示すのだ。

 固有名は、それゆえ社会的である。と同時に単独性を常に名指すのではない。そもそも単独性自体、遡行的に取り出された概念に過ぎない。私は複数であるかもしれない。あなたも複数であるかもしれない。しかし、固有名は常に(社会的に)伝達不可能性にさらされるが、単独性は決して分割されない。それは、単独性が概念的であることと関係する。単独性は、社会的に創出された概念なのである。

 

[註1]

例えば次のような例を考えてみる。現在において、富士山は日本一高い山である。しかし、だからと言って富士山を「日本一高い山」という言葉で言いかえることは出来ない。我々は、「富士山は実は日本一高い山ではなかった」という世界を想像することは出来る(そして現に、植民地政策を続けていた戦前の日本においては、このことは真である)。しかしもし先ほどの確定記述で置き換えてみると、「日本一高い山は実は日本一高い山ではなかった」とは言うことは出来ない。この文は単に自己矛盾であって、意味を成さない。このように、可能世界を想定すると、固有名は確定記述で言いかえることは出来ないのである。そして、このような想定にもかかわらず、なおも固有名が名指してしまうもの、現実世界で持ついかなる性質も持たなくてもなお何かを名指してしまう、そこにおいて名指されたものを、ここで「単独者」と呼んでいるのである。

[註2]

ちなみに、クリプキにおいて、「必然的」というタームは重要な意味を持つ。「必然的」というのは、「偶然的」に対する言葉で、いかなる可能世界においても成立する性質のことについて使われる言葉である。この対概念と対比して、クリプキは「ア・プリオリ」と「ア・ポステリオリ」という対概念を取り出す。そしてクリプキはこの対立項の混同を厳しく批判する。しかし私の考えでは、クリプキが「必然的」というタームを考察したのは、(後に述べるように)固有名が単独性を一意的に名指すと考え、そしてそれを何らかの方法で実体化しようとしたからであると考える。

[註3]

私の考えでは、クリプキは固有名の伝達不完全性と、単独性の存立不完全性とを、直結するものとして見ていたようである。それゆえ、単独性を擁護するためにこそ、固有名に対してその伝達を保証しようと考えたのであろう。