少なければ少ないほど多いもの
上のタイトルは、「なぞなぞ」ではありません。マジックの効果についての話です。 マジックをやっていて、一番楽しいのは観客にうけたときでしょう。これはマジックを始めたばかりの人でも、マニアでも、プロでも同じです。自分のやったマジックがうけるのは大変うれしいことなのですが、このとき、なぜうけたのか、その理由を考えてみてほしいのです。とくにアマチュアの方は、ぜひ、うけた理由を考えてみてください。 「魔法都市案内」の読者からいただくメールの中にも、「この前、何々というマジックをやりましたら、すごくうけました」、「あのマジックは絶対客にうけます」といったことが書いてある場合があります。このようなとき、ほとんどの場合、そのトリックだけを見せて、そこで終わっています。実は、これが私がこの「魔法都市案内」で繰り返し言っていることです。以前から読んでくださっている方であればわかると思いますが、しつこいほど、「一度に見せるマジックは極力少なくするように」、「できれば、一つだけ見せて、そこで終わることができたら、それがベスト」ということを再三繰り返してきました。もしまだお読みになっていなければ、「箴言集」にありますチャーリー・ミラーの言葉なども参照してください。 実際、そうなのです。大抵のマジックは、タネがばれない程度に演じることができるようになったら、そのマジックだけを見せて、そこで終われば、観客はマジシャン本人が予想している以上に驚き、うけます。ところが、これが二つ、三つと数が増えてくると、驚きに対して、あっと言う間に免疫ができてしまうのです。急激に、最初のときほど驚かなくなってしまいます。プロマジシャンの場合、一つだけ見せて、そこでやめるということは難しいのですが、アマチュアの場合、これは可能です。アマチュアに与えられた「特権」であると思っています。しかし、大半の人はこの特権に気づいていません。 気づかないどころか、むしろ逆に、うけなかったのは、見せ方が少なかったからと思い、底なし沼に沈んでいってしまうマジシャンが大半です。 今回(1999年)、デビッド・カッパーフィールドの日本公演を見ても、一層そのことを強く感じました。デビッドが演じた16の出し物のうち、半分の8種類は大がかりな道具を使うものでした。制作費やアイディア料まで含めれば一つあたり、数百万円から数千万円程度のお金が掛かっているでしょう。この8つのうちのどれでも、日本で行われている一般的なステージマジックに持ち込めば、それだけでトリネタになるくらいよくできたものばかりです。目の前で、そのひつだけを見せられたら、一生忘れないくらい、大変不思議なマジックばかりかです。 ところが、これほど、一つ一つのマジックを取り出せば強烈なものでも、あれだけ一度にたくさん見ると、もうダメなのです。 先日の公演の後、マジックをやっていない方数名の感想を聞く機会がありました。何が一番印象に残っているかチェックしてみたかったのです。マジックをやっていない人でも、デビッドのファンで、昨年も見ており、今回も数回行く予定にしているような「カッパマニア」と呼ばれるような人ではなく、デビッド・カッパーフィールドを見るのは今回が初めてという一般の人の感想です。結果は、うちの母も含めて、ほとんど同じです。翌日には、覚えているのは最後の3つ、つまり「月のカード」、「フライング」「13」と、「パンティ・スワップ」くらいのものでした。それ以外はきれいさっぱり忘れています。大半の人は、今あげた4つくらいしか記憶に残っていないでしょう。 マジックをやっている人であれば、もう少しは覚えているでしょう。また、自分が引っかかったトリックをマジシャンは過大に評価しますから、普通に見ていても、半分から2/3くらいは覚えているはずです。無理して思い出していけば、何とか全部出てくるかも知れませんが、普通はマニアでも、2,3日後には半分くらいは忘れています。 今回の公演の中で、私が一番驚いたマジックは、観客全員に配られた「月のカード」を使ったものです。あれは本当に驚きました。これはまったくの「セルフワーキングトリック」であり、何の技法も不要です。もしこれが本に載っていたら、目にしたとしても、間違いなく見過ごしてしまいそうなトリックです。どこかのマジックショップから売り出されたとしても、単品で500円程度のものでしょう。しかし、私も含めて、私と同じくらいクレイジーなマニアでも、これを今回初めて体験した人はみんな驚いていました。家に帰って、手順をチェックしてみれば、原理そのものは実に単純なのに、あのショーの中では、どんな大がかりなマジックよりもこれが最も不思議でした。ただ、このトリックは、もしマンツーマンで誰かから見せられたとしたら、それほど驚かなかったでしょう。あれだけ大勢の観客がいて、その人達の9割くらいが同じ結果になったからこそ、驚いたのだと思います。もし、一対一で見せられていたら、ただの「カード当て」と変わりません。それが、数千名が各自、よく切り混ぜているのに同じ結末になるから、驚きが何倍にも増幅されています。これは、デビッド・カッパーフィールドのうまいところです。状況を最大限に活用しています。あのトリックは、数が多ければ多いほど、効果はあります。一人あたりの原価など数円でしょうが、それで優に一千万円以上掛かっていそうな「13」より、効果があるのですから、皮肉なものです。 では、全編、このようなタイプのマジックばかりで構成したら効果的かというと、それはまた違います。今回も、16の中で、観客全員が行うのはこれと、最初のほうでやった「手を組むもの」(THUMBS)だけでした。これしかなかったので、余計に印象が強いのです。同じようなタイプのマジックが複数あるだけで、もう観客は疲れてきます。そして、どうせまた同じ結末になるのだろうと、予測してしまいます。そうなると、この「月のカード」ですら、今回ほどの感激はなくなってしまいます。 今私はこのトリックを絶賛しましたが、実は、これは昨年の日本公演でも演じています。昨年、はじめて見たとき私と同じように驚いた人たちも、今回、また同じことを見せられたら、退屈であったという人が相当数いました。 確かにそうだと思います。あのようなセルフワーキングトリックは、結末も、方法もわかっていたら退屈なものです。 はじめて見たときは、数百万、数千万円の費用を掛けたトリックよりも驚いても、二回目にはもう退屈なトリックになってしまうというこの事実は、マジックという芸の本質が「意外性」にあることに起因するのですが、このことは悲しむべきことでしょうか。プロの人にとってはつらいことかもしれませんが、マジックという芸そのものに関しては、必ずしも悲しむべきことでもないと思っています。 何度も見せられなくても、一度だけなら、十分なパワーを発揮できるということです。"T.P.O."、つまり「時と場所と状況」をしっかり把握し、一発に掛けるのなら、マジシャンが思っている以上の力を発揮できます。いつでも、どこでも、どのような状況でも演じることのできるマジックを持っていることは重宝しますが、その対極にあると言ってもよいようなマジックを普段から意識して、研究しておくのも楽しいものです。ひょっとしたら、永遠にそのマジックを演じる機会はないかも知れませんが、そのようなマジックを持っていることは、それはそれで心弾むものがあります。これもアマチュアの特権でしょう。 「月のカード」だけでなく、先ほど少し触れた「手を組む」マジックも、子供向きの本にでも載っているような易しいものです。さらに、今回、日本中のマニアが引っかかったといってもよい"TEARABLE"も、原理そのものはマーチン・ガードナーの本に載っていました。これも、みんなマニアの大半が読み飛ばしていたトリックです。 マニアの人たちは、いつも何か新しいネタはないかと本を読みあさり、ビデオを片っ端から見ていますが、「最近、ろくなマジックはない」とこぼしています。ここ20年くらいは、ビデオの普及もあり、マジックの歴史全部を通しても、これほど情報が氾濫している時代はありません。お金さえ出せば、だれでも千や二千のマジックくらい、すぐに知ることができます。しかし、相変わらず、「ない」と言っているのです。実際にはダイヤの原石を目の前にしていても、ただの石ころだと思っているのでしょう。ただ、目の前にある石が、磨けば光ものかどうかは、その人の磨き方次第です。全部の石を磨く必要もなく、自分に合いそうなものや、磨けば光りそうなものを見つけるのが、その人のセンスであり、眼力です。アマチュアの場合、そのようなものを数個でも持っていたら、何も困りません。自分自身で、自分の好みにあったものを見つけて、少しずつ改良しながら磨き上げたものが一つでも二つでもあれば、それで十分です。原石ばかりいくら貯め込んでいても役に立ちません。 話が少し広がりすぎましたので、私の言いたいことを整理しておきます。 1.一つ一つのマジックがどれほどすごいものであっても、それが複数続くと、観客の驚きは急激に減退するということを十分知っておくこと。 2.逆に言えば、もしひとつだけで見せて、そこで終わることができたら、マジシャンが想像している以上に、観客は驚き、後々まで覚えているということ。 3.状況別に、ある場所でしか演じられないようなマジックも普段から考えておくこと。 今回のデビッド・カッパーフィールドの公演を見て、このことを再認識しました。
補足:デビッド・カッパーフィールドが昨年(1998年)演じたものは、今年よりも時間も短く、数も少なかったのですが、全編が、統一されたストーリーの中にあり、見終わった後、一つ一つのマジックより、全体の雰囲気で魅了させる何かがあったようです。ところが今回のは、テーマ自体が「観客も参加する」ということもあったせいか、そのような余韻よりも、バタバタと進行しているといった印象のほうが強かったのです。 今回、私がここで取り上げましたテーマは、1時間半から2時間に渡るような長時間のマジックショーの話ではなく、アマチュアマジシャンが何かの折りに、友人の前で、ちょっと見せるマジックのことです。そのようなとき、本当にささやかなマジックでも、ひとつかふたつだけ見せて、そこで終われば、十分その場を盛り上げることができ、後々まで印象に残るマジックになるということを知っていただきたいのです。 参考:1999年、デビッド・カッパーフィールド神戸公演のレポート
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