魔法都市日記(10)

1997年8月頃


某月某日

短い盆休みが取れたので、梅田の阪急百貨店で開催されている「ルイス・キャロル没後100年記念 不思議の国のアリス 誕生の謎展」を見に行く。

ルイス・キャロルの本で、最初に読んだのは「アリス」のシリーズではなく、1978年に訳本の出た『ルイス・キャロルの論理ゲーム』であった。(神津朝夫 訳 風信社)

「すべてのSはPであり、かつ、あるSはPでない」。 これは彼の専門分野である論理学をゲーム化したものであるが、遊びながらロジックのおもしろさを体験せてくれると同時に、「論理的であることと矛盾がないと感じること」は別物だとわかる不思議な本であった。

「矛盾がない」ということを納得させるにはロジックだけではできない。最後は人の「心」が納得しないことには、人は「矛盾がない」とは感じないのだろう。

それはさておき、何と言ってもルイス・キャロルといえば『不思議の国のアリス』である。小さな女の子にプレゼントするために手書きで作ったこの本の復刻版が10年ほど前に出た。

手書き本 "A Christmas Gift to a Dear Child in Memory of a Summer Day"と表紙をつけ、アリスに贈ったものだ。今回、これを読み直してみて気づいたが、アリスにとっては、この中で起きる奇想天外な出来事は虚構の中のことではなく、まさに現実であったはずだ。このストーリー自体はナンセンス文学というジャンルになるようだが、小さい子供にとっては、現実の世界とイマジネーションで作り上げられた世界の間に差はない。

人が、現実と虚構の間に、歴然とした差があると感じるようになるのはいつのころからなのだろう。

ルイス・キャロルの父は牧師であったそうだ。牧師館を改修するとき、キャロルは家族から愛用品を記念にもらい、それをタイムカプセルにして、床の間に埋め込んでいた。100年後、床の張り替えをしているとき、それが発見された。編み棒、手袋、ポケットナイフ、シンブル(指ぬき)等、当時、家族が愛用していたものが展示されていた。

マジックをやっている人であれば、「シンブル」に興味を引かれるだろう。日本のマジックショップで売られているシンブルは長さが4センチほどあり、プラスチックで色もカラフルなのを見慣れているせいで、はじめて本物のシンブルを見たとき、あまりに地味なので驚いた。金属で、長さも1.5センチくらいしかない。

今回、会場では薄い陶器でできたシンブルを売っていた。大きさは金属のものとほとんど同じで、白い陶器に、アリス、ティードルダムとティードルディが印刷されている。(1個700円) 私はこれをおみやげに買った。指先にはめて、消したり出したりしてみたが、問題なく使える。日本では馴染みがないとはいえ、家人にみせると、「傘の先を拾ってきたの?」と言われてしまった。

『不思議の国のアリス』だけで、日本では10以上の翻訳がある。会場にはジョン・テニエルのものをはじめ、数多くの画家が描いた挿し絵があった。その中でも一枚、どこかで見たタッチの絵があると思ったら、マリー・ローランサンの描くアリスまであった。(1930年限定版)

『鏡の国のアリス』は読んでいなかったのでこれも買ってきた。ワンダーランドへの道はやさしく広い。


阪急を出て、すぐそばにある旭屋書店に行くと、松田さんと1階でばったり出会う。阪神百貨店で、「からくり展」をやっているので、それを見にこられたそうだ。阪神でそんな催しをやっているなんて全然知らなかったので、教えてもらえてラッキーだった。

旭屋からだと5分もかからないので、しばらく店内をうろついていると、5階で松田さんの奥様とも会う。どこもおなじことをやるようで、夫婦で一緒に書店に入ると、時間を決めておき、どこかのコーナーで待ち合わせしておいて、それまではお互いに好きなところをぶらつくのだろう。


4時から、「からくり」の実演があると聞いていたので、少し前に阪神につく。8階の催場に行くと「江戸からくり展」の看板が出ていた。会場には「からくり人形」だけでなく、江戸時代の和時計、測量、医療機器など数多くの展示があった。からくり人形の制作者の方が、動力別に分類し、実演してくれたのでいっそう興味深く見ることができた。

普通、からくりの展示というと、地方の祭りなどで使われる大がかりなものが多い。しかし、今回は「座敷からくり」と呼ばれるものが中心なので、人形も20センチから30センチ程度と小さいものが多かった。「座敷からくり」というのは、江戸時代の殿様や豪商が、このような人形制作者を家の座敷まで呼んで、そこで動かしてもらい、楽しんだもののようだ。ちょうどクロースアップマジックを見るようなものだろう。

動力別に実演してもらったものをざっと書いておく。

(水銀を使ったもの)
段返り人形(だんがえりにんぎょう)」 

高さ25センチほどの人形が、後ろ向きに回転しながら、ゆっくりと階段を下りて行く。一瞬止まったりして、実際に人間がやっているような動作になる。見事なもので、何段でも下りて行く。

連理返り(れんりがえり)」 2体の人形が、縦一列に並び、両肩に棒を抱えている。棒を回転させながら、後ろの人形が前に来る。それを繰り返しながら、階段を下りて行く。

(手動)
御所人形」が、手に面を持っており、その面をつけたりはずしたりする。シンプルな機構で、京都のおみやげとして販売されていたそうだ。

(砂)
鼠が回転するドラムのなかに入っている。砂が落ちてくるのを動力としてドラムが回り、鼠が生きているように、ドラムの中を走る」

品玉人形(しなだまにんぎょう)」 実際は鯨の髭を動力にしていたが、今回は後ろから手動で動かしていた。手品をやる人形。手に持った箱を伏せたり、持ち上げたりするたびに、人参、小判など四品から七品まで、次々品物が変化する。

茶運び人形(ちゃはこびにんぎょう)」 (オリジナルは鯨の髭が動力。最近は金属のゼンマイ)
からくり人形のなかでは最もよく知られているもの。動く実物を目の前で見たのは今回がはじめてであった。
運んできてくれたお茶を取り上げると止まり、その場でじっとしている。飲んだ後、湯飲みを人形の持っているお盆に戻すと、くるりと向きを変え元の位置まで戻って行く。
湯飲みを戻したら、人形が自動的に向きを変えたので驚いた。取り上げる距離は関係なく、戻した時点で向きを変えるようになっているのかと思い、後で制作者の方にうかがったら、そうではなかった。一定の距離前に進むと、そこでターンするようになっている。そのため、湯飲みを取り上げる客との距離を前もって測っておくことが必要なのだろう。

弓射り童子(ゆみいりどうじ)」 オリジナルは鯨の髭(今回復元したものは金属のゼンマイ)

弓射り童子これは、私もはじめて見た。それも当然で、復元者の方の話では、これを一般に公開するのは今回がはじめてだそうだ。本当にラッキーだった。
江戸時代末期の人形はわずか15センチほどで、それが自分で矢を抜き出し、構えて、実際に的を射る。
今回実演してもらったものは、このオリジナルの三倍くらいの大きさであったが、機構はまったく同じ。オリジナルの大きさではどうしても上手くできないところがあり、大きく作って色々と試していると仰っていた。4メートルほど離れた的に、3本とも矢が命中したときは、会場から思わず大きな拍手がわき上がっていた。

外国では昔から、「自動チェス人形」をはじめとする「オートマタ」と呼ばれるからくり人形が盛んである。日本のものはこれまでほとんど海外に知られることはなかったが、この「弓射り童子」は政府の外郭団体が外国に紹介したら、大変な反響があったそうである。最近では「カラクリ」という言葉が、「オリガミ」や「ジュード」と同じように、国際語になりつつあるくらい日本のからくり人形は大きな評価を受けている。

同じような動作をする人形を作るのが目的なら、現代の素材を使えばもっと簡単に、さらに複雑な動きをさせることもできるだろう。しかし、それでは制作者は満足しない。昔と同じような条件の下で、同じような動作をするものを作らないと気が済まないのが職人気質というものだろう。

マジェイア

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