魔法都市日記(20)
1998年7月頃
近況と一周年のご挨拶
昨年(97年)の7月11日に、「マジェイアのカフェ」と「魔法都市案内」をオープンしてから丸一年になった。現在、約250枚のHTMLファイルがあり、画像ファイルも含めると6メガ近い分量になっている。
当初は、1年間で100枚くらいHTMLファイルが書けたら、ホームページとしてそれなりの格好になるかなと思っていたので、そのことを考えると、合格点を出してもよいかも知れない。
元来、自分自身の覚え書きとして始めたものであり、私自身の好みに合うものを好き勝手に書いているだけだから、他の方々がどのように読んでくださるのか見当もつかなかった。しかし、2,3ヶ月したころから徐々にメールをいただくことも多くなり、この1年で、マジック関係だけでも7,80名の方からメールをいただいた。それらのほとんどすべてが好意的なもので、私には望外な喜びであった。やはり何らかの反響があればうれしい。また、私がここで書いたネタの紹介を読んで、それから注文したとおっしゃる方がかなりおられることを知り、うれしい反面、責任も感じてしまう。特に、swatch社の時計を使った"Perfect Watch"は、時計を買ったけれど、どうしてもやり方がわからないとおっしゃる方から、5,6通メールをいただいた。これに関しては、簡単な解説書を作ってあるので、MusiCallを実際に買った方に限り、やり方をお知らせすることにしている。もし、まだできなくて困っておられる方がいれば、メールでご連絡いただきたい。
とにかく、まがりなりにも1年間続いたので、次の1年も自分のペースを崩すことなく、マイペースで好き勝手なことを書いて行けばよいのだろうと開き直っている。年間を通して同じペースで書くことは無理なので、多少のばらつきはあるが、たまに感想でも送っていただけると、気をよくして、また書こうという気になるので、今までROMだけの方がおられたら、簡単な感想でもいただけるとうれしい。
ネタに関しては相当な分量、紹介ができたと思うが、本とビデオに関しては1年目はほとんどできていない。これを何とかしたいと思っている。しかし、ここで紹介する以前に、家にある本とビデオを整理しないと、見たいものがすぐに出てこない状態になっている。これは私だけではなく、三田皓司さんや松田道弘さんも同じで、「あるはずなんだけど、あれが出てこない」と嘆いておられる。しょうがないから、誰かの家で見つけることのできた同じものを回しあっているという悲惨な状況になっている。(笑)
ビデオに関しては、一時見過ぎでマンネリ気味ではあったが、最近、三田さんからお借りしたもので数点おもしろいものがあった。盆休みにでもビデオと本を少し整理するつもりでいるので、そのときにでも一緒に紹介するつもりでいる。
特に、数日前にお借りしたマイク・スキナーの新作7本はおもしろかった。内容はどれもすばらしいのだが、スキナーの現在の姿を見ると、ちょっと悲しくなる。20年ほど前、私がまだ学生であったころ、初めて出席した外国人のレクチャーがマイク・スキナーのものであり、そのころの彼を知っていると、今の姿は想像できない。最近は手も震えるようで、誰だって歳を取れば仕方のないことなのだろうけど、目をそらせたくなる場面もある。しかし、元来、センスは抜群のものを持っている人なので、やっているマジックはどれもすばらしい。
某月某日
昔からあるネタで、火のついた一本のタバコを金属製の筒に入れ、ふたをしてからしばらくして開けると、タバコが消えて、中からマッチの軸や小さな旗などが出てくるマジックがあった。商品名は「バニッシングシガレット」であったと思う。元は外国のネタのはずだが、海外のカタログではあまり見かけない。小品ながら、現象としてはわかりやすいので悪くないと思っている。しかし、道具がどうにも不自然な気がして、ほとんどやることもなかった。いかにもこのためだけに存在しているとしか思えない道具であるのが気に入らなかった。マジックのためだけに作ったような道具は、観客にしても、見ただけで怪しいと思ってしまうだろう。ところが先日、知人の家に行ったとき、偶然、興味深いものを見つけた。
私自身は喫煙の習慣はないので、葉巻もやらないのだが、知人が最近葉巻に凝っており、そこで下の写真のようなものがあった。
市販されている外国の葉巻のなかには、一本一本、アルミの筒に入って販売されているものがあるらしい。(右の写真) また、携帯用に、葉巻を一本だけ入れる筒も販売されいる。素材もステンレスから銀製まで色々ある。このシガーケースと葉巻の組み合わせを眺めていたとき、これがひょっとして、先のタバコを一本入れて消すマジックの元になっているのではないかと思った。(全然、根拠はないけれど(笑))
「バニッシングシガレット」を見せる前に、このアルミケース入りの葉巻を見せて、このようなものがあることを説明したあと、見せたらどうだろう。「バニッシングシガレット」の筒からタバコを一本取り出し、「この筒は、貴重品のタバコを湿気させないように持ち運ぶための筒である」と説明してから演じれば、半分はギャグで、半分はまじめに取ってくれるのではないかと思っている。
道具も手品のためだけに存在しているようなものは使う気にはならないが、理由があれば使うことにも抵抗がない。先の知人には、このタバコの消失はまだ見せていないので、今度会ったとき、彼が銀製のシガーケースを出してきたら、「1本のタバコ専用ケースをニューヨークで見つけた」と言って、「バニッシングシガレット」を見せてやろうと思っている。そこでタバコをマッチの軸か星条旗にでも変えたら絶対ウケると思う。
某月某日
7月22日から8月9日まで、JR京都駅の中にある伊勢丹で、「視覚のワンダーランド 世にも不思議な科学館」が催されていた。
展示物は主に錯視を体験するものが多く、格別目新しいものはなかったが、土曜、日曜はマジックショーもやっているようで、私が行った日は大阪のマジックショップ、「からくり堂」のオーナー、真田さんが出演して、有名な「サークルファン」などを盛り込んだ例のカードマニュピュレーションをやっていた。マジックショーがある日は、普通は3回やっているのだが、真田さんの日だけは1回しかなかった。忙しくてスケジュールの調整ができないからか、ギャラが3回分だと予算オーバーになるからだろう.....と、勝手に想像している。
別の日に出演している数名のマジシャンもすべて関西中心に仕事をしているマジシャンのようだが、名前を見てもまったく知らない人ばかりである。ただ一人、見覚えがあると思ったら、半年ほど前、関西ローカルで流れている日曜昼のTV番組、「紳助の人間まんだら」にある、「もてない君コーナー」に出ていた人がいた。プロの芸人が「もてない君コーナー」に出てどうするの?(笑)
会場での展示物は、ホログラフと呼ばれる立体に見える写真や絵が中心になっていた。レーザーの発達で、最近のホログラフは質感まで感じるほど立体に見える。また、昔からあるが、大きなお椀のようなものの底に10円玉やサイコロをおいて、上に丸い穴が開いた蓋をすると、底にある10円玉などが上の口のところに浮かんで見えるものがある。手で触れそうなのに、手を近づけても実際は何もない。これこそ「色即是空」の世界!
人間の目がいかにあてにならないかということに関して、20年くらい前にあった、「スプーン曲げブーム」を思い出した。ユリ・ゲラーという、スプーン曲げを見せる人が初めて日本に来て超能力ブームを巻き起こした。あれは勿論マジックなのだが、日本中で、雨後の竹の子のように「超能力少年」が現れた。中でも数名、マスコミなどで持ち上げられた少年がおり、この少年を御座敷に呼んで、スプーン曲げなどを実演させた高名な作家がいた。その作家が言うには、「私はこの目でスプーンの曲がるのを見たから、やはり超能力は存在する」と言い張っていた。人は自分の目を信じすぎる。マジックをやっていると、人は見ているようで、いかに見ていないかがよくわかる。
マジックの技法の中には、明らかに矛盾した動作をしているのに、観客が気がつかないことを利用したものが数多くある。あの作家は、先に紹介した「浮かんでいる10円玉」を見たらどう言うつもりだろう。目に見えるものが現実であるとは言えないのだ。錯視の例だけでなく、人はいつも選択的にしかものを見ていない。自分にとって必要な部分だけ、または先入観でしか見ていない。人間の網膜に映っているものを脳がどう解釈するかで選択している。自動的に、脳による認知バイアスが働くため、「客観」などあるはずもない。
会場の出口で、下の写真のような虹の2本セットを売っていた。商品名「どちらが長い?(ふしぎな虹)」
これは私が小学生の頃、気に入って遊んでいたので、懐かしくなり買ってしまった。昔は何かの雑誌に付いてきたもので、虹ではなくバナナであった。この虹は下になっているほうが長く見えるが、上下を入れ替えると今度は今まで短く見えていた方の虹が長く見える。勿論、実際は同じ長さで、2枚を重ねるとすぐにわかる。こんなシンプルなものでも人間の目は錯覚するのだから、「この目で見たから確かである」などとは軽々に言わないことだ。
錯視ではないが、先日、ある本に、左の写真のような感じでトランプをどんどん伸ばして行ったら、どこまで伸ばせるのかという問題があった。うまく重ねて行けば、いくらでも伸ばせるのか、どこかで限界がくるのかという問題である。あなたはどう思うだろう?
数学的にはいくらでも伸びることになっている。理由は、an=1/nはゼロに収束するけれど、それの和は無限大に発散することと、物理のモーメントの考え方を使えば証明できる。
会場で初めて見るものとしては、幅5メートルほどの白い壁があり、そこに人が数名張り付き、後ろから一瞬、光を当てると、影だけが壁に残るというものがあった。壁に残っている自分の影をながめていると、広島の原爆写真で同じようなものがあったことを思い出してしまった。
マジェイア