魔法都市日記(47

2000年10月頃


モザイクの入り口にあったハロウィンの飾り付け

今月はインターネットや、それ以外で知り合った方と直接お目にかかる機会が数多くあった。マジックとは関係のない方が大半であったため、随分と新しい世界が広がった。年齢層も30代から70代、80代までと幅広く、しかも心から尊敬できる方々ばかりであった。ご一緒させていただくだけで様々な刺激をうけたひと月であった。


某月某日

3年ほど前、『インド大魔法団』という本を偶然書店で見かけた。マジックをやっている人間は、手品、奇術、魔法といった文字には敏感に反応する。私もタイトルにひかれ、気がついたら手に取っていた。小説かと思ったがノンフィクションとなっている。少しページをくっていくと、P.C.ソーカという名前が現れた。まずこのことに驚いてしまった。

P.C.ソーカ氏と言っても、知らない人も多くなったと思うので、ざっと説明しておこう。
今から30年ほど前、インドにプラトル・チャンドラ・ソーカ(P.C.Sorcar)というマジシャンがいた。1913年生まれで、1937年に初めて日本を訪れている。このときはまだプロとして本格的に活躍する前のことであったが、日本各地でショーを行い、日本の奇術家とも親交を深めていた。その後、インド古来の奇術に西洋のイリュージョンを織り交ぜた独自のスタイルを作り上げ、大きな魔術団を結成し、世界各地で公演を行っていた。戦後だけでも6、7回、来日している。雑誌『奇術研究』(季刊誌 力書房発行)などにも寄稿していた。1971年の公演のとき、北海道士別市の旅館に宿泊中、心臓発作のため突然亡くなるというショッキングなことがあったため、30年近く経った今でもソーカ氏のことを覚えているマジック愛好家は大勢いるはずである。

上記のようなことがあったので、当時はよく知られていたマジシャンではあったが、その後ソーカ氏の名前を目にすることもなくなっていた。それが書店で見かけた本にP.C.ソーカという名前があり、しかも著者である山田真美さんは、ソーカ氏に会うためにインドまで行ったと言っている。すでに亡くなっているソーカ氏と会えるはずもないのに、いったいどこでどうソーカ氏とつながっているのか、さっぱりわからなかった。

この後、山田さんがインドに渡ってからの経緯は大変興味深いので、ぜひ先の本を読んでいただきたい。ともかく、この本を読んでから、私はずっと山田真美さんという女性のことが気になっていた。それから3年近く過ぎた今年の9月下旬、ひょんなことから、山田さんがご自身のサイト「山田真美の世界」を開いておられることを知った。 読ませていただくと、魔法使いに会うための旅と、その後、「マンゴーの木」というインド古来のマジックを見るため、インドのニューデリーに住んでもう5年になることなどがわかった。

山田さんのところの掲示板にご挨拶の書き込みをしたら、すぐにメールをいただき、それからメールの交換が始まった。10月22日から1週間ほど、山田さんの故郷である長野に、今インドで「天才魔法少女」として知られているパールちゃん(11歳)を連れて戻ってこられることがわかった。パールちゃんというのは、インドで開催されるマジックの大会によく出場しており、数々の大きな賞を受賞しているマジックの「天才少女」である。2年ほど前に開催されたマジックの大会で、山田さんが審査員をなさっているときにパールちゃんが出場したのがきっかけとなり、その後、家族ぐるみのお付き合いをなさっているそうだ。パールちゃんのお母さんは現役のエア・インディアのスチュワーデスであり、お父さんは貿易商をされている。この辺りの出会いについては、山田さんのお書きになったもう一冊の本、『マンゴーの木』の中でも紹介されている。

今回パールちゃんが来日するのは、長野とインドの国際親善の一環として、国際交流が目的であるため商業ベースでのショーなどはまったくなかった。

10月23日に長野市のホテル国際21で、「インドの夕べ」という交流会が開かれるので、私はこちらにお誘いいただいた。

真美さんとパールちゃん

と言うわけで、長野まで行って来た。これまで私はふしぎと長野には縁がなく、今回が初めての長野入りであった。事前に蕎麦のおいしい店や、宿泊先の情報をインドから送ってもらっていたこともあり、何の心配もなかった。e-mailで連絡を取り合っていると、インドからのものも、うちから歩いて数分のところに住んでいる友人からのメールも全然違いはない。これはやっぱり重宝なものだ。

おかげさまで蕎麦もおいしくいただくことができ、善光寺の「戒壇めぐり」では得がたい体験もできた。

「インドの夕べ」は午後6時から始まり、終始なごやかな雰囲気の中で、インド舞踊、パールちゃんのマジック、バイオリンの演奏、インド料理の食事、チャイの入れ方についての講習などがあり、あっと言う間の2時間であった。

この後、山田さんにはお疲れにもかかわらず、私の宿泊先にあるラウンジで、夜おそくまでお付き合いいただいた。メールや著作物から山田さんの雰囲気はわかっていたが、実際にお目にかかってみると、こちらがまったくストレスを感じない方であるため、精神が解放される。そのためつい饒舌になってしまい、時計を見たら知らないうちに11時になっていた。取り留めのない話におそくまでお付き合いいただき、お礼の申し上げようもない。

最近「動物占い」がはやっているそうだが、山田さんは「ペガサス」だそうだ。思い立ったらオーストラリアに鯨の研究に行ったり、魔法使いに会うためにインドに行ったりという話をうかがっていると、確かに「ペガサス」以上に最適な動物はいないだろう。ちなみに私は「ゾウ」なのだそうだ(汗)。

インド大魔法団、マンゴーの木

『インド大魔法団』(清流出版 1997年 ISBN4-916028-34-1)
『マンゴーの木』(幻冬舎 1998年 ISBN4-87728-273-4)
"WHEEL OF DESTINY"(Golden Eagle Press) (これは上記の2冊を英語に翻訳した合本)

「山田真美の世界」へジャンプできます。

 


パールちゃんについても一言触れておきたい。

パールちゃんパールちゃんは3、4歳の頃すでにマジックに興味を示し、自分でもやってみたいと言い出しただけあり、好奇心とサービス精神は並はずれたものをもっている。

10月23日の交流会の日も、朝からふたつの小学校を訪れ、その両校でマジックを披露してきたそうだ。おまけに最初の学校では胃痙攣をおこし、とてもマジックができる状態ではなかったのだが、大勢の児童が楽しみにして待ってくれていて、テレビ局や新聞社が何社も来ている状態ではキャンセルもできないと思ったのか、根性でステージに立った。最悪の体調であったはずなのに、ステージに立つと痛みも忘れてしまうのか、みごとにやり遂げたそうだから、たいへんな責任感と集中力である。

無事に終わり、パールちゃんがステージからおりてきたときは、山田さんはじめ、周りの大人達のほうがその場でしゃがみ込んでしまったそうだ。

演技自体はは全体で約20分くらいのものだろうか。最初の10分間はロープ、シルク、花、ステッキなどを使った一般的なものであったが、最後の二つはおしゃべりマジックで、この二つはパールちゃんの聡明さが際立ち、大変すばらしいものであった。

一番最後にやったのは、「プロフェッサーズ・ナイトメアー」としてよく知られている、長さの異なった3本のロープが同じ長さになり、最後は1本のロープになるものである。これの導入部が興味深かった。台の上に3匹の猿がいる。お父さん猿、お母さん猿、赤ちゃん猿の3匹の猿が座っていて、この猿のしっぽとして、長さの異なったロープがついている。猿からしっぽをはずして、ロープの手順に入る。

これを最初から最後まで全部日本語でやったのには心底感心した。私たちがどこかの国でマジックを見せることになったとしても、そこの国の言葉で全部やり遂げることはちょっとできないだろう。マジックは言葉なしでもわかるものがたくさんあるため、セリフを外国語で暗記することよりも、言葉が不要なものを選ぶのではないだろうか。

Pom-Pom Pole

最後から二つ目は「ポンポンポール」であった。長さが30センチくらいある一本の棒の両端に4個のポンポンがついている上の写真のようなものである。写真のものはクロースアップマジック用で10センチくらいしかないが、ステージ用はもっと大きい。

このマジックはアリ・ボンゴやピーター・ピットなど多くのプロマジシャンが演じている。技術的には難しくないが、セリフと見せ方が重要であり、またその部分は実際に何度か人前で見せることでしか練習できないため、アマチュアにとっては意外なくらい難しいマジックかもしれない。 これもパールちゃんはとても楽しく、そして観客から「エッー」という声があがるくらい上手に演じていた。

某月某日

WIZARDZ今年の夏頃、東京ディズニーランドの隣にイクスピアリという巨大な建物ができた。 色々な店やレストラン、映画館などが集まった、ひとつの街のような空間になっている。イクスピアリ自体は中に入るのは無料である。

興味をそそられる店は数多くあるが、私が行ってみたかったのは「ウイザーズ」"WIZARDZ"という、アメリカから来たレストランであった。ここはマジックを見ることのできるレストランで、ステージのショーや、テーブルまでマジシャンが来てくれるテーブルホッピングのサービスもある。私が行った日は平日の昼間であったため、ショーは見られなかった。夕方からはステージのショーもあるが、4時には東京駅まで戻らなければならなかったため、夜の部を見ることはできなかった。またテーブルホッピングをやってくれるマジシャンも、いつもなら昼間もいるのだが、この日はあいにく不在であった。食事をするだけなら、ここ以外に入ってみたい店があるので、そちらに行くことにした。

イクスピアリの中を順に見てまわるだけでも面白く、すぐに時間が過ぎてしまう。食事をするのも、カップル用の落ち着いた店から、ファミリー用の比較的安い店まで揃っており、うまい具合に作ってある。ただこれは隣のディズニーランドにも言えることであるが、小さい子供にとって、あまりにも刺激が強すぎないだろうか。音楽、照明、色彩、どれをとっても強烈で、また行きたくなるような情報を潜在意識に植え付けるよう設計されているのではないかとさえ思えてくる。

WIZARDZにジャンプできます。

某月某日

I.B.M.大阪リングの例会に行くと、若い女性に混ざって、もっと若い!小学生(汗)の女の子が3人遊びに来てくれていた。今回は福岡さんから事前に連絡をもらっていなかったので、まさか小学生が来ているとは思わなかった。そのため焦った。さらに松田さんの友人である将棋のプロ棋士、本間五段と将棋ライターの池崎さんもお見えになっていた。田代さんも埼玉から来てくださっていたので、とりあえずみんなで何点かずつご覧に入れた。十分なことは出来なかったが、帰り際、子供達が福岡さんに向かって、「おっちゃん、また遊びにきてもええ?」と尋ねていたそうなので、面白がってくれたのだろう。

I.B.M.例会後
左から宮中氏、池崎氏、本間氏

例会終了後、帰りが同じ方角の人たちが、大阪駅構内にあるホテルのラウンジにもう一度集まった。松田さんご夫妻、宮中君や六人部君も加わり、田代さんのお連れである鎌苅吉良さん、山本太郎さんなども集まって、十数名で11時頃まで遊んでいた。

ここで鎌苅さんには「おりがみマジック」を、山本さんには紙ナプキンの中央を丸く破って、広げると切れ端だけが星形になっているマジックを見せてもらった。これ用の紙ナプキンとしては、スターバックスのものが具合がよいそうだ。

話は少し飛ぶが、神戸の高校で教師をなさっているKさんから、最近色々なものを送っていただいたり、興味深い情報を頂いている。その中で、「ストローの色変わり」には、サイゼリアという、イタリア料理のチェーン店においてあるものがよいと教えていただいた。早速、神戸にある店に行って、もらってきた。こんなところで紹介すると、日本中のスターバックスやサイゼリアからナプキンやストローが消えるのではないかと心配になってきた。これを読んだ人は、あまり無茶なことはしないように。

某月某日

ギリシャ彫刻:円盤投げ

神戸のハーバーランドにある「モザイク」に、大道芸の世界ではよく知られている方が出演していた。一人は「人間美術館」の雪竹太郎氏。雪竹氏は一年の半分くらいを海外にいるそうで、関西ではめったに見る機会がないので行ってきた。絵画や彫刻の人物を実際に演じて見せる「人間彫刻」がよく知られている。

出し物は「ミロのビーナス」「ダビデ像」「考える人」「弥勒菩薩」等数多くあるが、なかでも観客5名に協力してもらって演じるピカソの「ゲルニカ」は笑える。人がやっているのは笑えるが、もしこの役を自分がやらされるとなると勇気がいる。そのあたりを察知して、これが始まると声をかけられないようにじっと下を向いて、雪竹氏と目線をあわせないようにしている人が多く、それがまたおかしかった。他人を笑うのは快感かもしれないが、自分が笑われる役になるのは、たいていの人は嫌だろう。それにゲルニカの場合、かなり無茶なポーズを取らされるので、若い人でないと無理なこともあり、人選も難しいはずだ。

シリウス

もうひとつは「シリウス」という男性二人のパフォーマンスグループ。1999年の”大道芸ワールドカップIN静岡”では、ジャパンカップを受賞している。帽子を使ったジャグリング、マジックかと思うような仮面のプロダクション、手足が数本ある「アシュラ」とよばれる格好で踊るパフォーマンス、パントマイム等を見せてくれる。本当は最初に演じる芸が意外性もあり、これが一番驚くのだが、詳しく書くと見るときの楽しみが半減すると思うので触れないことにする。

マジックと同じで、意外性というのは強力な武器ではあるのだが、それだけでは二度見たいとは思わないので、難しいところなのだろう。

某月某日

マジックをやる人が最も多かったのは、いつの頃なのだろう。2、30年前は、大阪、名古屋、東京のデパートには大抵マジックのコーナーがあった。しかし今ではマジックのコーナーがあるところはむしろ少ない。全盛時の1/5くらいだろうか。しかし専門店や通販のシステムが普及したため、売り上げそのものは落ちているとは思えない。事実、私が開いている「オンラインマジック教室」への申し込みも、数千名になっており、マジックに興味を持ってくださる方は決して少なくないと思っている。

昔はテレビ番組で、アマチュアのマジシャンが出場するコンテスト形式のものがよくあったが、今ではその種のものはほとんど見かけなくなった。これは出場する人がみんな同じようなことしかやらないため、視聴者に飽きられてしまったのだろう。

ここ1、2年はインターネットというこれまでになかったメディアが普及したため、今までに見られないような変化も起きている。

先月の「日記」にも書いたことだが、情報量の爆発的な増加にともない、マジック界全体の質まで変化しつつあるように思える。今は量的変化が質的変化に移行する過渡期なのだろうか。何の分野でも、量が少し増えたくらいでは目立った質の変化はない。しかしある一定の量を超えた途端、大幅な質的変化をもたらすことはめずらしいことではない。ただしその質が問題である。必ずしもよいものばかりとは限らない。

パソコンが出始めた70年代後半から80年代前半に、「ライフゲーム」という一種のシミュレーションゲームがあった。グラフィックも使えないような時代のコンピュータでも、「アスタリスク(*)」などを画面に表示することで出来ていた。

このライフゲームをやってみると、生物界でひとつの集団が生まれ、それが増殖し、繁栄を迎え、増殖しすぎると今度は衰退へと向かう様子が単純化されたモデルで観察できた。増加、維持、消滅するルールは大変単純なものなのに、初期条件を少し変えるだけで大きく変化する様子は、万華鏡をながめているようで何度やっても飽きなかった。

今のマジック界におけるサークルのでき方や、マジック人口の増え方を見ていると、そのうち飽和状態になり、一挙に激減するような気がしてならない。私はそれを憂えているのではない。誤解を恐れずに言えば、むしろそれを待っている(汗)。

マジシャンだらけの世の中なんて、どう考えても気持ちが悪い。マジックなんて、マイナーな趣味だからこそ面白いんじゃないの?少数でよいから、まともな人がまともなマジックをやってくれたらそれで十分だと思っている。まあ、長い目で見れば、物事は落ち着くところに落ち着くものだから、放っておいてよいのだろう。


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