魔法都市日記(48)
2000年11月頃
今月、マジック関係で出かけたのは、京都大学の11月祭、リー・アッシャー氏のレクチャー、I.B.M.大阪リングの例会くらいである。マジック以外のイベントにも、いくつか行ってきた。
ホームページ関係では、『YAHOO! JAPAN Internet Guide』、『あちゃら』、『IP!(アイピー)』他、いくつかの雑誌で「魔法都市案内」を紹介して頂いたり、検索エンジンのサイトからも掲載依頼が数件あった。格別何も宣伝活動をしていないのに、どれもこれも大変ありがたいことと感謝している。
某月某日
昭和35年前後、落語家の立川談志はまだ「二ツ目」で、柳家小ゑんと名乗っていた。日本でテレビが普及しはじめた頃である。私は小学生であったが、落語の好きな叔父の影響もあり、ラジオやテレビで落語をよく聞いていた。叔父はその頃から、「こいつはおもしろいぞ」と私に言っていた。私もこの男は他の落語家とは違う何かがあると感じていた。当時の談志は、あふれるほどの才能をもてあましていたのだろうか、言いたいことをそのまま言っていたため、落語界の先輩からは生意気なやつと思われていたにちがいない。しかしその才能は誰もが認めるところであったため、時を経ずして真打ちになり、五代目立川談志を襲名した。それから40年間、私は談志の落語を生で聞いてみたいと思いながら、これまで機会がなかった。
ここ10年くらいは、頭にヘアーバンドをし、無精ひげをはやして、世捨て人のような格好で何やら喋っている談志を見かけることが多くなり、この男ももうおしまいなのかと思っていた。しかし落語に関してはまちがいなく天才であるので、なんとしても談志が生きているうちに、いっぺんは生で聞いておきたかった。今機会を逃したら、永遠に聞くチャンスがないかも知れないと思い、私も焦り始めていた。
話が30年ほど前に戻るが、談志が大阪を歩いているとき、下駄で殴られるという事件があった。それ以来、大阪が怖くなり、二度と大阪には来ていないのだろうと思っていた。調べてみるとそうでもないようで、大阪でもたまに落語会をやっているらしい。インターネットで検索してみると、談志のホームページまであり、詳細なスケジュールが掲載されていた。うまい具合に大阪駅前の「ヘップ・ファイブ」で独演会があることがわかった。しかも前売り二千円、当日二千五百円という信じられないような安い値段で落語が聞けることがわかり、即座に申し込んだ。
平成12年11月19日(日)
15:00開演
HEP HALL(HEP FIVE8階)
前売り2,000円 当日2,500円独演会当日、談志は風邪気味で、体調が最悪であることをわびていた。落語は「よかちょろ」と「紙入」を演じてくれたが、最近ジョークの本を出していることもあり、それに載っているジョークをいくつか紹介してくれた。落語は風邪薬のせいか、噺を途中で忘れたりとボロボロになっていたが、それでも相変わらず天才は天才であった。
テレビで見る談志は傲慢不遜で、やたらとえらそうにしている嫌なオヤジだが、着物を着て羽織をつけて現れた談志は、じつに可愛くて色気があった。女を演じれば、これがテレビで見慣れているあのむさ苦しいオヤジと同一人物とは信じられないくらい色っぽいものがあった。天才というのは、どこにも無駄な力が入っていないものだ。
それに何よりも、観客への感謝、お金を払って自分の芸を見に来てくれる人への感謝があふれている。さらに落語に対する愛情、これは並みのものではない。心底、落語が好きなことが伝わってくる。
先般、自分の落語会で、最前列で寝ていた観客を追い出して裁判沙汰になっていたが、あれだって、寝るのは自分に対して無礼というより、一生懸命聞いてくれている他の観客に対して失礼だという思いからなのだろう。実際、談志の落語を聞きに来る客は、談志のすることなら何だって許してしまうくらいの談志フリークが多い。いかなる罵詈雑言が談志の口から出たとしても、その陰には観客への感謝とサービス精神、落語への愛情が感じられるから不愉快ではない。
今回、談志の落語をはじめて生で聞いてみて、天才と並みの芸人との差は、努力では越えるに越えられないものであると、あらためて痛感した。これは訓練や教わってできるものではない。だからこそ、前座、二ツ目のころから、先輩達のなかには談志の才能におびえていたものも多かったはずだ。同じ芸人であれば相手の才能は敏感にわかる。
落語が終わったあと、もう一度幕が上がり、師匠が現れた。客席と一問一答形式で答えるから、三人くらい、何でもいいからたずねてくれということであった。
おそれおおくも師匠に直に口を利いてもらえる機会など二度とないかも知れないので、私も手をあげて質問してみた。岡本太郎氏が言っていた「芸というのは古くから伝わっているものを受けつぎ、みがきにみがいて達するもの」ということについてどう思うか、たずねてみた。
「確かに芸にはそのような一面はあるが、そうとばかりも言えねーんだよ。たとえば円生の芸は、磨いて磨いて、磨き上げて作り上げたものだろうかというと、そうじゃないとおもうんだ」
なるほどね。名人上手と言われている人の中には、最初から誰にも真似の出来ないものがあり、その人の地の部分だけですでに芸になっていることがめずらしくない。修行でどうこうできるレベルは、たかが知れている。談志にしても、十代のころから光りまくっていた。磨く前からすでに光っていた。ダイヤの原石と道ばたに転がっている石との違いかも知れない。どちらも磨けばそれなりに光るが、その差はどうしようもないくらい歴然としている。
今回、師匠は風邪がひどいことを何度もわびていた。しかしこれがライブのよさである。本来、寄席芸というのは芸人と観客が共同で作り上げるものである。
「今日はろくな話もできずに申し訳ないが、談志が汗をかきながら、フラフラになって落語をやっていた場面を目撃できたのも一期一会のひとつだと思って勘弁してほしい」と、ずいぶん神妙に挨拶されてしまった。こんなことを言われると、つい観客はほろりとなってしまう。サービス精神の権化のような人だから、本気で観客に申し訳ないと思っているのだろう。
ビートたけし、横山ノック、ミッキー・カーチス、高田文夫、上岡龍太郎などといったそうそうたる才人が立川流の名前をもらい、喜んで弟子になっているのだから、これはただごとではない。天才は天才を敏感に感じとる。
客席と対話をしているとき、若い男性がせっぱ詰まった声で、どもりながらたずねた。
「ぼっ、ぼくは談志師匠の話が理解できないことがあるのですが、頭の悪い人のことをバカにしませんか」
一瞬客席が引くような雰囲気を漂わせた青年の質問であった。 さらに続けて、「談志師匠の話を聞いていると、心が傷つくんです……」と泣きそうな声で言った。
これに対しての談志の応対は見事であった。二言、三言、その質問に答えただけでどっと客席を湧かせたあと、最後にその若者に向かって「これで少し傷のほうは治りましたでしょうか?」と、はにかみながら、それでいて申し訳なさそうに、丁寧に頭を下げていた。ここで客席は再びどっとわいた。最後は見事に笑いの衣にくるんで締めてくれた。あの青年は、ますます談志に惚れ込んでしまっただろう。
このような客席と演者との当意即妙の交流、これを見ただけで、今日来た値打ちは十分あった。 それにしても芸は生で見るに限る。落語という芸は二千名も入るような大きな会場ではなく、今回のように二百名程度の場所で聞いてこそ、この芸のもっている細やかさが理解できる。笑いという衣で人生の機微をおもしろおかしく語っているため、つい見落としてしまうかもしれないが、落語の中には長い時を経て受け継がれてきた共通の感性や人間関係の知恵があふれている。
会場では談志師匠の本、CD、Tシャツ等が販売されていた。購入するとサインをしてもらえるということであったので、私も『談志ひとり会 御託と文句』を購入し、サインをしてもらった。家宝にしよう。 近ごろ第2次か第3次かわからないが、談志ブームでもわき起こっているのだろうか。CDなど、帰りがけに売店を見たら全部売り切れていた。アイドルなみの人気がある。
『談志ひとり会 御託と文句』(立川談志著 講談社 \2500 2000年9月 ISBN4-06-210233-1)
談志師匠のホームページ、「地球も最後 ナムアミダブツ」へジャンプできます。
某月某日
京都大学の11月祭に行ってきた。11月23日(木・祝)から26日(日)まで4日間あり、毎年この間、京都大学の奇術研究会が発表会を行っている。教室を改造して、「マジック・キャッスル」という「専用劇場」を作り、そこでマジックショーが開催される。今年は4日間とも一日5回公演で、1回が約1時間、その中でクロースアップマジックとステージマジックの両方がある。このような形式は京大の奇術部がだいぶ前から始めたのだが、数ある各大学の発表会でも、一度にクロースアップとステージが楽しめるのは他ではほとんど見られない。
また、他の大学であれば、奇術部の発表会は大きな会場を借りて、たいてい1回公演だけである。京大のように大学祭の間に、20回も公演をするところは他にはない。関係者からうかがった話では、昨年までは一日6回あったのが、今年は5回になっているのは部員数が昨年と比べて、少し減ったからだそうだ。
年に一回だけ、それも一度の発表会のために全精力をかけるのもよいが、京大方式のようなものも、出演する学生にとっては何度かやっているうちに場慣れしてくるし、よい勉強になるだろう。演者は日に2、3回出場することになるのだろうか。
会場は普通の教室を使っている。部屋の四隅でクロースアップマジックをやっているため、どこに座るかで、見やすい席と見にくい席が出てくる。中央の席に座ると、ステージはよく見えるが、クロースアップマジックはほとんど見えないため、自分がどちらを中心に見たいのか、決めておいたほうがよい。
ステージのマジックは、最前列の壁際以外はとりあえずどこに座っても見えるから、クロースアップが見える席に座ったほうがよいかもしれない。
話は前後するが、私は初日の23日に行ってきた。一回目の公演は朝11時10分から始まるので、当日の朝、それに間にあうよう、早い目に家を出たら、京都駅には9時半頃着いてしまった。そのままタクシー乗り場に行ってみると、すでに200人くらいが列を作って並んでいる。これだけ待っていても、常時100台くらいのタクシーが客待ちしているので、思いの外、待たなくてもよい。このときも10分くらいで乗ることができた。ただこの季節、京都は観光客が多く、バスやタクシーが市内にあふれかえる。そのためタクシーを利用しても大幅に遅れることがあるのだが、今回は京都駅から大学まで渋滞もなく、15分程度で着いた。1回目の公演が始まるまでには1時間ほどあるので、キャンパスの中を歩いてみた。
食べ物を扱うテントは数多く出ているが、初日の早朝ということもあり、まだどこも準備中である。朝食抜きで出てきたから、何かをつまみたいと思っているのに、食べられる店はほとんどない。食べ物のチケットだけは若い女の子が次々と売りに来る。その中でも、「揚げ餅」のチケットを売りに来た女子大生がとりわけ可愛かったので(汗)、思わず買ってしまった。「揚げ餅」なんてどんなものか知らないが、販売しているテントのところまで行ってみると、ここもまだ店ができていない。ひょっとしたら絵に描いた餅を買わされたのかと、少々不安になってきた。さっきタクシーで来るとき、大学の近辺では男子学生が二人で大きな鍋を運んでいる姿も見かけた。おでんを下宿で炊いてきて、あれを販売するのだろうか。昼頃には、どこのテントも準備が整い、食べられるようになっているのだろう。
ほどなく会場となっている「マジック・キャッスル」がオープンする11時前になったので、A号館のあたりに向かった。入り口でチケットを買うと、一昨年と同じものであった。これは毎年使い回しているようで、ボール紙にワープロで打ったものを貼り付けただけのものである。部屋の入り口で回収されるため、すり切れて使えなくなるまで何年も使うのだろう。無駄なところに金を掛けていないのも好感がもてる。私たちが最初の客かと思ったが、入り口にはすでに4名が待っていた。
部屋の四隅でクロースアップをやっていることはわかっていたので、案内係の男の子に、「どの人がお薦め?」とたずねてみた。さすがにこれにはちょっと答えにくそうにしていたが、「左側の、前方のテーブルの先輩がカードが上手です」と言ってくれた。ところが部屋に入ると何かに引かれるように右側の席に着いてしまった。これはあとからわかったことであるが、この席でクロースアップマジックを見せてくれたKさんは、以前から何度かメールをくださっている方であった。
席に着くと、すぐにマジックが始まった。まだ入場している人もいるのに、これはちょっと落ち着かない。1時間でクロースアップとステージの両方があるため、時間が厳しくチェックされているのだろうが、このあたりはもう少し考えたほうがよいだろう。 マジックは一瞬であっても目を離すと現象がわからなくなるので、観客が落ち着くまで待ったほうがよい。時間が押しているのであれば、最初からそれなりの余裕を持たせて計画を立てればよい。
実際に見せてもらったものを紹介しておこう。
<クロース・アップ・マジック>
1.「E.S.P.カード」:一致現象なのだが、これを最初に持ってくるのはどうだろう。割と長いストーリーのついたマジックだから、まだ観客が席を捜したり、バタバタしている最中なので、気が散るのではないかと思った。
2.「ダイス」:ポケットに入れたダイスが手の中に戻ってきたり、ダイスが小さくなったり、大きくなったりする。
3.「トランプの文字盤」:カードで時計の文字盤をつくって行うマジック。手続きが長い割には、最後のオチがいまいちよくわからなかった。後でご本人のKさんから話を聞いたら、本当はサッカートリックであったのに、予定外のことが起こったようで、サッカートリックではなく、普通のマジックになってしまったらしい。
4.「ヨーグルト」:京大OBの根尾氏が、今から20年以上前に考案した傑作。これ以外にも、根尾氏の作品では「5円玉」、3種類のカップで行う「カップアンドボール」が代々受け継がれている。この3つは、ほぼ間違いなく観客にうける。
クロースアップマジックが終わり、ステージマジックが始まるまでの1分間ほど、場内が真っ暗になった。一般の劇場なら非常灯があるため、完全に真っ暗になることはないが、ここは教室に目張りをしてあるため、照明を消すと完全な暗闇になってしまう。小さい子供は驚いて泣き出していた。やはり完全な闇は人間にとって恐怖を呼び起こすらしい。善光寺の「戒壇めぐり」じゃないんだから、簡単な非常灯くらいはつけておいたほうがよくないか?地震でもおきたら、パニックになりそう。
教室を改造した「マジック・キャッスル」<ステージ・マジック>
1.「マイザーズ・ドリーム」:最初、紙が紙幣に変化する。その後、空中からコインが数多く出現するマジック。お金を扱うものは、それだけで観客が注目してくれる。
2.「ダンシング・ケーン」:パントマイムの人がよくやっている芸で、鞄が空中で静止したり、またその鞄が突然動き出し、演者が引っ張られるものがある。今回、ダンケンをやった人はステッキで、最初そのようなことをやっていた。これはダンケンの導入としては大変面白い。ダンケンの演技そのものはごく普通のものであったが、前半がおもしろかったので、研究すればもっとよくなるだろう。マイムの演技ももう少しやったほうがよい。まだ体がふらついている。
3.「シンブル」:お馴染みのシンブル(西洋指ぬき)。私はシンブルをやらないので、どうして色が変わるのか、いつ見てもとっても不思議。
4.「タンバリン」:金属でできた筒状のものに、上下、紙を貼る。楽器のタンバリンのように見える。紙を破ると、中からシルクや紙テープなどが出現する。これが驚くほどの量で、舞台一面、テープやシルクであふれていた。これだけ出せば、マニアが見ても不思議に思うだろう。
5.「ビリヤードボール」:女性の演技者。鉢植えの木に、赤や緑の実がなっている。ひとつもぎ取り、手に持つと指の間で増える。「四つ玉」の演技なのだが、これも導入がよい。最近の流行なのかな?
6.「ワイングラスのプロダクション」:トリだけあって落ち着いたすばらしい演技であった。助手の女性もすてきで、ソムリエのような格好をしていた。これが大変似合っていた。ワイングラスのプロダクションは昔から発表会などではよく演じられているが、近年、ソムリエという職業が一般にも知られるようになってきたので、そのような雰囲気を意識して、演出していたのだろうか。
音響は教室でやっている割にはよく、これは最近の機械が良いせいなのだろうか。
1回目の後、一度出て昼食を取る。マジック・キャッスルの入り口すぐ隣では、ジャグリングをやっていた。「ジャグリング・ドーナツ」というサークルがあり、ホームページも開設している。私が見たときは男性二人のペアで、それなりに見せてくれた。ちょっと下品な演技もあるが、まあうけていたのでよいのだろう。
マジック・キャッスルでの3回目の公演は、見たものだけをざっと紹介しておく。
<クロース・アップ・マジック>
1.「スリーカードモンテ」:これも会場が観客の入れ替えなどでバタバタしているときに始まったので、どうしても集中力が散漫になる。特にモンテ形式で、カードを入れ替えるようなものは、見る側も集中している必要があるため、どうも落ち着かない。
2.「ビルチュープ」:お札を借りて、札の番号をメモしてもらう。それを小さく折りたたんで、ハンカチに包み、観客に持ってもらう。それが消えて、金属製の塩の容器から出現する。ロードに多少手間取っていたが、見ていると意外なくらい気にならないものだ。
3.「オムニデック」:アンビシャスカードをやっておいて、最後は一組のトランプ全体が透明なプラスチックのかたまりになる。ネタを知っていると、見ている私のほうがドキドキする。しかし、手に持っていた観客も、周りの観客も気がつかないから、このことにあらためて驚いてしまった。
4.「バルーン」:風船で作った犬。スポンジボールの導入に、バルーンでできたプードルのしっぽから、丸い部分が取れ、スポンジのボールになる。一連のスポンジボールのルーティンの後、また、このボールがしっぽに戻る。犬はおみやげとして、プレゼントする。
ステージでは、シンブルが1回目と重複していただけで、それ以外は新しいものであった。
「カーディオグラフィック」を女の子が演じていた。これはやはり良くできている。トリに出演した人の「シルクのプロダクション」も大変派手で、十分見応えがあった。メモを取っていなかったので、後の細かい部分は割愛させてもらうが、いずれにしても約1時間の中でクロースアップマジックとステージマジックが楽しめるという、この形式は量的にも過不足なく、ちょうどよいだろう。1日、5回も公演があるため、時間を気にせずに行っても、見逃すことはないのもありがたい。
某月某日
大阪駅前の大丸で開催されているドールハウス展に行ってきた。 ドールハウスのコレクターとして高名な、インゲボルグ・リーサ夫人のコレクションが関西にはじめて来たこともあるのだろうが、想像していた以上に人が入っていた。
1/12のサイズで作られた精密な作品を眺めていると、芸術的価値以上にアートセラピーとして、「癒し」や「自己発見」の効果があるのではないかと思えてきた。ドールハウスを自分で作っている人は決して少なくないようだが、ただ作品を眺めているよりも、自分で作ったほうが何倍も楽しめるはずである。ユング派の人たちが行う「箱庭療法」や、日本の盆栽にも通じるものがあるのだろう。
最近ではドールハウス用の小物も数多く出回っているので、すべてを自作する必要もないらしい。パーツを買ってくるだけで、手軽にドールハウスを作ることができるようだ。本格的にやっている人たちは、市販のものは使わず、大抵のものを自作するそうだから、膨大な時間がかかるのだろう。
左の写真は知人の作品であるが、彼女からドールハウスの世界のことを少し教えてもらった。
今から5年ほど前、ドールハウスはちょっとしたブームになり、その後急激にブームは去ったそうだ。何の分野でも、ブームというのはそれまで関心のなかった人まで巻き込むため、わけがわからなくなる。早晩、そのような人は去って行く。ちょうどサッカーのJリーグがそうであったように、ある時期から本当に好きな人だけが残る。現在、そのような意味ではドールハウスも落ち着いた状態になっているのかも知れない。
当時はとにかく人と違うものやオリジナリティが強調されすぎたため、人と変わっていたら何でもよいという時期があったそうだ。漢方薬屋で朝鮮にんじんやスッポンが飾ってあるもの、学校の理科室で人体の解剖図やカエルのホルマリンづけがあったりと、見ているだけで気分が悪くなるようなものまでがオリジナルという名の下で、作品として評価されていたらしい。何冊か出ていた月刊誌もなくなり、今は質の高いものだけが残り、本当に好きな人や、本気で取り組んでいる人だけが残っているのでむしろ喜んでいると言っていた。
これはマジックの世界でも同様かもしれない。誰かの作品をちょっと変えただけのものをオリジナルと称しているマニアをよく見かけるが、本当にオリジナルと言えるものはそう簡単にできることではない。
2000年11月25日(土)−12月10日(日)
大丸ミュージアム梅田(大丸梅田店15階)
入場料:一般700円、中高大生400円、小学生以下無料某月某日
今売り出し中の若手マジシャン、リー・アッシャー氏のレクチャーが大阪であった。現在24歳という若さでありながら、1991年(15歳)、1992年(16歳)と2連続してI.B.M.のジュニア部門で優勝している。アンダーグラウンドな世界では、十代後半からすでに名前が知られていた。
期待の大型新人ではあるのだが、幸か不幸か、私はビデオで先に演技を見てしまっていた。何の予備知識もなく見たら驚くことも、すでにビデオなどで知っていると感激は薄くなる。それだけのせいでもないが、レクチャーは少々眠かった。
彼の場合、「アッシャー・ツイスト」と呼ばれるカードのリバース現象が有名になり、これは確かにマニアが見ると驚嘆する。これがどれだけ定着するか今のところ未知数である。しかし状況しだいでは確かに使える技法である。彼が語ってくれた、これを考案したときの歴史によると、「カニバルカード」の最後で、一枚だけひっくり返ったカードが残るのが気に入らなくて、それを処理するために開発したそうだ。確かにそのような使い方なら悪くはない。しかしリバース現象を達成するために、ただストレートにリバースするだけというのでは少々無理がある。本人は慣れていることもあり、完璧に演じているが、あまり一般的な技法とは思えない。
今回のレクチャーに限ったことではないが、カードマジック中心のレクチャーは大変難しい。30年前なら、少々複雑なものでも、一度見せてもらえばほとんど覚えていた。その当時、周りにいる40代以上のおじさん連中が覚えられないと言っているのが不思議で仕方がなかった。ところが今では私自身がそうなっている。どうせ長い手順のものなど一度で覚えられないことはわかっているから、最初から覚えることは放棄してしまっている。そのため解説の時間が眠くなる。
最近はレクチャーのとき、必ずといってよいほどレクチャーノートを販売するので、手順の解説など省略して、ポイントの部分だけを教えてもらえたら十分である。ビデオなら解説の部分は早回しで見ることができるが、レクチャーのときはそれも出来ないので、一層つらい。
今回のレクチャーは、前半はどちらかというと「やさしいカードマジック」をやっていた。アメリカでレクチャーをしても、難しい技法を使うものだと大半の観客が諦めてしまうだろう。家に帰ってからも、レクチャーノートを開きもしないということであれば、教えている側にしてもつらいだろう。そのため、誰でもできるようなものを意識的に織り交ぜたのだと思うが、それはそれでまた退屈なものである。
今回通訳をしてくださった二川さんはアッシャー氏のことをよくご存じであったため、細かい部分まで補足してくださっており、その点はありがたかった。
2000年11月26日(日曜)
1:30p.m.(開演)
山西福祉記念会館(大阪市北区神山町)
料金:5,000円