魔法都市日記(51

2001年2月頃


HEP FIVEのくじら
大阪梅田のHEP FIVE(ヘップ・ファイブ)にある、空飛ぶ"赤いクジラ”(実物大)


2月は入試のピークであり、昨年の12月から始まった入試直前の追い込みも3ヶ月目に入ると、さすがにつらいものがある。2月25日、26日で今年の国公立大学の前期入試も終わり、一段落した。ホッとした途端、26日の夜から風邪をひいてしまった。生徒のためにも、試験が終わるまでは病気にもなれないと思っていると風邪も寄ってこないが、終わった途端に症状が出てくるのは、心と体が一体である証なのだろう。熱もなく、症状といえば鼻水がとめどなく出てくるだけなので、放っておいた。鼻水と一緒に、肩の凝りや体のあちこちの緊張も溶けて出て行くような気がする。薬も飲まないでそのままにしていたら、数日で治ってしまった。


某月某日

神戸にある兵庫県立近代美術館で「アメリカン・ドリームの世紀展」が開催されている。

20世紀、とりわけ1960年代まで、アメリカは今とは比較にならないくらい、強大な力を誇っていた。その力を背景に、テレビや自動車、ハンバーガー、コーラー、その他数多くの物や思想が急速に日本に入ってきた。数々の展示品をながめていると、それらの多くがいつのまにか日本の「文化」にまでなっていることにあらためて驚いてしまう。当時は別世界のものと思っていたものが、今ではそれなしでは不自由を感じるほど、私たちの周りに定着している。

1971年に日本マクドナルドが銀座に第一号店を出した。その頃、社長の藤田田氏は、「物を売るだけではだめで、その物を文化にしてしまわないと儲からない」と言っていた。今の日本のハンバーガー産業を見ていると、まさにそのとおりになっている。とくにこの1、2年はマクドナルドの一人勝ち状態である。ビジネスとしては、ハンバーガーを日本の食文化として根付かせることに成功できれば、あとはどうにでもなるのだろう。

ハンバーガーに限らず、現在私たちの周りはそのようなもので取り囲まれている。その功罪、善悪についてはひとまず問わないでおく。しかしハンバーガー1個でも、ある国の食生活を変えてしまう力があるのだから、「文化」の力はおそろしい。コンビニで売られている弁当など、日本人の味覚を崩壊させる元凶だと思うのだが、それでも今では「文化」になりつつある。いや、もうすでになってしまっているのだろうか。

王子動物園閑話休題。

近代美術館の向かいには王子動物園がある。ここは動物園と遊戯施設がいっしょになった昔ながらの施設である。パンダが昨年から来ているので、最近は来園者の数もそこそこあるようだ。東京ディズニーランドをはじめとする昨今のテーマパークを見慣れていると、まるでおもちゃのような小さな動物園でしかないのだが、私が子供の頃は、これでも十分広く、丸一日遊べたものだ。

日本国内の遊戯施設はどこも大型化している。観覧車のような昔からあるものも例外ではない。大阪駅前にあるヘップ・ファイブの屋上には、直径が75メートルもある巨大な観覧車ができている。南港にも大きな観覧車がある。このようなものを見慣れていると、王子動物園にある昔ながらの観覧車など、ミニチュア模型のように見えてしまう。

近代美術館の展示品に、1950年代にアメリカでウォルト・ディズニーがディズニーランドを作る計画を立てはじめた頃の模型の写真があった。当時の日本は戦後の復興の最中であり、遊戯施設にディズニーランドのような巨大なものを作ることなど、想像すらできないことであった。アメリカにはそのような巨大な施設があることは雑誌などで知っていたが、当時の子供にとっては宝塚にあるファミリーランドや、西宮の阪神パークなどで十分過ぎるくらい楽しめたものである。

しかし、一度東京ディズニーランドなどに行き、あの刺激を体験すると、もうこのような場所では満足できなくなるに違いない。

子供はいくらでもイマジネーションを膨らませることができる。大人になるとそれが薄れてくるのか、より強い刺激でないと満足しないようだが、常にそのようなものに囲まれていることが、子供のためになるとは思えない。大人が歩いても、めまいがしそうな色づかいや刺激の強い音楽に囲まれた場所で一日過ごすことが、子供にとって本当に幸せなことなのだろうか。

ディズニーランドは、「魔法をかけ続けること」が重要なテーマになっているらしい。一度訪問した人にまた再び来てもらうために、何度訪れても新たな発見があるように作られている。魔法をかけ続けるためには、細部にまで手を抜かないきめ細かさが必要である。小説と同じで、リアリティはディテイルにすべてが宿っている。そのことを知っているからだろうが、確かにディズニーランドはよく考えられている。その点は感心するが、リピーターを作るために、子供の脳にここまで強烈な刺激を与えることがよいとは思えない。子供に夢を与えるためというよりも、また来させるための計算された刺激にすぎないのではないのかと心配になってくる。

ディズニーランド建設当時の写真や現在の東京ディズニーランド、それと王子動物園の小さな観覧車を比べていると、想像力というのは、ごくわずかの刺激があればそれで十分膨らむものではないのかと思えてきた。「魔法をかけ続けるため」に、限界に近いまでの刺激を与え続けることよりも、ほんの少しの夢と、現実を冷静に見つめる目が自分にあればそれで事たりるのではないだろうか。誰かから与えられた夢や魔法はいつかは覚めてしまう。

「アメリカン・ドリームの世紀展」

2001年2月7日−3月25日
兵庫県立近代美術館 神戸市灘区 (電話:078-801-1591)
入場料:大人1000円、大高校生700円、中小学生400円

某月某日

バレンタインチョコホームページを開設して、今年で4回目のバレンタインデーがやってきた。読者の方からいただくチョコの数が年々増え続けているのだが、何で私のようなものに送ってくださるのか、まったく不思議で仕方がない。ホームページだけを見ていると、私のイメージというのは大変繊細で、なよっとした男を想像するらしいのだが、現実は全然違う(汗)。ただのおじさんだから、どうか誤解しないでほしい(汗)。

バレンタインのチョコレートにも流行りがあるのだろうか、数年前から生チョコをいただく機会が増えてきた。それと、これまでなら「ゴディバ」が本命専用のチョコレートということになっていたのだが、他のメーカーが巻き返しをはかっているのか、これまで日本ではあまり馴染みのなかったメーカーも増えている。

雅子様が皇太子殿下に贈られたというジュネーブのメーカー「ステットラー」や、ベルギー王室御用達、このベルギー王室御用達というのは何社もあるようで、私が頂いただけでも数社あった(笑)。ベルギー王室は、チョコがよほどお好きなようだ。他にはシャンパンボトル自体がチョコレートでできており、その中にさらに小さなチョコがつまっているノイハウス(Neuhaus)のものもあった。肩書きだけは物々しいものまで含めて、本当にいろいろと頂戴した。チョコレート以外にも、手作りのケーキや豪勢なビーフシチューまであった(汗)。

どれもこれも涙が出るくらいありがたい。幸か不幸か、男性からはバレンタインデーにいただき物はなかったが、普段から多くの方に情報や様々なものを頂いている。本当にお礼の申し上げようもないくらいありがたいことと感謝に堪えない。

某月某日

神戸の大丸百貨店で開催されていた『指輪 ちいさな記念碑の物語』を見に行く。と言っても、ホワイトデーのお返しのためではない。 展示されていた指輪は値段のつけようもないほど貴重なものばかりなので、買えるようなものではない。

指輪は今でも身につける装身具としては一番馴染みのあるものだろう。古代エジプトの頃から現代まで、指輪は様々な目的で使用されていた。古くはアミュレット(護符)と印章としての機能を併せ持ち、社会的な地位と権力を示すためのものであったそうだ。婚約、結婚の誓いとしても馴染みがある。めずらしいものでは米ソの冷戦時代に使用されたスパイ用の指輪まであった。大振りの指輪にカメラが組み込まれている。今から40年くらい前のものだろうが、当時からこれほど小型のカメラがあったことに驚いてしまう。

指輪

またもうひとつ、結婚指輪で細いリングをパズルのように組み合わせて、1本の指輪になっているものがあった。これをまねたパズルは昔からあり、今でも販売されている。私が2、30年前に購入したものは本物の指輪と同じ大きさであったが、現在パズルとして販売されているものは実際のものよりずっと大きい。上の写真が完成品で、下にあるものがバラバラにしたときのものである。

結婚している男で、外で女性を口説くとき、独身を装うために結婚指輪をはずす人がいるそうだが、この指輪なら簡単にははずせない。はずすだけなら簡単だが、一度はずすと組み立てるのは難しい。浮気封じのために作られたものかもしれない。

指輪

 

『指輪 ちいさな記念碑の物語』

2001年2月15日(木)〜27日(火)
大丸ミュージアムKOBE(大丸神戸店9階)
入場料:一般700円(500円) 大高生500円(300円) 中学生以下無料

某月某日

めったにないことだが、古書店が出している目録に、マジック関係の本がかなりの冊数掲載されていることがある。数冊ならともかく、一度に数十、数百冊単位で載っているような場合、本人が売りに出したというより、持ち主が亡くなり、家族が処分に困って古書店に引き取らせたというケースが多い。図書館などに寄贈するといっても、実際には引き取る側も置き場所の問題や、様々な事務処理上の問題もあり、諸手をあげて歓迎というわけでもないらしい。

萩原葉子さんのエッセイに、父、朔太郎の晩年の趣味であった手品について綴った「父と手品」と題した作品がある。朔太郎は、手品の道具や、タネを書いたメモを保管してある引き出しには厳重に鍵をかけ、手を触れるべからずと書いた貼り紙までしていたそうだ。亡くなった後はクラブの規則ですべて燃やすことになっていたので、生前からそこまではっきり言ってくれていれば家族も楽だろう。

今回私が目にした古書店の目録には日本語のマジック関係の本にまざって洋書もかなりの数があった。そのなかには、昔から読みたいと思いながら買いそびれていたものもあった。そのようなものだけを5、6冊注文した。届いた本を見ると、表紙の裏に、「うすゐたけを」というサインと、本を買った日と思える数字が記されていた。そのうちの一冊は"36-3-16"となっている。東京の丸善書店のレシートも貼り付けてあった。さらにペンで「4089号」と書いてある。昭和36年3月16日に丸善で購入し、蔵書の通し番号が"4089"ということなのかも知れない。マジック関係だけで、昭和36年の時点で4,000冊を越える本を持っている人というのはまずいないと思うので、これは他の分野の蔵書も含めての数だろうと推測する。

MY BEST署名にある「うすゐたけを」というのは、臼井武夫氏のことだろう。明治43年生まれ、東京帝国大学を卒業後、住友銀行に入社、昭和43年専務取締役で退任されている。マジック関係のペンネームとしては「阿田治雄(あだじお)」を名乗っておられた。ご自身の著書としては、『カード奇術技法ノート』(THE NEW MAGIC叢書 Vol.4、1973年)がある。

臼井さんは若い頃から独学でマジックを趣味としてやっておられた。今回私が入手した本にも昭和36年の日付があるから、この当時からマジック関係の洋書を購入して読んでおられたようだ。とりわけカードマジックがお好きで、『カード奇術技法ノート』には、カードマジックの技法だけでも40種類以上紹介されている。私もこの本ではじめて「KMムーブ」のやり方を覚えた記憶がある。

私が臼井さんについて存じ上げているのは上記のことくらいである。東京、兵庫と離れていたことや、年齢も私とは40以上差があるため、これまで臼井さんに直接お目にかかる機会は一度もなかった。しかし臼井さんが40年前に購入され、愛読しておられた本がいま、私の手元にある。それを手にとってページを繰っていると、なんとも感慨深いものがある。1冊の本がどのような人のところに行き、どのような運命をたどるのか予測もできないが、おのずと縁ある人のところに収まるようになっているようだ。つい先日、「ラウンドテーブル」に書いた「意味のあるマジック」も、今回購入した臼井さんの署名入りの一冊からヒントをもらったものである。

古本といえば、私自身は初版本を集めるといった趣味はないのだが、知人が海外の古書店が出しているリストをながめていたら、"The Dai Vernon Book of Magic"が載っていたそうだ。彼はすでに持っていたが、初版となっていたので購入してみると、中にヴァーノン自身の直筆による署名があり、しかもヴァーノンがある高名なマジシャンに贈ったものであることがわかった。贈られたマジシャンが亡くなったので、家族が処分したものが古書店のリストに載ったのだろう。それが今、熱烈なヴァーノン・ファンである彼の手元にあることをみても、本は縁ある人のところに集まるようになっているようだ。 私も蔵書にサインをしておいたので、将来誰かの手に渡ったときはよろしく!

40年前にはインターネットの存在など、誰一人予想もできなかった。それが先の「意味のあるマジック」を例にとってみても、書いた内容は本の中味に影響されたものであるが、媒介として間に入っているのは臼井氏の「魂」なのだろうと思っている。それが私にバトンタッチされ、さらにこのサイトを訪れてくださる方々に方に伝わって行く。意識や熱意はこうして伝播するのだろう。

某月某日

I.B.M.大阪リングの例会は、午後7時を過ぎた頃からメンバーが集まり始める。普段は私もその頃着くように行くのだが、この日は出先から寄ったため、6時過ぎには着いてしまった。早すぎるので誰もいないだろうと思いながら部屋に入ると、幹事の赤松さんがすでにおみえになっていた。隣にははじめて見る外国人の方がいた。ピーター・ファーガソン氏といい、カナダ出身のアマチュア・マジシャンだそうだ。来日して一年半ほどで、大阪で仕事をしながら合気道の勉強もやっているとおっしゃっていた。

マジックはインターネットを通して学んだそうである。アメリカにあるI.B.M.の本部に連絡をとると、大阪には支部があることを教えてもらい、それで今回初めて例会に参加されたようだ。

マジックを始めたきっかけがインターネットということだが、確かにこのような方が最近増えている。私が開設している「オンラインマジック教室」にも約2年間で、5,000名を越える方からの申し込みがあった。今も毎日とぎれることなく、数名の方から新規申し込みが続いている。海外でも同じようなことをやっているサイトがあり、ファーガソン氏もそこではじめてカードマジックを覚え、それ以来マジックの楽しさを知り、本格的に始めたそうである。

1980年頃までは、マジックを始めるきっかけとして最も多かったのはデパートのマジックコーナーだろう。当時は大都市のデパートには大抵マジックのコーナーがあった。専従のディーラーも常駐しており、マジックを実際に見せながら道具を販売していた。デパートという場所柄もあり、買い物のとき偶然前を通りかかり、ひとつ買ってみたら、それからやみつきになってしまったという人が少なくなかった。それが近年デパートのマジック売り場が減るにつれ、以前にも増して、一般の人がマジックを目の前で見る機会は少なくなってしまった。

ところがここにきて、インターネットの普及にともない、事情が変わってきた。インターネットの使い道はいろいろとあるが、なかでも「検索」は大変重宝する機能である。これを使うことで、今までなら専門家しか入手できなかった情報が、一般の人でも容易に手にはいるようになった。「オンラインマジック教室」への新規申し込みも、テレビでマジックや”スプーン曲げ”が放送された日は突然メールの数が増える。一日で30通前後申し込みのメールが届く。これはテレビを見た人が、「スプーン曲げ」をキーワードとして検索をかけるからだろう。

「オンラインマジック教室」へ申し込んだ人の中には、タネを知りたいだけの人もいるだろうが、お礼のメールなどを読ませていただくと、かなりの歩留まりで、マジックに興味を持つようになってくださる方がいることがわかる。本やビデオ、ネタを購入するようになった方も、私が知っているだけでも数十名はおられる。べつにこのようなものを購入していただかなくても、これまでマジックのことなどまったく知らなかった方々に、マジックの楽しみ方はいろいろとあり、マジシャンの世界を垣間見る機会を持っていただけただけでも、このようなサイトを作った意義はあると思っている。

某月某日

大阪の大丸百貨店で、チャールズ・M・シュルツ氏の原画展が開催されていた。スヌーピーやチャーリー・ブラウンが登場する『ピーナッツ』のシリーズは、2000年にシュルツ氏が亡くなるまで、50年間にわたり、毎日、新聞や雑誌に連載されていた。日本に『ピーナッツ』が紹介されたのはいつのことなのか詳しいことは知らないが、人気が出たのは1970年前後ではないかと思う。この頃、鶴書房からペーパーバックで『ピーナッツ』の1巻目が発売された。このシリーズはことさらアメリカ風のコミックという雰囲気を強調するためなのか、それともただ安く製作するための手段からか、”わら半紙”(これって死語?)よりも汚い紙でできていた。なんでこれほどひどい紙を使っているのか不思議なくらい、ざらざらの紙を使っていた。

PEANUTS本の造りはともかくとして、1970年というのは大阪万博の年でもあり、日本中で、戦後三回目くらいの英会話ブームがあった。そのような意味でも、「ピーナッツ」の中で登場人物が交わしている会話は、まさに生きた英語として、英会話の勉強にはうってつけであった。それが目的で、当初はこの本を購入している人もかなりの割合でいたはずなのだ。勿論学習教材としてだけではなく、コミックとしても大変楽しめた。日本では見かけなかったキャラクターが登場し、そこで交わされる会話はマジックと同じような意外性があり、私はこれにすっかり魅了されてしまった。翻訳者が詩人の谷川俊太郎氏であったため、原文の雰囲気を忠実に伝えながら、こなれた日本語になっていたことも大きな要因なのだろうと、今になって思っている。

『ピーナッツ』に登場するのはすべて子供であるが、姿や形は子供であっても、喋っているセリフは大人の会話であり、哲学者や精神科医、悟りを開いた宗教家が喋りそうなセリフが頻繁に現れる。4コマ漫画を読んだあと、しばし考え込むこともめずらしくなかった。このピーナッツのシリーズは、コミックといっても大人のためのものであり、本当のおかしさがわかるには小さい子供では無理だと思うのだが、日本では小さい子供にも人気がある。どうしてなのだろう。単純にキャラクターのかわいらしさだけのことなのだろうか。

これらのセリフは、シュルツ氏が自分の主張したいことを登場人物の姿を借りて言っているのだが、今読み返してみると、当時は気づかなかったことも含めて、シュルツ氏の広範で柔軟な思想にはあらためて感銘を受ける。

鶴書房から出ていたシリーズだけでも40巻近くあり、全巻持っていた。しかしいつの頃か、従兄弟に全部あげてしまい、当時のシリーズはもう手元には残っていない。ビデオ化されたピーナッツのシリーズを先般見たが、どうも何かが違う。4コマ漫画でオチまでついているものを10分から20分のアニメにすると間延びしてしまい、本来のキレがなくなっている。キャラクターにしても、すでに私自身の頭の中にあるものとズレがあり、見ていてもどうにもしっくりしない。 商品としては雑誌や新聞に限定するよりも、テレビなどで使えるようにしたほうが比較にならないくらい大きなビジネスになるのはわかるが、シュルツ氏はそのようなことを本当に望んでいたのだろうか。

先日近所のビデオショップに行ったとき、『スヌーピーのマジックショー』というアニメが棚にあった。家で見ると、スヌーピーが図書館から借りてきたマジックの本を片手にマジックをやっている。十分練習もしないままショーをやってしまうのは論外と言いたいところだが、私だって解説書を片手にマジックを見せることもあるので、えらそうなことは言えない。

最初にやっていたのは、シルクハットからウサギを取り出すお馴染みのものだが、実際にはウッドストックにウサギの耳だけをつけたものを出現させていた。左上にある本の写真で、スヌーピーが抱いているのがウッドストックである。

本物のウサギが出ると思っていた客席からはブーイングが起きていたが、実際にこれをやったらうけるんじゃないの?最近はぬいぐるみがぬいぐるみを来ている人形などもよく見かけるので、小さい子供の前で見せるのなら、こっちのほうがうけそうな気がする。

参考:「箴言集」に チャールズ・M・シュルツ氏の御言葉があります。

スヌーピーとチャーリー・ブラウンの世界 「チャールズ・M・シュルツ原画展」

2001年1月24日(水)〜2月12日(月)
大丸ミュージアム・梅田[大丸梅田店15階]
入場料:一般800円(600円)・高大生600円(400円)・小中生300円(150円)


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