前田知洋 1965年生まれ。東京出身。
日本初の、本格的なクロースアップマジック専門のプロマジシャン。厚川昌男賞、FISM日本代表、日本クロースアップマジック大賞など、数多くの賞を受賞している。
日本では昔から、バーテンダーや店のマスターが趣味でクロースアップマジックを見せる店は数多くありました。しかし、バーテンダーやウエイターといった仕事は一切せず、クロースアップマジックだけを見せるプロマジシャンは、これまで日本にはいなかったのです。職業としては成立しない分野だと思われていました。そこに初めて踏み込み、実際に成功させたのが前田さんです。
私が前田さんのマジックを初めて見たのは、今から8、9年前のことです。サンフランシスコのホテルに泊まっていたとき、同伴者が「朝からテレビでマジックをやっているわよ。それも日本人で、前田さんという人だけど、知っている?」と知らせてくれました。
当時の私は、しばらくマジックから離れていた時期でしたので、前田さんのことはまったく知りませんでした。名前も顔も見覚えのない、若いマジシャンでした。
そのときテレビで見たのは、「風船とトランプ」を使った前田さんのオリジナルマジックでした。マジックそのものよりも、「感じのいい人だね」という印象を彼女に伝えたことを、今でも覚えています。
しばらくして日本に帰り、マジックショップに立ち寄ると、前田さんのレクチャーノートがありました。そこに、テレビで見たあのマジックが解説されており、これがあのときのマジシャンだったのかと気づいた次第です。
その後も、前田さんの奇術に対する考え方などを読むにつれ、ぜひ実際に生で見てみたいと思うようになりました。前田さんは帰国後、横浜ベイブリッジにできた東洋最大級の座席数を誇るシーフードレストラン「タイクーン」の専属マジシャンとして、5年間活躍されていました。テーブルからテーブルへ移りながら演じる、いわゆる「テーブルホッピング」の分野です。その後独立し、現在は企業や大使館などのパーティでの演技を中心に活動されているようです。
ここ1、2年、「銀座小劇場」や両国の「ギャラリーYU」で前田さんのマジックを見せてもらい、強く感じるのは、どの演技にもきちんとしたストーリーがあるということです。「消失」「出現」「変化」といった現象を並べるだけでなく、マジックとして一つの流れを持たせることは、実際には想像以上に難しいことです。下手をすると、子供の学芸会のようになってしまいます。マジックの巧拙以上に、話し方、ルックス、知性などから醸し出されるトータルな雰囲気が洒落ていなければ、大人の鑑賞に耐えるものにはなりません。
前田さんがテーブルホッピングで演じる場合、ひとつのテーブルにかける時間は約4分半だそうです。数にすれば、2つか3つほどでしょう。ひとつひとつのマジックが不思議で楽しいものであれば、それで十分です。数多く見せるより、むしろ余韻が残ります。
バーなどでクロースアップマジックを見せているバーテンダーによく見られるのですが、ただ数多くのマジックを矢継ぎ早に見せていくだけのタイプのマジシャンも少なくありません。マジックとマジックの間に「間」を持つ余裕がないのです。意識的に「間」をコントロールできるようになって初めて、見ている側にも余裕が感じられるようになります。わずか数秒の空白であっても、自信のないマジシャンには耐えがたい長さに感じられるのでしょう。
マジックは、タネだけで成立する芸ではありません。前田さんの場合、ボイストレーニング、バレエ、演劇、美術、心理学など、一般のマジシャンがあまり手を出さない分野の勉強も地道に続けています。決して、ただ格好いいだけのマジシャンではありません。
前田さんご自身は、自分のことを「クロースアップアーティスト」と呼ばれるようになることを望んでおられるようです。アーティストと芸人の違いが何かと問われると、私には明確には答えられません。しかし、前田さんが自分の理想とする姿をはっきりとイメージできているからこそ、出てくる言葉なのだと思います。いつの日か、きっとそのような時代が来るでしょう。