京都府京都市出身。神戸にある放送局・ラジオ関西勤務を経て、著述家となりました。マジック、カードゲーム、ボードゲーム、ジョーク、パズル、ミステリー、チェスなど、「遊び」に関する著書を多数刊行されています。
1979年: 第12回石田天海賞受賞(マジック関連)
1980年: 『とりっくものがたり』で第33回日本推理作家協会賞・評論その他の部門候補。
1989年: 『ミステリ作家のたくらみ』で第42回日本推理作家協会賞・評論その他の部門候補。
2021年10月24日、老衰のため逝去。享年85歳でした。
松田さんは著書を64冊刊行しておられます。マジック関係が35冊、それ以外(ゲーム、ジョーク、ミステリー、パズル、チェス他)が29冊です。数だけで言えば、高木重朗氏は一般書籍だけで約80冊、さらに『奇術研究』や『奇術界報』ほか専門誌への寄稿は数百にのぼりますので、単純な比較はできません。それでも、マジック関係の一般書という括りでは、このお二人が双璧といってよいでしょう。
松田さんは「遊び」を文化として、そして思想としてとらえ、それを文章によって格調高く表現された方でした。
「クロースアップ・マジック」という革命
一般書として出版された松田さんの最初の本は『クロースアップ・マジック』(金沢文庫 1974年)です。まだ放送局にお勤めのときに上梓された一冊です。
ここで扱われているのはクロースアップ・マジック、それまでは「テーブル・マジック」と呼ばれることが多かった分野のマジックです。テーブルを挟んで、数名から十数名の観客を相手に、目の前で演じるスタイルのマジックで、トランプ、コイン、サイコロ、スポンジボール、カップと玉などがよく用いられます。
本書で解説されているマジックのセレクションはすばらしく、古典と呼ばれるものが大半ですが、どの作品にも著者のアイディアが方法・演出の両面で発揮されています。
本のタイトルに「クロースアップ・マジック」という言葉を用いたのは、日本では本書が初めてでした。これ以降、日本でも「クロースアップ・マジック」という呼び方が定着し、マジック界で広く使われるようになります。
この本の功績のひとつは、優れたクロースアップ・マジックを紹介しただけでなく、「クロースアップ・マジック」という言葉そのものを定着させたことだと私は考えています。一見すると先ほどの話と重なるように思われるかもしれませんが、ここで強調したいのは別の側面です。
本のタイトルとしては初めてでしたが、マニアの間ではそれ以前から「クローズアップ・マジック」という言葉が使われていました。「クローズアップ」と「ズ」になっていたのです。英語で書けば Close-Up Magic です。 close という単語には動詞と形容詞があり、動詞の「閉じる」は [klouz]、形容詞の「近い」は [klous] と発音します。動詞としての意味と発音は広く知られていますが、「近い」という形容詞としての意味と発音は、当時ほとんど知られていませんでした。そのため、以前は「クローズ・アップ」と表記されていたのです。
もう一つ、この本には特徴があります。
マジックのやり方を解説した本ですので、本を見ながら練習する必要があります。そのとき、たいていの本は開いた状態のままにしようとすると、クリップで挟んだり、重いものを載せたりして、本が閉じないように工夫しなければなりません。 ところがこの本は、どこを開いても完全にフラットな状態でページが開きます。おそらく、松田さんご自身がマジックの本を読むときに抱いておられた不満を出発点に、出版社と相談してこのような製本仕様にされたのだと思います。
原典主義と文章の誠実さ
どの分野の著作においても、松田さんは徹底した原典主義を貫いておられました。原資料が入手可能なものについては、海外からであっても実物を取り寄せておられました。安易な「孫引き」で書かれた本など、一冊もありません。そのため、文章からは「知識の厚み」「思考の誠実さ」「ごまかしのなさ」が自然と伝わってきます。
「文は人なり」という言葉があります。作品を通して、「気骨」「ユーモア」「優しさ」「執念」「孤独」といった、その人の核心にあるものが浮かび上がってきます。読者が、作者の作品のなかに自分と共鳴する何かを感じ取ったとき、人はその作家を追いかけるのだと思います。
松田さんとの出会い
1970年代前半、大阪駅の南側にある阪神百貨店に、日本奇術連盟のマジックコーナーがありました。担当はジョニー広瀬氏です。何度か通っているうちに、日本奇術連盟発行の機関誌『奇術界報』を見せてもらいました。会員に配布される、月刊の薄い雑誌です。高木重朗氏が毎号マジックの解説をされていました。
本来は会員専用ですが、1年分を合本にしたものがあり、それは会員以外でも購入できました。確か一冊3000円だったと思います。50年以上前の3000円ですから、今の1万円くらいに相当するでしょうか。
ある年の合本を読んでいると、松田さんの連載記事「コップの中の奇術革命」が載っていました。このとき、はじめて松田さんのお名前を知りました。
タネやマジックの解説ではなく、マジック界のことやマジックについての考え方などが率直につづられており、しかもかなり辛口の評論です。これが年をまたいで連載されていました。一読してあまりにもおもしろく、翌年分の合本もすぐに購入しました。
それを読み終えたころ、東京のフロタさんが出しておられる機関誌『ニュー・マジック』にも松田さんが寄稿されていることを知りました。どうしてもそれも読みたくなり、東京まで出かけ、荻窪駅前でフロタさんが営んでおられた喫茶店「邪宗門」を訪ねました。
そこで『ニュー・マジック』を合本にしたものを数年分購入しました。ハードカバーで合本にされており、一冊の厚さが3センチほどあります。5冊も重ねるとかなりの重量です。それも、むさぼるように一気に読みました。
こうして私は松田さんの文章の魅力にすっかりとりこになり、いわば「松田さんの追っかけ」をしていました。そのとき入手できるものはすべて読み尽くしてしまい、ほかに読むものがなくなりそうになって、軽い禁断症状に近い感覚さえ覚えました。
しかし間をおかず、神戸・元町の大丸百貨店のなかで、松田さんのマジック講習会が始まることを知ります。1973年頃のことです。
当時、『奇術界報』にはエドワード・マーローの技法解説が連載されていました。そのなかのひとつがどうしても理解できず悶々としていたとき、大丸に講習会のことを問い合わせたところ、松田さんの連絡先も教えてくれました。今では考えにくいことですが、当時は個人情報に関しておおらかな時代だったのかもしれません。
電話で講習会のことをうかがうと同時に、以前から気になっていた「マーローのミスディレクション・パームって、どんな技法なのですか?」と、いきなりお尋ねしてしまいました。若気の至りとはいえ、一面識もない方に電話でよくこんな質問をしたものだと、今思うと自分でもあきれてしまいます。
松田さんはさぞ驚かれたことでしょう。それでも「電話では説明しにくいので、大丸の会場で見せてあげます」と言ってくださり、私は喜び勇んで出かけました。これが松田さんとの初対面です。
確かこの日だったと思いますが、帰り際に松田さんがご自宅に誘ってくださり、おじゃまさせていただきました。JR神戸線の住吉駅から歩いてすぐのところにあるマンションでした。
『奇術界報』や『ニュー・マジック』に載っている松田さんの記事が読みたくて追いかけているとお伝えすると、奥さまが「あなたも物好きね」と笑っておられました。その笑顔は、つい昨日のことのように鮮明に記憶に残っています。
その後、何度かお会いするうちに、松田さんが所属しておられた「大阪奇術愛好会」を紹介していただき、私も入会させていただきました。ここは世界的なマジック団体 I.B.M.(International Brotherhood of Magicians)の日本支部も兼ねています。愛好会の機関誌『The Svengali』にも松田さんが寄稿されていることを知り、そのバックナンバーも入手しました。
すでに絶版になっている号もありましたが、古くからのメンバーのご好意でコピーを取らせていただき、読むことができました。
私が松田さんの文章に惹かれた理由
今、50数年前を振り返ってみて、なぜ私がこれほど松田さんの文章に惹かれたのか、あらためて考えてみました。
読み手は無意識のうちに、その作家の「知識の厚み」「誠実な思考」「ごまかしのなさ」を感じ取ります。「この人の文章なら信頼できる」と思えた瞬間、人はその作家を追いかけます。
それまでマジック関係の書籍といえば、大半がタネ明かしと技術書でした。しかし松田さんの文章は技術論ではなく、思想であり哲学です。人としてのコアな思想と感性があふれていました。私は、松田さんの生き方を「ダンディズムの極致」と感じていました。
そのような人物に、それまで出会ったことがありませんでした。そこが、私が松田さんに強く惹かれた理由だと思います。
私が受けた大きな衝撃
あるとき、私が何かの話題について軽く触れた際に、松田さんが「それは下品だよ」と、きっぱりおっしゃったことがあります。この一言は強く印象に残っています。
当時20代前半だった私にとって、「ああ、こういうことは下品なことなのだ」と胸に刻まれた瞬間でした。
物事を「下品かどうか」で判断するというのは、理屈というより、ほとんど感性の世界です。自分の感性に合わないものは避けて生きる、という姿勢があり得るのだと知りました。
この気づきは、その後50年以上にわたって、私自身の美意識のベースになっています。
本の取り扱い
松田さんは本の取り扱いに関して、大変慎重な方でした。古い本も、とても大切に扱っておられました。本の余白などに書き込みをすることは決してなく、ページの隅を折ることもありません。食事のあとなどは必ず手を洗ってから、本に触れておられました。
松田さんのご尊父は松田道雄氏です。小児科医として大変高名であり、政治や評論の分野でも活躍された方です。松田さんによると、道雄氏の蔵書はどのページも書き込みだらけだったそうです。
「うちのおやじは、本の余白というのは何かを書き込むためにあると思っているようだ」と、笑っておられたのも、印象深く残っています。
松田さんが「消してしまいたい」とおっしゃった記事
松田さんは『奇術界報』や『ニュー・マジック』に書くようになる前から、所属する大阪奇術愛好会の機関誌『The Svengali』に寄稿されていました。年齢的には30代前半くらいだったかもしれません。古い『The Svengali』を読んでいると、そこで失敗談が紹介されていました。
発表会のチケットを売るために、若い人たち数名のいる場所でマジックを見せて、チケットが何枚かでも売れたらよいと考え、足を運ばれたそうです。ところが、そこは狭い喫茶店で、集まっている若者たちの雰囲気も、普段接している人たちとは明らかに違っていました。瞬時に「場違いなところに来てしまった」と感じたものの、せっかく来たのだからと思い直し、マジックを演じ始めました。
観客に囲まれた状態で演じていると、後ろから「なーんだ、見えちゃったよ」という声が聞こえたそうです。「知ってるよ〜」といった言葉は、小さい子ども相手に演じたときくらいしか聞いたことがないので、思わず逆上しそうになった、と書いておられました。
私はこの話がおもしろかったと申し上げたのですが、松田さんは「その話は消してしまいたいんだ」と、少し困ったような表情をされていました。
松田さんの血が逆流しそうになった話
ある団体が主催した大きなマジックイベントがありました。その舞台に、すでに引退していた大御所のマジシャンが招かれ、出演していました。
その人が舞台上で観客に向かい、「一人、手伝ってくれる人はいませんか」と助手を募りました。すると、前列に座っていた小学生くらいの子どもが、ぱっと立ち上がり、舞台に上がろうとしました。
ところがそのマジシャンは、「子どもはダメだ」と冷たく言い放ち、その子を追い返したそうです。
この光景を見ていて、松田さんは「血が逆流しそうになった」と話しておられました。
本の多さについて
松田さんのお住まいは、神戸の御影(みかげ)と呼ばれる地域でした。大変閑静な住宅地です。初めてうかがったときには、すでに部屋中が本だらけで、置き場がなくなりつつありました。
「書庫として、もう少し広い部屋を探しているのだけれど、本があまりにも多くて、その数と重量を聞いた不動産屋が嫌がってしまい、なかなか適当なところが見つからない」と、こぼしておられました。
そこで私は「本を移動させるのが大変でしたら、本はこのままにしておいて、松田さんと奥さまだけが住む場所を探されたらどうですか」と提案しました。
松田さんは「そうやな、それならすぐに見つかると思う」とおっしゃり、実際にそうなりました。
本は元の住まいにそのまま残すので、移動の手間はかかりません。新しいお住まいは、元の場所から歩いて通える距離です。毎朝、散歩がてら近所の図書館で調べものをしたり、お気に入りの喫茶店でお茶を飲んだりしながら書庫に行き、そこで原稿を書いておられました。古い住まいは、そのまま書庫兼書斎として利用されることになりました。
その後、阪神・淡路大震災(1995年)が起こります。お住まいのあたりは活断層の真上に近く、大きな被害が出た地域です。
本棚に並んでいた本はすべて床に落ちました。正確な冊数は分かりませんが、少なくとも3000冊は超えていたはずです。それ以外にもゲームの箱やトランプ、マジック用の小物が山のようにあり、文字どおり足の踏み場もない状態になっていたと思います。
私の家も活断層から少し東にずれてはいたものの、震度6強を記録し、13本あった本棚の本はほとんどすべて落ちました。松田さんの書庫は、その3倍ほどの本があったと思われますから、その惨状は容易に想像できます。
その後、友人数名が松田さんの家に集まり、とりあえず床に散乱しているものを本棚などに戻していきました。それ自体は数日で終わったものの、元の順序などお構いなしに並べたため、実際にはバラバラです。本というものは、所有者が自分なりの分類で並べているものですから、元どおりに戻す作業は本人にしかできません。松田さんは「もとのように整理し直すのに半年かかった」と話しておられました。
カルチャーセンターでの苦悩
松田さんは大丸のカルチャーセンターで教え始めてから、頭を抱えることが多く、よく悩んでおられました。それまでマジック関係の人と接するとき、周囲はプロマジシャンか、あるいは超マニアばかりです。まったくマジックをやったことのない人を対象に教えるとなると、予想外のことが次々と起こったようです。
マジックをするのが初めての人が相手ですから、一から丁寧に教えなければならないことは承知しておられました。それでも、実際にかかる手間は想像をはるかに超えていたようです。
松田さんは「おれは同じことを何回も言うのがいやでね。だから教師にはもっとも向いていないと思う」とこぼしておられました。
教師をしていれば、同じことを二度や三度繰り返すのは毎回のことです。しかし、それが松田さんにはどうしても耐えがたかったようです。そのせいか、カルチャーセンターで教えておられた期間は、二年ほどで終わったように記憶しています。
集中力の話
震災後、新しいお住まいにも何度かお招きいただきました。
あるとき、奥さまが一週間ほど海外旅行に出かけられ、帰ってくると、リビングのソファーの一箇所が異常なほどへこんでいたそうです。理由をたずねると、松田さんはその一週間、あるテレビゲームに没頭し、寝るとき以外はずっと同じ場所に座り続けていたとのことでした。奥さまはあきれながら、その様子を話してくださいました。
何かに没頭すると、ある程度のめどがつくまで徹底的に取り組まずにはいられない――。私にも似た気質がありますので、その集中ぶりはよく理解できます。
ジョーク集への情熱
松田さんが海外のジョーク集を集めておられた時期があります。アメリカへ行く知人がいれば、大型書店に行って、「ジョーク集の棚があれば、その棚にあるものを全部買ってきてください」と頼んでおられました。
棚の端から端まで、全部です。中にはすでに持っている本も含まれていたはずですが、リストを渡してチェックしながら買ってもらうとなると、頼まれた人は大きな負担がかかります。そのような手間を相手にかけさせるわけにはいかないということで、「少々の重複はかまわないから、棚ごと全部」という買い方をされていました。もちろんその量ですから、購入者が持ち帰るのは難しく、書店から直接発送してもらっていたのだと思います。
私がニューヨークへ行くときには、KEM(ケム)というメーカーのトランプを頼まれました。この顛末については『魔法都市案内』の「ラウンドテーブル」中の「F.A.O.シュワルツやKEM(トランプ)についての雑談」に書いておりますので、興味のある方はそちらもご覧いただければと思います。
ロールプレイングゲームとの出会い
1970年代頃までは、海外から本を購入するのは容易ではありませんでした。丸善や旭屋、紀伊國屋といった洋書を扱う大型書店に依頼して、取り寄せてもらう必要がありました。
当時は1ドル360円の時代です。それが手数料や送料などを含めると、実質的には1ドル500円換算になることが多かったように記憶しています。10ドルの本が5000円です。当時、大卒の初任給が3万円ほどでしたから、10冊も買えば給料が飛んでしまうような金額です。
そんな時代に、本を買い続けておられたのですから、その情熱だけでも驚嘆に値します。
本だけでなく、ボードゲームにも興味を持たれると、海外で評判になっている作品をまとめて購入されていました。ボードゲームはかなり大きな箱に入っているため、かさばる量も並大抵ではありません。
あるとき、その中のひとつについて「なんや、よう分からんゲームがあってね。いっぺん読んでみてくれへんか」と渡されたのが、『ダンジョンズ&ドラゴンズ』(Dungeons & Dragons、略称 D&D)でした。
このゲームは、数年後にコンピューターゲームとして大流行するロールプレイングゲーム(RPG)の源流となったものです。ダンジョンマスター(ゲームマスター)がシナリオを作成し、プレイヤーは戦士や魔法使いなどのキャラクターになりきって行動します。それまで存在しなかったタイプのゲームであったこともあり、概要を理解するまで、私も解説書を何度も読み返しました。
仕組みは分かったものの、審判役であるダンジョンマスターが必要で、その人に判定してもらいながら進行していくのは、当時の私にはどうにも冗長に思え、結局、実際にプレイすることはありませんでした。しかし数年後、このゲームがパソコンや家庭用ゲーム機に移植されると大ヒットします。
一番手間のかかるダンジョンマスターの役割をコンピューターが担ってくれることで、ゲームがテンポよく進行し、一大ブームとなりました。
おわりに――松田さんから受け継いだもの
松田道弘さんがお亡くなりになって、今年(2026年)で五年が過ぎました。紹介記事とお礼を書きたいと思いながら、心の整理がつかないまま時間だけが流れていきました。
私自身も昨年、後期高齢者となり、はじめてお目にかかってからもう五十年、半世紀が過ぎたことになります。松田さんからは貴重な本を数多くお借りしました。共通の趣味である将棋もよく指しました。マジックもたくさん教えていただきました。しかしそれ以上に、松田さんの美意識――何が「あり」で、何が「なし」なのか――が、知らず知らずのうちに私自身のなかにしみ込んでいることに、あらためて気づかされます。
若い日に松田さんと出会えたことが、どれほどの幸運であったか。いまはただ、そのご縁に感謝の念を抱かずにはいられません。
魔法都市の住人 マジェイア
