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「種明かし番組」について(3)

 

2001/5/27(一部加筆&追加情報)

2001/5/25


テレビにおける「種明かし問題」はみなさんも大変関心があるようです。3月末から4月にかけて、「種明かし番組について(1)、(2)」を掲載したところ、多くの方からメールをいただきました。

それもだいぶ落ち着いてきたと思っていたら、先週あたりからまた再び、何通もメールが届くようになりました。今度はNHKの教育テレビ、「天才てれびくん」(5月16日午後6時放送)という番組で、「種明かし」があったそうです。と言われても、私はその番組を見ていないので何とも答えようがありません。事情がわからないため、NHKに電話をして、直接たずねてみました。担当のYさんからざっと説明を受けて、もう一度メールを読んでみると、少しずつ事情がわかってきました。今回、マジックをやっている人が怒っている一番の理由は、「サムタイ」が種明かしされたからのようです。このとき出演していたマジシャンは、名前を聞いても知らない人でした。

マジックに詳しくない方は「サムタイ」と言われても何のことなのかわからないでしょう。簡単に説明しておきます。このマジックは明治時代に日本に入ってきました。それを松旭斎天一が舞台に掛け、海外公演で演じるようになってからは「天一のサムタイ」として海外でも広く知られるようになりました。天一のオリジナルではありませんが、現在では海外でも「天一のサムタイ」として通っています。

「世界のマジック傑作選集」の中でもすでに紹介してありますので、もし「サムタイ」がどのようなマジックなのかご存じないのでしたら、一度お読みください。

このマジックは決して簡単ではありません。原案では”こより”を使いますが、最近ではちょっとしたギミックとビニールテープなどを使い、ずっと簡単に演じられるようになっているものもあります。今回NHKで種明かしされたものは昔からある”こより”を使うもののようです。

事情がだいぶわかってきましたので、昨日(5月24日)、再びNHKの「天才てれびくん」を担当されているYさんに、いくつか私からおたずねしました。

前回、「種明かし」が問題になったMr.マリックの番組「超オフレコ」とは違い、今回は子供にマジックを教えるという主旨が徹底していたことは私も理解しました。「超オフレコ」の場合、現象を見せて、それを出演者にタネを暴かせることだけを主眼に置いた何とも下品なものでした。そのことを思えば、今回のNHKの番組はずっとマシです。

しかし、私がYさんと電話で話していて、大変気になったことがあります。 Yさんは何度も「啓蒙のため」、「マジックの普及、マジックの底辺を広げるため」とおっしゃっていました。確かに、テレビで種明かしの番組を放映すればマジックに興味を持ち、マジックを始める人が増えることは事実です。そのような意味では啓蒙といえないこともありませんが、このような番組を製作する人が気づいていないこと、または軽視していることがあります。それは、マジックのタネを知ったら、興味をなくす人が予想外に大勢いるという事実です。

この点を指摘しますと、「確かに一部、そのような方がおられるかも知れませんが、底辺を拡大させることのほうが大切であると私たちは考えました」という返事が返ってきました。

「一部」という言葉を使っておられましたが、これは重大な事実誤認です。マジックを長くやっている人であればわかると思いますが、マジックを始めて1、2年の頃、観客にずいぶん受けたので、サービスのつもりで種明かしをやってしまうことがあります。すると観客の大半は、「なーんだ、そうだったのか」という言葉と共に、つい今しがたまでの驚きや感激が急激に薄れて行きます。十人いれば、タネを知って一層感心するのは一人いるかいないかでしょう。9割の人は、一瞬にして興味をなくすものです。つまり、種明かしをすることは好きな人を作ると同時に、その何倍も、マジックなんてつまらないと思う人を作ってしまうことにあります。諸刃の剣、それも一挙に数多くの負傷者を作り出す可能性の高い、あぶない「剣」であることに気がついていません。

この点は私も時間をかけてYさんにご説明いたしましたので、だいぶわかっていただけたようです。

一週間ほど前、関西在住のテレビ関係者、Mさんからメールをいただきました。Mさんとは1年ほど前に知り合い、それ以降、何度もメールの交換をしていろいろなことを教えていただいています。

Mさんが関係している番組で、マジックの種の部分にも触れないと製作できない番組が企画されました。企画というか、その前の段階、実際に作るかどうかを検討する段階であったようです。そのとき、その番組を担当しているディレクターが強い調子で言ったそうです。

「手品の種なんか見たくないよ。面白い手品を見て、その種をばらされたら、俺なんかめちゃくちゃ腹立つよ」

他のスタッフもみんな合意して、この企画はボツとなったそうです。このとき発言したディレクターは、発想力豊かで、関西でも屈指の優秀なディレクターであるそうです。

またMさんは次のようにメールで書いておられました。

最近テレビで種明かし番組が増えた理由についてですが、これは端的に、番組を作る側の発想力の貧困以外の何ものでもありません。能力のある制作者であれば、種をばらさなくとも視聴者の興味を引くマジックの番組を作ることができるはずです。もちろん面白ければ視聴率も取れるはずです。

ところがその能力がないため、60分なり90分なりの時間を埋めるのに「種明かし」というレベルの低い発想しか思いつかないのです。私は御指摘の番組を見てはいませんが、粗いメンタリティーの人間が作った粗雑な番組という気がします。見せるための、大した演出の工夫はなかったのではないでしょうか?

では、種明かしもテレビとして上質のエンターティメントになっていればOKなのか?この問いはナンセンスです。上質のエンターティメントを作る能力のある制作者は、そんなマジックの本質を外したものは作らないからです。

やはりわかる人はわかるものですね(笑)。

もうひとつ、私がNHKのYさんに電話でうかがったことで気になることがありました。それは「選択」と「オリジナル」に関してです。

今回、マジックをやっている人が過敏なくらいピリピリしているのは、扱われたものが「サムタイ」であったからです。同じ教えるにしても、もっと入門者に適したマジックがあるはずです。なぜ「サムタイ」という、プロが実際に今もやっているマジックを選択し、子供に教えたのか、その理由をたずねてみました。

サムタイというのは、マジックを長くやっているマニアでも手の出しにくい、難しいマジックです。それなのに、これまでマジックなどやったこともない子供に、しかも時間も30分程度しかないのに教えて、いったいどうなるのでしょう。この点も大変気になっていました。Yさんの返事は、「サムタイはプロが実際にやっているすばらしいマジックだから採用しました」というものでした。

マジェイア:「では、デビッド・カッパーフィールドの"Flying"でもよいということでしょうか?」

Y氏:「はい、もしデビッド・カッパーフィールド氏が教えてくれるというのならそれも歓迎します」

ここでも私は困惑しました。売りネタや本に紹介されているマジックのなかには、考案者の名前がついたものが少なくありません。誰々のマジックということで販売されているものが、いくらでもあります。たとえば「ワイルド・カード」というカードマジックもその一つです

これには数多くのヴァリエーションが発表されています。「誰々のワイルド・カード」として販売されている売りネタも、何種類もあります。この中のひとつ、たとえば「マジェイアのワイルド・カード」というのがあり(ホントはないよ)、それを私がテレビで解説したとしましょう。フランク・ガルシアが売り出したオリジナルとは異なっていますが、それでも例の特殊なカードを使うというレベルで見れば同じです。いくら途中のハンドリングや演出が異なっていても、おおもとが同じであれば、テレビでその原理をはじめて知った人にとっては、その他のワイルドカードも同じことになってしまいます。

つまりおおもとの原理を知ってしまえば、一般の人にとってはそれはすべて同じことであり、少々ハンドリングを変えたくらいでは、別のマジックとは見てもらえないものです。例外的に、ディレック・ディングルのレギュラーカードでおこなう方法や、フレッド・カップスがやっているような、終わった時点ですべてのカードをあらためさせることのできる方法もありますが、現在発表されているワイルドカードの大半は、例のカードを知られた時点で、演じにくくなるはずです。

"Flying"でも同じことです。"Flying"自体はデビッド・カッパーフィールドやスタッフが苦労して作り上げたものですが、ものを浮揚させる原理としてはずっと大昔からありました。

オリジナルだからよいとは軽々に言えるものではありません。それが原理も現象も、これまでなかったものなら、その考案者がテレビで解説したとしても仕方がないでしょう。しかし実際にはせいぜいヴァリエーションにすぎないものを、オリジナルという名前を隠れ蓑にして、好き勝手に種明かしすることは許されることではありません。 言うまでもなく、私はデビッド・カッパーフィールドが"Flying"をテレビで種明かしすることなどありえないと思っています。しかしマジックの世界に詳しくないテレビ局の担当者であれば、話を持ってきたマジシャン、もしくは相談に乗ってもらったマジシャンが"OK"を出せば、それを安易に信じて作っているのが現状です。今回解説した「サムタイ」も、演出面では、出演したマジシャンもしくはそのマジシャンの所属している団体の方が考えたものだから種明かしをしてもよいということのようでした。 しかし、これも先の理由により、演出上の一部を変えたくらいで、オリジナルという言葉を隠れ蓑にすることはできません。

どこまでならテレビで種明かしをしてもよいのかは大変難しい問題です。前回も書いたことですが、昔はこのようなことをする場合、プロのマジシャンがやっているものなどは極力避けるのがエチケットでした。その程度の気配りはみんなしていたのです。それだけで十分通用していました。

時代なのか何なのか知りませんが、行儀の悪い連中が増えてきたせいで、エチケットだけでは通用しなくなってきました。いちいち、「ライオンを連れて、映画館に入ってはいけない」といったことを条令で明記しなくてはならない時代に、日本もなったのでしょうか。まあ、そのような人は、ライオンにも映画を見る権利があり、それを他人が奪うことなどできないと主張するのでしょうね。ライオンもダシにされて気の毒なことです。

元来、芸事は粋なものであったはずです。それなのに、あれやこれやと無粋な取り決めがないとやってゆけなくなったのは、なんとも嘆かわしいことです。

いずれにしても、テレビでマジックの種明かしをすることに肯定的な人は、「マジックのすそ野を広げるため」「マジックの世界の閉鎖性を打破するため」などと言った大義名分を振りかざしていますが、このようなことはしょせん詭弁にすぎません。

自分が何かを人のためにしようとするとき、それが本当に「貢献」と呼べるものなのかどうかをチェックするうまい方法があります。もし迷ったのなら、それはどのレベルまでの貢献なのかを考えてみるとよいでしょう。ある特定の個人のためだけのことなのか、あるグループのためになるのか、ある地域社会のためなのか、もっと広く、日本全体のためになるのか、それでもわからなければ地球規模、宇宙全体で考えて、自分のやろうとしていることが本当に貢献と言えるのかどうかを判定してみることです。

限定された地域やグループ、ある国家のためには貢献といえることであっても、人類全体で見れば、決して貢献といえないこともいくらでもあることに気がつきます。

テレビでの種明かしの話が、随分飛躍し過ぎたと感じるかも知れませんが、私は決してそのようなことはないと思っています。この世の中には一見無私を装って、自分はよいことをしているように見えて、その実、裏ではただ自分のためにだけ、もしくは特定の団体の利益のためにだけ動いているに過ぎないことがいくらでもあります。理屈は後から、どのようにでもつけられるものです。

NHKには、以前、「世界のショー」のようなすばらしい番組がありました。「種明かし」で子供の興味をひくといった安直で、副作用も大きい方法で番組を作らなくても、いくらでも楽しい番組が作れるだけの能力を持った人がいるはずです。もっとそちら方面に創造力を発揮していただきたいものです。


関連情報

今回の「天才てれびくん」の話をひとまずおくとして、前回私が書いた「種明かし番組について(1)、(2)」に関していただいたメールを紹介します。

数多くいただいたメールのうち、1通をのぞいて、ほとんど全部、タネの暴露や、タネを推測させることだけを目的とした番組はやめて欲しいというものでした。しかしそれでもごく一部、というか1通だけですが、わけのわからないものがありました。

(1)で、私の友人・知人10名から私が直接聞いた意見や感想を紹介しました。「タネの原理をいくつも知ってしまうと、他のマジックを見ても感激できなくなってしまうからやめて欲しい」という話です。これを読んだある方から、次のようなメールが届きました。

> でも、他のマジックをみても感激できなくなった、となると、それが本当の
> ことならば、それは鬱状態に近い異常な精神状態です。

このメールを私に送ってきたのは某医師です。正直呆れました。会ったこともない私の友人、知人に対して、「鬱状態」だの「異常な精神状態」だのと書ける無神経さには怒りを通り越して、あきれ果てました。この人にかかれば私の知人・友人だけでなく、先のディレクターも「異常な精神状態」の人ということになるのでしょう。まだ他にもいろいろと書いてありましたが、長くなるので割愛しておきます。

種明かしをされて、それでマジックがつまらなくなるのはごく普通のことです。もしそれが異常なことであり、種明かしをされて喜ぶ人が圧倒的に多いのなら、「サーストンの3原則」など不要です。

また最近、別の方から次のようなメールも届きました。誰かの発言を引用したもののようです。以下のような理由で、「テレビで種明かしされたくらいでガタガタと騒ぎ立てるな」ということのようでした。

> マジックにおいて、タネの占める要素は、せいぜい1割くらいのものでは
> ないでしょうか?タネよりも、技術、手順、そして演技、さらにいえばその
> マジシャンの人柄やセンスといったものがはるかに重要なのではないで
> しょうか。

これはそのとおりです。私も何ら異論はありません。しかしそのことと、テレビでの無節操な暴露番組とは何の関係もないことです。ひとつのマジックを実際に人前で見せようと思えば、タネの占める割合は1割程度のことです。演出などのほうがずっと大きなウエイトを占めます。しかしタネ以外の9割の部分は、タネという、たとえ1割程度のものであっても、その1割がなければ成立しません。あとの9割を決定する1割です。肝心かなめの部分です。

これも、ある医師の発言だそうですが、ここまで頓珍漢な論理を振り回されると、私の友人知人を「異常な精神状態」と言い切った医者と、この医師は同じ人ではないのかとさえ勘ぐりたくなります。このようなことを発言する人間が、「マジシャンの人柄やセンス」云々と言っているのを聞くと噴飯ものです。私はこの医者が何を専門にしているのか知りませんが、精神科医でないことを願っています。

また別の方から、以下のようなメールもいただきました。先ほどと同じく、私の友人・知人の9割があのような暴露番組を見て不愉快になったということに関してのものです。 文中に出てくるタゴール氏というのはベンガルの詩人、ラビンドラナート・タゴール氏です。(Rabindranath Tagore,1861-1941:1913年ノーベル文学賞受賞)

タゴールが少年だった頃、ある医学生が、気管の模型(だったか本物だったかは忘れましたが)を見せながら、それが人間の美しい声の源であるということを説明しだしたとき、タゴールは激しい嫌悪感をおぼえたそうです。

芸術家が占めるべき神聖な場所を、職人ごときに荒らされるのは我慢ならない、そういうからくりごとは隠しておいて(隠すつもりは特にないのでしょうが)、創造の美を得も言われぬ調和のもとに見せるのが芸術家だ、と言っていました。

美しいものが好きなひとは、ただそのものを、そのものとの交感を楽しむだけであって、つくりや仕組みには興味ないんですよね。

それは不思議に対しても同じことだと思います。三輪さんのまわりは、同じような感性の人たちばかりで、幸せですね。

(東京のM.Kさん)

このM.K.さんは、ひと月ほど前、「煩悩即涅槃」を読んでメールをくださった方です。まったくマジックとは関係のない世界で暮らしておられます。タゴールは私が昔から好きな詩人であっただけに、今回偶然にもタゴールの少年時代の話を引用してくださったのはとてもうれしく、驚きでした。まさに「命中」です(笑)。

同じものを読んでも、これほどの差が出るのですから人間というのは面白いものです。



★関連情報(2001/5/27)

スティングさんのサイト、「スティングのマジック玉手箱」でも「マジック種明かし番組」が特集されています。現在、この問題はインターネットという便利なツールのおかげで、大きな広がりを見せていますので、関心のある方はご覧になってください。

 

魔法都市の住人 マジェイア


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