半年一年暦 / 一年二歳論 について
一年二歳論 とは、古代の日本では 6ヶ月をもって 1歳とし、1年は 2歳 とする数え方をしていた。 という説。
奇妙で バカバカしく聞こえるが、地元の神社の氏子さんなら 結構 納得すると思う。
私は、荻窪白山神社の氏子。
神社では、年に2回、大祓式がある。 夏越の大祓 (6/30)と 年越の大祓 (12/28)である。
大祓の日が近づくと、氏子には 形代 が送られてくる。 それで身体をぬぐい 息を吹きかけ 神社に収め、 これまでの半年の罪穢れ を祓い清めてもらう。 そして、次の半年を健やかに過ごせるように祈ってもらう。 半年を生き抜いてきた、また、次の半年に向けてリセットする、という儀式だ。 歴史の始まりに近い、古くから受け継がれてきた行事と思われる。 |
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こうして、夏越、年越の大祓の日を過ぎると、2歳が過ぎ、古代の一年二歳論は 素直に実感できる。
一年二歳論に立つと、神武天皇の120歳台をはじめ 100歳を超える初期の天皇が居た不思議は氷解する。
問題は、いつ暦が切り替わったか、ということで、今年、その最適解を伴昌広さんが解いた。
西暦345年を境に、三国史記、日本書紀の年代が半年一年暦から中国暦に変わった。
この移行年の特定で、一気に古代史の解明が進んだ。 (「古代史の復元」)
初代の神武天皇から7代の孝霊天皇までの、歴史時代の天皇の即位紀年が、矛盾なく判明した。
この暦は(当時倭の領域であった)半島でも使われていたと仮定したら、大和朝廷成立後の半島での事象も矛盾なく説明がつくこととなった。
< 参 考 >
「春耕・秋収−古代の紀年法についての提案」(1975年) 沢武人 (宮崎県総合博物館)
6月と12月の同じ日に行われる宮中行事が多いこと、また、7月と1月の行事も対応してい
ること、
さらには、『風土記』『万葉集』に見える歌垣(かがい)が春秋二期行われること、
などから1年2歳論を説いた。
6月と12月の同じ日に行われる宮中行事
大祓 (おおはらえ)
御贖物 (みあがもの)
忌火御飯 (いむびのおんいい)
御体御卜奏 (みまのみうらのそう)
月次祭 (つきなみのまつり)
神今食祭 (かむいまけのまつり)
大殿祭 (おおとのほがい)
解斎御粥 (げさいのおんかゆ)
豊受大神宮月次祭
皇大神宮月次祭
節折 (よおり)
鎮火祭 (ひしずめのまつり)
道饗祭 (みちのあえのまつり)
< 参 考 2 >
一年二歳論は、なんということはない、魏志倭人伝にも記されている。 (倭人の風俗を述べたくだりに)
「その俗は、正歳四節を知らない。ただ春耕秋収を記して年紀としているだけ」、と。
この部分は、注で記されているので、見過ごされているのだろうか?
魏略曰 其俗不知正歳四節 但記 春耕秋収 為年紀 「魏略」にいう。 その俗は、正歳四節を知らない。 ただ春耕秋収を記して年紀としているだけである。 |
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2014年12月30日更新
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