感想のツイート集






2015年 12月06日(日)

  <補足> 魏志倭人伝  を追加した。



12月10日(木)

古代史では、大陸・半島 と 列島との風習の大きな違いに気づく。
殉葬・去勢・宦官・犬を食べる習慣 は列島には無い。
半島では今も、豚・犬が身近な家畜として食べられているが、犬は縄文人は大切にして 人と同様に埋葬している。


卑弥呼の葬儀で、「 徇葬 」と書かれているのを「 殉葬 」と理解する人達がいる。
前方後円墳の祭祀に殉葬者が必要ならば、人々はそんなものは歓迎せず、前方後円墳は全国に広まらなかった。 と 容易に推察できる。


地方の首長は、自分が死んだら身の回りの世話をしてくれてる、炊き出しのばあさまや、出かけるとき付き従うじじさまなどを、
殺して一緒に埋葬してくれ、なんて思う訳がないのは 常識以前のこと。
前方後円墳の葬儀に殉葬が行われた、と考える人達の常識が不思議だ。



12月13日(日)

魏志倭人伝の 「卑弥呼の葬儀」 部分を、宮内庁書陵部所蔵の公開画像にした。  → 魏志倭人伝 をキーワード入力すると 三国志〜画像〜55頁 で閲覧出来る。
原文の徇葬を、そのまま徇葬として考えればいいのに、何故 殉葬 と読み替えて考えるのだろう? 不思議だ。


「年越の大祓」と「夏越の大祓」とで、半年毎に穢れを祓って心身を清々しくする。これが縄文から続く列島の習慣だ。
葬式で、奴婢を殉死させて殉葬するなどは、死や穢れを嫌う倭人にとって最も忌避される事柄。


なのに、卑弥呼の葬儀で「 徇葬者奴婢百餘人 」を、「 100余人を殉葬した 」と読み替える人々に驚く。v
天の真名井以来 卑弥呼とは通じ合うものがある。 今回、 そんなことをするわけが無い との 卑弥呼の怒りを感じた。



12月14日(月)

魏志倭人伝の、『 徇葬する者、奴婢百余人 』の解釈が、
ネット上では「 殉葬されたのは100余人 」ばかしで、「 葬儀を執り行ったのは100余人 」が見当たらない。


卑弥呼の葬儀には、殉死・殉葬などは無い と信じている。
で、自説の根拠を少しでも、と 恥かしながら手書メモをアップした。 (資料:箸墓古墳 後円部・頂上の祭祀スペースを検討する



12月17日(木)

魏志倭人伝に書かれているのは円墳で、その径は合うが、前方部が書かれていない。
箸墓古墳は前方後円墳なので、卑弥呼の墓か疑問である、と云う人たちもいる。


当時、魏の使節 張政の一行が来日しており、倭国を挙げての葬送行事に招待されていた。
彼らは、大王・各地の王たちと共に、箸墓古墳の前方部に位置して、祭祀の様を見ていた。
そこから見たままの光景が 記事のベースになっている。


魏志倭人伝の筆者が見たのは、目の前の径150mの巨大な円墳であり、その頂上で男女の神官100余名が葬儀を営む姿だった。
彼はその様を 『 卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人 』 と記した。




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私は素人なので、何故 殉葬が定説 になったか その経緯は分からない。
しかし、殉葬という言葉が使われて居ないのは事実なので、改めて 徇葬 の観点で考えてほしいと思う。
                                                            


    2015/12/17 記     宇田川 東