港川人は、2万年前〜2万2千年前に沖縄本島に住んでいた旧石器人。
およそ10体分が出土し、3〜4体分は全身の骨格が完全に残っていた。
1967年、本島・具志頭村港川で、琉球石灰岩の石切り場で発見された。
化石は、シカやイノシシなどの化石と一緒に狭い岩盤の割れ目(フィッシャー)の奥で発見され、
状況から、突発的な大洪水か大津波に流され、他の動物と共に裂け目に叩きこまれて埋没した、と想定される。
港川人 新・復元図 (国立科学博物館 2010年6月発表) それまで考えられていた縄文人と違って、 オーストラリア先住民やニューギニア集団に近いことが判明した。 |
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2万年前〜2万2千年前は、琉球弧は大陸と陸橋(※1)で繋がっており、港川人はイノシシやゾウと同様に徒歩で渡ってきた。
海底宮殿 2002年9月22日 木村政昭 実業之日本社 P111 |
1万5千年前ごろ、琉球古陸の陸橋は最大で、それ以降、地殻変動で急速に崩壊し、海進により水没し、島々になった。
琉球弧が島々になる前に、港川人らは船により南方に去り、琉球の島々は無人になった。
その後、無人の状態が長く続いた。
7000年前になり、九州から縄文人が南下してきて琉球諸島に住み着いた。
(縄文人は同時期にほぼ無人の朝鮮半島にも渡り、先住民として住み着いた。
→ 朝鮮半島に渡った縄文人)
沖縄は、
@4万年前に、スンダランドから北上し、列島中央へ向かって通過して行った縄文人の祖先。
A2万5千年前、スンダランドから北上し、琉球古陸に住み着き、1万年前ごろ去ったアボリジニ系の人々。
B7千年前、九州から南下してきて無人の島々に住み着いた縄文人。
の経過を辿っている。
1986年(台湾に一番近い)与那国島の海底で巨大石造物のような地形が発見され、遺跡ポイント(その後 海底遺跡、海底宮殿)と呼ばれ、世界中の耳目を集めた。
この海底遺跡は、港川人らアボリジニ系の人々が 1万年前に築いた世界最古の巨石文明で、地殻変動により建設途上で放棄された、との説がある。
私は2回 このポイントに潜った。 他の場所とは全く異質な世界で、神秘的でミステリアスな雰囲気が漂っていた。
← 模型図 水深25mの海底から立ち上がったピラミッド状地形。 長さ290m、幅120m、高さ26m (石切りの)クサビ穴跡や加工の跡も見つかり、 人工の手が加わっていることが明らかになった。 |
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2000年12月に潜った時の写真。
オベリスク状の高7m厚1mの二枚岩 |
メインテラスを行く |
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(トンデモ説かもしれないが)
ムー大陸が水没し、生き残った人々の子孫が周辺のオーストラリア、ニューギニア、琉球弧に移り住み、現地の人々に文明を伝えた、と。
この神殿の建設を指導したのは、そのムー大陸の生き残りの子孫で、神殿は建設途上で(地殻変動のため)放棄された。というロマンがある。
海底遺跡に魅かれて、ジャック・マイヨール、グラハム・ハンコック、ウルリヒ・ドパトカそして木村政昭教授らが来島している。
コリン・ウィルソンが来てないのが不思議だ。
※1 琉球弧の第四紀古地理
第1ステージの陸橋形成は、200万〜100万年の間(琉球石灰岩形成前の不整合期)
・当初、沖縄トラフ域には湖が出現し,あとの広範な地域は陸域で占められた。
・後半、台湾から宮古島,八重山を経て奄美大島にまで連なる陸橋を形成した。
第2ステージの陸橋形成は、40万〜2万年前の間(琉球石灰岩形成中〜後)
・中国大陸から沖縄・奄美を経て九州本土へ連なる長大な陸橋を形成 した
・最後の陸橋はウルム氷期
【 後 記 】
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2019年12月17日 宇田川東
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