手賀沼に 52mの 巨大前方後方墳が 存在してる!
小森瓢箪塚古墳
北ノ作古墳のページを終えて、ネットでチェックしていたら、何と! 南の手賀沼の南岸に 巨大な前方後方墳 が存在する、とで驚いた。 「房総の古墳を歩く」にも出ていない。 きちんとした手法の調査が行われていないため、とのことだった。 |
小森瓢箪塚古墳 と呼ばれており、全長52m、後方部の高さ6.4mの 前方後方墳と。
場所は、南の手賀沼に面した 舌状台地で、築造時期は不明。
概要は次の通り
『 2004年の白井市の調査で、市内平塚字小森に、前方後方墳と推定される古墳「小森瓢箪塚古墳」が見つかった。
この古墳の上には、蔵王権現が祀られていて、地権者の方の家訓で、機材を持ち込んでの測量ができず、
デジタルカメラでの写真測量という新しい方法が試みられ、その調査図から52mの前方後方墳と推定された。』 とのこと。
白石市平塚の南の手賀沼に面する舌状台地の、旧家の敷地内にある。
赤丸の台地が 前方後方墳のある場所。
後方部が住居の方で、前方部が(北ノ作2号墳と同じく) 台地の突端の手賀沼方向を向いている。
平塚の鳥見神社 神社の裏に鳥見神社古墳がある。 チョコ貝岩/箱式石棺が出ている。 |
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手賀沼エリアは、北ノ作古墳以降、約100年後の水神山(前方後円墳)まで 古墳の築造はないと思われていた。
大胆に築造時期を推測すると、北ノ作2号墳の後で、4世紀の水神山古墳が築かれる迄の間で、水神山古墳に近い時期(4世紀後半)かなと思う。
手賀沼エリアの在地の首長墓で、このあたりが本拠地なのかもしれない。(→前方後方墳)
水神山の被葬者は、大和から派遣された者であろう。(→前方後円墳)
墳丘長52mは、道祖神裏古墳56m (小糸川流域の前方後方墳 4世紀)と同じ規模
古くからこの地を開拓した氏族が、水神山の前方後円墳を築造する天孫系氏族に対抗して築いたのかもしれない。
北ノ作古墳 34m 小森瓢箪塚古墳 52m 道祖神裏古墳 56m(小糸川流域) (沼津・高尾山古墳 62m) |
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(2016年11月12日)
雑感1
小森瓢箪塚古墳の、場所、年代の推測には、
日本武尊の東国平定(310年〜311年)と、その後の、景行天皇の東国巡幸(316年〜317年)を考慮する必要がある。
両者は、この地域周辺を 巡っている。
景行天皇の時代には、九州や東国やその他各地で反乱が起こっている。
理由は、それ迄地方の有力者が国造に任命されていたが、天皇はその権限を奪って皇子らに与えたので、反抗が起きたのではないか、と。
「古代史の復元」は、日本書紀の「景行天皇の皇子70人余りを各国や郡に封ぜられて、各国を統治した」を根拠に挙げている。
手賀沼エリアも、水神山古墳あたりは、水上交通路を見張る要衝地なので、ヤマトから皇子か親族が派遣されたかもしれない。
水神山古墳の1.5km北にある我孫子の柴崎神社は、日本武尊が奥州からの帰途に立ち寄り、安全と武運長久を祈願したのが起こりと伝えられている。
この地がヤマト朝廷と係わりがあることを示唆している。 (追加 注1: 2018.01.10)
〇小森瓢箪塚古墳の場所は、
北ノ作古墳のような手賀沼全体を眼下に収める地は (対岸の勢力に)遠慮して、手賀沼の裏手の南の手賀沼の南岸に築造したのかもしれない。
〇築造年代は、
景行天皇の巡幸の後で、天皇の死後(325年)以降だろう。
(2016.11.19)
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(追加 注1: 2018.01.10)
水神山古墳の被葬者は、ヤマト朝廷とかかわりがある人物だった。
それは、この古墳が西日本的工法で築造されていたー近畿地方から墳丘構築の技術者が派遣され築かれていたーことによる。
(「土木技術の古代史」 青木敬 吉川弘文館 2017.10.01 74頁)
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雑感2
香取鳥見神社とその地について
香取鳥見神社は、香取の海 に突き出た 目印になる舌状台地で、天然の景勝地なため、当然
開拓の昔からニギハヤヒを祀っていたと思っていた。
しかし、創建は文武天皇2年(698年)9月15日と、新しかった。
何故だろう。
ニギハヤヒが開拓民を引き連れて来た時は、この台地は在地の縄文人の住居地であり 聖地だったのだろう。
布瀬貝塚と呼ばれる縄文遺跡があり、縄文土器も出土している。
ニギハヤヒらは、平和的に共同で開拓を進める在地人の聖地は、尊重し手をつけなかった。
後世ここに香取神社と鳥見神社を勧請する時代には、初期の開拓者たちが遠慮した 縄文の聖地 という記憶・呪縛は失われていたのだろう。
(2016.11.19)
地図ばかしじゃ飽きちゃうので 貴重な写真を。
現在の手賀沼 (柏市 手賀の丘公園 どんぐりの家・郷土史コーナー より) |
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