地下室

二章.世俗と信仰

 伝説の英雄戦争が終焉を迎えてより、新生ゼノビアが興ってからすでに七年の歳月が時に刻み込まれています。それ以前も、その後も歴史が騒乱の種子を風に乗せる行為を疎かにしたことはただの一度としてありませんでしたが、巨大な厄災をもたらしたローディスとの北方戦役を除けばゼノビアでは方々で発芽した小競り合いも根を張って動乱の枝葉を繁らせるには到らず、雑草が抜き取られるかのように都度鎮圧されてはいましたが完全に根が掘り尽くされることもまたありませんでした。

「暁の火が下りる、君が祝福した赤い光が。
 風に乗せよう。君の子供たちに、暁の火を届けよう」

 唄うような旋律で語られる、赤毛の少女カロリンの祈りが神殿の壁に響きます。赤い髪をした英雄や聖母アイーシャが日々を過ごしているアヴァロンの小さな神殿は女法王ノルンが導く宗団に従い、人々の素朴な信仰を助けていました。
 ゼノビアは中央集権を放棄すると地方の自治都市は自らを守るために兵を置かねばなりませんでしたが、それが行き過ぎれば分散された軍備が強大な地域の発言力を増す要因となっていずれ王国の分裂と解体を呼び起こしかねません。そうした中で彼らが秩序を失わず互いに孤立もせず協調できた理由は、それは宗団が人々を協調させて不毛な争いを防ぎ続けたことにあるでしょう。困窮する人々がいれば彼らは純粋な使命感をもってこれを助け、治安維持者の重責が宗団に担われていることはゼノビアの王フィクス・トリストラム、トリスタンも認めるところです。英雄戦争でともに同じ旗を仰いだ彼らは互いに手を取り合い、王都とその周辺はゼノビアが、地方の各都市は宗団が従えることによって困窮した国を支えることができました。

「それで、ウォーレンは何と」
「民衆は王や皇帝の言うことは聞かぬ。だが信徒は司祭の言うことを聞くものだ、と申しております」

 王国の名を冠した王都ゼノビアに、新しく構えられた王城は壮麗さよりも質実さを重んじて建てられていて、謁見の間でトリスタンが親衛隊長ランスロットと交わす言葉も常に祭儀よりも実務に重きを置いています。彼らとともに、赤毛の英雄を戴いて伝説の戦いを導いた「始まりの賢者」ウォーレンはその後、宮廷付きの顧問として王城の一角にある尖塔の奥、真理の間に座すと星々の流れと歴史の奔流を見張りながら、部屋を出ることもなくその言葉と知識を王に伝えるようになっていました。
 傍観し、直接関わらぬからこそ真理を探り得る、というウォーレンの言葉は恐らく正鵠を射ていたのでしょう。遠慮のない直言に苦笑を浮かべたトリスタンは、気分を害したふうもなく壮年期に差しかかった顔に威厳を湛えたまま居並ぶ側近や高官に指示を与えます。王は彼が思慕の念を薄めたことすらない王妃ラウニィーの死の衝撃から自らを再建したようには見えましたが、いまだ戦役の傷も癒えずゼノビアを復興する時間も人材も不足している現状では、彼を助けるウォーレンの言葉は不可欠なものとなっていました。

「収穫祭も近い。冬が来る前に国内の戸数と財産を届けるよう宗団には命じよ、宗団の財産もだ」

 ことさらに王が付け加えた理由は、困窮するゼノビアでも宗団は裕福であったからに他なりません。中央集権が弱まり地方の自治が強くなっていたゼノビアで、神殿ごとのつながりを持つ宗団が富を蓄えやすかったのは自然なことでした。それで富の集積が貧富の拡大を引き起こすことはなく、宗団はゼノビアの統治を支えるために身を切って惜しみませんでしたが、口さがない者の中には宗団はゼノビアの財布の半分を握っていると揶揄する者もありました。
 公正な税を求めるために国の実情を調べることは不思議でも不穏でもなく、滅びたゼテギニアの帝国であれば属州全体の収入をもとに決めた額面だけを皇帝が示して収奪は各々に任せていましたが、額面は公平でも負担は公平とはいかず結局は金貸しが横行して税金と利息を払わされる図式が生まれてしまいます。それに比べればトリスタンの収奪は周到で面倒な調査こそ必要とした一方で、少なくとも手法としてはより配慮したものになっていたでしょう。

「宗団の調査も宗団に委ねる、それはやむを得まい」

 冗談めかして王は唇の端を持ち上げましたが、それは実行する力がない王都への皮肉でもあります。この一事に限らず豊穣のラウニィーや多くの人民が失われたゼノビアで、王国の統治と秩序が宗団に支えられているという事情をむろん、トリスタンは承知しています。古く太陽神を祀っていた彼らの信仰は今では赤毛の英雄を祀る英雄信仰ともなっており、旧知の戦友にゼノビアが寛容であることは当然だったでしょう。その寛容さでゼノビアは危うい安寧を保ちながら未来を望むことができたのです。
 ですが王国が宗団と協力し、世俗と信仰が手を結んだことは確実にゼノビアの復興を助けた一方で、一部では世俗に染まった信仰が現世の利益を求めて度を越した蓄財に励む者まで現れたことも事実でした。それは大勢の中のごく一部でしかありませんが、巨大な王国に生まれたごく一部はやがて独立した宗派となり貪欲に栄養をむさぼりながら成長を続けることになります。

 宗団において「暁の巫女」は赤毛の英雄を讃えるために生まれた存在で、アヴァロンの神殿で聖母アイーシャに仕えていたカロリンも、伝説の戦いを終えて姿を消した英雄を祀るために七年前に選ばれていた一人でした。他の神殿でも一名から数名の巫女を抱えていて、彼女たちは未だ幼年のうちに敬虔な信徒の中から選ばれると祭儀を任されています。任じられた巫女は婚姻も姦通も認められず、これを破れば生きたまま埋められる刑罰が与えられたともいいますが、人民の家族である聖職者には罪に対する厳しい罰が定められていても、信仰に目を背けてこれを破る者がほとんどいない程度には宗団は健全さを保っていました。

「人の迷いが人を深淵に誘うとき、剣と杯を手にした君は人のうちから現れた・・・」

 アヴァロンの孤島にある石造りの神殿で、カロリンは祭儀のための祈りを捧げています。暁の巫女は白い長衣の上に刺繍の施されているあざやかな赤い布地をまとい、儀式のための剣と杯を手にしていました。他の神殿であれば染料を使って頭髪を赤く染めるのが常でしたが、カロリンの赤毛は生来のもので彼女も七年前から自分の赤毛を誇りに思っています。幼い少女の頃より、剣と杯を手に祭儀を執り行う栄誉は少女にとって特別なものでした。
 宗団はかつて伝説の戦いを率いた赤毛の英雄も信奉した教義であり、今は王国と手を取って人々を導く存在として敬意を受けています。地域ごとの神殿によってつながれている宗団は小さな地域が互いに支え合うことを助け、小さな発展のために益をもたらす流れを生むことができました。

 ですが各地にある神殿は各々の神殿ごとの、司祭や信徒の教義や信仰心に微細な差を生み出さずにはいられません。そして皮肉なことに差異の最たるものが赤毛の英雄の存在であり、元来信奉される太陽神と彼女の扱いについては一致した見解を得ていませんでした。
 人が協調し、尊き教えに従って正しく生きるのであればいずれ救い主が世に降誕し、大勢の信徒は力を得て立ち上がると世を混迷から救うであろう。それが宗団の教えでしたが、同一の教義に対して異なる解釈が行われる例はそれが古い信仰である以上は仕方のないことです。ゼノビアの復興と神殿の興隆に伴い、地域によっては新興の宗派が産み落とされると大なり小なりその差異は大きくならざるを得ませんでした。

 女法王ノルンが治める本山では、古くからある宗派を信奉して伝統ある儀式や形式を重視すると旧派または太陽派と呼ばれ、歴史も長く一般的な教えとして広く世に知られています。ですが赤毛の英雄への信仰が広まる中で生まれたのが旧派に対する新教または赤の宗派と呼ばれる一団であり、彼らは旧派において祭司の一員に過ぎない赤毛の英雄自身を救い主として崇めました。

「人はうちなる光をもって君の出ずるを助け、君は光ある人とともに立つと暗き森を拓き、やがて赤き陽光が差し込むと君は世に始まりと生命の火を灯された・・・」

 この一節が旧派と新教の間に深い溝を穿つ原因であり、それは伝説の戦いで非業の死をとげた英雄のように光ある人がいずれ救い主をも呼ぶことになるのか、または赤毛の英雄こそ人とともに立った救い主その人だったのかという違いになっています。つまり旧派では救い主は未だ降らぬと説いており、新教では救い主は赤毛の英雄の姿を借りて既に降誕したと説いているのです。
 同一の教義に対する、些細とも思われる解釈の相違は双方が信奉する救い主の存在そのものを盤面に乗せていたために互いに引くことができませんでした。新教に従えば太陽教の信徒は救い主ならぬ使徒に頭を垂れて崇拝せよということになり、旧派によれば赤の宗派では大いなる存在の下僕として救い主を扱っているのです。いずれにせよ導かれる人々は光を持つ清廉な者でなければならぬ、その点において彼らは共通してはいましたが、やがて対立が深まると何をもって清廉とするかでさえ各地の神殿が各々で定めてしまうようになりました。

「手のひらの力を否定せよ、されど人がその内なるに光を保ち君とともに立つとき、その光は杯に注がれて生命となり、その光で剣は炎を宿すだろう・・・」

 赤の宗派がその勢力を著しく伸長させた理由はまさにそれが英雄崇拝の思想だからに他なりません。旧派である太陽教は昔からの素朴な信仰で人々の生活に根を下ろしていましたが、今ではその土壌にも赤毛の英雄を助けた宗団としての名が肥料として注がれていました。そして神殿の多くは旧派と新教に明確に分かれていたわけではなく、一部の強硬な地域こそあれ赤毛の英雄を讃える傾倒が強いかどうかという程度の違いでしかないところがほとんどです。例えば暁の巫女としてカロリンが祈りを捧げている、アヴァロンの神殿は比較的新教への傾倒が強いと思われていましたが、それは島を訪れる人の多くが赤毛の巫女の祭儀を喝采したという程度でしかありません。
 聖剣と聖杯を下ろしたカロリンが深く息をつくと、上気した頬には彼女の若さに相応しい赤みが差しています。暁の巫女である少女も彼女を労うアイーシャも旧派と新教の違いをことさら意識したり主張しようとしたことはなく、アヴァロンでは巫女による儀式が広く行われているという程度のことでしかありません。

「素晴らしかったですよ、カロリン。もう豊穣の儀式は任せても大丈夫そうですね」
「ありがとうございます。聖母様にそう言っていただけるのが何よりの励みです」

 顔を火照らせて答える、カロリンはアイーシャにとって妹のように親しみのある存在でした。かつて赤毛の英雄と共に戦ったアイーシャは自分を妹のように親しんでくれた英雄の姿を思い出しながら、貴女の髪の色は彼女にそっくりであると少女に語ったものです。そしてカロリンもまた彼女生来の赤毛が伝説の英雄と同じ色であることに誇らしさを感じていました。
 その伝説の英雄と共に戦った聖母アイーシャがいる神殿で、暁の巫女が重宝されたことはごく自然なことだったでしょう。彼女たちにとって太陽教と赤の宗派の関係など気にする理由はなく、日々の奉仕と祭儀、そして困窮した人々を助ける活動に携わることに精いっぱいでした。アヴァロンはゼノビアでは辺境に部類される孤島にありましたが、航路を使うために王都からさほど遠くはなく訪れる人は日々絶えることがありません。

 より強硬な神殿の中には赤毛の英雄に対する盲目的な崇拝と、ゼテギニアへの憎悪をもって赤の宗派に傾倒した例もありましたがそこまで極端な例が宗団に影響を及ぼすとは本山も考えたことはありません。そうした強硬派の神殿では太陽神の像を捨てて赤毛の英雄を祀ることもありましたが、ノルンが治める本山でもさすがに神像を捨てるほどの行為を認めはしませんでした。本山では古くからのしきたりに従い、暁の巫女もおらず旧態依然とした祭儀が執り行われていましたが、それを他に押し付けることもありませんでしたしノルン自身が赤毛の英雄を親しんでいた思いにも曇りはありません。世界に安寧の種をまきながらも、それが芽吹く姿を見ることすら許されなかった娘を思う心情に偽りはありませんでした。

 旧派と新教の存在は特に強硬な者を除けばただ分かれていたというだけで、旧派は鷹揚で新教も誠実でした。ですが宗団の本山が体現する太陽教よりも、会ったこともない太陽神ではなく赤毛の英雄を崇拝する赤の宗派が人の支持を得やすかったことは確かです。本当にゼテギニアを打倒した英雄に熱狂的な思いが注がれる、それは無理からぬことでした。
 それを理解していた者は幾人もいませんでしたが、それを利用しようと考えた者は更に幾人もいませんでした。伝説には困窮する王国と人民を糾合する力がある、尖塔の賢者ウォーレンが語った言葉はゼノビアを支える強靭な土台を王に想起させました。

「民衆は王や皇帝の言うことは聞かぬ。だが信徒は司祭の言うことを聞くものだ、か・・・」

 ゼノビアの王城にある謁見の間、多くの高官や貴族を退出させた後でフィクス・トリストラム・インペラトルは呟きます。彼の前には親衛隊長のランスロットが、砂色の頭髪を垂れて風雪に耐えた剛毅さを窺わせる長身を控えさせていました。彼らと共に赤毛の英雄を支えた尖塔の賢者ウォーレンは王の執務の間から通じる真理の間に座しており、誰もその姿を見ることはできません。トリスタンの呟きに答えて、ランスロットはウォーレンの言葉を続けました。

「だが、民衆は王でなく英雄の言葉であれば聞きましょう、とも」

 ことの始まりは、王都から出された戸数と財産の調査によるものでした。それは国の税収を決める重要な政ですが、国内にそれを行う充分な人も組織もないゼノビアではそれを宗団に頼まざるを得ません。王であるトリスタンは腹心の親衛隊長ランスロットに命じると、宗団を主導する女法王ノルンへの遣いを送りました。そのとき、ことさらに宗団の財産も含めた調査を依頼したことは王の立場としては別に不穏当なものではなく、古来より為政者と聖職者の関係が彼らの頭を悩ませることはあっても公正さを避けて良い結果がもたらされた例もありません。

「ゼノビアは公正と公平を求めております。王は旧知の法王猊下に、そのためのご助力を望まれておいでです」

 宗団が統治に関わることに懸念するむきは彼ら自身の中にもありましたが、目の前で砂色の頭を丁重に下げている客人の言葉を退ける理由はノルンにはありませんでした。女法王はトリスタンよりも年長で齢は四十の半ばを過ぎていましたが、容姿は未だ若々しく女性ながら法王と呼ばれるに相応しい威厳と英知も備えています。かつて赤毛の娘が叛乱の旗を掲げたとき、これを見捨てることも知らぬふりを決め込むこともなく宗団を挙げて彼らを助けました。
 赤毛の英雄が信奉した宗団では今では多くの人が神殿を訪れて途絶えることがなく、英雄戦争の仲間であったトルスタンの頼みをノルンが容れるのは当然でした。法王はその教義にふさわしい、太陽の光にも似た黄金の頭髪を波打たせると穏やかだが力強い声を賜ります。

「もとより王の意を果たすに異存のあろう筈もありません。救い主が導く光と寛容と公正のために、王を助けるよう司教たちには伝えましょう。陛下に太陽神の導きが訪れんことを祈ります」
「有り難きお言葉、我が王に必ずお伝えいたします」

 伝統ある宗団を治めるノルンの言葉が太陽教としての旧派の教えに等しいのは当然ですが、一方で彼女は赤毛の英雄を信奉する新教を否定する声を上げたこともありませんでした。旧知のランスロットにこころよい返答を与えたノルンは全土にある神殿に向けてそれぞれの地域で把握している人民の戸数と財産、それに神殿財産の目録を作るように命じます。特別の奢侈品を除き、徴税の額は年間の収入に対して十分の一程度が課されるのは帝国でもゼノビアでも変わらぬ倣いとなっています。ただ帝国の時代には地方の領主の裁量によってそれを遥かに超える利息や臨時の税が求められることがたびたびあり、人々の不満と体制への不信の原因となっていました。
 数年に一度の調査には三月ほどの時日が費やされて、ごく穏当に終わると宗団から王に宛てた膨大な目録の束が送られます。麻の繊維をすいて作った紙は数台の馬車にあふれるほどの量になりました。トリスタンはただちに財務官に命じると内容の調査を命じますが、同時にランスロットには別の指示を行い、信頼する親衛隊長を非公式に遣わせると新教を掲げる中でも特に教条的な神殿と接触させたのです。ランスロットはこう言いました。

「これは王国の基盤を定める重要な政である。そして政には誠実な信頼が欠かせない、お分かりだろうか」
「古い帝国の風習は捨てるべきと申すか、その通りでありましょうな」

 混迷から立ち直ろうとするゼノビアで、王国には充分に人民を導く力がありませんでしたがそれは宗団にしても同様で、それは各地の町や砦に代わって神殿があり、領主に代わって司教がいるというだけのことでした。その状態で、わずか三月で国の調査が充分に行われた筈がなく帝国の時代の結果をそのまま送りつけた例も少なくありません。そして帝国の時代の神殿とは赤毛の英雄が現れる以前の旧派に属していました。ランスロットの示唆を受けた新教の一派、その中でも過激な司教たちが集まると調査が正確さを欠き、それは宗団の不名誉であるばかりか不実と不義であると本山と旧派を激しく弾劾します。彼らの追及は不穏当ですが決して不当ではありませんでした。

「本山は実態に依らぬ不公正な負担を認めるのか。それはかつてのゼテギニアと何が異なるのか」

 弾劾を起こした神殿は英雄戦争の後に逃れてきた人々が暮らすようになった地域で帝国の記録など存在せず、調査は精緻に行われて正確な租税を納めていました。ですが統治が充分でない故の不正確を不公正と決め付けられ、それをかつての暴政であると断じられては本山も旧派もたまったものではないでしょう。告発者たちの言行はノルンや周囲の司教たちにとって旧派に対する新教の反抗であるようにしか見えず、しかもそれは全くの事実でした。彼らの「言いがかり」は理においては正しいのかもしれませんが、その例えに打倒された帝国の名を挙げることは扇動でしかありません。そして人民は目に見えぬ真実よりも目に見える事実を好み、しかも目先の利害に直結する事実をこそ支持するものでしたから、旧派と本山への弾劾の声は日に日に大きくなっていきました。

「宗団には大いに助けられている。彼らが争うなら王国が仲裁すべきであろうな」
「理想を求めるのは信仰があればこそです。王は情に依らず、ただ正しきを支持すべきかと」

 これをきっかけにして太陽神を祀る旧派と赤毛の英雄を崇める新教の間に横たわる溝はより深く、より広く穿たれた亀裂となっていきます。その状況を憂いている者は少なくありませんでしたが、亀裂の上にはゼノビアという名の橋が渡されていたために、人々は互いの間を行き来することができたし亀裂に気づかないふりをすることもできました。もしも亀裂が広がって遂に橋が落ちたとき、王国は自らをどちらの岸に寄せるべきか選ぶことになるでしょう。ですがその溝を穿ち亀裂を広げたのが当の王国であることを人々は知らなかったのです。
 本来であれば激しくとも無責任な断崖の声は、大勢が動じることがなければいずれ空しく消えるのを待つだけだったでしょう。それが北方戦役以来のゼノビアを揺るがす騒乱に至ったのは、フィクス・トリストラム・インペラトルが自ら布告してこれを支持したことによりました。

「余と人民の信頼を裏切った罪科は大きいと言わざるを得ぬ。世俗の王に敬虔なる教えを否定する意思はないが、もしも旧き教えが旧き悪習を受け継いでいるというのであれば、これを排除して正しき信仰は正しき者に引き渡されるべきであろう」

 トリスタンの布告は信仰に対する世俗の介入を堂々と宣言するものでしたが、ゼノビアは信仰が世俗を助けて統治する国でした。民心を扇いでその統一を図るために、旧派と新教の対立を目論んだ王の言行に対して、新教も自分たちを利用しようとする者を否定することはなくむしろ同調して行き先の同じ船に乗ることを選びます。未だ混迷する王国でトリスタンは信仰を利用してゼノビアをまとめることを目論み、宗団の組織を掌握するで国の基盤を固める。この時期、王の側近たちはトリスタンの目の中に思い切った策謀への迷いとそれを吹き飛ばす決意の色があることを見てとったでしょう。

「古びた布を繕うことは、新しく布を編むよりも容易だとは賢者ウォーレンも語るところだ」

 トリスタンは王城の一角にある尖塔の奥、真理の間に坐している始まりの賢者ウォーレンの名を挙げました。それはかつて伝説の戦いでトリスタンやハンスロット、そして赤毛の英雄とともに戦場にあった者の名前であり、帝国が倒れて後は権威も地位も求めずにただ己の知識のみを捧げる存在として自らを封じた者でした。尽きぬ泉の如く湧き出でるといわれている、ウォーレンの英知がこれまで幾度ゼノビアを助けてきたか、それを知らぬ者は一人もいません。

「手に余らぬ力であれば用いる力は大きい方がよい、そして信仰を討つには異なる信仰が欠かせぬ」

 こうしてトリスタンの命によって宗団に対する不正の摘発が始められました。王が旧知のノルンが治めている本山が象徴する旧派ではなく、新教を選んだ理由は単に新興だから御しやすいと考えただけかもしれません。摘発は作為的に新教に属する神殿には伸びず、伸びたとしても追及はいたって甘い一方で旧派に対する調査は執拗でしかも不正が見つかればそれは誇大に伝えられることになりました。
 女法王ノルンは王国とトリスタンの豹変に戸惑い、憤りを覚えましたが彼女の知性は王の目的を察しており、不正をただすという正当な理由を振りかざすゼノビアに対して激しい非難の意を伝えることができません。王国がきっかけと口実を求めていることは明らかで、迫害された旧派が暴走すればそれは彼らを喜ばせるだけでしょう。当初、王にわずかな迷いがあったとしても走り出した荷車は加速する一方でした。

「弾劾が事実無根であってはならぬ、だが処罰は不当を思わせるものでなければならぬ。人を激昂させるには不当な処遇こそが原因となるものだ」

 王は親衛隊の一部に新教が遣わした人員を配して、摘発や弾圧を続けました。ことに旧派の司教が追放された後の神殿には、後任として王国が人選した人物が据えられたこともあって新教の支持と協力も瞬く間に強く大きなものとなっていきます。気が付けば王よりも新教に属する者こそが、進んで旧派の神殿を摘発するようになっていました。
 王国の各所では宗団が分裂して内紛の種がまかれている状態となり、トリスタンはそれを諌めることもなくむしろ手を貸して赤毛の英雄を信奉する教えを尊重します。帝国を懐かしんで赤毛の英雄を認めないとされた旧派の神殿からは人の足が途絶え、ひっそりと太陽神の集会や秘儀を試みた家は永遠に取り壊されました。止まらぬ弾圧は苛烈さを増す一方になり、遂に我慢できなくなると信仰に対する王権の介入に非を鳴らしたのはノルンではなく彼女と親交が深く、英雄戦争に赴いた一人でもあったクアス・デボネアでした。デボネアは王都に赴き謁見の間に立つと、堂々とトリスタンを非難します。

「今、この国から正義と寛容が失われようとしております。かつて弾圧が平和を生み、非寛容が繁栄をもたらした例がいずれにありましたでしょうか。信仰を擁護するために別の信仰を認めるとあれば、いずれ全ては失われましょう」

 その言葉にトリスタンは叱責を加えることはしませんでしたが、取り入れもせず無論返答もしませんでした。ことは宗団の内部における信仰の問題であり、ゼノビアは不正を嫌いはするが信仰に介入はできぬというのが王の主張です。その一方で弾圧は日々苛烈さを増して処罰は残酷になり、例えば旧派の司教が僧服も聖印も剥がされて寒空に放り出されたり、女性であれば聖性を侵すために娼館に売り渡されるような蛮行が神殿で行われたことすらありました。ゼノビアはそれに手は貸さずとも、黙認していることは誰の目にも明らかでした。
 旧派の宗団と王国の断裂は決定的なものとなっていましたが、見たこともない太陽神ではなく赤毛の英雄を崇める新教を支持する者は多く、デボネアのように旧派を擁護する者は少ないのが実情です。町中で旧派と新教の信徒同士が衝突する例も珍しくはなくなり、捕縛され連行されたとしても断罪されるのはたいてい旧派の者でした。一度など王は騒乱の中心となった旧派の信徒たちを処断するに、デボネアを召喚して同席を命じることさえします。断頭台に向かう信徒たちとデボネアは視線を交わすことすらできず、ただ地面を睨み付けて血がにじむほど唇を咬むことしかできませんでした。

 王国の各地で行われた弾圧とそれに伴う混乱はアヴァロンの神殿にも知られており、それは未だ大きな波ではなかったものの人々は平静でいられませんでした。アヴァロンは暁の巫女であるカロリーナがいたために救われていましたが、実のところすべての神殿が旧派と新教に分かれていたわけではなく、彼らに限らず多くの神殿は自分たちがどちらに属するかなど考えたこともありませんでしたし、聖母アイーシャは敬愛する女法王ノルンが苦境にある状況に心穏やかではいられません。

「聖母殿は世俗と信仰の分離と仰られるが、神殿が王国を助けることで多くの人民が救われてもいる。互いに助け合った、しかもそれがよい結果を生み出しているのであれば否定することはできぬでしょう」
「王は不介入をうたっていますが、実態がそうではないことは明らかです。世俗が信仰を割ろうとしている、それはもはや埋め難い裂け目となっているのです」

「だが割れているのは王国ではなく、我々宗団です。しかもその原因は急進的な一部の愚か者が盲動したことによるもの。それをただすのであれば王国の責を問うのではなく、あくまで宗団が正しき結論を導くべきでしょう」
「それはそうですが・・・」

 神殿の一室で司祭たちと言い争う、アイーシャの声をカロリンは幾度も耳にすることになりました。アヴァロンの神殿には彼女の他にも幾人かの司祭がいましたが、消極的な不干渉を望む彼らにアイーシャは不安を消すことができません。アヴァロンがそうであるように多くの神殿は不介入を望み、結局は本山が孤立して弾劾されているのではないか。
 これまで宗団は王国と手を取り合って人々を導き、王国の助けを得て多くの教えを広めてきました。急進的な一派の存在が彼らの間に溝を穿っていたとしても、人々の信仰が赤毛の英雄にあることは事実であり、アヴァロンにも英雄に憧れて暁の巫女に就いている少女がいるのです。伝説の戦いが終わってからアヴァロンでも毎年赤毛の英雄を祀る祭儀が執り行われていましたが、それは平和と繁栄を祈る純粋な祈りに過ぎず、人々が望む単純な祭りでしかありません。アイーシャに反駁する司祭たちの言葉には彼らなりの理由があり、だからこそ彼らは不安を消すことができず徒労感だけが増しています。

「聖母様、お疲れではありませんか」
「ええ。心配してくれて有難う」

 部屋の外に控えていた、赤毛の少女にアイーシャは力ない笑みを向けました。目の前で心配げな顔をしているカロリンに言い争いの言葉が聞こえていなかった筈もなく、アイーシャは申し訳なく思うと少女の頭に手を置きながら、ですが別のことを考えてもいます。英雄戦争の時代、聖母アイーシャは赤毛の英雄に従い各地を転戦した、その戦乱の時代を覚えています。頽廃したゼテギニアがもたらした不公正な統治が生み出していた不満と歪み、それを力ずくで吹き飛ばした赤毛の英雄と彼女たちの戦いを否定する意思はアイーシャにはありません。ですが彼女自身を含めて多くの人々が平穏な生活を失い、明日をも知れぬ不安の中で自らを守るために刃を振るい他者を傷付けていた、それ自体は厭うべき振る舞いであったとして彼女の心に残っています。
 その当時まだ幼かった、赤毛のカロリンが今になって再び戦乱に巻き込まれるような事態が訪れるというのでしょうか。アイーシャは聖母としてではなく当時を知る年長者として、少女に労わるような視線を向けました。カロリンはアイーシャの真意を全てを知ることはできませんでしたが、彼女の自分への思いだけは手のひらから伝わってくる暖かさを通して感じることができます。

 ですがアヴァロンの娘たちの思いがどこにいるとも知れぬ運命の神々の下に届くことはなく、事態は急速に悪化して遂に崩壊の時を迎えます。ゼノビアの王城に坐して、人の恣意によって運命を操ることができる信じる者は、追い詰められた旧派が実力行使に出ざるを得なくなる決定的な命を下しました。それは親衛隊による、宗団本山への立ち入りを要求する宣言です。

「これだけの混乱を放置して為すところを知らぬ、本山の調査はもはや避けることができぬ。余は王国を総べる者として本山への立ち入りを宣告するが、信仰への崇敬を示すためにも立ち入りには宗団の者が従うことを許し、その監察の中で調査を行うことになるであろう」

 急進的な新教の者が王に従うことは疑いなく、本山は一方的な要求に対して頑とした姿勢を貫くしたありません。ノルンは新教とそれに傾倒する勢力が急速に増大している中、全ての事情を承知した上で強硬な王都の主張を非難する言を出しました。

「彼らは新しき教えと称しますが、その実は俗世と強く結びついて信仰を失った者というしかありません。救い主の忠勇な信徒である赤毛の英雄の勲を隠れ蓑にして自らの立場を強め、それを隠匿するために旧き教えを弾劾しているに過ぎない。そして王は王であることを忘れ、神殿に刃を向ける背教者に成り下がりました。信仰は信徒のためにあるのであって、欲得に目のくらんだ背教者のためにあるのではありません」

 王国の現状がトリスタンに宗団を利用する策を決断させて、新教が王国と手を組むのであれば本山は世俗と信仰の交わりを批判すること、そして新教が拡大する情勢で一刻を無駄にすることができないこと。ノルンは彼女と彼女の子らが生き残るために王国に戦いを挑まざるを得ません。  こうしてフィクス・トリストラムの軍団と女法王ノルンがある宗団本山の争いが始まりました。後に第一次宗俗戦争と呼ばれることになる戦いです。


三章.討伐の結末を読む
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