城北シーン(12)

東京の城北地区(板橋・北・豊島ほか)の風景をご紹介します。

 

タネ屋街道(旧中山道)    豊島区巣鴨〜北区滝野川〜板橋区清水町

「城北スケッチ」のネタを探して巣鴨に行ったとき、江戸六地蔵でも有名な真正寺の入り口に「旧中山道はタネ屋街道」と書かれた案内板が立っているを見つけた。 そこには以下の様な説明があった。

 旧中山道を通る旅人の中には弁当を食べるため、街道沿いの農家に立ち寄り、縁側を使わせもらう人などもいました。 旅人は、農家の庭先や土間で見慣れない野菜と見かけると、国元で栽培しようと、タネを欲しがる人も多く、やがては農家の副業としてタネを販売するようになりました。 その後、江戸・東京が生んだ滝野川ゴボウ、滝野川ニンジンなど優れた野菜が出現するとタネを扱う専門店ができ、明治の中期には巣鴨のとげぬき地蔵から板橋区清水町にいたる約6kmの間にタネ問屋が9戸、小売店が20戸も立ち並びさながら、タネ屋街道になっていました。
 寛永20年(1643)の代官所に申告した書き付けに、長野県諏訪からきたタネの行商人が榎本種苗店(豊島区西巣鴨)に仕入れにきた模様が記されています。 馬12〜3頭をひいてタネを仕入れ、帰り道「萬種物」の旗を立てて街道のタネ問屋に卸していったり、農家に販売して歩くなど、さながら富山の薬売りと同じようにタネも行商によって商われていました。


と言うことで、巣鴨から清水町までタネ屋を探しながら歩いてみた。
東京種苗

日本農林社
豊島区西巣鴨3-19に古そうな商店があった。 店名もズバリ「東京種苗株式會社」で、ガラス戸には「農産種子生産卸」と書かれている。 タネを袋摘めしているおじさんがいたので、話を聞いてみた。

昔は旧街道沿いに15〜6件のタネ屋があったそうで、「タネ屋街道」というのは本当だったらしい。 東京原産の野菜といえば「練馬大根」が有名だが、それ以外にも色々あったという。 例えば、小松川の小松菜、巣鴨のコカブ、田端の白瓜、三河島の白菜、砂町のニンジン、高井戸のキュウリ、亀戸の大根など有名で、もちろん滝野川のニンジン・ゴボウもあった。

ちなみに、亀戸の大根は短くて浅漬け用、練馬の大根は長くて沢庵用に向いているそうだ。 「昔は原産地のタネは格が高かったが、今は何処でも同じだね」と言っていた。 この店から50mほど巣鴨寄りの所(西巣鴨3-18)に同店のアウトレットがあり、タネの小売りをしている。

殆どのタネ屋が姿を消した中で、今でも手広く商売をしている会社があった。 北区滝野川6-6の日本農林社は、英語の社名「Nippon Norin Seed Co.」の中にタネ(seed)が入っている。 昔からあるタネ問屋であることは間違いない。 事務所と倉庫の建物の屋上には温室があり、ここでタネを採取するための野菜を栽培しているのだろうか。

北区滝野川6-61には、滝野川種苗という園芸店があるが、元々は肥料屋だったらしい。
清水金蔵商店 清水金蔵商店 板橋区清水町47にある園芸店は、看板に「家庭園芸資材・種苗・農薬・植木鉢」と書いてある。 聞くところによれば、何代も続いた店で、この辺り一帯の地主であるという。

店先だけでなく、店の脇から、農家風の広い庭先まで花や植木の鉢がずらり並べられている。


(99/08/20)


 

住宅付きテラス 〜 大塚公園    文京区大塚4-49

地下鉄「新大塚」から歩いて2分ほどの所に大塚公園がある。 ここは、子供達が野球をするような広場を中心に、周りに木々が生い茂った静かな名公園だ。 公園内には神社(お稲荷さん?)やお地蔵さんもあるが、煉瓦を基調にした建造物が多い。 トイレ(右下)ももちろん煉瓦作りだ。
柱 階段 トイレ
多くの建造物の中でも、とくに注目すべきものが露壇(ろだん)だ。 でも、露壇とは何だろう? 露壇の脇に文京区役所が立てた説明文には...
テラス 露壇とはテラスのことです。 16世紀から17世紀のイタリアでは、地中海に面した丘陵地に裕福な市民のビラ(別荘)が多く作られました。 そこでは斜面を階段状に造成した土地に、カスケード(水階段)やテラス(露壇)で結んだ庭を造り果報に広がる風景を庭の一部に取り入れる借景という、独特の庭園様式が発達し、「イタリア・ルネサンス式」又は「露壇式」と呼ばれています。 文京区の公園では、大塚公園の他、元町公園(昭和5年開園)にも同様のデザインが見られます。 この露壇が昭和3年に作られ、長い年月の間に老朽化が進みましたが、平成元年(1989)、開園当時の姿に復元しました。
...と書かれている。

しかし、開園当時とは違うところがある。 このテラスの住んでいる人がいるのだ。 中を覗き込む事は出来なかったが、スーツ袋がぶら下がり、かなり所帯染みた露壇だ。 文京区役所も、説明文を一部修正する必要がありそうだ。

テラス付きの立派な家に住むのは誰でも夢見るだろうが、立派なテラスそのものに住むのは...日本式ルネサンスなのだろうか。

(99/09/05)


 

猿の神様 〜 庚申塚(巣鴨)    豊島区巣鴨4-35

JRの巣鴨駅方面から、とげぬき地蔵で有名な巣鴨商店街を抜けていくと、都電荒川線の「庚申塚」停留所がある。 都電に乗ってお地蔵さんにお参りに来る人も多い。
都電の停留所 この停留所の周りには「庚申塚広場」と名付けられた小さな広場がある。 トイレもあり、お地蔵さんのお参りに来たお年寄り達が休憩をしている。 この広場ではやたらと猿のマークが目に付く。

トイレ・男 トイレ・女
金属プレートが反射してちょっと見難いが、トイレの男・女のマークも明らかに猿だ。 どうやら庚申塚と猿とは深い縁があるらしい。
庚申塚 停留所の名前の由来になっている庚申塚は、停留所から巣鴨商店街に向かって100mほどの交差点の角にある。

そもそも庚申とは...庚申の夜に眠ると、三尸(さんし)の虫が体内からぬけ出し、その人の罪科を天帝に告げ口するため、その夜は眠らず三尸の昇天を阻む行事が室町時代に中国から日本に伝わった。 江戸時代には、各地に庚申講が組織され、庚申の夜には酒を飲みながら夜明けまで宴を催す「庚申待ち」が盛んに行われた。 この庚申待ちの神祭を奉った塚が庚申塚だ。

ここ巣鴨の庚申塚も、江戸時代には茶屋などが並びあり、中山道を旅する人達の休息所として賑わったという。
猿(左) 猿(右)
祭神としては、仏教では青面金剛を、神道では猿田彦を祀る。 ここに祀られている猿田彦大神は、明治時代に地元の有志が千葉県銚子から猿田神社から分祀した。

神社の入り口には狛犬がいる。 稲荷神社ならば狐がいる。 ここには赤いずきんをかぶった猿がいる。 猿が鎮座する台座には三猿(見ざる・聞かざる・言わざる)が彫られている。

(99/10/24)



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