NEON GENESIS
EVANGELION 2
「へ・・・変態? 変態なのね、そこに居るのは?」
心の赴くままにシェルターから抜け出したアスカは、鋼鉄の巨人と4枚の羽を持った巨大生物が、海岸線を鋏んで対峙している姿を見た。
どちらも、はっきり言って、異様と思えば異様な姿だった。
しかし、そんな中にも鉄の固まりの方には、何故だか言葉に出来ない優しさが満ち溢れているような気がする。
その正体が分からないまま、なんとなくアスカは、巨人同士が放ち合う光の戦闘シーンを遠くに眺めていたのだが、4枚羽の巨大生物が異様な閃光を放出している今に到って、ようやくにその正体が判明したような気がした・・・
彼女は、確かに聞いたのだ。
シンジの心からの叫びを。
間違いなく、あれに乗っているのは碇シンジ。
他でもない、アスカにとっての変態英語教師、碇シンジだったのだ
「ちょ、ちょっと、何、ボケッボケッとしてるのよっ、変態教師!!
来るわ、来るわよ、敵が 」
LNAの放出する白いエネルギーを浴びて以降、シンジのmk.2は沈黙する。
徐々に陸地へ近づきながらも、断続的な指向性攻撃を繰り返していくLNAに対して、シンジのエヴァンゲリオンは、全くの無防備だった。
(何故? どうして動かないの?)
少しずつダメージが蓄積していくエヴァンゲリオンを前にして、まるでその機体とシンクロしていくかのように、見ているアスカの心も痛くなる。
今や、地震発生以後堪らなく感じていた不安感は完全に消し飛び、代りにアスカの心の中を占めているのは、あの機体に乗っているであろう碇シンジへの心配だった。
「いいかげんに反撃しなさいよっ!! 変態教師っ!!
死にたいの!? 」
締め付けられるように痛くなる胸を両手で抑えながら、アスカは叫んだ。
この距離で、シンジのmk.2に、その声が届く訳はない。
それでも、アスカは、そう叫ばずにはいられなかったのだ
例え無意味ではあっても・・・
変態教師っ!!
その声は、僕の耳にも届いていた。
だけど、あれは誰が言ってるんだろう?
なんとなく何処かで聞いたような気もする言葉なんだけど・・・
変態教師という言葉は ・・・
「どうしたの? シンジ?」
「ううん、何でもないよ、アスカ。たぶん、空耳だと思う」
「そうなの?」
「おそらくね 」
アスカを抱きしめる手に力を加えた僕は、まどろみの支配する意識の
中で、今までの出来事をつぶさにアスカへと語り続けていた。
ほんの少し前まで、夢を見ていたということ・・・
崩壊するネルフに、復活するアダム。
絶望的な状況の中で、出撃した僕たち二人を襲う悲劇的な結末。
それは、まさに悪夢という名に相応しい出来事だった・・・
「信じられるかい? アスカ?」
「何を?」
「その世界ではね、僕は、その後、中学校の教師になっていたんだよ」
「シンジが教師?」
どうしたの? 何で動かないの、先生?
「そうだよ、そして、教師になった僕は、第3新東京市に戻って来てね」
「うん」
「アスカとよく似た女の子と出会うんだ」
「私と?」
このまま、黙ってやられちゃう気?
もう敵は、すぐそこまで上陸して来てるのよっ!
「その女の子は、アスカと違って、とても上手にバイオリンを
弾いていたかな?」
「あら? バイオリンぐらい、練習すれば、きっと私にだって弾けるわ」
「アスカが!? はっはっはっ、それは絶対に無理だよ」
「どうして? 」
避けて、動いて。
本当に、そのままやられちゃう気なの、先生?
「・・・ だって、全然根気がないんだもの、アスカには」
「ひっどーい。そういう事言う訳? シンジのくせに」
「ごめん、アスカ。もしかして、怒った?」
「怒ってないわ」
よく分からない・・・
なんだかよく分からないけど、そんなの嫌よ!!
このままお別れだなんてっ!!
「本当に?」
「本当よ 」
「本当に、本当?」
「勿論よ、シンジ。心配しないで・・・でもね、そろそろ」
また、二人で一緒に練習しましょうよ。
先生は、セイカやカリンの演奏だって、まだ聴いてないんでしょ?
三人でコンクールに出るの! 聴きに来て欲しいのっ!
「ん? どうしたの、アスカ?」
「ううん、何でもない ・・・きっとすぐに終わるわ」
「何が?」
「・・・全てが」
碇先生っ!!
アスカの叫びとLNAの行動は、同時だった。
シンジのプラグ・コアを貫くために、LNAは、長い鎌口(りょうて)を振りあげる。
今、まさに、物理的に破壊されんとするエヴァンゲリオン。
その瞬間、奇跡は起こった
辺りを包み込むように表出する緑の閃光(きらめき)と共に・・・
「アドヴァンスド・マルチ・プロテクティブ・AT・フィールド!?
(Advanced Multi-Protective Absolute Terror Field)」
一部始終をモニターから目撃していた日向は、驚きのあまりに立ち上がる。
目の前で起こっている現象は何だ?
何故、 mk.2 に、パワードシステムが働いている?
「ダミー変換の準備は整いました。日向司令、何時でもご命令を」
「待て、長門一尉!! 状況は変った!! 自爆作戦は中止だ!!
mk.2のSSDをノーマルモードへ戻せ!!」
その命令にわずかながらも安堵した表情を浮かべる長門一尉を無視して、日向は考えた。
mk.2には、アダムの特性を参考としたパワードシステムは、塔載されていない。
塔載されていない以上、こちら側から AMP・ATFを張る事は有り得ない。
なのに、実際、迫り来つつあったLNAを瞬時に吹き飛ばした、あのAMP・ATFの力は、一体、何処から・・・
さらに、思案する日向は、戦闘区域における民間人発見の報を聞き、二重に驚く事になる。
正面モニター左方部のポップアップウィンドウに映り込んだその民間人の映像は、日向自身も良く知っている人物・・・ 第二適格者(2QP)、『惣流・アスカ・ラングレー』、その人にしか、どうしても見えなかったからだ。
(いや、違う。現存しているのなら、彼女はシンジ君と同じ28歳だ。あれでは幼すぎる・・・ あれは、アスカちゃんに、似ているだけの全くの別人・・・ だったら、彼女こそは・・・ )
発生する現象を知らず、ただシンジのmk.2だけを必死に心配するアスカの表情を、日向マコトは、モニターを通して、再度眺めてみる。
全ての計器(メーター)は、AMP・ATFが、彼女を中心に発生している
事を指し示していた
(人界に遣わされた約束の使徒? それも Adam's Children (祝福されし者)なのか? 我々が、長年、捜し求め続けていた・・・)
LNAの意識から開放され、司令部との通信を回復させてきた初号機パイロット、碇シンジに対して、日向司令は、「主戦場に紛れ込んだ民間人の少女を、速やかに、そのエントリープラグ内に保護せよ」、といった命令を伝達させた。
『これは、目下継続中のLNA打倒作戦より、まず先に行われるべき
最優先事項である』
長門一尉を除いた司令部構成員、全員が首を捻った日向のその転送命令文の末尾には、簡潔に、そのような一行が付け加えられていたのだった・・・
(そうか、また生き残ってしまったと言う事か・・・ この僕は)
全てが終わった後に、僕は思い出す。
精神世界に侵入して来る使徒(LNA)の攻撃。
そして、その結果として、改めて思い知らされる僕のアスカは、もうこの世には居ないのだという厳然たる事実。
連れて行って欲しかった・・・
せめて夢から醒めないままに、なすすべもなくLNAに倒されていたのなら、こんな・・・
こんな悲しい思いだけは、二度と味わなくても済んだものを ・・・
どうして、あのまま、この僕を倒しておいてくれなかった? LNA ・・・
「L.C.L.? すっご〜い。ちっとも苦しくないのね? 不思議だわ〜 見てよ、これ? 水の中でも文字と映像が浮かんでる〜」
最高機密に触れ、プラグ内に保護した少女・・・琉条さんは、帰還する僕の傍らで少々にはしゃぎ気味だった。
「凄い!」と言う言葉と「見直した!」と言う言葉を交互に連発しながら、制服姿で優雅にプラグ内を泳ぎ漂っているその姿はアスカであって、アスカではない。
「 私ねぇ、今、ようやくにピンと来たんだけどぉ・・・ これって、現代社会の教科書に出て来る守護闘神(エヴァンゲリオン)なんでしょ? しかも、先生は、このエヴァンゲリオンを使って、密かに私達の街を敵の攻撃から守ろうとしていた・・・ だったら、必然的に、先生が第三衝撃(T.I.C. )の英雄パイロットなんだってことになるんじゃない。すごいわぁ。まったく人は見掛けによらないっていうのは、こういう事を言うのね!」
第三衝撃(T.I.C.)の英雄・・・
何時聞いても違和感のある言葉だった・・・
本当の僕は、何時だって、英雄なんかじゃなかったからだろうか・・・
僕はただ死ななかった男であるにすぎないのに・・・
何も言わず・・・ 何も言えず・・・ 戦闘終了後のやるせない虚無感を抱え込んだまま、思考の深遠に塞ぎ込んでしまっているその時の僕の真正面には、唐突なアスカの顔があった。
少しだけ悲しそうな表情(かお)を見せるアスカは、ゆっくりと近づいて来て、見上げる僕を・・・
・・・って、近づく?
えっ!? アスカ???
「・・・無視・・・ しないでよ・・・」
そう言って、驚く僕の首筋に手を回し、見つめ合ったままの唇に触れるか触れないかの軽いキスを2回だけ繰り返す。
一度目のそれは、おっかなびっくりに・・・
二度目のそれは、目を閉じて、ゆっくりと・・・
「どう? これでも無視出来る? 出来るって言うんならやって貰おうじゃないっ!?」
・・・バカシンジ
勿論、その時の彼女は、決してそこまでを言い切った訳なのではない。だけど、上気した彼女が照れ剥(むく)れたかのようにプイと横向く姿を見つめる僕の脳裏には、何だか、そんな懐かしい呼び名の続きさえもが聞こえて来たような気がしていた。
全てが当たり前だった、あの時と同じように・・・
だから、思わず、僕は・・・
アスカ・・・
ついつい、そう口をすべらせてしまった。
初対面で彼女に痴漢と誤解されて以来、「気安く呼ばないでっ!!」と、事ある毎に注意されていた彼女の苗字ではない本名・・・
『アスカ』
今再び、目の前に居る彼女に対して、僕は、その名前を使おうとしている。
心の底から・・・
このアスカは、僕の知っているあのアスカではないというのに・・・
「もう、しばらく言わなくなったなぁ、と思ったら、こんな所で、また言った。
しょうがないわねぇ・・・」
腕組みをしながら、心底、しょうがないわねぇ・・・ という偽り(?)の表情を浮かべて見せた挙げ句、アスカは、突然、「・・・(先生は、)私のことが好きなんでしょう? 隠さなくても良いわよ〜 正直におっしゃいっ! もしそうなんだったら、これからも名前で呼ばせてあげちゃおうと言う特典が付かない事も無いんだけど・・・ どうなの? 呼びたい?」と、とても意地悪そうに尋ね掛けて来た。
僕は少しだけ深く考えてから、呼びたいと正直に答えた。
「・・・そ、そこまで言うんじゃあ、まぁ、しょうがないわよねぇ・・・ これからは、私の事、アスカって、直接に呼んでくれてもいいわよ。もう怒らない! 特別に、先生にだけ許して・あ・げ・る。 」
変態教師から大昇格ねっ!!
そう言って何処と無く勝ち誇ったかのような態度に見えて来る『アスカ』を前にして、僕は、ただ純粋に嬉しかった・・・
だからこそ、こんな台詞だって言えるのだろう、臆面もなく・・・
「僕は変態じゃない・・・ シンジだよ・・・」
後から振り返ってみても、少なくともそれは 28歳の中学校教員が、14歳の自分の教え子に言うような台詞ではなかった。
案の定、その時だって、目を丸くして驚くアスカと、彼女の事を見詰めている僕との間には、珍妙とも言うべき不思議な位相空間(AT-Field )さえもが、(一瞬だけ)形成されてゆく・・・
しかし、その唐突に生じた奇妙な silent field (沈黙空間)は、やがて、彼女自身の本当におかしそうに笑い出す笑い声によって、すぐさまに破られて行ったのだった。
「やっぱり、唐突にシンジじゃ、おかしいかい、アスカ?」
「ううん、違うの。あんまりにも意外な返事が返ってきたんで、ちょっとだけ驚いちゃっただけよ。 ・・・ そっか、ずっと変態呼ばわりしてた事も、意外と根に持ってたんだ・・・ しかも、その代わりって言うのが『シンジ』ねぇ・・・ ふふっ、分かったわ。先生が、そこまで言うんだったら、私だって、ちゃんとそう呼んであげるわよ? シ・ン・ジ ・・・ どう? こんな感じ? 」
その何処となく奇妙に意識したようなアスカの返事と、
そのすっかり安心しきったような満面の笑顔を見る事が出来た時、
僕は、ようやくにして、心の中で、大事な何かが帰ってきたような気が
していたのだった・・・