最終日。今日は下山だけ。ひと晩中吹き付けた風と雨も、明け方には治まり、 テントの撤収に苦労することもなかった。しかし、風よけにテントの横に積ん でおいた雪ブロックは見事になくなっていて、昨日は雪がついていた山荘への 階段は、氷の階段になっていた。山荘までの短い距離だったけどアイゼンを着 ける。下る前に山荘に寄ってトイレを借り、槍沢の下りに入る。視界はガスで 真っ白で、もちろん槍ヶ岳の山頂も見えなかった。 槍沢にはコースを示す赤旗が連続的に立ててあって、それに沿って踏み跡が続 いていた。最初、アイゼンを着けて下ったけれど、ずぼずぼと埋まる雪に足を 取られて歩きにくいのですぐに外した。広々とした槍沢のカールを駆け下り、 槍沢ロッヂのテント場を過ぎ樹林帯に入る。連休後半に入る頃だったので、た くさん人が上ってくる。 いつもなら靴を滑らせて軽快に下って行くリーダーが、上る人のステップを崩 さないように律儀に一歩一歩下っていく。槍沢ロッヂから横尾までは意外に距 離があって疲れた。横尾は涸沢方面との合流地点でもあり、賑わっていた。こ こからはもう林道歩きになる。正月に来たときと比べると、当然ながら雪が少 なくなっていた。途中、林道から河原に道が付け替えられていた。最初、林道 の残雪を避けるためかと思ったけど、その先で斜面が崩れて林道がふさがって いた。再び林道に戻ると、単調な道にザックの重さが肩にずっしりとくる。林 道の樹間からは前穂北尾根の下の方が見えていた。稜線部分にはまだガスがか かっている。 徳沢、明神とそれぞれ休憩を入れて河童橋に到着。相変わらず観光客で賑やか な場所だった。お腹が空いていたので、五千尺ホテルで上高地チーズ入りのか まぼこを購入、晴れてきた穂高連峰を見上げながら食す。リーダーにビールを 飲まないのかと聞くと、これまた律儀に帰りの運転を気にしている模様。そう、 まだこれから車の回収に行かなければならないので、食べるものだけ食べると バスターミナルへと向かう。河童橋を目当てに上高地観光に来ていた頃も、今 は昔。。。だ。 バスで松本電鉄の新島々駅へ。電車に揺られて松本駅へ。松本からはJR大糸 線で大町駅まで。山の下調べはちゃんとしてきたけど、交通機関の下調べは何 もしてなかったので、車内アナウンスで大町駅の到着時間を聞いて耳を疑う。 1時間以上もかかるのか!?しかも1時間に1本くらいのローカル線は満員。 先頭車両の隅に大きな荷物を置いて、隣りで話す女子校生の賑やかな会話を聞 くともなしに聞きながら、大町駅まで立ちっぱなしだった。お腹が空いて仕方 なかった。リーダーはこんなにかかるなら上高地でビールを飲めばよかったと ぼやく。 大町駅に着くと、駅構内のそば屋でそばを食べてからタクシーに乗る。七倉ま でいくらかかるのか不安だったけど、6000円弱で済んだ。七倉の駐車場に 愛車のフィールダーを確認。なんかなつかしい。。。タクシーを降りて車へ向 かっていると、「無事に下りてきたね!」という声がする。振り返ると、行き の時に送ってもらったタクシーのおじさん(趣味は生け花)が笑っていた。自 分たちより1組前の人を送ってきたらしい。ありがとうございます!と答えて 荷物を車に積み込み、葛温泉で4日分の汗を流して帰路についた。
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帰った翌日、リーダーから電話があり、自分たちより2日遅れて北鎌に入った 知り合いから、今、上高地でビール飲んでる♪と電話があったとのこと。自分 たちが3泊4日で行ったところを、2泊3日で行ったらしい(1泊目がP2の 取り付き、2泊目が独標のコル)。。。さすが。 『孤高の人』は、加藤文太郎の最期の部分を読みたくなくて、加藤文太郎が北 鎌に出発する直前の部分まで読んでずっとやめていたんだけど、自分が北鎌に 行くにあたって思い切って最後まで読み切ってしまい、実はちょっとテンショ ンを下げてしまった。まぁでもこれで自分の中での『孤高の人』がいい意味で 完結した気分で、加藤文太郎生誕100年の年に追悼山行なわけでもないけど 充実した山行だった。 |
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