「那須の動乱」参考資料
「那須の戦国時代」北那須郷土史研究会 那須町
「那須町誌」那須町誌編さん委員会 下野新聞社
「那須郡誌」蓮実長著 下野新聞社
「新訂 寛政重修諸系譜 第一二」続郡書類従完成会
「寛永諸家系図伝 第一四」続郡書類従完成会
「郡書系図部集 第四」続郡書類従完成会
「関八州古戦録 上・下」槙島昭武 著・霜川遠志 訳 教育社
「佐竹氏物語」渡部景一 著 無明舎
「戦国関東三国史」学研
「悲運の戦国武将たち 下野の動乱」大森隆司 著 下野新聞社
「日本城郭体系 4」新人物往来社

あとがき
 執筆にあたり、豊臣家や徳川家という有名な家と比べ、資料が少ないのに苦労しました。戦国時代の那須の戦記物としては「那須記」が有名でありますが、入 手困難な書物であるゆえ、同書から引用した本や上記資料などから、さらに近隣諸国などの様々な背景を加味して制作いたしました。
 しかし「那須記」とて、当時の資料から創作した部分も多いと思われ、同じ合戦でも他の資料と比べると、内容が合致しない部分も多々あると聞いています。
 よって、私も数々の資料を元に創作した部分もあります。しかし、それも背景や人間関係を考えた上での予想であります。
 例えば、大田原資清を謀略で追い落とした一人の福原資澄。資料では福原資安となっています。しかし、私が所有する福原家系図には資安という当主は存在し ません。数種類ある那須家系図の一つに、那須資胤の弟である福原資郡は始めは資安と名乗ったとあります。ところが、福原資郡が生まれる前の出来事であった ので、別人であることが分かります。福原家系図で、詳しい説明がされておらず、時代的に合致する人物は福原資澄ということになります。そこで資澄と資安が 同一人物だと考えたのです。
 さらに、本当のことを言えば、伊王野家と大関家が争った理由もはっきりしません。大関家の領土拡大の意図が有力な理由ですが、大義名分が伝えられていな いのです。もっとも、これは資料不足かもしれませんが。
 将来的には、奥州三代を描いたNHKの大河ドラマのように、数代に渡る那須家の話として、大河ドラマになれば良いなと勝手に思っている次第です。ナレー ションを那須与一の霊にすれば面白いかもしれませんね。

平成11年10月13日 伊王野正史 記す

追記

引き続き、資料集めや「那須の動乱」の改訂作業はしております。もっとも時間がある時にしているので、進行はゆっくりで、手元のデー タだけ更新して、HPにはアップしていません。いつか出版したいと考えております。(平成14年6月2日)


那須の一族
 那須の一族について述べておきます。ほとんどの場合、那須家の嫡流以外の男子は分地されて、その地名を姓としています。その名を以下に記しておきます。 但し、同じ姓でも那須一族ではない場合も多々あります。

那須、山内、須藤、森田、佐久山、芋淵(簗瀬)、福原、滝田(瀧田)、堅田(片平)稗田、戸福寺(千本)、伊王野、荏原、味岡、稲沢、河田、沢村、矢田、 熊田、芦野、池沢、金丸、金枝、小滝、大久保、羽田、興野、木須、牧野、山田(資久一代で滅亡)、浄法寺、荻野目、大桶、下川井、川井。

※これら分家の後、さらに分家され別姓となった家は省いてあります。
※大関や大田原は那須家と婚姻関係はあるものの、純粋に那須家より出た家系ではない。
※越後那須氏、美濃那須氏、九州那須氏などの家系からの分家は調べておりません。

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