朝の光のなかで

 

朝の光

1999年12月15日


唐の時代、香厳(きょうげん)という禅の修行僧がいた。香厳は子供の頃より聡明で、数多くの書物やお経を読破していた。あるとき、それまで指導してもらっていた師匠の百丈禅師が亡くなった。自分はまだできあがっていないので、兄弟子に師匠になってくれるように頼んだ。この兄弟子はすでにできあがっていた。

兄弟子が香厳に出した公案は次のようなものであった。

「お前がまだ生まれる前の顔、お前の父も母も、祖父母も生まれる前の顔で私の前に現れて見ろ、そうしたら弟子にしてやる」

香厳は何ヶ月も必死で考え続けたが、どうしてもわからない。自分が今までに学んだ学問や知識も何の役にも立たない。とうとう絶望し、すべての書物を焼いてしまった。この公案を自力で解くことも諦めた。兄弟子のところに行き、「今生で悟りを開くことを諦め、寺も出て行きます。その代わり、どうかあの公案をご教示願いたい」と教えを請うた。しかし、兄弟子は教えることを断った。

「教えてやることは簡単だが、それを教えたところで、お前には何の役にもたたない。それどころか、おまえは教えた私を恨むだろう」

香厳はこの言葉を聞いて、心底、自分に絶望し、寺を去った。もう悟りを開くなどといった大それたことは諦め、どこかの寺で庭掃除でもして、一生を終えようと決めた。何年か、毎日毎日、寺の庭掃除をして暮らしていた。

ある時、いつものように庭を掃いていると、はずみで石ころが転がり、そばにあった竹にあたった。そのとき、「コーン」という音を聞いた瞬間、香厳は悟った。そして、あのとき教えてくれなかった兄弟子に感謝した。あのとき聞いていたら、知識としては入っただろうが、それは公案の模範解答をひとつ知っただけであり、何の役にも立たない。だいたい、公案には「正解」などない。自分で悟ったことが、自分にとっての「正解」になるだけである。兄弟子や師匠と共通の認識に達することもあるが、それとは違っていても一向にかまわない。しかし、本当にできあがっている兄弟子や師匠なら、そのことはわかる。これで禅師が一丁上がりになる。

私が初めてこの「香厳撃竹」(きょうげんげきちく)の話を聞いたのは、高校生の頃であった。ざっと30年ほど前のことである。そのころから、何度も折に触れ思い出してはいたが、「両親も祖父母も生まれる前の自分の顔」というのは、いったいどのようなものなのか、見当もつかなかった。

少し前、「一輪のバラ」を書いているとき、またこの話を思い出していた。

ある日の朝、目が覚めた後、しばらく私の祖父母のことを考えていた。私が直接顔を知っているのは祖父母と、曾祖母までである。その前は、写真すらみたことはない。しかしいたことは間違いない。どんどんさかのぼってゆくと、明治を越え、江戸時代、そしてどこまで行ってもつながっていることにあらためて驚いてしまった。縄文時代でも、さらにその前にも私の先祖はいた。ヒトが突然この地球に現れたわけではなく、元は海で生きていた生物が陸に上がってきた。海の中に生命が生まれるメカニズムがどうなっているのか知らないが、地球上ではそのあたりが生命のスタートなのだろう。しかし、地球ができる以前から、「生命の素」はあったはずである。たまたま地球の上でも「命の素」が活動を始めたにすぎない。では、地球でスタートする以前の「命の素」はどこにあったのだろう。「命の素」というと、何か具体的な物質を想像してしまうが、実際にはそのようなものでなく、「現象」の積み重ねなのだろうと思っている。それはエネルギーであったり、「ゆらぎ」であったりする。

現在の宇宙物理学や天文学では、鉛筆の先ほどのものが大爆発をおこし、それが広がってできたのがこの宇宙の始まりとされている。すべては「ビッグバン」と呼ばれるこの爆発からスタートしたことになる。ビッグバン以前のことは、それこそ人智を越えたものであり、解明のしようもない。想像すらできない。

何はともあれ、この爆発と同時に「光」が生まれた。

朝、布団の中からねぼけたまま、窓から差し込んでくる太陽の光を眺めていると、親や祖父母の生まれる前の自分の顔というのは、この「光」のことではないのかと思えてきた。

これも「梵我一如」なのだろう。


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