書架からぽとり

 

1998年11月頃抜き出したもの


本の紹介というより、それにまつわる雑談のほうが多くなってしまいました。これは「魔法都市案内」でも同じことで、何かを取り巻く諸々の出来事、特に自分自身がそれとかかわったことがあるのなら、その辺りのことを中心に書いておきたいのです。本の紹介と言うよりも、本は「従」で、中心になるのは、いつもとりとめもない話です。


『七つの人形の恋物語』 ポール・ギャリコ 王国社 1,500円 1997/9

Love of Seven Dollsムーシュ(蠅)と呼ばれる人生に絶望した若い女の子と、本人は冷酷無比でありながら、7つの「人格」を使いわけ、7つの人形を操る「人形使い」キャプテン・コックとの物語です。

ここ10年ほど、「多重人格」という言葉を聞くことが多くなりました。しかし、本当にそのような人がいるのでしょうか。ある分野の専門用語がひとり歩きをしてしまい、本来の意味とは違う意味で使われていることが少なくありません。「二重人格」「多重人格」という言葉もそのようなものかもしれません。

「二重人格」や「多重人格」という言葉が世の中に現れるずっと昔から、人はごく普通に、相手や場面に応じて、いくつもの自分を使い分けていました。

妻の前では夫としての顔、子供の前では親の顔、職場ではポストに応じた顔、その他いくつもの顔をその都度切り替えて使っています。ユングの言葉を借りればペルソナです。これは決して悪いことではありません。ペルソナを本当の自分だと思いこむとまずいこともありますが、普通は何の問題もありません。

精神分析の分野で、「二重人格」「多重人格」という言葉を使うとき、上記のようなことを指しているのではありません。相矛盾する性格、しかも相互の矛盾を本人が意識していない場合、「二重人格」「多重人格」と言っています。意識的に使い分けているようなものは、二重人格でありません。

世間一般で、「あいつは二重人格だ」という言い方で呼ぶようなものは実際には二重人格でも何でもないのです。ある人物の一面しか知らなかった人が、何かの拍子に他の面を知ったとき、驚いてそう言っているだけに過ぎません。当人にとっては、どちらも何の矛盾もない「自分」です。

ポール・ギャリコの小説、『七つの人形の恋物語』では、七つの性格、本人の性格も入れると八種類の人格を使い分ける人形使いが登場します。

人形使いであるキャプテン・コックは、普段は冷酷無比で、愛情のかけらもない人間です。しかし、彼が操る7つの人形は、決してそのようなことはありません。いったいどちらが本当なのでしょう。

人形のキャラクターは作られたものであり、キャプテン・コック自身が本来の人格であると思うでしょうが、ほんとうそうでしょうか。舞台で人形を操っているとき、人形とコックの間には薄くて黒い布が間にあります。コックの側からは布を通して、客席や人形が透けて見えています。この薄い布一枚あるだけで、まったく別の人格を演じられるのです。人形はどれも個性的で、大変やさしい子たちです。

コックは7つの人形に生命を与え、自分が彼らを創造した「神」として人形を操っていたはずなのに、いつの間にか、彼自身が黒い布の陰で、そして人形を通してしか生きられなくなっています。主従が逆転してしまうのです。

コックの凶暴で冷酷無比なペルソナは、彼が小さいときから不遇な境遇で育ち、ひとりで生きて来なくてはならなかったことによる仮面であったのかも知れません。そのような仮面を着けていなければ、とっくの昔にこの世から消えていたのでしょう。生き残るために、彼が選んだ仮面が、「凶暴で冷酷」というペルソナであったのでしょう。

かぶっていた重く冷たい仮面が割れ、ありのままの自分を出しても恐くなくなるときがあります。「裏と表」、「闇と光」、「絶望と歓喜」が、写真のネガとポジのように、一瞬にして逆転することがあります。

この本はファンタジーとしても大変よくできた物語ですから、誰が読んでも理屈抜きで楽しめると思います。


『田園の快楽』 玉村豊男 世界文化社 2,427円 1995/2

et ses quatre saisons先日、エッセイストであり、画家でもある玉村豊男氏が大阪にお見えになりました。阪神百貨店で開かれていたワインフェアのゲストです。そこで色々と楽しい話をうかがえました。

玉村氏と言えば、「食」に関するエッセイなどを数多く書いているエッセイストですが、画家としても高名です。大変お洒落な感じの絵が多く、こちらも私は好きです。

この本は、「ヴィラデスト」"Villa d'Est"での生活を紹介したものです。約3,500坪からなる農園と、お住いがあります。場所は日本アルプスが目の前に広がる、長野県の東部町です。

庭にはワイン用のブドウまで植え、様々な野菜も育っています。「終の住処」というには、細かい目立たないところに金をかけた壮大な建物です。天気のよい日は畑に出て、時間のあるときは絵を描いたり執筆をしたりという、本当に誰もが憧れるような生活でしょう。

自分にとって居心地のよい場所、自分が好きなものをまわりに置いて暮らせたらそれが一番です。誰もが玉村氏のような空間を持てるはずもありませんが、私が氏のことを好きなのは、徹底した自分自身へのこだわりの部分です。とりあえず、自分がハッピーと言える状態でないと、何も始まりません。これは執着とも違います。あれがないと自分は不幸だと思っている限り永遠に癒されませんが、今の自分にできる範囲で、カチッとしたものを揃えておきたいということであれば、話はそれほど難しくありません。あればあったでよし、なければないで全然不満はありません。誰かと比べたところで意味はありません。自分にとって一番快適な状態が保てたらそれでよいのです。無理してまで求めても負担になるだけです

自分の好きなものを徹底して紹介しているうちに、だれか好みが一致する人が出てくるものです。そのような人と、喜びを共有できればそれで十分です。玉村氏の本は、一歩踏みはずすと、ただの自慢話で、嫌味なものになってしまうのですが、自分にとってのこだわりであることが第三者にもわかるので、それほど嫌味と感じられないのでしょう。

またこの本には、簡単に作れる料理のレシピも紹介されていますが、先日の講演で、即席のローストビーフの作り方を教わったので紹介しておきましょう。確か、「ステーキローストビーフ」と仰っていました。

普通、ローストビーフを家で作ろうと思うと結構大変です。大きな肉のかたまりを買ってきても、火加減を失敗するとうまくできません。温度や時間をどのくらいにすればよいのかは、肉の大きさによっても変わってきますし、何度か失敗をかさねて、経験を積まないとうまく作れません。そのため、よほど料理が好きな人でもない限り、家でローストビーフを焼くことはないと思います。しかし、先日教わった方法だと、ほとんど失敗がなく、おまけにフライパンでできてしまいます。(笑)

肉はごく普通のステーキ用のものを買ってきます。厚さが1センチから1センチ半くらいのものです。これの裏表を焼いた後、しばらく冷まします。その間に、中までゆっくり熱が加わり、ミディアムレアくらいの状態になります。冷めてきてら、それを薄く切っるだけです。(笑) すると、中はほんのりピンク色で、外は焦げてカリカリした部分もあり、一見すると本物のローストビーフに見えるそうです。

ソースは好みで何でもよいのですが、日本酒を使ったソースを教わりました。1合ほど鍋に入れて、1/4くらいになるまで煮詰めます。そこにバルサミコと醤油をちょっと入れると、どんな肉にもよく合うソースができるそうです。これならすぐに作れそうでしょう?

最後は本の紹介なのか、料理の紹介なのかわからなくなりましたが、クリスマスのときなど、ホームパーティにも重宝な料理です。


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