魔法都市日記(52

2001年3月頃


キングコングの逆襲
ユニバーサル・スタジオ・ジャパンの入り口近くにいるキングコング ?

例年なら3月は一年で一番ゆっくりできるのだが、今年は4月からの仕事が近年にないほど詰まっている。その準備もあるため、まとまった休みは取れなかった。しかし2月までのような緊張感はないので、小旅行に行ったり、3月31日からオープンしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の入り口にできたシティ・ウォークに行ったりと、近場ではよく遊んできた。


某月某日

「自動人形師ムットーニ展」に行く。

「ムットーニ」を知らない人は、名前だけを聞けばイタリア人と思うかも知れないが、本名、武藤政彦氏という日本人である。 元来、武藤氏は画家であったのだが、十数年前から人形を作りはじめ、とくに近年、注目されている。私は1、2年前、武藤氏の作品を本で見てから大変興味を持っていた。今回大阪で作品展が開催されたので、はじめて生で見る機会を得た。

大丸ミュージアムの中に作られた会場に入ると、照明は落とされ、作品だけが薄暗い部屋の中で浮かび上がっていた。順に見ていくうちに、突然奇妙な懐かしさを感じ始めた。子供の頃、夜中にふと目が覚め、おもちゃ箱をのぞくと、箱の中でブリキの人形が楽器を演奏したり、愛を語ったりしている場面を目撃したような気分と言えば一番近いかも知れない。これは人形が、見た目にはそれほど精巧なものではなく、子供の頃遊んだブリキのおもちゃに似ているせいもあるのだろう。

自動人形といえば、江戸時代からある「茶運び人形」に代表される「からくり人形」か、18世紀から19世紀のヨーロッパで作られたオートマタを思い浮かべるかも知れない。しかしムットーニ氏の作り出す自動人形はどちらとも異なっている。

からくり人形にしてもオートマタにしても、当時これらが人気を博したのは電池やモーターのない時代に、人形が人の手を離れて動いたからであろう。人形には誰も手を触れていないのに、目の前まで茶を運んできて、茶碗を取りあげると止まり、飲み終わった茶碗を人形の持っているお盆に乗せると向きを変えて戻って行く。江戸時代にこのようなものを見せられたのだから、当時の人が驚いたのも無理はない。オートマタでよく知られている「手紙を書く人形」も、同様に当時の人を驚かせたことは想像に難くない。今ではコンピューター制御で動くAIBOと呼ばれる犬や、2足歩行のロボットまであるのだから、人形が少々動いたくらいでは誰も驚かない。ムットーニ氏の自動人形は、人形が動くことで人を驚かせるという目的で作られたものではないのだ。

ナイト・アフター・ナイト動いたほうが、ムットーニ氏自身の頭の中で作り上げている場面のイメージが、より立体的に表現できるから、動いているのだろう。

武藤氏は、自分の描いた絵の中に出てくる人物を実際に動かしたいという衝動にかられたのが動く人形を作りはじめたきっかけであったそうだ。またある場面、それは場末の酒場であったり、公園の片隅であったりするのだが、そのような一場面を平面として切り取るよりも、音や照明を交えることで、より立体的に自分のイメージを具現化することに興味を覚えたのではないだろうか。

先にも触れたように、ムットーニ氏の人形は、見た目はさほど精密なものではない。裏では大変に微妙な動きを実現するためにさまざまな工夫が凝らされているのだろうが、表面上はどちらかと言えばチープであり、ブリキのおもちゃとかわらない。そのような人形と背景を使い、そこに音楽と照明を加えることで、日常、私たちが経験している場面の中から、ある一瞬を切り取って見せてくれる。

ほとんどの作品は自動で照明や音楽、人形の動きまで制御できるようになっている。この日はムットーニ氏自身が会場に見えていたので、ご自身で作品を動かしながら、その作品を作るに際し、思い浮かべたストーリーを開示していただいた。これを聞きながら作品を見るのと、知らないで見るのとでは、まったく印象が異なってしまう。このあたりが作品を見るおもしろさであり、難しさなのかも知れない。ムットーニ氏はこのような展示会では、今回のようにストーリーを話しながら人形を動かしたり、自分でトランペットやギターを演奏しながら、作品を紹介することも好んでなさっているようだ。

人形自体は、ムットーニ氏からストーリーをうかがう前も後も変わりなく動いているのに、話を聞いた途端ただの人形ではなくなり、魂をもった一個の人間として存在しているように見えてくる。対象物自体は同じでありながら、ちょっとした一言でがらりと意味が変わってしまう。人間は常にこの世を自分のフィルターを通して見ているのは当然としても、同じものがこちらの気持だけで、まったく別のもののように見えてしまうのが不思議であり、驚きでもあった。

ムットーニ氏が、観客に気づかせたいのは、このあたりのことではないのだろうかと思えてきた。

「自動人形師ムットーニ展」

2001年3月29日(木)〜4月10日(火)
大丸ミュージアム・心斎橋 (大丸心斎橋店7階)
入場料:一般700円・高大生500円・中学生以下無料

某月某日

「ルドルフ・シュタイナー 100冊のノート展」を見るため、大阪の「南」、難波に行く。

会場となっている「キリンプラザ大阪」は戎橋(えびすばし)のたもとにある。「食い倒れ人形」や「かに道楽」の巨大なカニ、グリコのネオンサインなどがあるこの界隈は、心斎橋とも一本の商店街でつながっており、戦前から大阪で最も賑やかな一帯であった。ここ30年くらいは大阪駅の近辺、通称「北」と呼ばれる辺りに人が集中している。しかし、「北」がビルや地下街中心であるのに対し、「南」は昔と同じように、地面の上に一軒一軒店がある。そのため街全体がごった煮のようで雑然としているが、人々のエネルギーがストレートに伝わってくる。数年ぶりに来てみると、以前よりも活気があり、若い人も多い。「北」よりも面白いかも知れない。

道頓堀川にかかっている戎橋は通称「ナンパ橋」と呼ばれている。日曜の昼間でもあり、橋の上はごった返していた。記念に若い女の子に声でも掛けて行こうかと思ったが、物色しているうちに会場に着いてしまった。シュタイナー展についてはすでに「煩悩即涅槃」に書いておいたので、興味のある方はお読みいただきたい。


ジョニー君シュタイナー展の後、帰りがけにもう一度橋の上を渡ると、大道芸人や、手作りの小物、自作の詩を売る人が20組ほど出ていた。紙でできた人形が命令ひとつで飛び跳ねたりお辞儀をしたりする「ジョニー君」も販売されていた。魔法都市案内の中でもだいぶ前から紹介してあるのだが、どこで買えるのかという問い合わせが今でも多い。梅田の地下街でもたまに見かけるが、いつも決まった場所で販売していることはなく、人の集まりそうなところを時期に合わせて移動しているのだろう。戎橋の上でも、日曜にはいつもいるのかどうかはわからない。

それにしてもこれはタネを知っていてもまったく仕掛けは見えない。今回はめずらしくジョニー君をふたつくっつけた状態で踊らせていた。

値段は500円であったから、ここ10年以上、まったく値上げしていないようだ。外国人が街頭で、指輪などアクセサリーを販売しているのをよく見かける。あれはどこかに親方がいて、そこから仕入れているのだろうが、この「ジョニー君」もどこかに卸元があって、そこから購入して販売しているのだろうか。この種の街頭での商売は何かにつけてトラブルも多いため、勝手に自作して販売するのはクレームがつきそうな気もする。

something interestingに「ジョニー君」の紹介があります。


オウム

他に珍しいものでは、芸をする白いオウムがいた。でんぐり返りやバンザイもやってくれる。このオウムを手や肩の上に乗せて、一緒にポーズを取ると、おじさんがポラロイドカメラで写真を撮ってくれる。料金は「気持ちだけ」でよいと書いてあったが、一体いくらなのだろう。私は手持ちのカメラで撮らせてもらったので、本当に「気持ちだけ」箱に入れてきた。愛想のよさそうなおじさんだったから「気持ちの多寡(たか)」は問題ではないようだ。

橋の中央では、ギターやハーモニカ、背中にはドラムを背負い、ビートルズや沖縄の歌を演奏しながら歌っている外国人のおじさんがいた。投げ銭を入れるのに使っているギターケースの中を見ると、見覚えのあるスケッチブックが目にとまった。一見普通のスケッチブックに見えるが、「カラーリングブック」と呼ばれるマジックの道具である。最初、まっ白であったスケッチブックをはじくと線書きの絵が現れ、さらに色も着く。小さな子供に見せるとよくうける。ギターケースの中に、こんなのが入っているということはきっとマジックもやるのだろうと思い、たずねてみた。

手品もするおじさn

すると、マジックは本格的にやっているわけではなく、集まった客によってごく簡単なものを2、3見せる程度だと言っていた。今回は、お札を筒状にして、中からシルクを取り出す、ごく簡単なものをひとつだけ見せてくれた。確かにマジックは歌ほどはうまくない。


食べ物に関しては、このあたりは安くてうまい店がそろっている。どこかで昼食を食べたいのに、ありすぎて目移りしてしまう。決めかねていたら、この近所に「自由軒」があったことを思い出した。

自由軒ここに来るのは5、6年ぶりだろうか。店ができたのが明治43年、織田作之助が小説「夫婦善哉」の中でここのカレーを登場させていたのが昭和15年である。そのようなことを知らなくても、一歩店の中に入れば誰でもタイムスリップしたような錯覚に陥るだろう。壁には年代物の時計や絵、写真、数々の有名人のサインなどがあり、大正から昭和初期の空気が漂っている。

空いている席に座ろうとしたら、「横並びにお掛けください」と声を掛けられた。四人掛けのテーブルに二人で座るときも、向かい合わせでなく、横並びに座らなければならないようだ。アメリカで、大衆食堂のようなレストランやライブハウスに二人で入ると、たいてい向かい合った位置に座らされる。食事をするとき、正面の位置には知らない人がいるより、知人のほうがよいに決まっている。話をするにもそのほうが自然なのだが、ここは大衆食堂であり、客の回転もよくしなければならないので、隣同士の位置に座らせた方が効率がよいのかもしれない。

作之助が好んで食べた「名物カレー」は、一見ドライカレーのようだが、それともちょっと違う。一般的なドライカレーよりもずっとしっとりしている。また、普通のカレーほどは柔らかくはない。おそらくこの店独自のカレーソースをご飯とよく混ぜてあるのだろう。それを皿に平らに盛り、中央を少しくぼませたところに生たまごがひとつ乗って出てくる。黄身だけでなく、白身もそのままである。どうやって食べてもよいのだが、昔からの常連は、たまごにウスターソースを少しかけて、たまごとご飯がよく混ざるように、しっかりかき混ぜてから食べている。

名物カレー

以前食べたときはそれほどおいしいとも思わなかったのに、今回はどういうわけか大変おいしいと感じた。これだけ古くからある店だから、この数年の間に調理法や味付けを変えたとは思えない。私の味覚が変わったのだろうか。パサパサしたドライカレーでも普通のカレーでもなく、その中間のようなものなのに、味も濃度も微妙なバランスが取れている。癖になりそうなくらい後に引く味であった。

「名物カレー」:600円 (2001年3月現在)

住所 : 大阪市中央区難波3−1−34
地下鉄御堂筋線なんば駅11番出口より 徒歩5分 千日前中央通り沿い、プランタン向かい
電話 : 06-6631-5564
営業時間 : 11:20〜21:20   月曜日定休  

某月某日

心斎橋の東急ハンズで亀井明夫氏の「からくり箱」を見る。

箱根細工のひとつに「秘密箱」と呼ばれるものがある。箱の側面をあちこち少しずつずらせてゆくと隠れていた扉が開き、小さな引き出しが出てくるようになっている。動かす回数は箱によっていろいろである。数回程度で開くものから百回以上動かさないと開かないものまである。この種の箱もパズルの一種ではあるのだが、根気よくやっていればそれほど難しいものではない。今回、東急ハンズに展示されていた亀井氏の「からくり箱」や「からくり創作研究会」の作品は、これとはまったく違い、パズルというよりもマジックに近いと私は感じた。

よくできたパズルは、一見やさしそうに見えて難しかったり、逆に大変難しそうに見えるものが実際は簡単であったりする。難しそうに見えて難しいものや、簡単そうに思えて本当に簡単なものはパズルとしてはつまらない。亀井さんも昔は箱根細工で秘密箱を作っておられたようだが、それだけでは飽きたらず、1981年に独立され、「安兵衛」という名でさまざまなデザインや原理を使った「からくり箱」を製作されている。国際的にもこの分野では高名であり、数々の賞も受賞されている。

亀井さんの作品をひとつ紹介しておこう。たとえば右の写真のような、コーヒーカップ、受け皿、スプーン、角砂糖のセットがある。このカップと皿はこのままでははずれない。あることをすると、カップと皿が離れて、カップの底から小物が入れられるような口が開く。このコーヒーカップのセットは数年前、偶然大阪のキディランドでみつけて、二万六千円で購入したのだが、現在は製作されていないそうである。亀井さんはこれからもこのセットは作るつもりはないので、持っている人は大切にしておいたほうがよいと売り場の担当者から聞いた。

今回、何点か新しいものを欲しかったが、開催期間中、予約して製作してもらうことはできても、その場で購入できるものは種類が限られていた。下の「タマゴ」は在庫が数点あったのと、シンプルな割にはおもしろそうなのでこれに決めた。(10,000円)

タマゴ

このタマゴは中央から二つに割れ、さらにひよこが出てくる。見た目は大変シンプルなのに、海外でのこの種のマニアが集まる会があったとき、この「タマゴ」だけは最後まで開けられなかったそうだ。実際には大変簡単であり、小さい子供などが簡単に開けてしまうこともあるのに、原理を知り尽くしているマニアが逆に開けられないというのは、妙におもしろい。マジックでもマニアを引っかけるためのものがある。すでに数多くのマジックを知っているマニアは、現象を見ただけで大抵途中で結果までわかってしまう。それを逆に利用することで、マニアを引っかけるためのマジックもある。それと同じようなことかも知れない。

展示してあるもののうち、何点かは会場でも試してみることができた。私もやってみたが、結局どれも自力では開けることができなかった。タマゴの場合、二つに割れた後、さらにある場所からひよこが出てくるようになっている。私はひよこが入っているのを知らなかったため、後日、知人から聞いて、チャレンジしてみたら、こちらはすぐに見つけることができた。

今回、東急ハンズでは亀井さん以外の方の作品もあり、全部で30種類くらい展示されていた。「からくり創作研究会」という会があり、この会のメンバーの作品も同様に巧妙な仕掛けになっている。どの作品も、制作者のいたずら心が伝わってくる。マニアに「まいった」と言わせたくて情熱を注ぎ、アイディアを絞り出している様子などを想像すると、マジックのマニアが新しいマジックを考案しているときと違いはない。ただ難しいだけのものならいくらでも作ることはできるが、やり方がわかれば実際は大変簡単なのに、それが見つけられなくて悩んでいる人を見るときが制作者にとって至福の時間なのだろう。マジックをやっている人も、いつもおなじようなことをやっているから、その気持ちはよくわかる。購入すると、簡単な解説は付いているが、それはすぐには読まないほうがよい。ものによっては意外なくらい簡単に開く場合もあるだろうが、開かないものはどうやってもできないこともある。他の人はみんな開いているのに、自分だけがわからないのはくやしいが、あるとき、突然できることがあるので、その楽しみを味わうためにも、解説書はすぐには読まないほうがよい。

「からくり箱」の内部には一部金属が使われていることもあるが、目に見える部分はすべて木製で、大変ていねいに造ってある。制作者のいたずら心と同時に温かみも伝わってくるため、つい手にとって撫でてしまう。

「からくり箱の世界」へジャンプできます。

某月某日

レストランで食事をしているとき、同席している人からマジックを見せて欲しいと頼まれることがある。他のテーブルから目立たない位置にあるのなら、ちょっとした小物を取り出すこともあるが、三つ星クラスのレストランで食事をしているとき、カードやコインを取り出すのは私の趣味ではない。またこのような店は従業員の気配りもよく行き届いているため、見ていないふりをしていても、常に見られていると思っておいたほうがよい。

今回、宿泊先のホテルにあるレストランで食事をしているとき、同伴者からスプーン曲げをやってみせて欲しいと頼まれた。この店で使われているような銀製の太いスプーンを本当に曲げようと思えば、ちょっとした準備がいる。あいにくその道具は持っていなかった。しかし、道具を持っていないから曲げられないとは言えない。

「このスプーンは1本、数万円はするよ。こんなのを曲げたり折ったりしたら、今後この店には出入り禁止になるからできないよ」

この苦しい言い訳に、同伴者も笑いながら納得してくれた。

しかしこの直後、私はスプーンをテーブルに押しつけ、力ずくで90度に曲げた。

「Mr.マリックでも、他のマジシャンでも、スプーンを曲げることはみんなやっているけど、スプーンなんて力を加えれば、誰にでも曲げられるよ。でも曲げたスプーンを元にもどすのは、あの人達にはできないんだ」

この直後、90度に曲がったスプーンをもう一度元の状態にもどしてみせた。それを見たとき同伴者の口から小さな悲鳴が上がった。

見せる側からすれば、今のような場面こそが、このスプーン曲げを見せるのには願ってもない状況なのだ。これ以上の「舞台設定」は考えられない。相手が私の言葉に納得し、油断した瞬間、技を掛けると見事にかかってくれる。

スプーン曲げには数多くの方法がある。今回見せたものは「オンラインマジック教室」で紹介しているくらいだから、大変基本的なものにすぎない。スプーン曲げとしては最も古くから知られている方法である。そのようなものであっても、今回のように、場所や状況しだいでは十分な効果があるものなのだ。

このスプーン曲げを見せる状況やタイミングとしては、今回のようなものがベストであろう。トリック自体はどれほど簡単なものであっても、T.P.O.次第では予想外の効果を上げることを知って欲しい。偶然都合のよい状況に遭遇した場合、それを逃さないことは重要である。しかし見せる側が、あるトリックを演じるのにベストな状況を意識的に作り出すことも、マジックを見せる醍醐味となる。マジックの本当のおもしろさはこのようなものに尽きると思っている。

このスプーン曲げに限れば、私は今回のような状況以外で見せることはない。 このスプーン曲げは、マジックとしてはごくささやかなトリックにすぎない。そのようなものであっても、これを見せるために相手を選び、わざわざ三つ星クラスのレストランに行くなどと言えば正気の沙汰としか思えないだろうが、「道楽」というのはそのようなものなのだ。

某月某日

3月下旬、東京方面に小旅行に行く。出発日の数日前、現在東京にいる友人のF氏からメールが届いた。彼とはメールの交換も年に数回といった程度しかしないのだが、いつも奇妙なくらいにタイミングよく連絡をもらう。

昔から興味の対象や美意識が私とよく似ている。そのせいか、私が興味を持ちそうなものをよく知ってくれていて、おもしろそうなものを見つけたときはこまめに教えてくれる。ありがたいことだ。また、私が何かに心をひかれているときや、気になることがあるときも、まるで私の心の中を読んでいるのではないかと思うようなタイミングでメールを送ってくれる。興味の対象が似ていると、このようなことも起きるのだろうが、シンクロニシティーって本当にあるのかしら、と思ってしまう。

今回は、テレビでやっていたマジックの番組で気になることがあった。そのことを考えていたら彼からメールが届き、翌日には別の知人からもメールが届いた。計ったようなタイミングで種明かし問題についてのメールが立て続けに来たので、3人で会うことにした。大阪に帰ってからも、このことである方と電話で話しあう機会があり、いろいろとご意見をうかがえ、私も今まで気がつかなかったことを指摘してもらい、それなりに有意義であった。そのとき話したことはここではまだ書きにくいこともあるので、手短に今の私の「気分」だけでも書いておきたい。

テレビでマジックの種明かしをすることについては賛否いろいろとある。ざっと大きく分けても肯定派、否定派、無関心派とあるが、立場によって大きく変わってくるのは仕方がない。種明かしをされることで実際に生活が困る人もいるのだろう。また逆に、種明かしをしてもらったほうが、商品が売れるので歓迎という人もいる。金銭的な利害には直接関係はなくても、自分がいつも人に見せているマジックを種明かしされたら、それを見せにくいので困るという人もいる。また、種明かしをすることで普及になるので、賛成という人もいる。

種明かしを中心にしたテレビ番組は今に始まったことではなく、40年以上前からあった。昔はそのような番組に出演する人は、他のマジシャンのことを考慮し、番組の中で紹介するマジックについてはそれなりに神経を使って選んでいた。番組自体のコンセプトも、マジックをこれから始めたい人に、きちっと指導するという主旨で作られていた。今でもそのような目的で作られている番組はたまにある。このようなものはほとんど問題にならないのだが、近ごろはタネを暴露することだけに主眼を置いたものが増えている。番組自体の主旨も、芸能人のスキャンダルを暴くのと同じレベルで製作されている。他人の秘密を露出することで視聴者の興味を引くといった、なんとも低俗なものである。

この手の番組は、他人のアイディアや、昔からマジックの世界に伝わっている共通の財産を勝手に暴露することでビデオや番組を作るのだから、たいした苦労もなく作ることができる。おまけにこういったことを平気でやっている連中は、「マジックの普及のため」、「マジシャンに新しいネタを考えて欲しいから」と厚顔にも言っている。こういうのを「盗人猛々しい」と言うのだ。

私自身にとっては、テレビで何が種明かしされようがまったく何の実害もない。しかし、友人、知人の中に、この種の番組を見てしまい、マジックを見る楽しみを奪われてしまったと嘆いている人が少なくなかった。テレビというメディアは、知りたくもない人にまで情報を押しつけてくるぶしつけなところがあるのは今に始まったことではないが、この種のメディアは、人心の荒廃に比例して一層醜悪さが際立ってくる。種明かし番組に限ったことではなく、とにかく昨今のテレビ業界の醜悪さには目を覆いたくなるものがある。

マジックのネタバラシをどこまで許すのかなどといったことは、やろうと思ったところで明確な線引きなどできないことはわかりきっている。関係者の良識にまかせるしかない。

話が逸れるが、アメリカでは州によって法律や条令が異なっているため、ときには信じられないようなものがある。

「犬を木に登らせてはならない」、「ライオンを連れて映画館に入ってはならない」、「牛乳に小便を入れてはならない」、「ヘビを首に巻いて電車に乗ってはならない」等々、呆れるようなものがいくらでもあるそうだ。

条令でライオン云々と明記しなければならないのは、ペットとして飼っているライオンを連れて、実際に映画館に入ろうした人がいたからだろう。マジックでもそのうち、種明かししてはならない項目として、「リンキングリングのキーはダメ」、「カードのセンターディールはよいが、セカンドディールとボトムディールはダメ」、「ロープカットでは、Encyclopedia of Rope Magicの102番と853番は許可するがそれ以外はダメ」といったことになるのだろうか。

アイディアの問題にしても、「これは私が1985年3月1日に登録したものだから、これを使ったとみなされる一切のマジックを禁止する」といったことを主張する人も出てくるかも知れない。 何とも無粋な時代になったものだ。

マジックという芸は元来「おとなの遊び」なのだ。何もかもわきまえたおとなが、道楽として楽しんでこそ妙味がある。

★今回の「種明かし問題」に関しては、「ラウンドテーブル」にも関連記事があります。


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