魔法都市日記(57

2001年8月頃


メリケンパーク
ポートタワーと海洋博物館

8月も末になると幾分過ごしやすくなったが、上旬、中旬は7月同様、連日35度近くあった。夜になってもいっこうに涼しくならない。

午後10時過ぎ、携帯電話で話しながら歩いていると、「バチッ」という音と共に電源が切れた。スイッチを入れ直しても、画面が消えたりついたりして安定しない。翌日ショップで調べてもらうと、水が入り、ショートしていると言われた。しかし、水に濡らすようなことは何もしていないはずである。どうにも腑に落ちない。手の汗が電池ケースの隙間からしみ込んでショートしたのだろうか。 携帯も壊すほどの暑さにはいいかげん参ってしまう。

8月は仕事柄忙しいのだが、今年はお盆の前後、8日間休みが取れた。夏にこれほどまとまった休暇が取れることはめずらしい。いろいろと行ったので、今月行ったところをリストアップしたら呆れるほどになっている。全部書き出して、コメントを付けたらそれだけで普段の日記の数倍の量になった。大幅にカットして、めぼしいところだけ書いたのだが、それでも今回は多い。忙しいと言いながら、これだけあちこち出歩いていると、本当に仕事をしているのか疑われるかも知れない。


某月某日

ミッキーのかき氷ディズニーのキャラクターが氷の上で繰り広げるショー、ディズニー・オン・アイスを見る。大阪の公演は、先月デビッド・カッパーフィールドの関西公演があった大阪城ホールである。大阪だけの公演日程を比べても、デビッドの3日間に対して10日もある。これが連日満席になるのだからディズニーのキャラクターが子供を引きつける力には驚嘆するばかりである。

観客の大半は小さい子供連れであり、若いカップルや年輩の人だけという組み合わせは大変少ない。会場の外にも多くの店が出ていた。販売されているものはミッキーやプーさんなど、人気のあるキャラクターになっているとはいえ、何でこれほど高いのか、財布を開くたびに手が震えてしまう。炎天下、暑いからかき氷を買ったら、これがなんと1800円! 180円ではない。容器がミッキーの顔になっているだけで、中味は大阪城公園の売店で売っているものとかわりはない。これなら250円で買える。ポップコーンもキャラクターが印刷されているバケツに入っているだけで1300円である。映画館の売店も高いが、それでも300円程度だから、あのバケツが1000円もするのかと思うと、どうにも理不尽な思いがぬぐいきれない。 (左の写真が、かき氷の容器)

それでも飛ぶように売れていた。本当に日本は不景気なのか?

ショー自体はどうってこともないのだが、おなじみのキャラクターが出てきて、滑ってくれたらそれだけで小さい子供達は大喜びしている。子供がこれほど喜ぶのなら、これはこれでよいのかも知れない。大人の鑑賞には堪えられないが、毎年子供は生まれてくるので、このようなものでも20年近く続いているのだろう。

某月某日

梅田と心斎橋は地下鉄で行けば15分程度の距離である。ふたつの大丸で、ちょっと不思議なものを見せてくれるイベントがあった。

「トリックで遊ぶ 不思議の国の科学館」
大丸ミュージアム・心斎橋店 2001年8月23日−8月28日

「 光と音で遊ぶ 不思議の国の美術館」
大丸ミュージアム・梅田店 2001年8月23日−8月28日

私にとってはどちらもそれほど目新しいものはなかったが、2、3年前に見たときわからなかったもので、今回あっさりと解けたものがあった。

それは高さ70センチ程度の小さなドアを使ったトリックである。これは人気があるようで、今回もこのドアの前には人が大勢集まっていた。一見するとごく普通のドアなのだが、開けようとしても開かない。案内役の女性は、まったく力も入れずにドアのノブを廻すだけで、簡単に開け閉めをやっている。ところが実際にやってみると簡単には開かない。これがなかなかよくできていて、私もわかるまで数分かかった。わからない人はどうやってもわからないようだ。一緒に行った友人はこのドアの前から離れなくなってしまい、15分ほど貼り付いていた。

わかる人は、意外なくらいすぐにわかるようだ。しかし、原理がわかっても、露骨にやると見ている人に気づかれるので、多少の演技力がいる。係りの女性はそれがうまいため、大抵の人は気づかない。私も開けるときは協力して、別のミスディレクションを使ったら、それ以降、10人くらいの人がみんなある場所を見るため、おかしかった。

普段、絶対にマジックのタネを教えてくれるなと言っている友人なのだが、今回はどうやったら開くのか教えろと、しつこくくいさがってきた。開け方がわかるまでここから離れないと言う。しょうがないので教えたら、「そんなのインチキだ!」とぼやいていた。これがミスディレクションの威力というものである。

もしどこかでこのドアを見て、開け方がわかっても、露骨にはやらないように。ヘタにやると、見ている人にもわかってしまい、興ざめする。

某月某日

お盆休みに、友人がアメリカの地方都市で過ごしてきた。電話帳で調べると、マジックショップが見つかったので、行ってみることにしたそうだ。日本では名前も聞いたこともない店である。田舎町にある小さなショップなのだろうと思い、何の期待もしていなかったそうである。ところが実際に店に行くと、ニューヨークにあるマジックショップの老舗、タネンの倍くらいの広さがあり、品揃えも豊富で、マニアやプロもよく遊びに来るような店なのだそうだ。

店の中で主人からいくつかのマジックを見せてもらい、それが一段落したころ、店主の母親が現れた。店の奥にあるミーティングルームに案内され、そこである人と会わせてくれるという。

「これはトップシークレットよ。今奥にいる老マジシャンは偉大な方なの。マクドナルドのドナルドさんよ」

マクドナルドのドナルド……って、だれ?

誰のことか、わかるだろうか。私がこの話を聞いたのは、朝一番のメールであった。まだ寝ぼけたままの頭では、誰なのかピンと来なかった。

最初に浮かんだのは、ダイ・ヴァーノンが紹介した片腕の手品師、「マクドナルドのフォーエース」にその名を残しているあのマクドナルドかと思った。でもあれって、実話なのか?元々ギャンブラーで、ポーカーをしているとき、いかさまを見破られ、腕を切り落とされたという片腕のギャンブラーである。その人がいるというのだろうか?

それともドナルドって、もしかしてドナルドダックの着ぐるみに入った第一号の人という意味なのだろうか?

メールを出して確認してみると、実際にはどちらでもなく、ハンバーガーのマクドナルドのドナルドさんなのだそうだ。と言われても、マクドナルドの店にいる、ピエロのような格好をしたドナルドくらいのものしか思い浮かばない。あのドナルドのことなのだろうかか?あのピエロのようなマスコットは日本ではドナルドと言っているが、実際にはロナルド"Ronald"である。ロナルドだと日本人には発音しにくいため、日本だけ、ドナルドと呼んでいるはずである。

アメリカでのマクドナルドの第1号店は1955年にシカゴでオープンした。ひょっとすると、この創業者かも知れないと思い、日本マクドナルドに問い合わせてみると、創業者はレイ・クロック氏といい、ドナルド氏ではないことがわかった。

友人もそのあたりのことはよくわかっていないため、あのじいさんはいったい誰だったのだろうと、今頃になって不思議がっている。

追加情報(2001/9/17): この日記をアップロードしたら、数時間後に静岡のE君からメールをもらい、マクドナルドの歴史について教えてもらった。ロナルドという、日本ではドナルドと言われているあのキャラクターだが、マクドナルドの創始者はロナルド兄弟なのだそうだ。レイ・クロック氏がこの兄弟がやっていたバーガーショップのシステムに感動し、これを大々的にやればビジネスになると思い、兄弟からノウハウを買い取り、現在のマクドナルドを創ったそうである。

それにしても日本マクドナルドの広報でさえ知らないことを、高校1年のE君が知っていて、早速教えていただけたことに驚くと同時に、あつくお礼申し上げる。

某月某日

3、40年前、神戸の六甲山から神戸港を望む眺めは100万ドルの夜景と言われていた。山の頂上から見ると、東は芦屋、西宮、尼崎、大阪まで、南から西にかけては神戸港、淡路島まで360度のパノラマが展望できる。神戸は海と山が接近しているため、海から離れるとすぐに高台になる。頂上まで行かなくても、異人館のある辺りでもすでにだいぶ高くなっているため、港のほうを眺めれば夜景が美しい。

阪神大震災の年、亡くなった方々の鎮魂と神戸市の復興を兼ねて始まったルミナリエは、クリスマス前の風物詩として今ではすっかり定着している。これが好評なせいか、今年から夏の夜にも光を使ったイベントが始まった。

クロモリット

特に今年はメリケンパークを中心にいろいろな催しが行われた。中でも一番の目玉は、光の絵画「クロモリット」である。クロモリットというのは、フランス人のパトリス・ワルネル氏が考案した、光を使ったアートである。

神戸の海岸沿いにある旧居留地には、100年以上前に建てられたものや、商船三井ビルディング、海岸ビルなど、レトロでファッショナブルな建物が数多く残っている。このような古い石造りの建物が、夜になると一瞬にして何色ものペンキを塗ったように、色鮮やかに変化する。ライトアップで一色に染まるのならわかるが、窓枠や細かい部分まで、何色も使い、きちんと塗り分けたようになっている。夕方までまったくふつうの建物であったのに、スイッチが入ると瞬時にビル全体が彩色される。

いったいどうやっているのか、原理がわからなかった。パンフレットを見ると、一度建物の写真を撮り、そのネガに写っている窓やドア、その他細かい部分に色をつけ、それを建物に照射することで、このようなことができるようである。

日本で本格的にクロモリットを行うのは今回の神戸がはじめてであるため、まだ十分とは言えない部分もあった。クロモリットが施される建物の周りは、なるべく余計な光がないほうがよい。花火の場合、周りに建物があるところでは、その時間だけは消灯してくれるような協力態勢が整っている。クロモリットは比較的暗い場所を選んで行っているが、それでも向かいのビルが明々とライトをつけているところもあり、そうなると色がぼやけてしまう。

店の都合もあるだろうから、すぐには無理かも知れないが、これが定着すれば賛同して、消灯に協力してくれる建物も増えてくるかもしれない。

山手の異人館が数多くある一帯では、日没後、30くらいの建物にライトアップが施されている。夜、散歩がてらにぶらつくだけでも楽しめそうだ。

クロモリットは7月18日から8月19日まで日没から午後10時30分まで、異人館のライトアップは7月18日から8月31日までの日没から午後10時まで行われていた。

ペットボトルの列車

これとは別に、海岸に面したメリケンパークでは、直径10メートルくらいある大きな白いバルーンに映像を映し、花火やレーザー光線を使ったイベントも繰り広げられた。この会場にある広場では、ペットボトルを使って作ったオブジェも数多く展示されていた。対岸に見えるオリエンタルホテルやポートタワー、海洋博物館などが夕闇の中に浮かびあがる風景を眺めていると、震災前ののどかでお洒落な神戸が戻ってきたようで、ほっとする。

某月某日

大阪の丸善書店(なんばOCAT店)で、「〜癒しの世界〜 魅惑の万華鏡展」と題した展示会が開催されていた。(日時:2001年8月1日−14日)

万華鏡は英語ではカレイドスコープ"KALEIDOSCOPE"という。日本語でも英語でも、この言葉には妙な懐かしさと、華やかさを感じさせる何かがある。語源的にはギリシャ語から作った造語だそうである。Kalog(美しい)、Eidos(形、模様)、Scope(見るもの)を組み合わせてできている。

近年、万華鏡が密かなブームになっているのだろうか。数年前から東京の麻布十番に専門店ができ、昨年の秋オープンしたディズニーランドと隣接しているイクスピアリの中にも万華鏡の専門店がある。

万華鏡と言えば、私が子供の頃から近所の駄菓子屋でも売っていた。長さ10センチ程度の紙の筒に鏡がはめ込んであり、切った色紙が入っているだけのものであった。このようなものしか知らないため、万華鏡と聞いても、専門店があること自体が不思議であった。

原理的には大変シンプルなため、千年以上前からあるのだろうと勝手に想像していた。実際には意外なくらい新しく、1816年に、ある物理学者が考案したそうである。日本には、文政二年(1819年)には「紅毛渡り更紗眼鏡流行 大阪にて贋物多く製す」という記述があるそうで、考案されてからわずか3年で日本にも入っている。

その後、盛衰を繰り返しながら、中に入れる素材や外枠の作りなどにも凝ったものが出始め、子供の玩具としてだけではなく、イマジネーションを刺激する哲学的な玩具として、パリなどでも大流行したそうである。

万華鏡

展示されていた数多くの万華鏡を実際に覗いていくと、妙にイマジネーションをかきたてられるものがある。これは値段の高低とは必ずしも比例しない。私が購入したものは六千円程度のものであったが、会場にあったこれより十倍以上するものと比べても、私にはこれが一番おもしろかった。あとでわかったことだが、私が購入したものはデビッド・コリエ氏の製作による「マーブルアイズ」という作品であった。これだけが、会場の隅に、ひとつだけポツンと置いてあり、まるで私のために取っておいてくれたのかと思うほど、私との相性はよい。

家に帰ってから家人に見せると、1時間くらい、「ヘー」「ワーッ」などと叫びながら次々と無限に変化する様子を楽しんでいた。

この中には宇宙のビッグバン、海の中の光景、細胞分裂、ピエロの顔もある。文字通り千変万化である。

某月某日

お盆の頃、数日、東京にいた。

8月13日の午後4時過ぎ、皇居の近辺をタクシーで通っていると、上空を10数機のヘリコプターが飛び回っていた。事故でもあったのかと思ったら、小泉首相が抜き打ちで靖国神社の参拝に行ったらしい。国内外からの批判をかわすため、15日を避けたようだが、この程度のことで、あれだけうるさく言っていたアジア諸国の批判をかわせるのだから、政治の世界はわけがわからない。

夜の9時すぎ、宿泊しているホテルがある有楽町駅近辺まで戻ってきた。

駅と隣接している東京国際フォーラムで、デビッド・カッパーフィールドが公演をやっている。ちょうど終わった頃だと思い、寄ってみることにした。案の定、デビッドがいた。上半身が硬直したまま、左右の肩を上下させて歩く独特のスタイルは特徴があるため、遠くからシルエットを見ただけでも一目でデビッドだとわかる。

ファンとの記念写真を撮り終え、楽屋に向かうところであったため、実際に至近距離で見たのは1、2分のことであった。そばで見ると、意外なくらい小柄である。顔が大変小さく、八頭身に近いため、ステージに立つと全体のバランスで背が高く見えるのかも知れない。 、

この日は朝から一日中出歩いてくたびれていたので、早々に宿泊先のホテルに戻った。

 



新宿タカシマヤの12階、タイムズスクエアにある東京アイマックスシアターで『ジャーニー・オブ・マン』を見る。

「サルティンバンコ」で日本でもおなじみになったカナダのパフォーマンス集団、シルク・ドゥ・ソレイユが出演している3D映画である。いつもはテントの中で観客に妙技を見せているが、これは世界各地をロケし、撮影された。バハマの海の中での水中バレエ、森の中でのバンジー・アクト、砂漠にある岩山の頂上で、金属製のパイプでできたキューブを使ったアクトなど、人間が自然の中にとけ込んだ中で演技を見せてくれる。人間は昔、魚であり、鳥であったことが納得できる。

シルク・ドゥ・ソレイユを知らずにこの映画を見ると、コンピューターグラフィックか特撮を使っているとしか思えない。


アイマックスシアターを出て、エスカレーターで下の階に行くと、『手塚治虫の虫眼鏡展』をやっていた。手塚治虫は子供の頃、大の虫好きで、詳細な観察記録を残している。虫の絵やデーターが、印刷したような精密画で、ノートに残っている。

入り口で虫眼鏡を貸してもらい、網で囲まれた部屋に入る。中は人工の森になっていて、蝶が飛び回り、カブトムシやクワガタもいた。さなぎから出て、羽化したばかりの蝶もいる。私が小学生の頃までは、夏休みの宿題に、昆虫採集があったのだが、今はなくなったようだ。それでなくても短い昆虫の一生を、無理やり捕まえて標本箱に並べるというのはどう考えてもかわいそうである。私も随分罪なことをやっている。私に殺されたセミやトンボ、チョウチョウは成仏してくれたのだろうか。(合掌)



「日本のゴッホ」、「裸の大将」としてよく知られている山下清さん(1922-1971)の生誕80周年を記念して、「山下清展」が東京の大丸ミュージアムで開催されていた。

昔から雑誌やテレビで作品を見ることはあっても、実際の作品を見る機会はこれまで一度もなかった。以前から一度目の前であの貼絵を見たいと思っていたので、今回その願いが叶ってうれしい。

会場はお盆休みということもあり、大変な人出であった。人気の程がうかがえる。展示されている作品は貼絵を中心に油絵、パステル、ペン画など200点近くあった。

3歳のとき重病にかかり、その後遺症として言語障害と知的障害となった。13歳のとき、千葉県の八幡学園で一生を決めることになる貼絵との劇的な出会いがあり、今回、その頃制作した作品も展示されていた。

初期の作品には虫が多い。どれも稚拙ではあるのだが、不思議なことに貼絵の虫が、本当に動き出しそうな生命をもっている。言語障害や知的障害のため、それまで自分の中にあるものをうまく表現できなかったものが、貼絵という媒体を通して、自分の魂を表現できる手段と出会えたのであろう。

長岡の花火(一部)
長岡の花火(一部)

至近距離で貼絵を見ると、油絵の具を何層にも塗り重ねたような厚みがある。花火の細い線は、雑誌などで見たとき、はさみで紙を細く切って貼ってあるのかと思っていた。実際にはこよりを作り、細長くして貼ってある。

台紙に貼ってゆくときは、右手の人差し指と親指で帯状にした紙を持ち、中指に糊をつける。左手の親指と人差し指で、右手に持っている紙をちぎり、それを台紙に貼り付けて行く。グラデーションなど、中間色の表現を貼絵で表現するのは難しいと思うが、これも経験的に習得したのであろうか。

どのような分野の芸術であっても、技巧の巧拙と、どれだけ人に感動を与えられるかの間には相関はないのだろう。

会期 2001年8月9日(木)〜8月21日(火)
場所 大丸ミュージアム・東京駅 大丸東京店12階
入場料 一般700円、大高生500円、中学生以下無料



近頃凝っているもの。オムライスにホットケーキ。

昼過ぎ、銀座の某レストランでランチをする予定であったが、偶然、資生堂パーラーを見つけた。以前からこの店のオムライスは気になっていたため、予定を急遽変更して、ここに入ることにした。

味は昔ながらのもので、これといった特徴はない。たまごはやや厚いが、しっかり焼いてあるタイプ。ライスはバターの風味がよく効いている。2500円はちょっと高いと思うが、一度は食べたいと思っていた店なので、これで納得できた。



宿泊先の窓から下を見ると、道路をはさんだ斜め向かいの映画館で『千と千尋の神隠し』をやっている。私以外の全員すでに見ているのだが、3人とももう一度見たいと言っているので、明晩午後7時半から始まる部の予約チケットを購入する。

アニメ映画はあまり興味がないのに、これだけは予告編を見たときから、ぜひ見たいと思っていた。映像の美しさは特筆にあたいするが、そのようなことよりも、この映画を見ていると、日本の神様にはあらためてご苦労様と言いたくなる。池にも川にも、木にも花にも、虫にも、すべての生き物、場所には八百万(やおよろず)の神が宿っているという直観は素敵である。一神教の世界では、自分のところの神以外はすべて排除の対象になってしまう。宗教戦争もテロも、全部がつながっているという思いを持てない限り、永遠になくなることはないのだろう。

そう言えば昔、祖母が台所で熱湯を使ったとき、必ず鍋に水を入れ、手で触れても熱くない温度に下げてから捨てていた。熱いまま流すと、下水や川にいる蛙や虫などを殺すから、可哀想ということであった。私などは消毒になるから、熱いまま流したほうがよいと思ったのだが、言われてみると、意味のない殺生は避けるに越したことはない。川にもどこにも神様がいるとわかれば、自分もその中に入っていることに気がつく。



日本科学未来館テレビや雑誌などで「お台場」という名前をよく目にする。海を埋め立てて作った土地のようだが、関西にいると、いまひとつよくわからない。

このお台場に、宇宙飛行士の毛利衛さんが初代館長として就任された、日本科学未来館がオープンした。同時に、レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめとするルネサンスの発明家達による作品が数多く展示されるイベントも開催されていた。これも大変興味があるので、この機会にお台場まで行ってきた。

「ダ・ビンチとルネサンスの発明家たち展」
会期 2001年7月10日(火)〜9月2日(日)

お台場に行くには新交通「ゆりかもめ」という専用の乗り物があるらしい。しかしこれも混雑していると、乗るまでに時間がかかると聞いたので、宿泊先からタクシーで行くことにした。

東北なまりの初老の運転手は大変愛想がよく饒舌で、いろいろと説明してくれるのだが、発音が不明瞭なため、よく聞きとれない。お台場には次々と新しい建物ができるので、しょっちゅう来ている運転手でも迷うが、自分は詳しいので安心してくれと言っていたらしい。急いでいるわけでもないのに100キロ近い速度で飛ばすため、ひどく上下に揺れた。道に段差があるのだろうか。

お台場の中に入ると、南の端あたりに日本テレコムの巨大な建物がある。それに隣接して科学未来館はある。

インフォメーションで廻る順番をたずねると、まず5階に上がり、そこから3階、1階と順に下がってきたほうが見やすいと教えてもらう。

5階は大きく二つに分かれており、生命科学関係と地球環境がある。遺伝子や脳の模型、深海調査する潜水艦の実物などがあった。

ロボット

3階ではロボット、マイクロマシーン、コンピューターの歴史なども知ることができる。

2足歩行のロボットが完成するまでの歴史がビデオで流されていた。人間は無意識にバランスをとっているが、これを意識的に2本の足で歩こうとすると、どれだけ大変なことなのか、よくわかる。

コンピューターの歴史では、IBMのパンチカードがあった。縦10センチ、横20センチくらいの紙に、穴を空けてデーターを記録するものだが、もう20年くらい見かけたことがない。今から30年ほど前、気賀康夫氏がこのIBMのパンチカードを使ったマジックを考案され、N.Y.のタネンからも販売されていた。観客に取ってもらったトランプのマークと数字が、このカードを2枚重ねると突然出現する。観客がいくらやっても、「?」のマーク以外は何も現れない。

今ではこのようなパンチカードを見せても、普通の人は知らないだろうから、マジックとしては成立しなくなってしまったのかも知れない。私がどういう経緯でこのカードを頂いたのか忘れたが、今となっては貴重なものになっている。

コンピューターのIBMと、私が所属している奇術家の世界的組織、I.B.M.(International Brotherhood of Magicians)は同じ略称のため、このマジックはI.B.M.のコンベンションなどではよく売れたそうである。

1階まで戻って、ルネサンス期の発明品を見る。

当時の発明品として、建造物として最も重要なものはサンタ・マリア・デル・フィオーレ、つまりフィレンツェ大聖堂である。この大聖堂の頂部は400万個を越えるレンガをドーム状にして組み上げてある。私も実際に上まで登ったが、今から500年以上も前に、どうやって高い建物のさらにてっぺんに、レンガでドーム状のものが組めたのか不思議で仕方がなかった。

今回、この製作に使われた工具や、原理などが模型などを使い解説されていたため、やっとわかった。ダ・ヴィンチだけでなく、人間が何かを成し遂げようとするときのエネルギーには驚嘆せざるをえない。

某月某日

梅田コマ劇場で、東宝版『エリザベート』を観る。数日前から関西に台風が来そうな気配になっていた。もし直撃されたら公演が中止になるかも知れないと心配していたのだが、紀州沖で方向を東に変えたため、幸いにも大阪は雨、風ともたいしたことはなかった。

『エリザベート』に関しては、同じ小池修一郎氏の演出による宝塚歌劇の『エリザベート』も観ていたので、今回、どのような違いがあるのか興味深かった。宝塚版も1996年に上演されてから『ベルサイユのばら』以来の大ヒットになり、こちらも現在、回を重ねている。同じ演出家が、異なった演出で作り替えるというのは、よほど何かやりたいことがあってのことだろう。宝塚に詳しい方にうかがった話では、宝塚の場合、通称”すみれコード”という倫理規定があるそうだ。「清く、正しく、美しく」がモットーであるため、あまり過激な演出は拒否されてしまう。

具体的には、東宝版ではエリザベートの父親と家庭教師が不倫しているところがあるが、それが宝塚ではカットされている。また第2幕で、エリザベートの夫が浮気をし、性病にかかり、それがエリザベートにも感染して倒れるところでも、宝塚版ではダイエットのし過ぎで倒れたことになっていた。演出家としては、このあたりをクリアーしながら本を書かなければならないため、相当欲求不満になることも想像できる。

私自身はそのあたりのことはどうでもよく、あまり興味はなかった。それよりも、宝塚版では主人公のエリザベートより、一路真輝が演じた「死の帝王」トートが、一路のキャラクター、声の質ともうまく合っており、際立っていた。ミュージカル「エリザベート」はヨーロッパ各国で上演されているが、国によって宗教や死生観に差があるため、トートへの思い入れも微妙に異なってくるのだろう。

今回の東宝版では、一路真輝が主人公のエリザベートを演じ、トート役は内野聖陽と山口祐一郎のダブルキャスト、暗殺者のルキーニ役は高嶋政宏であった。ショーとしては、出演者に男性が入るとダンスも力強くなり、迫力が増す。また舞台装置などの演出面でも、今回のものは随分工夫が凝らされていた。2幕の最後で、まったく気がつかないうちに、柱の上に数名のトートダンサーが現れたのには驚いた。

ストーリー展開に関しては、宝塚版で知っていたのでわかったが、いきなり東宝版を見るとよくわからないのではないだろうか。宝塚版では、最初に暗殺者ルキーニの弁明から始まる。エリザベート、トート、ルキーニの関係も把握しやすい。宝塚版は、一路真輝の「さよなら公演」にもなったため、彼女をフィーチャーする目的があったためか、それとも演出家の小池氏が「死の縁」を強調したいため、死の帝王、トートを全面に押し出すような演出にしたのかも知れない。東宝版を見ると、死は必然であり、エリザベートが死を望んだからその縁が生じたという部分が希薄になっていた。この部分が宝塚版との最大の違いかも知れない。

どちらが楽しめるかは何とも言えないところだが、ストーリーとしては宝塚版に、ショー全般で評価するなら東宝版に軍配をあげたい。どちらでも十分楽しめるので、ミュージカルがお好きなら両方とも見て損はない。また今回の音楽はどの曲も大変すばらしいので、CDもお薦めする。

黄泉の帝王、トートについては思うところがいろいろあるため、煩悩即涅槃に書きたいと思っている。

某月某日

大阪帝国ホテルで、解剖学者養老孟司氏の講演があった。養老先生のお書きになるものは昔から好きで、よく読ませていただいている。お話をうかがえるならと思い、行ってきた。

講演が終わってから食事会もあるのだが、予定よりだいぶ早く着いたため、2階にあるカフェ、フライングトマトで時間をつぶす。

メニューを眺めていると、ホットケーキがあった……。

近頃私が凝っているもの、ホットケーキにオムライス。確かこのことはさっきも書いた(汗)。これについて詳しく書き出すと、「料理日記」になってしまいそうなので涙をのんで大幅にカットするが、メニューに載っているホットケーキやパンケーキの中に、「スヌーピーのホットケーキ」があった。これには猛烈に興味をひかれたものの、私が注文するのは少々恥ずかしい。一緒に行った友人に注文してもらい、私は一口か二口、味見をさせてもらうことにした。

実物を見るまでは、普通の丸いホットケーキに、スヌーピーの焦げ目がついているようなものを思い浮かべていた。実際に出てきたのは下の写真のようなものである。ちゃんと輪郭からスヌーピーになっている。

ホットケーキ

ホットケーキにはたいていメイプルシロップやはちみつ、バターが添えられて出てくる。これにはもうひとつピーナッツバターも添えてあった。ホットケーキにピーナッツバターは珍しいと思ったら、スヌーピーはピーナッツ・シリーズと呼ばれているため、それに掛けたシャレになっているようだ。

チョコレートで顔が描かれているスヌーピーを切って食べるのは、どうにも可哀想で抵抗がある。昔、祖母はひよこの形をした”ひよこまんじゅう”を食べるとき、最初の一口が食べられないと言っていた。本物のひよこをかじるようで、食べられないのだそうだ。 二口目からは平気なのだそうだが(笑)。

講演では興味深い話を数多くうかがうことができた。なかでもとりわけ私がおもしろいと思ったのは、人間は自分の言動を再現できないという話である。10分程度喋っただけでも、それを最初から同じように繰り返すことはできない。話す速度や抑揚、感情まで含めて、同じようにもう一度繰り返すことはできない。テープに録音すれば同じ内容の言葉を何度でも繰り返すが、それでもそのときの空気や気分は記録できない。何度も再現可能なものは、しょせん死んだ部分である。芝居でも音楽でもマジックでも、ビデオやCD、その他いかなる記録媒体を用いても、記録できるのはしょせん一部に過ぎない。

すべての芸術にはある種の偶然が不可欠である。芸術は反復不可能であり、一回限りである。本人の気分だけをとっても、その日のその時間、その場所での気分は再現できない。また観客がいるような場であれば、観客が作り出す空気、会場の雰囲気など、多くの要素に影響を受けながら何かが生まれてくる。このようなものもいかなる媒体にも記録することはできない。何かに記録された途端、それはすべて死がいとなる。

大量の死んだものに触れるよりも、数少なくても、生きているものと向きあいたい。


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