魔法都市日記
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2002年3月頃


ビードロを吹く娘/市川えび蔵
北斎「ビードロを吹く娘」/ 写楽「市川鰕蔵(えびぞう)」
1955年、1956年の趣味週間発行の切手、子供の頃、一時、収集していたものの一部。


今年の桜の開花は例年より10日ほど早いらしい。3月半ばからすでに咲き始め、下旬には満開になっていた。

例年、入試が終わると身体もほっとするのか、風邪をひくことが多いのだが、今年は3月になっても風邪さえひいている暇がなかった。風邪をひくというのも、体が「休め」という命令を出しているのだと思うので、どこかでリラックスさせないとまずい。4月に入ってからでも、少し休暇を取るつもりである。



某月某日

色変わりナイフ

松田道弘さんから原稿の依頼を受ける。すでに「クラシック」と言ってよいマジックの中から「ネタモノ」(道具を使うもの)を中心にまとめたいということであった。上下2巻になっており、上巻は松田さんご自身の編集になり、下巻は数名の方による共同執筆という形になる。私は「小さくなるトランプ」「エッグ・オン・ファン」「色変わりナイフ」を担当させていただくことになった。

「小さくなるトランプ」と聞くと、古くからマジックをやっている人にとってはノスタルジアにかられる人も少なくないはずである。私にとっても大変懐かしい。私がこれをはじめて見たのは、まだ本格的にマジックをはじめる前の、小学生の頃であった。そのせいもあるのだろうが、本物の魔法としか思えなかった。

日本ではお馴染みになっている「小さくなるトランプ」のネタは、現在、海外ではほとんど見かけることがない。日本でもこれの本格的な解説書は20数年前、高木重朗氏が「奇術界報」に発表されたものくらいしかない。この機会に書かせていただけるのは大変ありがたいと思っている。

「色変わりナイフ」も好きなマジックである。ウィット・ヘイドンのビデオを見ていたら、小型のナイフを取りだし、「これはペンナイフと呼ばれているのですが、どうしてだかわかりますか」と観客にたずねていた。「ペンとして、羽根ペンを使っていた時代に、先をとがらせるときに削るために使っていたから」という説明をしていたが、真偽のほどは別にして、この話は気に入ったので私も使わせてもらっている。

今回解説する手順自体は、フレッド・カップスのハンドリング等を参考に、あまり無理のないものにしたいと思っている。

私以外の予定に関してはまだ詳細をつまびらかにできないが、執筆陣やその内容を見ていただければ、この本は間違いなく、マジック愛好家にとっては涙が出るほどうれしいものになると思う。出版の日程など、詳しいことがわかり次第、随時お知らせするつもりである。

原稿も自分のサイトに書くのであれば後からいくらでも修正可能のため気楽なのだが、出版原稿となるとそうもいかない。完全原稿の形でお渡ししなければと思うと、ずいぶんプレッシャーになっていた。3月はこの原稿の目処をつけるまで、休んでいてもいつも重荷を抱えているようで、全然ゆっくりできなかった。

某月某日

1月に大学入試センター試験があり、2月は高校入試に加えて、私立大学、国公立大学の入試もあった。3月に入ると入試は終わっているが、結果がわかるまで胃の痛くなるような日々をおくることになる。

例年のこととはいえ、合格発表当日は私も朝から落ち着かない。3月9日にある京都大学の合格者発表が今年の最後である。これまでのところ、今年も高校、大学とも、受験生は全員受かっているが、教え子の中に京大受験生がいるため、この結果がわかるまで気が気ではなかった。

昔は発表の当日といえば、掲示板に張り出される時刻に合わせ大学の門をくぐり、期待と不安で周りの景色も目に入らないまま、指定された場所まで行ったものである。発表の時刻までの間、緊張もピークに達するため、笑顔を作ろうとしても、みんな引きつったような顔になっていた。

定刻になり、大学の職員が合格者の番号を書いた紙を張り出すと一斉に歓声が上がる。抱き合ったり飛び跳ねたりしている人ばかり目に付くが、倍率からいえば落ちている人のほうが多いはずなのに、落ちた人はいないのかと思うほど、合格者ばかりが目立ってしまう。武運つたなく落ちてしまった受験生は人目をはばかるように静かに去って行くため、どうしてもそうなってしまうのだろう。

何年か前、これは大学入試の発表ではなく、家人も受けた司法試験の発表当日のことであるが、張り出された直後、会場に「ゴーンゴーン」と、ビルを揺らすような、不気味な音が聞こえてきた。司法試験を目指している人は、大学入試とは桁違いの難しさと、人生を掛けている人が少なくないため、落ちたときの絶望感もひとしおである。大学を卒業してから30歳までに受かるのを目標に司法試験合格に向けて勉強を続けてきた人が、自分で設定した最後の年にも受からなかったときの絶望感は想像するに難くない。先の不気味な音は、自分の額をコンクリートの壁にぶつけている音であった。頭が割れるような勢いで何度もぶつけていたが、誰も声を掛けられない雰囲気が漂っていた。

その人は崩れ落ちるように、その場にしゃがみ込んだ。額をぶつけていた壁には血がべっとり付着していた。当時、司法試験は合格率3%という試験であったため、圧倒的に落ちている人が多い。受かった人も落ちた人も、心情を察するにあまりあるため、誰も彼には声をかけられないのだろう。

大学入試の合格発表の場で、これに匹敵するほどの場面に遭遇したことはないが、東京大学、京都大学を目標に、小学校の頃から頑張ってきた人の中には、これに近いものがある人もいるはずである。

話が逸れたが、京大の入試の場合、十数年前から電子郵便で結果がわかるため、会場では合格している人ばかりが目に付くようになってきた。同じ日に電子郵便も届くため、これで自分の合否を確認し、合格していれば記念撮影を兼ねて会場まで見に行くという人も少なくない。この電子郵便も数年前までは張り出される時刻より1時間ほど前に届いていたため、近くに住んでいると、受け取ってから出かけても、張り出される前に会場に着くこともできた。それが昨年、今年は午後4時過ぎに届いたため、当日は見に行けなかった。生徒から「受かっていました」という電話をもらい、ひとまずほっとしたが、この日は朝から何も手に着かなかった。

これで京大、阪大、医歯薬看護系に関しては過去22年間、全員受かってくれている。今回受かった生徒も中学から教えている子だけに、本当にうれしい。

工学部電気電子学科



掲示板で「6014」を確認し、これで今年の受験も本当に終わった。とりあえず一安心できたので、梅見物を兼ねて、菅原道真公を祀ってある北野天満宮に行ってみることにした。ここは受験の神様としてもよく知られているが、合格したお礼の報告というわけではない。

北野天満宮今年は菅原道真公が亡くなって千百年目にあたるため、五十年に一度行われる大萬燈祭が3月6日から27日まで行われていた。梅の最盛期は少し過ぎていたが、約2000本もあるため、遅咲きの梅はまだだいぶ残っている。ここの梅園は普段は入れないが、この時期だけ入園料500円で入れてもらえる。この時期は京都見物に全国から来ている人も多いため、境内は参拝者であふれかえっていた。

京都の町中にあるのに、梅園の中には谷のようになった低い場所もある。山の中に入ったのかと錯覚するくらい不思議な構造の庭になっていた。今回は時間がなかったのと、小雨が降り始めたため下には降りなかった。梅園の奥には茶店があり、梅の入ったお茶と、煎餅のような茶菓子を出してもらえる。これは入園料に含まれている。

売店では「みたらし団子」なども売っているので、串に刺した団子をかじりながら、梅の花を観賞させていただいた。一緒に行った友人は梅よりも団子が気に入ったようで、二皿、ぺろりと食べていた。床机に腰をおろしている人を見渡しても、「花より団子」に夢中になっている人が少なくない。

よく見ると、1本の梅の木に紅梅と白梅が同時に咲いているものがある。枝ごとに紅白に分かれているのはまだわかるが、ひとつの花なのに、花びらが紅白交ざっている梅の木は初めて見た。

某月某日

京大の合格発表を見に行ったとき、大学そばの電柱にあった「ヨーロッパ企画第10回公演 冬のユリゲラー2002」と題した広告が目に止まった。写真を見ると、超能力をテーマにした芝居のようだ。もう少し早く気がついていたらその日のうちに見られたのだが、すでに上演時間は過ぎていた。インターネットからでも申し込めることがわかったので、うちから予約して、数日後に行くことにした。

冬のユリゲラー2002

会場となっている吉田寮は、学生運動がピークであった60年代後半から70年代初頭の雰囲気が今でも漂っている。

確かこの寮は、大学にとっては「存在しない」建物になっていたはずである。1986年3月で廃寮となり、鉄筋5階建ての個室ばかりの寮ができる予定であったのだが、それが今でも残っているのは、どういうわけなのだろう。大学当局にすれば老朽化が進み、事故でもあったとき厄介だから、一切の管理から手を引き、住んでいる学生が勝手にやっているという立場を貫いているのかも知れない。

寮の住人にたずねてみると、新学期には入居者を募集しており、水道、光熱費込みで月額2500円なのだそうだ。25000円でも安いと思うのに、その十分の一なのだから実質的にはタダみたいなものである。しかし、内部の現状や実態はどのようになっているのか私も知らないので、もし入居希望者がいるのなら、よく聞いてからにしたほうがよい、とだけ申し上げておく。

建物は本当に古く、割れた窓ガラスには段ボールやビニールが張ってあり、雨樋からは草が生えている。トイレを借りるために寮の中に入れてもらったが、水洗にはなっているものの男女兼用である。どこを見ても30年ほど前にタイムスリップしたのかと思うようなところであった。

昔は入り口にはヘルメットをかぶり、タオルでマスクをした人が常時立っていたはずなのだが、さすがにそのような人はいなかった。しかし入り口には、常に外を見ている学生が座っていたから、不審者をチェックしているのかもしれない。

「さっき公安が二人うろついていた」

今でも、トイレでこのような会話が飛び交っているのだからおかしくなる。

建物は恐ろしく古くて汚いが、住んでいる学生はみんなこざっぱりした、今風の若者である。ことさら髪の毛の長い人や、ひげだらけというような薄汚い学生は見かけなかった。

吉田寮

芝居の会場は寮の食堂を利用していた。そこに臨時の階段を作り、枕を並べたのかと思うような座席ができていた。靴を脱いで、ビニール袋に入れて持って上がる。席の段差が低いのと、前の席との距離がないため、足が窮屈で仕方がない。この体勢で2時間座るのかと思うとつらいものがある。実際、翌日は足が筋肉痛になっていた。一番後ろの席だけはベンチがあるため、もし席が取れるのなら、後ろに座ったほうが楽である。後ろといっても狭い会場のため、どこで見てもたいした違いはない。

舞台の上にはカウンターやテーブル、イスなどがあり、小さな喫茶店が設えられていた。

ここにエスパーと呼ばれる人が数名集まり、自分の得意芸を見せ合うという設定になっている。エスパーという言葉も、実際にはどのような人を指すのか私は知らないが、芝居の中では「透視」「テレポテーション」「サイコキネシス」など、超能力番組でお馴染みの能力を持った人をそう呼んでいた。

「エスパー」といわれる人を、少し距離をおいたところからながめると、それだけで笑えてしまう。本人は大まじめなのかも知れないが、大まじめであればあるほど、部外者にはおかしい。以前、テレビでテニスのラケットを通り抜けるという人がいた。私はてっきり網の目を通り抜けるのかと思って見ていたら、網の張っていないラケットの枠だけを通り抜けて、終わっていた。これのどこがエスパーなのだろう。ただ痩せているだけの人ではないのか?エスパーという人の「芸」には、ギャグなのか何なのかよくわからないものが多い。

芝居ではもう少しまともな「エスパー」が集まっていた。実際、この種のグループは存在している。エンターテイメントではなく、本気でスプーンを念力で曲げることや、透視や念写をやっているらしい。しかしこの種のものには、客観的で再現性のある実験などほとんどない。願望と偶然性の産物でしかないような現象をみんなでありがたがっている。新興宗教の集まりと変わらない。この芝居は、それを茶化して、笑ってしまおうというものなのだろう。

入り口でもらったパンフレットには、「サイキックエンターテイメントコメディ」となっていた。この種の笑いは「エスパー達の集い」に参加しなくても、日常どこででも見られる。国会での証人喚問、宗教団体の教祖の話、校長の挨拶、何かを唯一絶対と思っている信奉者達の振る舞いを傍観者の立場からながめていると、たくまずして「コメディ」になっている。

学生がやる芝居だから、もう少し理屈っぽいものかと思っていたら、吉本新喜劇に近いようなごくシンプルな笑いであった。

芝居の中でスプーンを曲げて見せたり、観客全員にスプーンを渡して、実際に曲げてみる実験でもやるのかと想像していたのだが、それはなかった。

某月某日

京都駅の構内にある美術館「えき」に、「歌麿とその時代展」を見に行く。

歌麿とその時代展日時:2002年3月27日(水)〜4月14日(日)
場所:美術館「えき」KYOTO 京都伊勢丹7階
料金:大人700円 高・大学生500円 小・中学生300円

浮世絵美人画は喜多川歌麿(1753-1806)の出現によって黄金期を迎えるが、今回の展覧会を見て感じたことは、技法の発達が表現方法に決定的な違いを産み出すということである。

歌麿の描く美人画は、顔の部分を大きく描いた「大首絵」と呼ばれる手法で、女性の心情まできめ細やかに表現されている。このようなことは構図だけの問題ではなく、彫師や紙に刷る摺師(すりし)の高度な技術があってはじめて表現できることである。昔は版画といえばごく限られた色を使うだけにすぎなかった。それが歌麿の少し前当たりから彫師と摺師が技術を競いあった成果として、現代の印刷技術と比べても遜色のないほど多彩な色を使い、細かい部分まで表現できるようになった。このような技術がなければ、後に続く写楽や北斎といった絵師も出現していなかったはずである。

会場入り口にあったモニターでは、彫りと摺りの技術を見せる映像が流されていた。摺師は馬連(バレン)という道具を使い、紙の上から擦ることで色を定着させる。

私が小学校の低学年の頃、彫刻刀のセットを買うと、この馬連が添付されていた。直径5センチ、厚さ1センチたらずの円形のもので、表面は竹の皮で包まれていた。私はこれが何なのかわからず、不思議で仕方がなかった。

実際の版画は、紙の上に板を乗せて、上から押さえるのではなく、板の上に紙を乗せて、紙の上からこの馬連を使い、色を紙に定着させる。それまでハンコやスタンプ、いも版のようなものまで、印刷するものといえばすべて上から押さえつけるものと思いこんでいたため、当時の私には意外な発見であった。

蜂吹き(北斎漫画)

話が逸れたが、歌麿の作品や、その前後の時代に活躍した絵師の作品を目の当たりにすると、日本人の美に対する感覚は精緻であり雄大であることが実感できる。売店で販売されていた『北斎漫画』のページを繰っていると、おもしろいものがあった。手妻師の絵に混ざって、不思議なことをやっている絵が数点ある。中でも、口から蜂を吹き出している「蜂吹」と題した絵ははじめて見るものであった。

これは北斎が頭の中で作り上げたものなのだろうが、森羅万象を絵として残したいと思っていた北斎のイマジネーションは留まるところを知らないことがよくわかる。「漫画」というのは、今でいうコミックのことではなく、「さまざまなものを描いた絵」という意味である。

北斎といえば富士山を描いた「冨嶽三十六景」などでお馴染みではあるが、日本よりも海外で高い評価を受けている。アメリカの雑誌、『ライフ』が1999年におこなった特集、「この1000年間で、もっとも重要な業績を残した世界の人物100人はだれか?」に、ただ一人選ばれた日本人が葛飾北斎であったそうである。絵に詳しい友人の話では、北斎の作品は印象派やアールヌーボーなど、海外の多くの芸術家や芸術に多大な影響を与えているので、当然だろうということであった。

某月某日

映画「ロード・オブ・ザ・リング」を見る。

「ハリー・ポッター」が世界的にブームになったのを契機に、ファンタジーの秀作が立て続けに映画化されている。これも先の版画ではないが、新しい技術の進歩のおかげなのだろう。コンピューター・グラフィックスによる特殊撮影が可能になったからなし得た映像もある。

3時間を超える作品ではあるが、途中で寝ることもなく、最後まで楽しめた。

大抵の冒険ものでは、何かを求めて旅をするのがお決まりなのに、この話は指輪を捨てに行くのがテーマになっている。捨て去ることの難しさといえば、私などはすぐに「煩悩」や「執着」を思い浮かべてしまう。お釈迦様にしても、煩悩を捨てるために、若い頃はあれこれ修業をされたのだから、何かを手に入れるよりも、捨て去ることのほうがずっと難しいというのはよくわかる。

この映画がそのようなことをテーマにしているのかどうかは知らないが、あの指輪を「煩悩」と思えば、燃えさかる火の中にたどり着くまでにも数多くの難敵と遭遇しなければならないのも無理はない。さらに、何度か危機が訪れるが、そのつど、手を差しのべてくれる何かが現れる。まだ死ぬ縁が生じていないのなら、死ねないようになっているのも、仏教思想からすれば馴染みやすい。

「未来は賢者にもわからぬ」

とつぶやく場面も印象的であった。わかったつもりになって、あれこれ先のことを思い煩うのも愚かなことなのだろう。

某月某日

神戸のモザイクで、グレハム・バーマン氏(通称 ミスター・ハム)のジャグリングを見る。

ミスター・ハム

イギリス出身だけあり、観客、とりわけ小さい子供に対しても大変紳士的である。ジャグラーの中には、観客に対する言葉遣いや、手伝ってもらう観客に対して失礼とも思える態度を取る人がいるが、そのようなことはまったくない。安心して見ていられる。

ボールや棒、ガラスのコップを積み重ねた台の上でのジャグリングなど、多彩な芸に加えて、ゴム手袋を頭からかぶり、息の力だけで破裂させるという、ジャグラーには珍しいこともやってくれた。厚いゴム手袋は何の仕掛けもない市販されているものである。全体がふくらんでも、指の部分だけが残り、これを客席に突き出し、握手を求められるが、恐ろしくてとてもできない。

ショーが終わってからうかがった話では、奥様は日本の方で、もう日本に定住して十数年になるとのことであった。安定した実力と、感じの良さを合わせもった、大変魅力的なジャグラーであった。

某月某日

小学生二人を連れて、4人でUSJ(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン)に行ってきた。

昨年の4月、オープンしたばかりのUSJに行ったときはほとんど待ち時間もなく、すべてのアトラクションを楽しむことができたが、今では1時間や2時間くらい待つのがあたりまえになっている。TDL(東京ディズニーランド)でも、これくらい待つのは普通のことなので、子供たちはまったく苦にならないようだ。

混雑ぶりからすると、参加できるアトラクションの数は限られると思っていたのだが、昼過ぎから行って8時過ぎまでの間に「E.T.アドベンチャー」「ジョーズ」 「ジュラシック・パーク・ザ・ライド」 「ターミネーター2:3D」「バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド」「ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロールショー」等を楽しむことができた。

最後の「モンスター・ライブ」は「モンスター・メーキャップ」を見るつもりが、私が間違って連れて行ってしまった。「モンスター・メーキャップ」ではマジックのようなこともやるので、それを見るつもりが、名前が似ているため違う会場に行ってしまった。

しかし意外なことに、間違って入った「モンスター・ライブ」が現在すべてのアトラクションの中で、人気投票一位になっている。昨年の4月に行ったときも十分楽しめたが、これが「E.T.」や「ターミネーター2」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などを抜いてトップになるとは予想できなかった。司会役のビートル・ジュースがうまく客席を盛り上げながら、ドラキュラ、狼男、フランケンシュタインなどが墓場でロックンロールのショーをやってくれる。

現在(2002年3月)USJの人気ベストテンは以下のようになっている。

1. ユニバーサル・モンスター・ライブ・ロックンロールショー
2. ウォーターワールド
3. バック・トゥー・ザ・フュ−チャー・ザ・ライド
4. ターミネーター2:3D
5. E.T.アドベンチャー
6. バックドラフト
7. ジュラシック・パーク・ザ・ライド
8. モンスター・メーキャップ
9. ジョーズ
10. ザ・ワイルド・ワイルド・ワイルド・ウエスト・スタント・ショー


好みがあるため、選ぶ人によって何とも言えないが、応募総数数万件からのデーターのため、ほぼ平均的な感想といってもよいと思う。

USJで私がまだ乗っていないのはスヌーピー・プレイランドにある「ウォーター・スライダー」だけかも知れない。子供が水遊びのときに使うゴムのタライのようなものに入って、水の流れているチューブの中を滑って行く。これは小さい子供専用ということはなく、大人が乗っても構わないのだが、大のオヤジがタライ(?)に乗って滑り落ちるのは気後れする。

青龍門

子供たちもみんなそれなりに楽しんでいたが、極めつけは夕食のため入った台湾料理の店「青龍門」である。ここはUSJの外、シティ・ウォークの中にある。USJの出口から正面を見ると、ハードロックカフェの大きなギターと、とぼけた龍のネオンサインがある。この龍の下にエレベーターの入り口があり、そこから5階の店に直結している。この店はいろいろな仕掛けがあり、エレベーターの入り口でも合い言葉を言わないとドアが開かない。上に着いてからでも、店に入るドアのところで、また少しとまどうかもしれない。

料理は台湾から呼んだコックが腕を振るい、何を食べてもおいしい。

しかしなんと言ってもこの店で驚くのはトイレである。特に女性トイレの仕掛けは、噂には聞いていたが、今回初めて実態がわかった。写真に撮りたいと思っても、私がカメラを持って女子トイレに入って行けば変質者と思われてしまう。今回、うまい具合に同伴者や子供たちにカメラを渡して、内部を撮ってきてもらった。

下の画像をクリックすると、トイレの中に入れる。



入りたい方は、上のドアをクリック!

USJのもう少し詳しいレポートは「魔法都市日記 (53)」にもあります。


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