魔法都市日記
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2002年5月頃


鯉のぼり
兵庫県立美術館で購入した、岡本太郎デザインの鯉のぼり


5月上旬から中旬にかけて体調は最悪であった。そこにレギュラー以外の仕事が増えたため、ホームページはほとんど更新できなかった。仕事は6月も今月と同じで忙しいのだが、体調は5月末からすっかり戻り、今はここ1年くらいでは一番調子がよい。この数ヶ月懸案であった事項も無事終えることができ、やっと落ち着けそうな気分になっている。

気がついたら今月は私の誕生日であった。この歳になると、ふだんは自分の誕生日のことなど完全に頭の中から消えている。吹き流しの鯉のぼりを見て思い出した。



某月某日

神戸の元町駅、東口を出てすぐのところにある居酒屋「蛸の壺」に行く。神戸ではよく知られた店なのだが、私はこれまで一度も入ったことがなかった。昼間は観光客、夜は仕事帰りのサラリーマンでいつも混んでいる。私が行った日はゴールデンウィークのはざまであったせいか、半分くらい空席があった。

「蛸の壺」は向かい合わせに2軒あり、1軒は中華の点心を中心としたメニューになっている。南側の店は、明石焼きや蛸料理、中華の点心もあり、気軽に利用できる。蛸の壺という名前のとおり、酢の物や焼き物など、約30種類のさまざまな蛸料理が味わえる。

この日は松田道弘さんとご一緒させて頂いた。松田さんはこの店の全メニューを食べておられるのかと思うくらい詳しい。数点、お薦めのものを教えて頂いた。酒の肴が中心のメニューではあるが、どれもおいしい。

松田さんが突然、「上を見てみ」と言われた。私の座っている席の真上を見ると、天井にトランプが1枚貼り付いていた。松田さんがこのような場所で「カード・オン・ザ・シーリング」、つまり「天井にひっつくカード」を演じるはずはないので、神戸在住のマジシャンの誰かがやったのだろう。

元町界隈に住んでいて、このような場で「天井にひっつくカード」を演じられる人といえば、そう多くはない。「福岡さんですか?」とたずねると、正解であった。この日は仕事でお見えになっていなかったが、ここは福岡さんのホームグラウンドといってもよい店なのだそうだ。こんど誰かと行ったとき、天井に貼り付いているカードを使ってアンビシャスカードのクライマックスにでも利用しようかと思っている。

某月某日

梅田のHEPナビオの前を通ると、何かのパフォーマンスでもあるのか、ちょっとしたスペースができていた。案内板には「吉岡賢治:パントマイム&ワイヤーアート」となっている。あと5分ほどで始まるようなので見ることにした。

横50cm、縦80cmくらいのキャンバスに黒い布をはり、そこにカラフルなワイヤーをくるくると巻いたものが数本つり下げてあった。ワイヤーアートというのは聞き慣れない言葉だが、太さが5ミリくらいあるワイヤーを使い何かをやってくれるのだろう。待つ間もなく、黒い衣装を着て、顔の前面を四角形に白く塗った人が現れた。キョンシーの映画に出てくる、顔におふだを貼ったお化けを連想してしまう。この人が演者の吉岡氏のようだ。

一般的なパントマイムの演技から始まり、そのあと柔らかくてカラフルなワイヤーを使って、動物や花などを作っていく。縁日などでは細い針金を使い、動物や自動車、輪ゴムを飛ばすピストルなどを作って販売する針金細工は見かけるが、このような太いワイヤーを使い、パフォーマンスとして演じているのは見たことがない。

吉岡氏の経歴を見ると、以前はアクセサリーメーカーにお勤めで、そこでワイヤーアートを学び、それをもとにして、このような芸を作り上げたようだ。吉岡氏のオリジナルなのか、海外ではすでにあるのか知らないが、以前の仕事が芸としても使えるというのはめずらしい。

ワイヤーアート大道芸でのパフォーマンスでは、観客に出てきてもらい、助手として手伝ってもらうこともよくある。このようなとき、声のかけ方が難しい。日本の観客も最近ではだいぶ慣れたとはいえ、声を掛けられた途端、恥ずかしくて逃げてしまう人もいる。数多くの場数を踏んでいるパフォーマーであれば、観客の顔を見ただけで、この人なら手伝ってくれるか、それとも本気で嫌がるか、わかるようだ。

ステージマジックでも、観客に手伝ってもらいたいことがよくある。このようなとき、舞台の上から特定の観客を指さして、ステージまで上がってきてくれるように頼むと、拒否される場合が少なくない。ストレートに頼んでも難しいため、観客に出てきてもらうテクニックや演出には、各演技者がいろいろと工夫をしている。

例えば、ボールや花を客席に向かって投げ、受け取ってもらう。受け取った人に、その場で立ち上がってもらい、続いて舞台の下まで持ってきてもらう。ここまで出てきてくれると、観客も心の準備ができている。その後、舞台の上まで持ってきて欲しいと頼めば、たいてい抵抗なく、階段を上がってきてくれる。

投げる前に、「受け取った人は舞台まで上がってきてほしい」と言ってしまうと、だれも受け取ってくれないことさえある。「受け取る」「その場で立つ」「舞台の下のところまで受け取ったものを持ってきてもらう」「舞台の上まできてもらう」という段階を踏んで観客に頼めば、あまり抵抗がないようだ。

吉岡氏の場合は、ちょっとおもしろい演出を行っていた。ワイヤーで魚を作り、これを最前列の女性にプレゼントする。続いて何かを作っていると思ったら、それは釣竿であった。これで、さっきプレゼントした魚の口に引っかけ、釣り上げる動作をする。手に魚を持っている女性は、釣り上げられることに抵抗なく、そのまま前に出てしまう。これもうまい誘導の仕方であると感心した。

また、何かを作ってみせるパフォーマンスでは、何ができるのか、途中でわからないほうが、見ている観客の集中力は高まる。最後の最後になってわかったほうが意外性があり、拍手もしやすい。吉岡氏のワイヤーアートでもいくつかそのようなものがあった。作り始めて、「さあ、できた」と観客に見せても、みんな何ができたのか、よくわからない。そのあと、それを二つにパッと広げると、メガネや天使の羽根であるのがわかり、大きな拍手が起きていた。

余談になるが、ここ10年ほどの間に、細長いゴム風船を使って動物や花などを作るバルーンの芸は、日本でもすっかりお馴染みになっている。これは今でも小さい子供には人気があるが、小学生でも高学年になるとそれほど魅力はないようだ。風船で作った動物などをもらっても、あれを手に持ったまま電車には乗りにくい。割らずに家まで持って帰ったとしても、1週間ほどでしぼんでしまう。その点今回のワイヤーで作ったものは、持って帰るときも割れる心配がないため、バルーンほど気を使わなくてもよい。また部屋にかざっておいても風船のようにしぼむこともない。そのせいか小さな子供だけでなく、大人にも人気があった。

数年前まで公園や大道で、マジシャンがバルーンを使う芸人と一緒に仕事をしなければならないような状況になると、子供はみんな風船のほうに行ってしまうようで、マジシャンは嫌がっていた。そのせいか、マジシャンのなかにも風船の芸を取り入れている人が増えている。近頃では風船を扱う芸人が増えすぎたため、だいぶ飽きられてきたようだ。

先日、あるプロマジシャンが企業関係のパーティ、しかも出席者の大半が企業のお偉方という場所で、犬やキリンを作ってプレゼントしていたが、これはもらった方も困るだろう。ゴムの風船で作ったプードルをもらったら、だれでも喜ぶと思っているのだろうか。もう少し場の空気を読みとり、臨機応変に出し物を変えるくらいのことができないと、このマジシャンに将来はないかもしれない。

某月某日

角矢幸繁氏から、豊田聡氏の『ワークス・アンド・プログレス』を収録したプライベートビデオを送っていただいた。

これは考案者の豊田聡氏が私のために『ワークス・アンド・プログレス』に収録されている作品を実演し、ビデオに撮って送ってくださったのである。届いた日の夜、さっそく見せていただいた。

私がビデオを見るのは夜仕事が終わり、風呂に入って、寝る準備ができてからである。布団の中で、横になって見るのがマジック関係のビデオを見るときの「定跡」になっている。これが一番リラックスできるからなのだが、あまり行儀のよいものではない。

ビデオをつけると、角矢さんと豊田さんが現れ、「三輪さん、こんにちは」といきなり挨拶されたのには驚いた。思わず布団から飛び起きて、正座してお二人に挨拶してしまった。

寝ながら見ている姿がお二人に見えるはずもないので、もう一度横になろうかと思ったが、私のために時間を割いて録画してくださったのだと思うと、寝っ転がったまま見るのは失礼だと思い、布団の上で正座したまま見せていただいた。

本を紹介したときにも書いたように、豊田さんの作品はビジュアルな現象が多いため、できることなら読む前に、現象を見せてもらいたいと思っていた。今回私はすでに読んでいたのだが、それでも動く映像として見せていただくと、どれも大変不思議なものばかりで、眠気も吹っ飛んでしまった。読んだはずなのに、どうなっているのかわからず、あわてて本を取ってきて、方法を確認し直したものもある。なかでも作品のひとつ、「状態記憶合金」は想像していた以上にビジュアルな現象である。知らない人のために、現象だけを簡単に説明しておく。

指輪、これは自分のものを使うが、ある条件を満たしていれば観客から借りたものでもよい。それを一度ボールペンに通す。この「状態」を記憶させておく。指輪をペンから抜いて、灰皿に指輪だけを入れ、ペンは灰皿の上に置く。ペンの上に一瞬手をかざし、おまじないをかけるような動作をすると、次の瞬間に、灰皿の中にあった指輪がペンに通っている。

豊田さんがこのマジックを考えるきっかけになったのは、"The Wand in the Bottle"(瓶や花瓶の中に入れた棒が、術者の命令にあわせて上下する)という古くからあるマジックだそうである。テンヨーでも1、2年前からこの原理を使ったマジックが発売されている。長さが25センチくらいの透明な筒の中にミッキーマウスが入っていて、それが術者の命令どおりに上下するというものである。しかしこれを知っていても、上記の「状態記憶合金」を見れば、マニアでも驚くことは間違いない。

話が逸れるが、私が30年近く前に読んだ本に、アル・ベイカーの"Magical Ways and Means"がある。この中に"The Rising Coin"という古典マジックのベイカー・メソッドが載っている。観客から1セント硬貨か10セント硬を貨借りて、それをビールやジンジャーエールなどが入っているグラスに落とすと、コインがグラスの壁を昇ってくる。最後はグラスの口から飛び出すので、コインを観客に返して終わる。

このような現象なのだが、私が初めてこれを読んだとき、こんなものがマジックとして成立するとは思えなかった。本当にアル・ベイカーがこれをやっていたのか、疑っていた。タネを知ると、とてもできるとは思えないほど単純であり、現象と手段がダイレクトすぎるため、すぐにばれてしまいそうな気がしていた。ベイカーの解説ではテーブルに置いたグラスにコインを入れて、それが浮かんでくる。

昔のマジックは裏ではずいぶんと大胆なことをやっているため、先にタネを知ってしまうと、現象をかなり割り引いて想像してしまうが、うまく演じることができれば、ダイレクトな分だけ、観客に与えるインパクトは強い。

話がヘンな方向に逸れてしまった。「状態記憶合金」、"The Wand in the Bottle"、"The Rising Coin"はどれも同じギミックを使っているため、古いトリックを思い出してしまった。

あらためて角矢さん、豊田さんにはあつくお礼申し上げる。

某月某日

「エッシャー展」を見るために、大阪の天保山にあるサントリーミュージアムへ行く。

長崎のハウステンボスには世界屈指のエッシャーコレクションがある。今回の企画はそこから借りてきた170余点を中心に構成されていた。

エッシャーといえば、永遠に流れ落ちる水、いつまでも登り続ける階段、空を飛んでいる鳥と、海で泳いでる魚が途中で溶けるように逆転する不思議な絵など、数多くの視覚トリックに満ちた作品で知られている。日本でも今ではすっかりお馴染みになっている。

エッシャーの絵を見ると、ある種の神秘を感じる人も少なくないようだ。しかしエッシャー自身は、自分の絵には神秘など何もなく、ただ自分の見た世界を忠実に描いているだけだと言っている。見る側は、つい深い意味を考えてしまうのだが、エッシャー自身はただおもしろいから描いているというのは、正直なところなのかもしれない。あの絵のように、エッシャーの頭の中に世界が映っているのかと思うと、それはそれで驚嘆してしまう。

2次元の平面の上に、水が落ち続ける空間を作り上げるためには、見る側のイマジネーションが不可欠である。これはマジックとよく似ている。マジックも観客のイマジネーションの力を借りることでしか芸として成立し得ない。ウソを楽しむためには、作り手側は本物以上のリアリティを持ったウソを製作し、見る側は虚構を虚構として楽しむ余裕があってはじめて、現実にはあり得ない世界の中で遊ぶことができるのであろう。

この日は福田繁雄氏の講演会があった。福田氏といえば日本のエッシャーとでもいうようなだまし絵や、奇妙なものの製作でよく知られている。約2時間、話の合間に多くのスライドも見せていただいた。福田氏とエッシャーの作品との出会い、今回出品された展示物の解説や、ご自分の作品の紹介などもあり、盛りだくさんの内容であった。

「おもしろくなければ芸術ではない」という福田氏の言葉がとりわけ印象に残っている。おもしろいと感じる心は驚きであり、驚きはそれまでの自分の常識を破るような意外な発見があるときに限る。そこに普遍性があるかどうかなど知ったことではない。私が驚いたものであっても、他人がどう感じるかはわからない。とりあえず自分がおもしろいと思うものを作るしかないのだろう。そのような意味では「おもしろくなければ芸術ではない」というのもよくわかる。

WILL

福田氏はアサヒビールから出ている缶入りの発泡酒"WILL"を紹介されていた。(上の画像) 缶には「柑橘風味の不思議なお酒」と書いてあり、黒と黄色でデザインされている。この絵は福田氏のオリジナルである。1975年に出た松田道弘氏の著書、『奇術のたのしみ』(筑摩書房)の表紙にも使われていた。この絵は、今から30年ほど前に福田氏が製作したものである。それが今でもまた使われることにたいして笑っておられた。デザインによっては時代を経ると古さを感じさせるものもあるのに、これが古さを感じさせないのは、人間の驚くメカニズムには変わりがないからかもしれない。

ところで上の絵は、何に見えるだろうか? しばらくよく見ていただきたい。


女性の足に見えただろうか?それとも男性の足であろうか?

正解は、男女、両方の足が描かれている。黄色の部分が女性の足であり、黒の部分が男性の足である。

奇術の楽しみ

男女の足がくっきりと描かれているのに、初めてこの絵を見ると、男性の足、もしくは女性の足しか見えない人がいる。先に男性の足だと思うと、女性の足は目に入らない。女性の足が先に見えてしまうと、黒で描かれている男性の足は見えない。網膜には映っているのに、脳がどちらかを先に認識してしまうと、片方は見えていても気がつかない。

今から27年前、この本が発売されたばかりの頃、松田さんと神戸の喫茶店でお会いした。表紙の絵の話になったとき、「男性の足が」と言われた。男性の足と言われても、私には何のことなのか、さっぱりわからなかった。私の場合、女性の足が先に見えてしまって、男性の足は目に入らず、まったく気がつかなかった。

「男性の足ってなんのことですか?」

松田さんは黒い部分を指さされた。驚いたことに、確かに男性の足も描いてある! 

このように片方しか見えないのは、私のように思いこみの激しい人間だけだろうと思っていた。先日この酒を買ってきて家人に見せてたずねてみた。

「足の絵が描いてあるね。この足は男性、それとも女性?」

「女性の足」と答えたので、「男性の足には見えない?」と重ねてたずねてみた。

「なんでこれが男性の足なの?これは絶対女性の足でしょう?」と怪訝そうな顔をしていた。。

「黒い部分を見てごらん」

「ワッ、男の足がある!」

これで少なくとも私だけではないことはわかったが、他の人もそうなのか、うちの家系だけの現象なのか、まだよくわからない。

エッシャー展

会期:2002年4月10日(水)−6月23日(日)
会場:サントリーミュージアム(大阪・天保山)

某月某日

5月26日の夜、家の外で奇妙な音がしている。雨かと思ったが、それにしてはひさしを打つ音がずいぶん大きい。窓を開け、外を見ると、空からぼたん雪のような白いものが、次々と落ちてくる。窓際に積もっているかたまりをひとつつまみ上げると、うずらの玉子ほどもある氷であった。これでようやく、”ひょう”であることがわかった。これまで、米粒程度のひょうなら経験はあるが、これほど大きなものが大量に降ってくるのを見るのははじめてであった。

わずか数分の間に、庭はびっしりとうずら玉子を敷き詰めたようになっていた。私が手に取ったものはどれも直径2センチ前後であったが、隣接している伊丹市では、直径5センチもあるものまで見つかっている。

しばらく眺めていたら、10分ほどでピタリとやんでしまった。ごく短時間ではあったが、翌朝外に出てみると、庭のコンクリートの部分がまだら模様になっている。シャレではなく、豹の斑点のように、丸い跡が一面についていた。これだけの跡をつけようと思えば、コンクリートをハンマーで叩かないとつかないだろう。

近所に、合成樹脂の波板を屋根に使っているガレージがある。この駐車場を見に行くと、辺りには波板の破片が散乱し、屋根は戦闘機から機関砲で銃撃されたのかと思うほど、無数の穴があいていた。ここは古い駐車場のため、屋根の素材がもろくなっていたせいもあるのだろうが、これを見ただけでもひょうの恐ろしさがわかる。もし昨晩、おもしろがって外に出ていたら頭に穴があいていたかもしれない。

某月某日

銀座にある事務用品の店、伊東屋に行く。

この店は事務用品の老舗として、名前だけは昔から知っていたが、実際に入るのは今回が初めてであった。少し大きな事務用品の店かと思っていたら、そこら中に私の興味を引くものがあふれている。これなら何も買わなくても、優に2時間くらいは遊んでいられる。

一階の入り口を入ると、すぐ左の壁一面にはグリーティングカードがある。下のフロアーにもまだあり、これを眺めているだけで、気がついたら30分ほど過ぎていた。この種のカードはマジックの「予言」に使えそうなものや、実際にこのカードを使ってマジックができそうなものまである。6月が誕生日の友人がいるのでバースデイカードを買ったのに、送る寸前になって、このカードでできるマジックを思いついたため、送るのがおしくなってしまった(汗)。

下のカードがそれで、開くと中央に立体のカクテルグラスが現れる。これを使えば、フレッド・カップスの"Ring on Glass"と同じような現象をできるかも知れないと思っている。


グリーティングカード

バースデイのメッセージはメールで済ませて、今度会うとき、これでマジックを見せたら、少々遅くなっても許してくれると思っている。2F、3Fでも小物を数点購入した。

もう一軒、銀座中央通りを東に行ったところに、寄ってみたい店があった。伊東屋を出て向かうが、見つからない。どうやら思っていた以上に近くて、伊東屋からわずか1、2分の距離であったようだ。まさかそんなに近いとは思わなかったので、見落としてしまったらしい。



銀座を抜けてしまったので、八重洲ブックセンターに行くつもりで歩いていると警察博物館が目にとまった。

世の中には警察手帳や警官の制服などを集めている、警察フリークとでもいうような人がいるらしい。そのような人にとってはここは興味の尽きない場所なのだろう。私は警察フリークでも何でもないのだが、今後この前を通ることは二度とないかもしれない。あったとしても素通りしそうなので、記念に入ってみることにした。

警察博物館

入り口のすぐ外には白バイがあり、その後ろには錦絵で、警察官を描いたポスターが貼ってある。このポスターは警察が製作したPR用のものにしてはずいぶんしゃれている。気になったので、入り口にいる係員にたずねてみた。するとこれは明治の頃に作られた版画ではあるが、警察用のポスターとして制作されたものではなく、歌舞伎役者が舞台で警官に扮したときの似顔絵であると教えてくれた。この係員のおじさんもおそらく警視庁の人だと思うのだが、ずいぶん親切で、何かを質問するたびに懇切ていねいに教えてくれた。

博物館1階には黒バイ(皇室の儀礼用)、赤バイ(白バイの前身、昭和11年までは赤)があり、警視庁第一号のヘリコプターなどもあった。動かないが、座席には座らせてもらえる。上の階には警察の歴史、制服、武器、凶器などが展示されている。テレビの刑事物によく出てくる指紋を採取する道具などもあり、解説を読むと、これがなかなかおもしろい。柔らかいパフのようなハケでアルミの粉を細かくしたものをはたき、浮き出た指紋をゼラチンで採取してから粘着性のある紙に定着させる。この方法は明治時代から採用されているのだそうだ。今の時代だから、もっとハイテクの機械でも使っているのかと思っていたが、一般的な指紋採取の方法としては、今でもこれがベストなのだそうである。指がハンコと同じ原理をはたし、それを物理的な記録として採取できるからこそ、特定の人物がその現場にいたことの証明になるのだろう。

3階には壁一面、殉職した警察官の写真と制服などがあった。この博物館はフロアーによっては係員もいない。もし一人でこの部屋に入ったら、背筋が寒くなるような雰囲気が漂っていた。殉職された警察官には私も感謝はするのだが、大きなスペースを割いてまで展示しなければならないのだろうか。亡くなった方々のご家族や、現職の警察官には十分意味のあることはわかるが、私のように、ふらっと入ったものは、どう反応してよいものか、戸惑ってしまう。

展示品の中で私がとりわけ興味を引かれたのは、1972年に起きた「あさま山荘事件」のときに使用された盾である。この盾はジュラルミン製で、60年安保や、70年前後の学生運動が盛んであった頃、デモの鎮圧を目的として製作されたものである。そのためライフルなどの強力な武器には対応できない。1枚では貫通してしまうため、あさま山荘事件では、すべて2枚重ねにして、針金でしばったものが使用されていた。2枚重ねになったものを横から見ると、1枚目の盾には何ヶ所も穴があいている。2枚目はへこんではいても、貫通はしていなかった。この事件のあと、銃器用の盾も開発されたそうである。

偶然にも、今月はあさま山荘事件を扱った映画が公開されていた。今年であの事件からちょうど30年が過ぎたため、公開してもよいということになったのかも知れない。当時、現場の責任者であり、警視庁・警備局付警務局監査官という肩書きであった佐々淳行氏の著書『連合赤軍「あさま山荘」事件』(文藝春秋)をもとに映画は作られている。

現場は長野県であるため、長野県警にすれば警視庁からの応援など余計なお世話という気分であったのかもしれない。当事者でないとわからない話もあり、私は最後まで興味深く見ることができた。1972年といえば、大阪の万国博が成功裏に終わり、学生運動も下火になってきたころである。これは私の学生時代ともピッタリ重なっているためよく覚えている。しかし映画の中では連合赤軍や、事件が起きた当時の時代背景などがまったく触れられていないため、あの頃のことを知らない人には、山荘にこもっているのはいったい誰で、何のためにあのようなことになったのか、わけがわからないのではないだろうか。

この事件は、テレビ局がレギュラーの番組を変更してまで、ライブで現場を長時間生中継するという画期的できごとでもあった。それまでの報道番組は、ニュースとして数分間、放送されるものと決まっていた。しかしこの出来事を契機に、長時間、現場から放送し続けるという番組作りも珍しくなくなった。

今回、この事件は1972年2月19日から2月28日までの10日間であったと知って驚いた。衝撃的なできごとであったため、今でもよく覚えているつもりでいたのに、30年も経つと記憶があやふやになっている。いつの頃からか、この事件は2、3日で終わったものと思いこんでいた。

帰り際に、博物館の入り口にいるおじさんと雑談をしていると、向かいの建物を指さし、もしこれから昼ご飯を食べるのなら、あそこはどうですかと勧めてくれた。フランス料理のレストランの中では、東京で2番目に有名な店だとシェフが言っているらしい。ランチは3000円くらいだが、夜になると10倍くらいになるので、食べるのならランチがよいとのことであった。昼時になると、入り口に外車が並び、大企業のエライさんが来ているのだそうだ。

店の名前をたずねると「知らない」という返事が返ってきた。またこのおじさん自身は一度も入ったことはないというので、私もやめておいた。それより、博物館のすぐ横にあるツバメグリルも美味しいことは知っていたので、そちらに行くことにした。800円のミンチカツのランチが無茶苦茶おいしい。特にカツにかかっているソースが絶妙で、人がいなかったら皿をなめたいくらいであった。

後日、家に帰ってから調べてみると、先のフランス料理の店というのは「シェ・イノ」であった。

この日はさらに神保町の古本屋街へ行き、帰りは秋葉原界隈まで歩いた。万惣(まんそう)フルーツパーラーや藪そばにも行った。このあたりはビル街の中に突然古くからある店が現れ、都心とは思えない雰囲気が漂っている。老舗と言ってよい店が多いため、一種独特の落ち着きがある。時間があるときに、ゆっくりこのあたりをまわってみたいと思っている。もうひとつぜひ一度やってみたいのが、新宿から有楽町までの散歩である。


警察博物館

東京都中央区京橋3丁目5番1号
電話:03-3581-4321(代)
開館時間:午前10時−午後6時
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)
交通:地下鉄/有楽町線「銀座1丁目」徒歩2分。
銀座線「京橋」徒歩1分。都営浅草線「宝町」徒歩2分。


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