魔法都市日記
(70

2002年9月頃


Martini

今月は夏の暑さと、7月から仕事が増えたことが重なり、体調は最悪であった。そのせいもあり、下旬にはお招きいただいた先で、大失態をしでかしてしまった。出して頂いたワインがおいしすぎたこともあるのだが、体調のことも考慮せず、普段の倍くらいのピッチでグラスを空にしていたら、突然酔いがまわりはじめ、前後不覚に陥ってしまった。

幸いにも1時間ほど横にさせてもらったら、もう一度最初からフルコースが食べられるくらい回復したが、すっかりご迷惑をかけてしまった。


某月某日

演技のコピーに関して数名の方からメールをいただいた。

ある大学の奇術部がおこなった発表会の中に、プロマジシャン、クリストファー・ハート氏の演技ならびに演出を真似たと思えるものがあったそうである。それをビデオに録画したものが、東京で開催されているアマチュアマジシャンの会で披露された。このビデオを披露した目的はコピー演技を糾弾するためではない。数ある大学の発表会のなかでも、とりわけ優れていた人の演技を出席者に紹介したいからというのが主旨であった。

しかしこのビデが上映されると、会に参加していた有識者数名は、不愉快であるとの意思表示から、見終わるとすぐに退室されたとうかがっている。このようなコピー演技が堂々と臆面もなく行われ、発表会で演じられていることに対しての、無言の抗議であったのであろう。

クリストファー・ハート氏の演技は、紙を破りそれを復活させるマジックを独自の演出で構成したものである。普通の白い紙を使うのではなく、楽譜を使うことで新たな演出が可能となった。具体的には、楽譜を破るとそれまで流れていた音楽が止まったり、楽譜が復活するとまた再び流れ始めるといった、詩的な雰囲気を漂わせる演出になっている。

問題となった学生の演出は、楽譜を破り、復活させる部分は同じであるが、ステージにピアノと演奏者を置き、ピアノの生演奏を使うことで、いっそうドラマチックなものになっていたそうである。クリストファー・ハート氏はテープで音楽を流している。その他、学生の演出には細かい部分にも十分工夫のあとがうかがえる。しかし「破った紙の復活」に楽譜を使い、音楽と連携させるというクリストファー・ハート氏の演出が独創的なものであっただけに、その他の部分を多少変えたとしても、印象としては真似したとしか思われないのかも知れない。

私は学生の演技も、会場で流されたビデオも見ていないため、それが本当にコピーになるのかどうかわからない。そのため、今回の件について言及することは避け、あくまで一般論として、マジックにおける演技・演出のコピーについて考えてみたい。とは言え、この種の問題に法的な解釈を持ち込むことは話をややこしくするとともに、人間関係をぎすぎすしたものにしてしまう。法的にどうのこうのよりも、どう扱えばとげとげしくならず、相手を尊重できるのかという方法論について少し考えてみたい。この問題を本気で扱おうとすると量的にも膨大になるため、「日記」の中では無理である。今回は私が普段から思っている率直な感想だけに留め、機会があればあらためて「ラウンドテーブル」などで取りあげようと思っている。

一口に「コピー演技」といっても、状況は様々である。ざっと思いつくままに挙げてみよう。

(1)あるプロマジシャンの演技を他のプロマジシャンがそっくりそのまま真似して、自分のステージにかけて報酬を受け取る、

(2)あるプロマジシャンの演技をアマチュアマジシャンがそっくりそのまま真似して、無報酬の発表会などで演じる。

(3)あるプロマジシャンの演技の一部だけをコピーして、自分の演技に取り入れる。

(4)あるアマチュアマジシャンの演技をプロマジシャンがそっくり、あるいは一部だけコピーして自分のステージにかける。

今回の件は(2)にあてはまる。(1)のような、報酬を伴う「丸ごとコピー」はいくら何でもないと思うかも知れないが、昔はこのようなことも決して珍しいことではなかった。顕著な例として、1960年前後にマジシャンの世界に一大センセーションを巻き起こした、チャニング・ポロック氏の「鳩出し」がある。これは日本だけでなく、世界中で真似されていた。当時は今とは比較にならないくらい情報が伝わりにくい時代であったからできたことかも知れないが、世界中にどのくらいの数の「チャンニング・ポロック」がいたのかわからないくらい、コピー演技が横行していた。

そのことに関して、ポロック氏自身はどのように思っていたのか知らないが、本人はあまり気にしていなかったのではないかと私は想像している。自分の真似をしているマジシャンの演技など、彼から見れば、猿が燕尾服を着て、スカーフから鳩を出してるようにしか見えなかったかも知れない。チャニング・ポロックのクローンと言えるくらい、技術的にも雰囲気もそっくりなマジシャンがいれば多少は驚異であったかも知れないが、月とスッポン、月と冥王星くらいの差があるのだから、腹も立たなかったにちがいない。偽物がが増えれば増えるほど、「本物」の偉大さが際立っていた。

これほど極端な例ではなくても、最近ではランス・バートン氏が「鳩出し」の中で演じているキャンドルの手順も、アマチュアの発表会などではよく見かける。これは演技のどこにでも挟むことができるため重宝なのだろう。これは先ほどの例で言えば(3)にあたる。

マジシャンがひとつのステージを作り上げようと思えば、膨大な時間がかかることは想像するに難くない。演じるマジックだけではなく、使用する音楽ひとつをとっても、みんな苦労している。できれば自分の演技に合うように曲をアレンジしてもうらうのがベストではあるが、これはそう簡単にできることではない。そのため、市販されているCDから適当な曲を選んで使っている。これにしても、自分のマジックに合う曲を見つけるためには、何百枚ものCDを聴き、長い時間と経費を掛けて、やっとこれはという1曲を見つけ出している。あるマジシャンがよいと思う曲は、たいてい他のマジシャンにとっても都合のよい曲であることが多いため、真似されることも少なくない。演技のコピー以上に、使用曲の真似はもっと頻繁におこなわれているはずである。

話が少し逸れるが、今から12、3年前、エディ・マーフィーの出世番組「サタデイ・ナイト・ライブ」の映画版を見た。この映画の中で、エディ・マーフィが言ったジョークやギャグは数百はあった。

私が驚いたのは映画のエンディングである。出演者や映画製作に関係した人の名前が現れるところで、今回使われたジョークやギャグのひとつひとつについて、すべてクレジットがついていた。最近の映画はエンディングが長々と続くが、このときはジョークのクレジットの部分だけでも5分間くらい流れていたように思う。わずか数秒で終わるギャグであっても、製作者のオリジナリティに敬意を払ってのことなのであろう。

海外で製作されているマジックのビデオでも、誰かのアイディアや技法を使っている場合、最後にそれについて言及しているものがある。これも原案者に敬意を払うという意味で、好ましいことであると私は思っている。マジックでは原案者が不明のものも数多くあるが、たとえ正確なところはわからなくても、自分が直接参考にしたマジシャンの演技やアイディアは、自分ではわかっている。もし何かを使わせてもらったか、あるいはヒントになったものがあれば、そのことについて、多少なりとも触れておくことは相手への敬意とともに、信頼関係も深まるはずである。

出版されているマジックの専門誌のなかには、あきらかに「あの本」から盗ってきたにもかかわらず、一言のコメントもなく、まるで自分のオリジナルであるかのように書いているものを散見する。このような行為は信義にもとるだけでなく、オリジナリティに対する見識の低さを露呈しているようなものだろう。

アマチュアのマジッククラブの場合、公民館で開催されている文化活動のようなものから、大学の奇術部、さらに数十年の歴史があり、毎年本格的なマジックショーが行っている伝統のあるクラブまで様々である。これらをマジッククラブという名前でひとくくりにするには、技術力も規模も大きな差があるため、同等に扱うことは難しいのだが、マジックが好きという、共通の接点があることは間違いない。

ある程度の規模の発表会を行うところでは、出演者の氏名や演目が記載されているパンフレットが製作されている。このパンフレットの中に、出演者が自分の演技を組み立てるにあたり、参考にした他のマジシャンの演技やアイディアがあるのなら、それに一言触れて、感謝の気持ちを表明しておくことは、マジシャン同士のつながりも良好なものになるのではないだろうか。

すべての演目にこのようなことはできないことはわかるが、個人的に誰かの指導を受けた場合や、ビデオ、書籍、他のクラブの発表会での演技が参考になったと思うのであれば、自分のわかる範囲でそのことに触れ、謝辞を表明しておくだけでも、倫理的な面では改善されるにちがいない。無報酬で、年に1、2回しか演じられないアマチュアの発表会であれば、法的な規制云々より、この程度のことから始めればよいのではないだろうかと私は思っている。

某月某日

東京での出張授業のため、有楽町近辺のホテルに泊まっていた。朝の授業が終わり、散歩がてら銀座の旭屋書店に向かっていると、みゆき通りにある建物の前で、突然「マジック」という文字が目に飛び込んできた。

C.MOON

マジシャンは体に特殊な感知器でも付いているのか、「Magic」「奇術」「手品」といった文字には過剰なくらい敏感に反応する。どれほどわかりにくい場所にあっても、虫眼鏡を使わないと見えないくらい小さい文字であっても、見落とすことはない。

看板をみると、この日から3日間だけ、「C.MOON」というカクテルバーがオープンするようだ。主催は日本蒸留酒酒造組合東京支部となっている。この長い名前の団体に、日本バーテンダー協会が協力している。どうやら甲類焼酎を広めるためのイベントのようである。店内ではオリジナルカクテルが無料で試飲でき、おまけに抽選で何かがもらえるとあった。

まだ午後1時と陽も高く、この後も授業があるので、昼間からアルコールを飲んでいる余裕はない。私にとってはカクテルも抽選もどうでもよかったのだが、マジックがあるのなら見せてもらいたい。

店内を覗いてみると、午後2時のオープンに備えて、スタッフはミーティングをしたり、テーブルのセッティングをしたりと、忙しそうに動き回っていた。関係者全員に、イベント直前の高揚感が漂っていた。邪魔をしては悪いと思ったが、マジックが始まる時間と、出演するマジシャンは誰なのかだけ教えてもらい、昼食と買い物に向かった。

ホテルを出てくるときは、昼食には何を食べるか考えていなかったのだが、メルサ4階にある洋食亭ブラームスの「花咲オムライス」を思い出した。この店は自由が丘のメルサにもある。ここのオムライスは雑誌などで特集があるとよく紹介されているため、以前から一度食べてみたいと思っていた。

昼時には外に行列もできていると聞いていたが、1時を少しまわっていたせいか、この日は待つこともなく、すぐに入れた。店内は木製の大きなテーブルがあり、想像していたより比較的ゆったりした造りになっている。

オムライスは880円なので、高くも安くもなく、まあこんなものだろう。

たまごは巻くというより、半熟か、もっとトロトロの大きなオムレツをケチャップライスの上に乗せ、広げたようになっている。これにデミグラスソースがたっぷりかかっている。ドロッと厚みのある柔らかいたまごがつぶれて、広がっている様子が花のように見えるので、「花咲オムライス」と名付けたのかもしれない。

見た目は悪くなかったのだが、味は私の好みにはあわない。ベースになっているご飯と中に入っている具全体に深みがなく、デミグラソースとのバランスもよくない。全体のハーモニーがよくないため、味が単調になってしまっている。三分の一ほど食べたら飽きてしまった。

使っているたまごや鶏肉も厳選されていると聞いていたのに、これはどうしたことなのだろう。オムライスはこれまで数多く食べているが、途中でもういいと思ったのは今回が初めてであった。基本的に、私は玉子ですっきりと巻いてあり、上に完熟の赤いケチャップが乗っていて、中のご飯にもしっかり味が付いているものが好みということなのだろう。私には合わなかったが、「ブラームスのオムライスが最高!」という人も少なくないから、好みとしか言いようがない。

普段より食事のペースが落ちたせいか、気がついたら2時前になっている。急いでイベント会場まで戻ったが、すでに店の中は満員で、少し待たなければならなかった。夜は9時までやっているので、昼間は空いていると思っていたが、これは予想外であった。しかし10分ほど並んだら、何とか入れてもらえた。

店内には細長いカウンターがあり、バーテンダー8名が横一列に並んでシェーカーを振っている。リクエストできるカクテルはパネルに紹介されている8種類の中からしか選べない。しかしこの8種類は過去10年のイベントで、人気の高かったものをばかりを厳選しているため、写真を見ただけでも、試してみたいものがそろっていた。

「スイートメモリー」「アフターサマー」「楊貴妃」「ブルーパラダイス」等の名前が並んでいる中で、私は見た目のあざやかさから「アフターサマー」を頼むつもりにしていた。甲類焼酎+マンゴージュース+ブルーキュラソーでできている。しかし8種類の中ではこれが一番アルコールが強いと聞いてパスした。このあと午後からの授業もあるため、ここで酔っぱらってしまってはまずい。ということで、一番アルコール度数の低い「潮騒」を頼んだ。これは甲類焼酎+トニックウォーター+カボスからできている。全体に透明で、焼酎を炭酸で割っただけのようなものなので、水代わりに飲めてしまう。

会場内には直径50cmくらいの丸いテーブルが十数個あり、そこで適当に立ったままで飲むことになる。7割くらいが若い女性で占められていた。肩が触れ合うくらい混雑している中でマジックを見せるのは大変だと思うが、二人のマジシャンがテーブルの間を移動して、マジックを見せていた。二人とも50代くらいで、普段はどこかのバーでマジックを見せているのかも知れない。

私がいるテーブルまで来てくれるのを待っていると30分くらいかかりそうなので、こちらから実演中のテーブルに移動して、覗かせてもらうことにした。

カードマジックすでにひとつふたつのマジックは終わっていたようだが、私が行ってからでも、立て続けにカードマジックばかり、3つほど見せていた。こうなると観客は飽きてくる。とくにテイクワンタイプのカードマジックを続けると、どれだけ演出を変えたところで、同じように見えてしまう。観客が飽きてきたと感じたのか、このマジシャンは途中でスポンジボールを使ったオーソドックスなルーティンをひとつだけ挟んでいた。

小さいテーブルしかなく、観客には360度すべての位置から見られるといった、おおよそマジックを見せる環境としては最悪といってもよい状況では、カードマジックは確かに楽である。しかしあまり安直な方向に逃げるのではなく、もう少し使う素材に変化をもたせて欲しい。特にこのようなテーブルホッピングの場合、隣の席からでも見えてしまうので、同じものを繰り返していては観客の集中力も落ちてしまう。見せるマジックはひとつのテーブルでは二つか、多くても三つまでにしておき、それもカードマジック以外で、すべてのテーブルで異なったマジックを見せられるくらい準備しておくことが望ましい。もしテーブルホッピングのプロを目指している人がいるのなら、普段からそのことは心がけておいたほうがよい。テーブルホッピングと一口に言っても、今回のように3日間だけのようなものから、長期に渡りレギュラーで出演している場合では出し物も変える必要はあると思うが、安直にカードマジックばかり並べるのだけはやめたほうがよい。

バーのようなところでマジックを見せてもらうのは好きなのだが、9月の午後2時、しかもガラス張りのイベント会場で立ったままカクテルを出されても、ゆっくりとマジックを楽しむ気分にはなれない。やはりマジックはもう少し落ち着いたところで、ひとつかふたつ、見せてもらうのがベストなのだろう。

私は予定があったため、10分ほどですぐに店を出た。このあと会場ではステージマジックもあったのかも知れない。

某月某日

最近、70年代前後に流行った曲を集めたCDが何枚も出ている。それもオリジナルとは違う歌手が歌っているものが多い。私自身は60年代くらいから80年代中頃までに流行ったものであれば知っている曲もかなりあるのだが、それ以降はまったくといってよいほど知らない。特に90年代はじめくらいから主流になってきた曲はまったく歌えない。歌えないと言うより、歌詞とリズムがそれまでとはまったく変わってしまったのだろうか、何を言っているのかさえ聞きとれない。不協和音といってもよいような落ち着きの悪さを感じていた。

What's Cover?

昔から、洋楽に日本語の歌詞をつけたものはいくらでもあったから、洋楽だから日本語と合わないということではないはずである。意識的にはずしているのか何なのか知らないが、とにかく90年代はじめくらいから、日本語の歌詞と曲のリズムが、気持ちが悪いとしか言いようのないくらい私には合わなくなってしまった。

私が十代の頃、父の世代の人たちは、最近の曲はわけがわからないと言っていた。これと同じように、世代間のずれで仕方がないことなのか、それとも私の個人的なものなのか、よくわからなかったが、あまり気にもしていなかった。

しかしどうやら40代後半から50代以上の人のなかには、私と同じようなことを感じている人が大勢いるようだ。レコード店……、これはもう死語か?しかし「タワーレコード」という店があるから、レコード店でも別にかまわないと思うのだが、店頭には、70年代に流行った曲をいろいろな歌手が歌っているものが何種類も積み上げてあった。

このような流れと関係あるのかないのか知らないが、今年の夏頃から、小柄な女の子が、道路現場で働いている人の格好をして、缶コーヒーBOSSのCMソングを歌っているテレビCMがあった。ナット・キング・コールの"L-O-V-E"が元歌なのはわかったが、この女の子が誰なのかわからなかった。外国人の女の子かと思っていたら、あれが浜崎あゆみと知って、驚いた。驚いたのは多分私だけだと思うが、浜崎あゆみって、あんなにかわいかった?もっと生意気そうで、柄の悪そうな女の子だと思っていたのに見直してしまった。DVDでも買ってみようと思っている。

某月某日

Mr.マリックのライブショーが神戸オリエンタル劇場で開催された。

生でMr.マリックのマジックを見るのは20数年ぶりかも知れない。少なくとも、十数年前、Mr.マリックが「超魔術」という造語を使い、ブームを巻き起こしてから生で見るのははじめてである。この1、2年、テレビでのマジック番組といえば、9割近く、種明かしが含まれていた。そのこともあって、Mr.マリックが出演するテレビ番組もほとんど見ていない。しかし神戸でライブがあるのなら、よい機会なので行くことにした。

スプーン会場入り口ではチケットと引き替えに、入場者全員にスプーンを配っていた。よく見ると柄の部分に「Mr.マリック」と刻印されているが、100円ショップで売っているような安いもので、金属も薄い。これなら少し力を入れると、簡単に曲がる。これを使って、観客全員に「スプーン曲げ」をさせるようだ。

場内を見渡すと、祝日の午後ということもあり、小学生くらいの子供が目につく。開演時間には数百名入る会場はすべて満席になっていた。

ユリ・ゲラーが「スプーン曲げ」のブームを巻き起こしたのが1974年。それから10年ほどしてMr.マリックブームが起きた。スプーン曲げが世間で知られるようになってからでも、もうすでに30年近く経っている。当初はごく基本的な原理しかなかったが、今ではこの分野もずいぶん進歩している。

一般の人には、金属のスプーンは固いという先入観があるせいか、簡単には曲がらないと思いこんでいる人が大勢いる。しかし両手で少し力を入れると、簡単に曲がってしまう。とくに100円ショップで売っているような薄い金属のスプーンであれば、支点と力点をうまく決めると、「てこの原理」で、思いの外簡単に曲がってしまう。集団を相手にこのようなことをさせるとき、どのような演出、誘導をするのか、興味があった。

開演時間になると、会場が暗くなり、お馴染みのMr.マリックのテーマ曲が流れてきた。ステージの前面からスモークが吹き出し、煙の中からMr.マリックが現れた。手にはバナナを持っている。このバナナでつかみのギャグとマジックをひとつ見せたあと、「超魔術」が始まった。

約1時間半くらいのショーは、透視や予言のマジック等が大半を占めていた。いずれもすでにテレビで見たことのあるものが大半を占めていた。新奇なものはほとんどなかったが、この数年、ハイテク機器を使ったメンタルものが多いせいで、裏の事情がわかってしまうと、興ざめしてしまう。とはいえ、これは私もマジックをやっているからわかってしまうだけで、一般の観客はみんなそれなりに満足していたようである。ざっと十種類くらいのマジックが終わった後、最後にスプーン曲げが始まった。

まず最初に会場の中から、8歳の女の子を1名選び、ステージに上がってもらった。スプーンを手渡し、片手でスプーンの柄の部分を握ってもらい、スプーンのへこんでいる部分に親指をあててもらう。実際にこのような持ち方でスプーンを握り、親指に力を入れてスプーンを押しても簡単には曲がらないことはわかるはずである。成人男子であっても、まず曲がらない。まして8歳くらいの小さい女の子であれば、このような持ち方で、スプーンを押しても曲げることは不可能である。ところが、Mr.マリックが女の子に「ハンドパワー」を送ると、片手で持っているだけのスプーンを、ほぼ直角に曲げてしまった。

これを見ると、半分疑っていた観客も、人智を越えた不思議なパワーが存在しているのではないかと思い始める。このあたりの演出はさすがにうまい。

この後、観客全員でスプーン曲げを行うことになる。私は曲げないで、記念にそのまま持って帰るつもりにしていたら、「スプーンが曲がらない人は、根性が曲がっている人だ」と言われてしまった。他にも私のように、曲げないでそのまま持って帰るつもりにしていた人もいると思うのだが、この言葉で「裸の王様」のような気分にさせられてしまって、素直に曲げた人もいるのではないだろうか。どうせ曲げるのなら、いっそのこと切断して、会場で注目を浴びようかと思ったが、それも恥ずかしいのでやめておいた。

会場では曲がった人と曲がらなかった人の割合は、半々くらいであったと思う。しかし、両手でスプーンを持って、気合いを入れて引っ張るだけなので、これで曲がったとしても、何が不思議なのだろう。

会場にあった売店では会場限定の製品や、Mr.マリックが登場するときの曲が入ったCDも販売されていた。この曲はマジックを見せるとき、シャレで流してもうけるため、重宝している。「オリーブの首飾り」は、今ではギャグとしてしか使えないが、Mr.マリックのテーマ曲はまだ十分使える。

Mr.マリックの功績として、これまでマジシャンが捨てていたようなマジックであっても、演出次第で十分金の取れる演技になることを示してくれたという点がある。それと同時に、ごく少人数の前でしか演じられないと思われていたカードマジックやスプーン曲げでさえ、観客が千名以上入る大きな劇場でも状況次第では実演可能であることを示してくれた。このことだけでも、多くのマジシャンに新たな可能性を提示してくれたのではないだろうか。

Mr.マリック超魔術LIVE
新神戸オリエンタル劇場(新幹線新神戸駅前)
2002年9月16日(祝/月)
開演11:00 /14:30
一般料金 4500円


このオリエンタル劇場の入り口正面には「ダブルフェイス」という、昼間は喫茶店、夕方からバーに変わる店がある。いつこの店がオープンしたのか正確なところは知らないが、2年くらい前、知人が偶然この店に入ったら、無料でマジックを見せてもらっえたと言っていた。店の外から見えるところに、カードやダイス、コインなど、マジックで使用する道具が並んでいる。今でも見せてもらえるのだろうとは思ったが、念のため店員にたずねてみると、マジックは夕方から始まるバータイムのとき、バーテンダーに頼めば見せてもらえることがわかった。

バータイムまでには2時間ほどある。今回はあきらめてお茶を飲んでいたら、マジックを見せてくれるバーテンダーが普段より早く着いたのか、係の人が知らせに来てくれた。Mr.マリックのショーを見るために、早くから来ていたのかも知れない。

場所をテーブル席からカウンターに移り、カードやコインなど、15分間くらいの間に、10種類くらいのマジックを見せてもらった。火のついたタバコが100円玉を貫通する「シガースルーコイン」など、マジック自体はそれなりに厳選しているのだが、どうも今ひとつおもしろくない。Mr.マリックのマジックを生で見た直後ということを割り引いても、つまらない。

「シガースルーコイン」は今から十数年前、Mr.マリックがこれをテレビではじめてやったとき、本当の魔法と思った人が続出した。放送日の翌日、私は一般の人から何度「あれは本物の超能力でしょう」と言われたかわからない。このマジックは、マニアであればたいてい、昔から持っていた。しかし実演することもなく、引き出しの中にしまい込んでいたようなマジックであった。こんなものがうけるとは思えなかったのだが、Mr.マリックはこの常識を覆した。

しかしこのマジックを誰がやってもうけるかというと、そうでもない。Mr.マリックと同じくらいインパクトを与えられるマジシャンはそれほど多くはない。現象自体はまったく同じであっても、そのマジシャンが醸し出す雰囲気やオーラーが違うと、まったく別物のようになってしまう。今回のバーではそのことをあらためて感じてしまった。

クロースアップマジックが観客に魅力ある芸となるには、トリックそのものは2割、演者の人間的な魅力が8割くらいを占めているような気がする。同じマジックであっても、あの人が演じるのであれば見たい、逆にあのマジシャンが演じるのなら見たくもない、というのはいくらでもある。このあたりの難しさに気がついたとき、多くのマニアはスランプに陥ってしまうのだろう。マジシャンとして、指先のテクニックだけをいくら磨いても、これは乗り越えられない。もう少し、人間全体の底上げをしないことにはどうしようもない。これが難しい。

話が逸れたが、この店は特別な追加料金も必要なく、極めてリーズナブルな値段で飲食もでき、マジックも見せてもらえる。私のように、ほとんどのネタを知っていると、どうしてもひねくれた見方しかできないが、一緒に行った友人はおもしろがっていたので、お近くの方は機会があれば一度のぞいてみてはいかがだろう。


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