2013.01.27 K.Kotani>
自主アニメ産業の可能性 1
毎月読める日本で唯一の自主アニメ情報誌
月刊近メ像インターネット
2013年1月27日
自主アニメ産業の可能性 1
2011年の事だが、2010年の広島アニメフェスに「服を着るまで」で入選した北村愛子さんのツィッターをまとめたものがこちらに掲載されていた。(現在も見る事が可能)
要は、アート・アニメの短編を作ってそれを売る事で食べて行く事が現在の日本ではできない、ということである。
この問題については、70年代の自主製作アニメの時代からずっと続いている。作家のレベルの低さの問題ではない事は、8mmシネカリグラフで海外の作家を驚嘆させた二木真希子さん、ニューヨーク近代美術館に作品を買い取られた相原信洋氏、人形アニメの巨人、川本喜八郎氏といえども、自分の作品を制作し、そこから上がる収益で生活を支える事は出来なかったという事実を見れば明らかである。
二木真希子さんは、スタジオジブリに入社してプロのアニメーターとなり、個人の仕事としては挿絵などを描かれている。
相原信洋氏はプロのアニメーターとして「オバQ」や「天才バカボン」の動画を描きつつ、自分の作品を制作し、その後、亡くなられるまで、専門学校や大学の教員を歴任しつつ、作品の制作を続けられた。作品制作の収支は不明だが、自分の作品を作ってそれだけで生活されていた訳ではない。
川本喜八郎氏は、一般にはプロのアニメーション作家として認識され、日本のアニメファンからの人気も高く、ビデオソフトとして作品集も発売されている。しかし、氏の収入は主に人形製作者としてのもので、アニメーション製作はずーっと赤字だった。ある方によると、「作品を作る度に、土地を売ったり、家を売ったりしていた。」との事である。遺作となった「死者の書」では、ファンにサポーター
として一口一万円の寄付を募り、ようやく製作にこぎつけた。製作現場の話を聞くと、「なるほどお金がかかるだろう」という手間の掛け方で、それならではの作品の質の高さの代償は大きかったようだ。
北村愛子さんは、2010年の入選後、京都嵐山近辺のカフェギャラリーで何回かの上映とトークのイベントをされており、その際、「東京芸術大学の大学院では、「作品を作る時は、劇場で上映できるだけの画面クォリティで製作する事」と指導された」と発言されている。その為には、素材製作に手間ひまをかけて高いレベルに仕上げるだけではなく、パソコンその他の機材も家庭レベルのものではなく、業務用以上のものが要求される。さきのツィッターの中でも、「短編アニメ製作はお金がかかる。」という事が述べられている。
※逆に言うと、「自主製作だから」と割り切ると、現在では、作品制作にはあまりお金がかからない。一例をあげると、2008年に私の製作した「てんかん発作のうた」というアニメがある。作品はこちら。こちらは難病支援のボランティア活動をされている方がミュージカルの中で使うためのアニメーションだが、当初普通のアニメスタジオに製作の見積もりを依頼したところ、「三千万円」という数字がでた。これは普通にプロモーション用のアニメビデオ(30分位)を作る費用として、べつに高くはないが、予算を2桁ばかりオーバーしていた。そこでお話を伺うと、キャラクターも曲もすでにあり、3分弱の絵を作るだけ、というお話だったので、B5の動画用紙に動画を描き、スキャンしてデジタルペイントし、アマチュア用ソフトで曲とミックスして仕上げ、お金はほとんどかからなかった。昔はセル一枚50円だっが、今は完成した作品の収録用DVD-Rが50円である。ペンタブレットを使うと、動画用紙の費用すらかからない。
しかしながら、このお金をかけて製作した劇場用クォリティの短編アートアニメが、現在の日本ではお金にあまりならない。DVDにして販売しても、北村愛子さんによると、「千枚売れても制作費を回収できない。しかも短編一本では販売できるDVDソフトにならず、何本かをまとめないといけない。」との事である。
この、「自主アニメをソフト化してもあまり売れない」というのは70年代の昔から続いている事で、女性作家作品をまとめてVHSソフト化したり、個人でプライベート版のソフトを作って売ったりしていたが、大ヒットしたという話はあまりない。
ところが、ものすごく売れた自主アニメもあり、その一つは新海誠氏の「ほしのこえ」である。ただし、事情筋によると、「一緒に収録されているメーキング欲しさにみんな買っている」との事であるが。もうひとつ売れたのはDAICON FILMの「DAICON オープニングアニメ」で、これはVHSの時代にものすごく売れて、うちの近所のレンタルビデオ屋にまで置いてあった。ただし、音楽著作権やらキャラクターの使用権やら、グレーゾーンの部分もあり、DAICON FILMは「ウルトラマン」の自主映画を勝手に作って売り、円谷プロに怒られた事もあったそうだ。
「2」へ続く。