<2013.01.28 K.Kotani>自主アニメ産業の可能性 5


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2013年1月28日

自主アニメ産業の可能性 5



 前稿では、「過去に試された自主(アート)アニメの商業的に成功する可能性」について述べた。

 誠に残念ながら、現在、個人のアニメ作品を作って、それで食べて行く、という事については否定的な結果しか出てこない。

 しかしながら、これを「日本はアートアニメについての理解が遅れている。」と即断するのは軽卒だと思う。芸術の各分野を見ても、油絵や彫刻、演劇、小説や俳句、短歌、音楽全般など、自分の作品を作って食べて行けるジャンルは見当たらない。漆器や陶器、染色など、工芸品に近いようなものでは、一定の技量を身につければオリジナルのものを作って食べていけるようだが。

 俳句で食べていきたい、小説で食べていきたいからといって、公的補助を期待したり、企業のスポンサーを探したりするような話は聞いた事が無い。

 この、「アニメーションでは、自分の作品を作って食べていけるべきだ。」という発想は、アニメーションというものが高価な特別の機材を必要とし、少数の特有の技術を持った人々にしか作れなかった時代が長く続いて来たために、「アニメーション」というものを特別視する見方から生まれたもののように思う。

 現在では、普通の家にあるパソコンとスキャナー、多少スペックの高いデジカメがあれば、機材的にも何の問題もないし、多くの作業はパソコンで自動化されているために、昔プロが10人ががりで3日かかった作業が、アマチュアが一人で一日で出来るようになっている。トレス・彩色作業は、原画をスキャンして、パソコン画面上でちょん、ちょんとすれば出来上がる。複数層のセルと背景を重ね合わせ、巨大なマルチプレーンカメラを数人がかりで操作していた撮影作業はパソコン内部の処理ですんでしまい、結果はすぐ画面で確認できて、気に入らなければ、パソコン上で数値を打ち替えれて、訂正後の結果を確認する事も簡単だ。昔必要とされていた「特別の機材」など、もはや不要だし、「特別の技術者」も、多くの部分はパソコンが代行してくれる。

 問題は、他ジャンルと比較したばあいの、アマチュア層のあまりの薄さである。どの芸術分野でも、裾野になるアマチュア層があり、初心者・中級者・上級者がいて、さらにその上にプロの人間がいる。丁度富士山のように積み重なり、頂上の、それで食べて行けるプロの部分はほんのわずかだ。

 これに対してアニメーションでは、学校時代には課題で個人作品を作るが、卒業するとプロの世界に入り、何年かで見切りをつけて他の仕事に転職すると、ほとんど自分の作品を制作する世界に戻って来る事はない。結果として、数千人から数万人のプロの下に、数百人(あるいは数十人?)のアマチュアがちょろりとぶら下がっているという構成になる。

 ところが、この「上が大きく、下が小さい」という構造、よく見てみると、他の芸術ジャンルとは異なっているのである。

  「6」へ続く。  


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