<2013.01.28 K.Kotani>自主アニメ産業の可能性 6


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2013年1月28日

自主アニメ産業の可能性 6



 前稿では、「自主アニメのプロ・アマ構造」について述べた。

 この、アニメーションの「プロ・アマ構造」が他ジャンルと異なっている点は、一見、アート系アマチュアの裾野の上に商業的プロが乗っかっているようで、「実は全然別の山」という事なのである。

 例えば小説だと、無名のアマの新人が小説を書いて雑誌に投稿したり、新人賞に応募したり、出版社に持ち込んだり、同人グループを作って同人誌を発行したりする。最近はネット上で作品を発表している人も多いようだ。この、アマの新人が書いている小説と、プロの作家が書いている小説は、上手い下手の違いはあっても同じ「小説」である。中学生のやっているサッカーと、Jリーガーのやっているサッカーが、同じ大きさのグラウンドとルールでやる、「サッカー」であるように。

 ところがアニメーションの場合は、商業作品を作るプロの下の部分は、アートアニメを作るアマチュアではなく、アートアニメを作るアマチュアの上は商業作品を作るプロではない。プロの作る商業作品と、アマチュアの作るアート系作品はまったく別のもので、「アマチュアの中の上手い人がプロに成る」というものではない。では、商業作品を作るプロの下の部分は無いのかというと、無いと上は支えられないので、アニメの専門学校の生徒さんや、芸術系大学の学生さんが下の部分になって支えているのである。「2」で記述したように、映像共有サイトで無料で作品を発表している人には、学生で、プロの会社に入るためのプレゼンテーションとして発表している人がある。

 そして、日本でアートアニメを作るアマチュアの上の部分は、広島で入選するようなアート系の作家で、そのほとんどが海外作家なのだ。

 そして、日本のアート系のアマチュアの層が薄い、という事が、長年広島の国際アニメフェスで日本勢が苦戦を続けて来た理由である。アマチュアの層自体が薄いために、プロの下を支える学生達の課題制作・卒業制作が多く応募されているが、中々予選を突破できない。そして、その後卒業してプロに入ってしまうと、広島に出すようなアート作品は制作しなくなる。

 この状況を最近打破したのは、東京芸大大学院や多摩美大で、「学生の中から、才能のある人間を集めて、世界で勝てるように指導し、かつ世界に通用するような制作環境を与える」という方法で、広島の予選を突破したり、世界各地の大会で受賞するような若手を生み出した。

 しかし、その世界を突破した若手達が、「日本ではアートアニメでは食べていけない」というのが、「1」で紹介した現状である。

 次は、「それでもアートアニメで食べて行く為の可能性」について述べたい。   「7」へ続く。  


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