『二日目』


「いっただきまあす」
原田はカップ麺の蓋を開けた。横では、仁が食パンに辛子バターを塗っ
ていおり、傍らにハムとレタスが置かれている。もちろん、パック牛
乳も。
「なんだよ、黒須。おまえ今日の昼もパンなのかよ。そんなんじゃ体
持たないぞ」
そう言われた仁は、わざとらしく顔をしかめた。
「いいんです、俺はパンが好きなんですから。それより、原田さんも
今日もカップ麺じゃないですか。そっちこそ、体持たないんじゃない
ですか?」
原田は、箸ですくい上げた麺をチラリと見た。
「しっかたねえだろ?昨日も言ったけど、給料前なんだからよ。それ
に、最近このカップ麺にハマってんのよ」
そう答えると、カップを取り上げて仁に見せた。のぞき込む仁。
カップには、『レバニラ味』と書かれている。
「れ、レバニラですか・・・・・・」
仁はわずかにたじろいでつぶやいた。原田はニッコリと微笑んだ。
「美味いぞお、おまえも喰ってみっか?」
「い、いや、また今度でいいです」
そう言って仁は、パンにレタスとハムを乗っけた。
二枚の食パンで挟み込んだ即席のサンドウィッチを一口頬張ると、
満足そうな笑みを浮かべた。
「うん、美味い・・・・・・・?」仁は、ふと横を見た。「・・・・・・あれ?
いつのまに、来たんですか、沢村さん」
その視線の先には、たしかに沢村がいた。会議用テーブルの端に
座り、カレーを食べている。
はっきり言って、気配も感じなかった。と言うか、そこにいる沢
村は様子が違っていた。
目は虚ろで、ぼんやりとカレーを口に運んでいる。気のせいか、
顔色も悪い。
「・・・・・・さ、沢村さん?」
仁は声をかけるが、沢村はぼんやりとカレーを食べ続けている。
麺をすすっていた原田も、沢村を見る。
「先輩、おーい」
だが、やはり沢村は心ここにあらずといった感じでカレーを食
している。
「沢村さんっ」
仁はわずかに語気を強めた。すると、ようやく耳に届いたのか
沢村はゆっくりと二人の方を向いた。
その動きはとてもぎこちなく、生気が感じられないものであり、
仁と原田の背中に戦慄が走る。
沢村は二人をじっとみつめた。そして、口を開く。
「・・・・・・ん?何か言ったか?」
意外にも、いつものトーンである。二人は拍子抜けた。
「い、いや、さっきから声かけてたんですけど、なんか沢村さ
ん聞こえていなかったようで」
おどおどしながら、仁が言うと沢村はキョトンとした表情を
見せた。
「へ?そうか。さっきから言ってたか。おかしいな・・・・・・」
いつのまにか、いつも通りの沢村になっている。顔色も元に
戻っている感じさえする。
原田は麺を箸でいじりながら、仁に近づいた。
「やっぱ、あれかな?もう禁断症状出てきているんじゃないか」
小声で言われた仁はこくりとうなづいた。
「ええ、本人は気づいていないようですけどね・・・・・・沢村さん」
カレーを一口頬張った沢村は顔を上げた。
「ん?」
「変なこと聞きますが、大丈夫ですか?煙草吸わなくて」
そう言われた沢村は、ニヤリと笑った。
「ああ、煙草か。いやな、昨日はさすがにビビっていたけどよ、
意外と平気なもんだな。なんとかこらえられてるよ」
「・・・・・・本当かなあ?」
原田がまた小声で言うと、仁は肩をすくめた。
沢村は皿にあるカレーを全部たいらげた。そして笑みを浮か
べる。
「・・・・・・いやあ、禁煙していると、飯が美味いなあ。どれだけ
煙草が体に悪いかがよく分かるぜ」
二人は思わず、顔を見合わせた。
「・・・・・・絶対、強がりだ」
「たしかに・・・・・・」
そう言い合うと、二人は沢村の挙動を見守った。
沢村は、満腹感にひたりながら軽く伸びをした。そして、なぜ
かスプーンをくわえる。
「・・・・・・ま、まさか」
仁が呟いた直後、沢村はポケットからジッポーを取り出して火
を点けた。それをスプーンの先端に当てる。
「・・・・・・沢村さん?な、何やってるんですか」
仁に言われた沢村は、ん?という表情で二人の方を見ると、次
に自分の口元を見た。
「おおおっ!」
慌てて、スプーンを離す。そして、しまりが悪いように苦笑を
浮かべた。
「い、いやあ、何やってんだろうな、俺・・・・・・」
明らかに動揺した口調でつぶやいた。そして、額に浮かんだ汗
を拭うと、今度は内ポケットからボールペンを取り出し口にく
わえた。またジッポーの火をあてる。
すべて自然な、無意識の行動である。
「せ、先輩・・・・・・」
原田が声をかけると同時に、沢村の鼻孔にプラスティックが溶
けた匂いが入りこむ。
「げほあっ!」
派手にむせると、呆然と溶けかけたボールペンをみつめた。
「い、いかんな、こりゃ。ちょっと顔洗ってくるわ」
そう言うとヨロヨロと立ち上がり、部屋から出ていった。
仁と原田は顔を見合わせた。
「あきらかに禁断症状が出てますね・・・・・・」
原田はこくりとうなづいた。
「ああ、それにしても二日目であそこまでの症状出るとは
なあ。どれだけニコチン中毒だったがわかるよ。それに、
先輩の中の煙草を吸うって行動の比重がどれだけでかいかもな」
「下手したら、睡眠時間よりも煙草を吸っている時間のほうが
長いかもしれないって言ってましたからね・・・・・・」
仁はそこまで言うとハッとした。
「そういや、沢村さん出ていっちゃいましたけど、いいんです
か?ありゃ絶対隠れて吸いますよ」
原田はニヤリと笑った。
「大丈夫さ、皇のやつが先手打ってるよ」

沢村は廊下を歩いていた。
まるで犯罪者のように周囲に鋭い視線を投げかけている。
そして、エレベーターの前に立つとボタンを押した。同時にさ
りげなく後ろを振りかえる。
すると、ちょうど近くの角に飛び込もうとしていた人影が一瞬
見えた。誰かははっきり分からなかったが、紛れもなく整備員
の服装だ。
沢村はニヤリと笑うと、到着したエレベーターに乗り込んだ。
そして階数ボタンを押すと扉を閉めた。
閉まると同時に整備員がエレベーターの前まで駆けてくる。
そして、ランプを見る。エレベーターは二つ下の階で停止した。
整備員は無線機を出した。
「目標は6階に移動!こちらもむかいます」
そう告げると同時に階段を駆け降りていった。
すると、今度は隣のエレベーターが上がってきて停止した。
扉が開く。中から姿を見せたのは沢村であった。
周囲に人がいないのを確認するとニヤリと笑う。
「意外とこういうトリックに引っかかるのよねえ」
そうつぶやくと、早足で階段を駆け上がっていく。やがて
到達したのは研究室が立ち並ぶ棟であった。
沢村は周囲をチラチラ見ながら、廊下を進んでいった。
そして、ひとつの研究室の横にある小さなトイレの前に立つ。
そこは、この研究棟にひっそりと作られたトイレであり、棟
のはじにあることもあってあまり利用者がいない場所でもあった。
沢村はもう一度周囲の様子を探り、人がいないことを確認する
と中に入った。
そして、清掃用具などを入れているロッカーまで行くとそれ
を開けた。中に手を伸ばすと、天井のあたりを探る。
「たしか、このへんに・・・・・・」
つぶやきながらロッカー内を探る沢村だったが、突然その動
きが止まった。その口に笑みが浮かぶ。
「・・・・・・ビンゴ」
ゆっくりと引き戻された手には、ラッキーストライクの箱が
握り締められていた。
「うまく追求を免れていてくれたか・・・・・・」
満面の笑みを浮かべてつぶやいた沢村は、トイレの個室に飛び
込んだ。
そして、はやる気持ちを押さえつつ、封を開ける。
中から一本取り出すと、顔の前に持ってきて再び満面の笑みを
浮かべる。
「この不死身の沢村がこれぐらいで禁煙するわけないだろうに。
そんな簡単には負けないぞ、と」
そうつぶやくと煙草を口にくわえ、ポケットからジッポーを取
り出した。
シュボッという音と共に火が点り、沢村は目を輝かせて煙草の
端に火を近づけた。その瞬間。
突然沢村の頭を冷たい感覚が包み込んだ。頭から水をかぶった
のだ。
「な、なんだあっ!」
ずぶ濡れの沢村は上を見上げた。そして凍りつく。
個室の天井近く。わずかに空けられた空間に、整備員の顔があ
った。両隣の個室から、そして沢村がいる個室の扉の上から。
整備員達は冷たい視線のままでじっと沢村を見下ろしている。
「・・・・・・あ、あはっ、み、みんな元気い?」
フィルターまで完全に濡れた煙草をくわえたまま、沢村はわざ
とらしく笑みを浮かべた。

特務課作戦ルーム。
仁と原田は書類の束を整理しながら、横を向いた。
その視線の先には頭からタオルをかぶったままで、椅子にがっ
くりと座り込んでいる沢村がいた。
「予想通りの展開でしたね」
仁が言うと、原田はこくりとうなづいた。
「この研究所内に、もう安息の地はないのにねえ・・・・・・」
テーブルの上に置いてあった携帯が鳴り始めた。沢村の携帯
である。
「沢村さん、鳴ってますよ」
仁が声をかけるが、沢村は呆然としたままで反応しない。
溜め息をつくと、仁は携帯を取り上げスイッチを入れた。
「もしもし?・・・・・・ああ、中越課長ですか・・・・・・はい、ちょ
っと待ってくださいね」
仁は携帯を耳から離すと、椅子から立ち上がろうとした。
と、その時携帯の裏に赤い色のシールが張られているのに気
づいた。
「・・・・・・?」
首をかしげつつも、仁は沢村のところまで携帯を持っていった。
「沢村さん、本庁の中越課長からです」
そう言われた沢村は仁の方を向いた。タオルの間からわずかに
見える目は、完全に焦点が定まっていない。思わず仁はたじろ
いだ。
沢村は力ない動きで携帯を受け取ると、耳にあてた。
「・・・・・・沢村れえす」
仁は横目でその様子をみつめながらテーブルに戻った。そして、
身を乗り出して原田に近づく。
「原田さん、沢村さんの携帯に赤いシールあったんですけど、
なんすかあれ?」
そう問いかけられた原田はチラリと沢村を見た。
「ああ、ありゃ赤札だ」
「赤札あ?あれですか、取り立てとかで使う」
仁の言葉に原田はうなづいた。
「そ、貼ったのは皇だ。ほら、昨日のポーカーで先輩の私物っ
てほとんど取り上げられただろ?だから、負け分を帳消しにす
るまでは皇の物ってことだ。とはいえ、仕事に関わるものが多
いってことで、皇から借用って形になるのよ。あの赤札はその
証拠だな」
「まったく・・・・・・」仁は呆れた表情を見せた。「ほんとに何や
ってんだか・・・・・・」
「・・・・・・分かりましたっ!」
突然、沢村の声が室内に響き渡った。さきほどまでの脱力しき
ったトーンとは正反対の威勢の良い語感である。
予想外のことに二人は沢村を見た。
沢村は携帯のスイッチを切ると、椅子にかけていた予備の背広
を着込んだ。表情が険しい。
ただならぬ様子に原田と仁は立ち上がった。
「どうしたんですか、先輩」
「・・・・・・まさか、組織ですかっ!」
仁が言う。室内に張りつめた空気が生まれ、久々に全員の表情
が強ばる。
沢村は軽くネクタイを直すと、仁達に振り返った。鋭い眼差し
で見つめ返す。
「・・・・・・仁、原田」
「・・・・・・はい」
二人もまっすぐと沢村の眼をみつめる。
沢村は一瞬視線を反らした。軽くうつむく。
そして、再び顔を上げるのだが、突然その表情が緩んだ。
「ちょっと本庁行ってくるわぁ」
「は?」
二人は同時に言った。
沢村はニコニコしながら、部屋から出ていった。足取りは軽く
まるでスキップしているようだ。
と、同時に今までこの室内のどこに隠れていたのか、数名の整
備員が姿を見せ、そそくさと沢村の後を追っていった。
仁と原田は呆然と立ちすくんだままで、顔を見合わせた。
「ほ、本庁って、定例の報告ってことですかね?」
「ああ・・・・・・たしか皇が手え回して、代理立てていたはずなんだ
けど、課長からの呼び出しも兼ねているんだろうな・・・・・・あっ!」
原田はハッとした表情になった。
「原田さん?」
仁が聞くと原田は首を振った。
「先輩、そりゃはりきるわ・・・・・・。ここから出るいい名目だ
もんなあ」
「そういうことですか。でも、皇さんのほうが上手だと思う
んだけどなあ・・・・・・」
そうつぶやくと、仁はスクリーンを見た。

沢村は地下駐車場に来た。
そして、自分の愛車であるミニ・クーパーが停められているス
ペースまで歩いていく。
整備班のメンバーが自分を監視しているのは間違いない。そこ
らじゅうから視線を感じる。
ミニの前まで来た沢村はポケットからドアキーを出した。握り
のあたりに赤札が貼られている。
それを見た沢村は軽く溜め息を漏らすと運転席のドアを開けて、
乗り込んだ。
そしてエンジンキーを差そうとするが、ハンドルにも大きな赤
札が貼られているのに気づく。
しかも、それには丸文字で『皇ちひろ♪』とサインされており、
さらに『禁煙』とこちらは毛筆で書きなぐられていた。かなり
の達筆である。
「・・・・・・あいつ、書道得意なのか」
そうつぶやくと、沢村はキーを回した。ミニのエンジンが唸り
を上げ、すぐに駐車場から飛び出していく。
と、同時に駐車場から発車する数台のワゴンがあった。ミニを
追尾していく。
研究所を出てしばらく走ると、沢村はルームミラーを見た。ワ
ゴンが映っている。
すると、沢村の口元にニヤリと笑みが浮かんだ。
「まあ、予想通りの展開やね。でもな、ちひろ、まだまだ甘い
のよお・・・・・・」

桜田門。
警視庁ビルの駐車場にミニが滑り込んできた。ほどなく、ワゴン
も入ってくる。
もちろん、入口では検閲があるわけだが、沢村は元よりワゴンに
乗り込んでいる整備員達も仮にも警察官である。とがめられる事
はなかった。
ミニを降りた沢村は胸にプレートを付けながら後ろをチラリと見た。
ワゴンからは整備員達が降りる気配は感じられない。おそらくこ
ちらの様子をうかがっているのだろう。
沢村はまたニヤリと笑うと、歩き出した。だが、向かったのは通常
入口ではなく、駐車場の一角にある別のスペースであった。
そこには、鋼鉄製の扉があり、もちろん警備の制服警官が立ってい
るわけだが、その傍らに機械があった。
沢村は警官にかるく挨拶すると、機械の前に立った。
そこには手を置くためなのか、手形が記されている。沢村はそこに
右手を当てた。
すると、ほどなくして目の前の重厚な作りの自動ドアが開いた。
指紋照合装置だったようだ。
沢村はフッと笑みを浮かべると、わざとらしく右手振りながら中に
入った。直後、扉が閉まる。
すぐに整備員達が扉の前まで来る。一人が機械を見た。
「・・・・・・こりゃ、上層部やその関係者専用の入口だ」
そういって、手を当てる。だが、たとえ特務所属とはいえ整備員が
登録されているはずもなく、何の反応もなかった。
警官が整備員達を見た。
「一般関係者は通常入口を使ってください」
整備員達は顔を見合わせた。悔しそうな表情を浮かべる。
「・・・・・・やられたっ!」

その頃、沢村は専用エレベーターで特務課のある階まで一気に上っ
ていた。
通常入口を経由する以上、特務課のある階まで来るのは結構ロスタ
イムとなる。それこそ、沢村が狙っていたことであった。
「よかったあ、特務課で」
そうつぶやいたと同時にドアが開いた。沢村は急いでエレベーター
から飛びだすと、廊下を見渡した。整備員達の姿はない。
「よしっ!」
そう叫んで走り出す。猛ダッシュで特務課まで駆けていく。
そして、ドアを勢い良く開いて室内に入った。
中にいた刑事達は突然の事に全員が沢村を見る。
「どうしたんすか、沢村警部」
特務課では一番若手の刑事である沖田が声をかけた。
沢村は荒くを息をしながらもニヤリと笑みを浮かべてみせた。
そして、ドアの電子ロックをかける。
「いいか、恐らくうちの整備員が来るだろうが、すぐには入れる
なよ。せめて数分粘れ」
「はあ?」
沖田がすっとんきょうな声を上げるが、沢村はそれに構わずに自
分のデスクまで行く。
「おいおい、久しぶりにこっちに来たと思ったらおだやかじゃな
いなあ」
隣のデスクに座る、村木が声をかける。
「なんせ緊急事態だからなあ」
沢村はそう言うと、自分のデスクをみつめた。普段は研究所に陣
取っており、かつデスクワークが何より嫌いな沢村である。机の
上にはほとんど物が置かれていなかった。
だが、それでもいくつか私物を置いているのだ。
引き出しをかたっぱしから開けていく。始末書用紙の束やら、請
求書やら、カップ麺やら、酢桃やら、なぜか作りかけのミニのプ
ラモデルまである。
だが、すべての引き出しを開けた沢村は軽く溜め息を漏らした。
村木がチラリと沢村を見た。
「・・・・・・煙草、だろ?」
そう言われた沢村はコクリとうなづいた。
「ああ、予想はしてたけど、どうせちひろの奴が漁っていたん
だろ?」
「ご名答」村木はノートパソコンを叩きながら答えた。「皇のや
つ昨日突然来てなあ、おまえの机とロッカーやら全部ひっくり返
して、煙草回収してたぞ」
沢村は肩をすくめた。
「まあ、それぐらいはやるとは思っていたけどね・・・・・・」
そう言いながら、窓際の植木に近づく。
「そこの煙草もみつかってるぞ」
村木の言葉に沢村ははたと立ち止まった。
「ほぼ全員の机を調べたよ、あいつ。っていうか、沖田の机にま
で隠すなよ」
「・・・・・・そっか」沢村はポリポリと頭を掻くと、課長室を見た。
「ま、それも予想ついていたけどね」
そう言って課長室に向かった。ドアを開ける。
「失礼しまーす」
室内で書類を見ていた特務課々長の中越宗一郎は顔を上げた。
「おお、来たか。ご苦労さん」
そう声をかけるが、沢村は中越を見はせずにまっすぐと室内の接
客用のソファに近づいていった。
「・・・・・・沢村?」
中越はパイプに煙草の葉を詰めながら、その動きを追った。
沢村はソファの横に膝をつくと、下を覗き込んだ。床とのわずか
な隙間にある空間に手を突っ込み、裏地を探る。
だが、しばらくするとわずかに顔をしかめ手を引き戻した。
「・・・・・・ここもか」
そうつぶやくと立ち上がった。
中越はパイプに詰めた葉を押し込みながら沢村を見た。
「なあ、沢村。なあって」
だが、沢村は耳も貸さずに今度は部屋の隅まで歩いていった。
そこには、高級そうな絵画が飾られている。
絵の前に立った沢村はしばらくそれを見つめていたが、突然そ
れを壁から外した。
すると、その裏に隠されていた金庫らしきものが覗く。
金庫には電子カードのスロットと暗証コードを打ち込むキーボ
ードがある。
それをみとめた沢村はポケットから一枚のカードを取り出した。
それをスロットに差し込み、素早くキーを叩く。
ほどなく低くブザー音が響き、金庫の扉が開いた。
「さて、と」
沢村はそうつぶやいて中を覗き込もうとした。だが。
「・・・・・・なんで課長専用の金庫のカードと暗証コード知って
るんだ?」
中越の声に沢村は動きを止めた。そして頭をポリポリと掻く。
「いやあ、まあ理由は後で教えますよ。とりあえずは・・・・・・」
そう言いながら振り返る沢村。だが、その直後表情が凍りついた。
中越の机の上に半透明のビニール袋が置かれている。そして、そ
の中にあるのは紛れもなくラッキーストライクの山・・・・・・
「あ・・・・・・あ・・・・・・」
沢村は愕然とした表情のまま、ヨロヨロと中越まで近づいてい
った。そして、袋に手を伸ばそうとする。
しかし、それより早く沢村の頭にゴツンと固い物が突きつけられた。
中越の愛銃である、S&WM29・44マグナム。その長い銃身
であった。
「触るな」
「か、課長お・・・・・・」
沢村は泣きそうな顔で中越を見た。
「まあ、悪く思うな。皇のやつはおまえの行動全部お見通しだよ。
ったく、課長室にまで煙草隠しているわけないだろって言ったの
に、調べたらこの有様だ・・・・・・」
中越はそう言ってマグナムを降ろすと、ビニール袋を取り上げた。
沢村は呆然とその袋の動きを目で追う。
「本当ならな、同じ愛煙家として味方してやりたいとこなんだが、
今回ばっかしは仕方ない。さすがの私も皇にはかなわないから
なあ・・・・・・」
その言葉を聞いている内に沢村はすべてを悟った。
いつのまにか、皇は整備班どころか、特務課全体をも味方につけ
ていたのだ。
いくら刑事としては下の位置にいるとはいえ、皇は特務課唯一の
女性刑事。そして、影の実力者でもある。
今まで男所帯でやってきただけあって、逆に皇にかなう人間は特
務課には存在しないのだ。
大方、中越も沢村の味方をしたら禁煙させられるとでも脅された
のであろう。
「ま、いい機会だ。しばらく煙草をやめてみて、リフレッシュす
るんだな」
そう言って中越はマッチを擦り、パイプに火をつけた。煙が派手
に立ち上る。
「あ、はあ・・・・・・・」
沢村は無意識に鼻を突き出し、その煙を吸い込もうとした。
だが、すぐに中越が手であおぎ、煙を散らす。
「駄目だっつうの」
沢村は再び泣きそうな表情になった。
「ああ・・・・・・勿体無いぃ・・・・・・」
そう言って、沢村はその場にへたり込んだ。
中越はパイプを吹かしながら、書類を取り上げた。
「で、本題だ。今日呼んだのはだな、捜査課が追っているヤマ
の・・・・・・」
そこまで言うと、中越は書類から目を離し沢村を見た。沢村は、
へたり込んだままじっと正面の机の板をみつめている。
「ん・・・・・・? 」
中越はふと、自分の足下に視線を落とした。
そこには、回収したラッキーストライクを入れたビニール袋が
置かれている。
そして、沢村の視線を追ってみるとその袋に突き当たる。だが、
その間には中越の座る机があるのだ。見えているはずはない。
何気なく、足で袋の位置をずらしてみた。
すると、板をみつめる沢村の視線もそれに釣られて動く。今度は
逆に動かしてみると、やはりそれを追う。
「・・・・・・透視能力でもあるのか?」
呆れた口調で中越が言った直後、課長室のドアが開いて整備員達
が乗り込んできた。
「中越課長っ!ご無事ですかっ!」
中越は煙と共にため息をついて顔を上げた。
「別に私は人質になったわけじゃないんだぞ・・・・・・」そう言って
袋を取り上げた。「これが例のブツだ。受け取ってくれ」
整備員がこくりとうなづくと、中越は袋を投げた。その瞬間。
それまで焦点の定まっていなかった沢村の目が鋭くなった。
キッと振り返ると同時に飛び上がる。
「しまった!」
中越が叫ぶのと、整備員が袋を受け取るのは同時であった。ハッ
とする整備員。
彼が見たのは、まるで猿のように飛びかかってこようとする沢村
であった。
「うわあっ!」
驚いた整備員は袋を後方の特務課刑事部屋に向かって投げた。
そして、それを受けとったのは沖田であった。
「へ?」
沖田はハッとして抱えた袋を見、そして顔を上げた。
その視線の先には、整備員達の肩を踏台にして、さらに飛び上が
った沢村の姿が。
錯覚か、目が異様な輝きを放っているように見える。
「ウリイイイイイッ!!」
どこかの漫画で聞いたような唸りをあげて、その『獣』が迫っ
てくる。
「ひ、ひいいいいっ!」
戦慄した沖田は袋を適当な方向に投げた。その先には誰もいない。
それを空中でみとめた沢村は、机の端を踏台にして一気にその方
向へ飛んだ。
「ウシャアアッ!!」
中越が課長室から顔を出した。
「いかんっ!誰か袋を取れえっ!」
だが、誰も沢村のスピードについていけない。今まさに袋に手が
届こうとした。が。
沢村の顔の目前で別の手が飛びだし、袋を掴み取った。
『獣』モードの沢村はキッとその者を睨み付けた。
「グルルルル・・・・・・・るる、あ・・・・・・・・」
突然、『素』モードに戻る。
彼の前に立つのは、誇らしげに袋を掲げた、皇であった。
「ち、ち、ちひろ・・・・・・さん」
皇は冷ややかな視線で沢村を見下ろした。
「なーに、おやりになられてるのかしらん?沢村刑事い・・・・・・」
沢村はヘロヘロとへたり込んだ。
「・・・・・・な、なんれろないれすぅ・・・・・・」
力なくつぶやくと、ガックリとうなだれた。
「あなたの考えはお見通しなのよ、オホホホホッ」
皇の勝ち誇った笑いが特務課の室内に響き、刑事や整備員達は
一様に戦慄した。
ただ、中越だけは半ば呆れたような表情でその様子をみつめて
いた。手には書類を持っている。
「・・・・・・いや、だから捜査課の用事なんだけどさ・・・・・・」



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