「Play」 2000年12月  

別再叫我 亜洲新天王 】  
  もう亜洲新天王とは呼ばないで!

→ ニューアルバム

■本当のことを言うと、ニューアルバムというのは僕にとって常に自分を試されつづけるものなんです。みなさんの期待を裏切るわけにもいきません。とりわけ、僕のような一介の歌手には、多くの人が僕に対する決まったイメージを持っていて、おまえにはこんなのやあんなのが合っていると..だから僕たちは一生懸命試みるわけです。

今回のアルバムで、満足しているし自信もあるのは、最近の音楽の中でも僕がかなり先進的であるということですね。アルバム全体では、ブリティッシュロックに比較的重点を置きましたし、若い世代のシンガーソングライターを起用しました。彼らが曲を作るときは、思いもよらないようなハーモニーや、歌詞を使って書いているので、みなさんにも多くの思いがけないsurpriseをもたらしてくれるでしょう。とりわけ、今回は選曲も非常に厳しくしました。100曲以上の中から厳選し、僕もアルバム全体の雰囲気に合わせて、自作の曲の方向を調整しました。

■今回のアルバムでは自作の曲はたった2曲ですが、僕自身、自分のことを殊更にシンガーソングライターであることを強調しようとは思っていません。当然、ぼくにも欲はありますから、もしたくさん自分の曲が入っていたら印税がそれだけたくさん入るだろうし、MTVを沢山とったら版権を売れるかもしれないなあとは思います。でも、自分の将来を冗談でどうにかしたいとは思わないし、選曲のときは、僕たちは誰が書いた曲ということは公表しないで全く感覚で選びました。
 
→ 亜洲新天王
■この呼び方は、本当に大嫌いなんです。多くのアイドルたちの直接の脅威になるわけでしょう。だから、僕に対する粗探しがすごく厳しくなるんです。僕としてはどうでもいいんですけどね。子供の頃から可愛がられて育ったわけでもないし、生まれながらの才能や環境に恵まれた歌手でもないし、ずっと努力し続けてここまで来たので、他人の厳しい評価というのは、別の角度から見れば僕にとって良いことなのです。はっきり自分を見つめられるから、突然名声が高まったことで自分を見失うことがありません。賛美の声は多く聞きますが、批判にも耳を傾けなければならない。建設的な批判は受け入れられますが、侮蔑的に罵られることも、もう慣れてしまいました。
 
→ 歌とドラマ
■歌うことについては、僕はいわゆる技巧派じゃありません。それほど多くの歌唱テクニックを持っているわけではないので、心をこめて歌っています。音程が不安定で、それを感情にあふれているからだと言い張ることはできませんが、しかし、いかにして技巧を駆使して、感情を表現するかということで、技巧をこらして人をつろうとするだけでは、本当の感情は聞えてきません。だからどこに平衡点を見出すかを考える必要があるんです。

■歌と違うところは、ドラマはチームワークが特に重要だということです。よい環境、シナリオ、監督とキャスト、これらの一つも欠けることができない。演技経験は歌を歌う上で大変役に立っています。曲を作るときにも役に立ちますね。曲の中の気持ちに容易に入りこめるようになりました。

■今の段階では、歌と演技には両方に同じ重点を置いています。それぞれの仕事をベストに行えるよう全力投球しています。それぞれの仕事をするときは、”心”がもっとも重要です。もしも撮影のときに「早いところ撮り終わって二百万のギャラをもってオサラバだ」とだけ考えていたら、真面目に演技なんてできないし、いいものはできませんよ。僕は毎回仕事をするとき、本当にこの仕事が好きだと思うようにしています。こうすれば仕事でハイになれるし、一種の脳内モルヒネみたいなものですね。
  
→ プライベート
■僕はマスコミにこういった色恋沙汰の話を聞かれるのはあまり好きじゃない。でも僕も芸能人ですからやはり説明はしなければなりません。これは立場が違うからと思っています。もしも僕が彼らの立場だったら、同じようなことを聞かなければならないでしょうし、こんな記事も書かなければならないでしょう。だから僕は今までパパラッチを罵ったことはありません。彼らも仕事だということはわかってますから。

■でも彼らが捏造した事実に無理矢理引き込まれるのは、本当に嫌なんです。もしあなたが何か質問があったら、僕は必ず答えますよ。でも、毎回同じ質問だったら、答えも同じなんです。あまりにも度重なると、すごく疲れるし、煩わしく感じて、最後には、また同じ問題が出たらもう二度としゃべりたくなくなりますよ。みんなもし本当に知りたいのだったら自分で推測してくださいよ。    当然、言えることや、言うべきことは言います。僕には考えもあるし、やはり自分のプライベートを人前にさらしたくはありません。みんなにプライベートをずっと覗かれるのは、すごく疲れることなんです。
   
→ コンサート
■最近、歌手がコンサートを行うのが突然盛んになってきましたが、僕もやってみたいです。でも体育館(※台北のコンサート会場)は、一ヶ月に1人の歌手にしか開放してくれないんです。国際会議中心(※ここも台北のコンサート会場のひとつ)はコンサートをやらせてくれないし、場所がない!ワールドツアーをやってるところですが、台湾ではまだやれてなくて、僕もつらいです。どこかいい場所知りませんか?だんだん寒くなってきたから、雨が降ったりしたら、みんなを死ぬほど寒いところに立たせてコンサートをするのは、歌手として心が痛みます。コンサートを聞きたいファンに入り口で数日も寝起きさせたいと思う歌手なんていないと思いますよ。近いところでは香港がいいですね。ホンハムのロケーションはとてもよいですし、座りながら聞くコンサートは、あまり満足できないとはいっても、少なくとも楽ですよね。

■−−だからあなたは良い会場をみつけるまで台湾でコンサートはしないのですか?

うーん、どういっても仕方ないんですが..。中華体育館が焼けてしまって10年たちますよね。再建しようと言って10年です。結局国際都市にふさわしいコンサート会場すらない、これで国際都市と言えますか?アメリカには、大学の体育館ですら私たちの場所よりいいんです。もう何をかいわんやですよね。

■−−それでは台湾のファンはどうしたらいいのでしょう。

僕は会場を探す努力はしているんです。たとえばボビー・チェンは、彼はずっと一生懸命場所をさがしてコンサートをやっています。ここはダメといわれて、追い出されても、続けて他の会場をみつけるのです。実際、コンサートに対する考え方は、ボビー・チェンの影響が大きいですね。それぞれのコンサートは彼にとって、生きる上でのもっとも重要なコンサートだと。ある観客にとってはそれが生涯でただ一度のコンサートかもしれないわけですから、僕もこの機会を大切にしたい。こんなに多くの人が見に来てくれるのだから、当然もっとも良いところをみなさんに見て欲しいです。大陸でのツアーでは、僕たちはそれぞれの会場を事前に見に行きました。観客がどのように入場するとか、トイレは足りているかとか、どこに座ればよく聞えるとか、チケットの価格をいくらにするとか、先に考えてしまいます。したいことがたくさんありすぎるのかもしれない。それでずっと台湾でコンサートを開けないでいるんです。僕は政府の長官じゃないから、体育館を一つ作れと命令するわけにもいかず、このことは当分どうしようもないですね。

→ 受賞
■賞をとるということについては、僕はあまり関心がありません。しかし実際こういう話をする資格がないんですよ。だって賞をとったことがないから、賞をとってから”関心がない”って言う資格があるわけでしょう。賞について関心がないといっても、賞をもらうとやはり嬉しいですよ。たぶん僕はコマーシャリズムを感じさせてしまうから、いつも審査員のお眼鏡にはかなわないんだと思います。毎回名前は挙げてもらって、受賞の感想とか真面目に書くんですよ。でもいつも黙って書いて、黙って捨てることになる。受賞どころかノミネートもされない。でもいいんです。運がいい芸能人だとはずっと思ってないし、でも一足飛びに天に登れなくても、一歩一歩のぼっていけば、いつかたどりつけるでしょう。ゆっくりかもしれませんが、それは関係ありません。
(注:ここで言う”賞”は、放送局主催の歌謡賞の各賞などではなく、金曲奨などの最優秀賞のことをさしているのだと思われます。)
参考url: Play の雑誌社のサイト
http://www.spp.com.tw/
「Play」は台湾の音楽雑誌。
(資料提供:るみ さん)