Diary 10 Feb. 2001

2001年2月10日

さて、朝はまあゆっくりめに起きて、セビリヤ行きの電車に。これは3時間ちょっとでセビリヤまで。途中は、ヨーロッパ一般よりもアメリカの砂漠地帯みたいな感じのところを通り、で、うとうとしつつも、なんか、突然、家が変な感じになってくる。

茶色とか黄色とかの濃い目の色と白い部分を塗り別けたような変な建築物が多くなる。 で、それがそのままセビリヤへ。

セビリヤってそういうところかな。いろいろな建築様式の建物がぐちゃぐちゃたっているかんじ。

グラナダ駅の駅舎の中。そういえば、グラナダには、飛行機で来たから、駅は初めてだった。ほとんど列車もないような。まあ、1時間に一本か二本の列車しかない。
駅のホームに立って、これから向かうセビリヤ方面を見るとこんな具合。
車窓からの風景。ヨーロッパというよりも、アメリカ風。
車窓から。途中の駅。そろそろセビリヤに近いところの、ドスエルマナスという駅。左のほうに見える建物、茶色い縁取りされたようなのが、セビリヤ近辺には多い。これはグラナダにはないタイプの家。
車窓から。なんか、黄色い色がべたっと塗ってあるのが、セビリヤ風だということがあとからわかった。
ヨーロッパで、こういういろいろな建築様式っていうか、とくに、新しい建築物が多いところって、たいがいは、第二次大戦で、どっかんどっかんにぶっこわされて、で、古い建築物がほとんどなくなったとか言う理由のところが多い。で、戦後の復興のときに、気合いれて、もとの姿にもどそうとした都市もあったけれど、中には、「どーでもいーや、適当に使えれば」的発想で、安上がりの鉄筋コンクリートでどかどかビルをたてた都市は、町並みが、どうも、いけません。ミラノとかがそういう感じ。

あ、ちょっと思い出した話。以前、ハイデルベルクにいったときに、「ハイデルベルクは、すごい綺麗なまちで、建物が、古い感じだし、いいなあ」と地元っていうかハイデルベルクに住んでいる同業者に言ったら、「なにをおっしゃる。ハイデルベルクは、16××年のフランスとの戦争で、どっかんばっきんぶっこわされているから、建築物は全部それ以降の新しいものだよ」といわれた。はあ。1600年代って十分古い気がするんですけどー。アメリカ人にいったら、「古代遺跡だ」といいかねない時代ですよね。日本人は、まあ、千年の歴史はあるから、もっと古いものもあるように思うかもしれないけど。

セビリヤの中央駅の駅舎。
ながーい、動く歩道。荷物を運びやすくするためなんだろうけれど、これはすごい。
さて、午後の2時ごろセビリヤに到着。で、駅から見えるホテルに電話で予約を入れて、そのままホテルに直行。今度はかなり豪華なホテル。パリなみの値段で四つ星。いやー、内装も豪華。そろっているものも豪華豪華。

やっぱり高級ホテルという感じがする。オクシデンタルセビーリヤの部屋の中。 テレビでは、ホテル情報とかを流していた。
これが、ベッド。なかなか高級な雰囲気。1万円ちょっと位のホテルだけど、やっぱりスペインだとそうとうな値段ということで、かなり高いホテルなのだろう。
セビリヤ駅に近いところの、近代的なビルなんだが、やっぱり、この黄色と白を基調にしたけばけばしい建物が多い。
で、チェックインしてから、まずは昼食。 ホテルの近所のカフェで、なにやら食事。なんか、まるっこいかわいいウェイトレスさん。メニューをさすと「ワン?ツー?」とかいう。 どうやら、英語は、数だけ言えるらしい。そんならこっちだって、「ウノ、ドス、トレス、クアトロ、シンコ」くらいはいえるです。卵の目玉焼き?これ頼んだ憶えないけど、まーいーかー、といって食べる。

セビリヤの町並みっていうべきか。
カフェとかがならんでいる通り。明るい!明るい。
中心部へと向かうときの陸橋を渡る。
そうそう、こういう感じのアーチもあって、茶色か黄色の縁どりがある白い壁の建物。なんかけばけばしいけど、こういうのがセビリヤでよくあるタイプの建物。
セビリヤ中心部といってよいのかな。もう、南国の雰囲気。
観光客を乗せる馬車。そして、なんとなく、イスラム風な感じもする建物。そして、やしの木。
馬車の上には、観光客。噴水の水も光っている。明るい。そして暑い。
アルカサル方面へ、でも、そこは夜の7時までやっているはずが、5時でおしまいだったので、そのままカテドラルへ。ちょっとだけ中にはいったけれど、それ以上は入れず。

見えてきたのは、大聖堂などが建ち並ぶところ。この隣がアルカサルだったと思う。
これが、アルカサルの壁
そして、アルカサルの赤い門。なんか、セビリヤはとっても色がけばけばしい。
大聖堂の中。写真禁止とはかかれていなかったので撮っていたら、「だめだめ」と怒られたので、撮ったのは二枚だけで、一枚は、ぶれていたので、これだけか。なかなかすごい雰囲気の写真でしょ。これが、大聖堂ってやつですね。
ヒルダの塔とかいうやつ。上で、女神様がなにをしているのかなーと思うと、
なにやら、旗をもっているらしい。超望遠で撮ってみたもの。ここらで、光学6倍ズームが冴える!
アルカサルの城門のアップ。
何気ない広場のベンチがこんなタイル貼りのものだったりするのが面白い。
すごい細い路地裏でも、看板がでているってことは、なんかの店なんだろう。
比較的新しい建築物でも、こういう感じのイスラム風の屋根があったりする。これたしかホテルだとおもう。
アルカサルの周りの公園の中。もう南国です。この雰囲気がたぶん、カリフォルニアから、中南米なんかの雰囲気ににているんだろうと思う。やっぱり、スペイン人にとっては、中南米はとっても自分たちの故郷に近いっていうイメージだったんでしょう。
ピラトの家にいく途中にあった、なんだかわからないけれど「カングロ」という店。 絵から考えて、「カンガルー」の意味なんだろうけれど、一瞬「顔黒」と読んでしまった。
で、しかたがないので、歩いて、ピラトの家という、ローマ帝国の提督の家をそのまま模して作ったというものに。なんだかアルハンブラモドキなのだけど。もし、これが本当にローマ帝国時代の提督の家そのものの復元だとすると、ローマ時代の家ってこんな感じで、壁面に細かい模様がたくさんあって、ということだと、アルハンブラ宮殿の建築様式も結局、ローマの形式そのものなのではないかと思ったり。

ピラトの家に入ったところ。まずは、背の高さくらいまでのタイルと、そして細かい文様。まあ、これが本当にローマ時代のピラトの家とも思えないが、なんとなくアルハンブラ宮殿なんかと似た感じがする。
この感じ。上のほうの色がけばけばしいけれど、中庭はアーチと列柱。そして、噴水。
なんなんだろうなー。この雰囲気。
ローマ風とも、イスラム風とも、なんともつかない。アルハンブラもできたときは、こういうけばけばしい色が塗ってあったのだろうか。
タイルをアップでとってみたところ。
よーく模様を見ると、イスラム建築のそれとはぜんぜん違うものであることはわかる。 かといって、はたしてローマ時代にこういうものがあったのだろうか、っていう気もする。
屋内はタイル貼り。でも、セビリヤの普通の家でも、中庭に面した部屋などは、なんとなく、こういうタイル貼りの部屋があったりして、ごくごく普通のものみたいに思う。
アーチを通して、中庭をとってみたところ。
別の角度からの中庭
これは、もう一つの中庭で、木が茂っている。
で、タイルもあるし、セビリヤ風の黄色い色を塗ったアーチもある。
そこに、ローマ風の彫刻もあったりする。
修復しているおじさん。かなりきれいになっている。
この格子の扉は、ヨーロッパ風でしょうか。そこから中庭をみると、こんな具合。
中に入ると、聖母子の絵なんてものが飾られている。
そうそう、ここで、脱線して、アラブって話だけど、結局、アラブの文化、イスラム文化って、ヨーロッパ文化とは異質なもののように思われがちだけど、実際は、話がぜんぜん違う。なんていうか、イスラム文化は、じつは、ローマ文化を継承しているものだってこと。たしかに、アラビア語は、おおくのヨーロッパ語とは系統が違うセム語の一種。ヘブライ語とは同系統だけど。まあ、とにかく民族的には、ヨーロッパと違うように思うわけだけど、ローマ時代、ローマというのは、現在のヨーロッパの中心というべき、フランス、ドイツ、イギリスとか、そういうところには、それほど広くローマ文明をいきわたらせていたわけではなく、むしろ、ローマ帝国というと、中近東とか、さらには、北アフリカとか、そのあたり、モロッコとかチュニジアとか、そういう現在はイスラムの国になっているところのほうが、ずっと、ローマ帝国の中で重要な地位をしめていたわけ。

つまり、ある意味では、ローマらしさを西ヨーロッパ以上にずっときちんと継承しているのが、中近東と北アフリカの地中海沿岸であるわけ。だから、現在のヨーロッパでも、古い時代からローマだった、スペイン、南フランス、イタリア、あるいはギリシアと、ローマ時代は辺境、あるいは、ローマ帝国の外だった、イギリス、フランス北部、ドイツなどでは、文化的に大きな違いがある。で、かつてローマだったところは、やっぱりローマ的であって、アラブ的な部分と、ローマ的な部分は非常に広く重なるという感じ。

で、紀元前後というと、西のローマ帝国、東の漢帝国という感じで、ユーラシア大陸の文明は二分されていたわけだけど(あ、インドもありますかね)、西のローマ帝国は、その後、東西にわかれて、東ローマは、ギリシア的なビザンチン帝国へ、そして西ローマは、後に、神聖ローマ帝国(ドイツとオーストリアになるわけだけど)、そして、西欧になって、というふうに考えてしまうけれど、実際には、ローマ帝国の南と東は、イスラムの帝国にもなっているわけ。さらにいえば、スペインもイスラム帝国だったわけでしょ。で、実際、東から侵入したトルコ系民族は、ビザンチン帝国を滅ぼしたし、また、スペインは、イスラム帝国の中に入っていたわけだから、フランスとか、イタリアとか、神聖ローマ帝国とかを除くと、ローマ帝国だったところは、全部イスラム帝国の中にはいっていた時期があるってことになる。その意味でも、イスラム帝国のほうが、やっぱりローマを継承した勢力だといえなくもない。ただ、ローマには、ずっと法王様がいたから、ま、そっちがローマの「正当な継承者」みたいなところはあったけど。

現在においては、ヨーロッパは、旧ローマ帝国の中だったところよりは、その外だった、「北方」が文化的にも政治的にも影響力が強いわけで、フランスにおいても、13世紀ぐらいまでは、南フランスの勢力はかなり強かったけど、今は、北方のパリ中心になっている。その境目は、ルネッサンス期から、宗教革命くらいだろうか。フランスの王宮などでも、14,5世紀ごろまでは、「イタリア的」が最先端というべき時代もあったらしい。だから、カトリーヌ・ド・メデシスは、メディチ家のお嬢様なわけだし。

ま、なにはともあれ、イスラムは、ヨーロッパとは別の意味で、ローマ帝国を継承したものなんだ、ということ。で、それが証拠に、アラビア語における、1月、2月といった月の名前が、ヨーロッパ語の多くのそれと、ほとんど同じものだったりする。11月が、ノバンブロとかいうと思った。で、なんとなく、路地がこみいっていて、そこに中庭のある建物があって、食い物屋とか、いろいろな店がごみごみ並んでいるようなのは、もちろん、イスラム系のほうがすごいだろうけれど、スペインでも、フランスでも、そうで、それに比べると、ドイツなどは、だいぶ違う印象がある。

さーて、そういうわけで、脱線はここまで。

そこから、街中いろいろまよったりして、なんだかアラブな感じを感じつつ。

ちょっとした広場から、ライトアップされたビルを撮ってみる。
これが広場の雰囲気
たしかこれが市庁舎ではなかったかな。
ヒルダの塔もライトアップされて美しい。空は青いけれど、本当はもう少し暗かった。写真の都合でこういう感じ。
大聖堂のある教会と塔。そして、ちょっとみえないけれど、金星が光っていた(まんなからへんの建物のすき間みたいなところ)。
で、夕食は、モデストというレストランで。 美味しい!すごい美味しい魚いろいろのフライ。が、量が多すぎ!でもおいしい。 やっぱり海に近いセビリヤだけのことはあって、魚が新鮮なんだろうし、それと料理のしかたがよくわかっている。けっしてしこしこになるまで熱を通さず、さっぱりとふっくらとした味。これが、魚の食べ方を分かっている人の料理だな、と思わせる。 で、ワインなど飲みながら、お腹一杯たべる。

レストランのロゴ。ノレンをとったところ。
ホテルにもどって、いままでの旅行の日記を書いているところ。 さて、そろそろ寝るかな。明日は、コルドバへ行くぞ。


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