ゲームというものの本来の姿は、なんらかのルールに基づく勝負における勝利、 あるいはなんらかの目標達成をすることを目的として遊ぶものである。その観 点からいえば、ノベルゲームは、もはやゲームではないとすらいえる。そう、 実際には、ノベルゲームは、ゲームというよりは、一種の文芸といって良いと 思われる。
ここでは、文芸としてのノベルゲームがどのような構造をもち、どのような仕 組みで文芸として確立するべきなのか、それを詳細に分析する。
では、ノベルゲームは従来までの文芸である小説や漫画、映画、テレビドラマ などとどのような違いがあるのか。
小説は紙を束ねた書籍という形で頒布されるものである。この小説を読むとき には、一般的にはページを最初からめくり、そのページを読んだら次のページ へと進む。しかし、先を読もうと思ったら、途中のページを飛ばすことも可能 である。最初の数ページを読んで物語の設定、世界、登場人物を知り、そのあ と最後の数ページを読んで、物語の結末を知り、その上で途中のページを読ん でいくことも可能である。
テレビドラマなどは、毎週放送されるようなものが多い。したがって、放送さ れるまでシナリオの行方は分からない。小説でも、雑誌に連載されているもの などはやはり雑誌の新しい号が出版されるまでシナリオの行方は分からない。
映画は映画館で見る限りにおいては、結末を知るためには最初から見なければ ならない。しかし、ビデオカセットや画像ディスクで頒布されている作品は途 中から見ることもできる。
さて、この「見たい場所、読みたい場所を観賞者が勝手にアクセスできるか」 という観点で考えたときに、ノベルゲーム一般は、従来の文芸とはかなり違う といえる。
ノベルゲームは一般に一つの作品が一度に頒布される。その意味で、書籍とい う形で頒布される小説や、ビデオカセットや画像ディスクで頒布される映画な どと同じである。この点は、雑誌での連載小説や連載漫画、毎週放送されるテ レビドラマなどとは大きく異なる。
その一方で、一度に頒布されるにも関わらず、ノベルゲームは観賞する者が、 勝手な順番で物語を読むことを禁止する。つまり、「読みたい場所、見たい場 所に関するランダムアクセス性」が否定されている。ノベルゲームは、観賞す る者、すなわちプレイヤーが、ある種の努力をすることで、一つ一つ読むべき 場所、見るべき場所が与えられる。映画館での映画は待っていれば必ず結末ま で至ることができる。すなわち時間がたてば結末は見られるものである。連載 小説、連載漫画はやはり出版されるまで待ては結末までたどることができる。 しかし、ノベルゲームでは、時間はなにも解決しない。積極的に観賞する態度 がなければ、ノベルゲームは先に進まない。
このことから、ノベルゲームは、これまでの文芸一般と異なり、読む側が「一 つ一つ鍵のかかった場所を開いてその場所を観賞する」という努力を要請する 文芸なのである。もちろん、これはノベルゲームのための「攻略情報」があっ たとしても、その情報をもとに、鍵を開ける努力はしなければならない。さら に、シナリオが完全に一本道で、なんの分岐も、合流もない場合であっても、 最初から読み進めるという「鍵開け」をしなければならない。
もちろん、「鍵開け」をしなくてもよいように、あらゆる場面、シーンを自由 にアクセスできるようにすることもできるが、これはこれで、ゲームの作り手 側がそのような「仕組み」を作って初めて可能なことである。
ノベルゲームは、決して映像音響をもつノベルとして特徴付けられるものでは ない。文章のみ、あるいは文章のない動画像と音響によるものであっても、 「鍵開け」の仕組みを本質的にもっているものであることが特徴である。さら に、その「鍵開け」の仕組み、あるいはその逆の「鍵かけ」の仕組みを作り手 側が自由に作ることができるのが、特徴である。パソコンなどの内蔵時計を持 つものでは、これを利用して、「指定の時間にならないと観賞できない部分」 を作ることもできる。したがって、連載小説と同じような「時間による鍵かけ」 を行なうこともできる。つまり、「鍵かけ」の方法は非常に自由度が高い。
多くのノベルゲームにおいて映像、音響と文章が組合わさっているのは、プレ イヤー側の「鍵開け」操作があることでゲームシステムが映像音響とシナリオ の進行を同期付けられることと関係している。これは、「同じページ」という 制約によって、文章と挿絵が同期されている挿絵付き小説や、絵画とセリフが 「ネーム」によって有機的に結合している漫画の場合と同じである。
ノベルゲームは、作り手側が、物語進行上の場面をプレイヤーにどのように 「鍵開け」させて観賞させるかを自由にコントロールできるゲームである。そ して、その「鍵開け」が、まさにゲームらしさを演出するインタラクティブ性 に直結しているといえる。
近年のオーディオビジュアル機器の著しい発達と、これらの機器のパソコンと の結合により、多くの文芸が、デジタル媒体で頒布されるようになった。ノベ ルゲームにおける「鍵かけ」の仕組みは、ゲームという枠を越えて、電子小説 から映画などあらゆる部分に広がり、やがて、ノベルゲームというものがこれ からの文芸の中心的なものになる可能性を秘めている。
これは従来までの直線的な物語展開が基本であった文芸とは大きく異なる演出 方法を与える。
たとえば、小説は基本的に最初のページからページを追って読んでいくもので ある。小説の描く物語、ストーリーの設定、登場人物の設定などなどに関する 情報というものは、小説家たちの非常に技巧的な方法で配置されている。最初 に物語の設定を全て分かりやすく語ってしまう方法もあるし、シナリオの進行 にしたがって一つ一つ情報提供する方法もある。中には設定を知らせずにシナ リオの結末から先に語りだすものすらある。これがストーリーの演出の方法で ある。一つの方向で読むことしか想定されていない小説の場合には、物語を構 成する情報の一次元的配置方法、つまり情報の配置順序が構成上もっとも重要 である。
しかし、ゲームにおいては、電子媒体において、情報の配置順序はほとんど無 意味であるから、この配置順序に代わって、「鍵のかけ方」が構成上重要にな る。そして、多くの場合、プレイヤーの「鍵を開ける開け方」に自由度を持た せるようにしている。
ノベルゲームの源流の一つである初期のアドベンチャーゲームは、まさに「鍵 開け」ゲームだった。シナリオ自身は小説とほとんど変わらない一本道であり、 小説と同じく技巧的に情報の配置順序が与えられている。プレイヤーに与えら れる情報の順序は始めから決定されている。しかし、プレイヤーは要所要所で 鍵を開けないと、次の情報が与えられない。そこで、プレイヤーは最初に得た 情報を元に、推理し、探索して、選択肢の中から正しいもの選びだすことや、 なんらかのキーワードを推測することで鍵を開け、次の情報を得る。全ての鍵 を開けたときに、シナリオは結末を迎える。
さらに、「鍵開け」の方法として、別のゲームを持ち出すものもある。シナリ オ進行上の要所要所で、プレイヤーになんらかの要素ゲームをすることを要請 する。格闘ゲームであったり、パズルゲームであったり、クイズであったり、 探索であったり、将棋のような戦略ゲームであったりするものがある。要所要 所でこれらの要素ゲームをプレイヤーが行ない、このゲームで勝つことが「鍵 開けの方法」になっているゲームである。日本型のロールプレイングゲームと はこういうものである。そして、「鍵開け」に失敗したときは、ゲームオーバー として、もう一度最初からやり直すことが要請されるようになっているゲーム も多い。
これらの初期型アドベンチャーゲームや、日本型のロールプレイングゲームに おいては、たしかに、「鍵開けの努力」をプレイヤーに要請する点では従来の 文芸とは異なっているが、ストーリーを語る方法、あるいはストーリーの構成 という点では、従来の文芸と大きな違いはない。一つのストーリーがあり、そ のストーリーを語る上での一つの設定が存在し、そのストーリーを構成する情 報が確定した順序で配置されている点で、小説などの文芸と全く同じである。
ここで、これら従来型の文芸と非常に似ている情報配置が一次元構成になって いるもの、つまり、情報配置が一次元的順序だけで決定されているストーリー 構成を、「単一シナリオ(Single Scenario)」と呼ぶことにする。
単一シナリオのゲームは、即座により複雑なシナリオのノベルゲームへ発展す ることになる。「鍵開け」の方法として、なんらかの探索や、キーワード発見、 あるいは、特定の要素ゲームのクリアなどが用いられるわけであるから、探索 結果や、発見されたキーワードの違い、あるいは要素ゲームのクリアのし方な どが単に「正解か不正解か」あるいは「勝ちか敗けか」という二者択一になっ ていない場合に、その「鍵の開け方」によってシナリオが分岐するということ になる。
このような「シナリオ分岐」が存在すると、プレイヤーのプレイのし方次第で、 さまざまな物語が存在することになる。このシナリオ分岐でも、基本的にシナ リオの大枠が決まっていて分岐後すぐに本筋のシナリオに合流するものもあれ ば、全く違うシナリオに分岐していくものもある。また、プレイヤーの鍵開け のしかたによって、あらかじめ用意された複数のシナリオが少しずつ紐解かれ るものもある。さらに、「鍵開け」操作なしに、多くのシナリオの断片を自由 にアクセスできるものなどもある。
多くのノベルゲームはこれらのうちのどれか、あるいはこれらの複合である。 また、多くの場合、ノベルゲームはプレイヤーに複数回数プレイすることを要 請し、プレイの履歴によって、シナリオの分岐やアクセス可能な情報などを制 御している。
例を挙げる。単一シナリオの例としては、初期型の日本型ロールプレイングゲー ムが挙げられるが、完全に単一シナリオなものはほとんどない。多くのものが、 局所分岐シナリオである。ノベル系のゲームでは、タクティクスの「MOON」が 実質的には単一シナリオである。
分岐シナリオの例としては、「雫」「痕」など初期のリーフ系が挙げられる。 特に、「雫」はプレイ履歴による分岐制御がほとんどない点でかなり完全な分 岐シナリオになっている。「痕」はプレイ履歴による制御が非常にきついが、 それでも個々のシナリオ内部では完全分岐型を保っている。また、elfの 「YU-NO」は一見して分岐シナリオであるが、ストーリー自体に「並行世界」を持 ち込むことで、実際には、事実上一本道の単一シナリオに仕上げていると見る こともできる。
局所分岐シナリオの例としては、最近では、シーズウェアの「luv wave」が挙 げられる。シナリオ全体のながれは大枠で決まっていて、それぞれの選択肢 (マップ移動)での分岐はその局所的なシナリオを変化させるだけである。しか し、エンディングそのものはいくつか用意されており、局所的なシナリオ分岐 の履歴が最終的なエンディングを決定する。この種のゲームはかなり多い。サ スペンスタッチのゲームは、概ねこの方法を使っている。また、非常に大局的 には一つのストーリーの流れがあるが、局所分岐がかなり大きく影響し、実質 的には分岐シナリオに近くなっているのが「やるドラ」シリーズである。また、 FOGの「久遠の絆」も、大枠のストーリーは決まっているものの非常に大域的 に分岐する。
並行連鎖シナリオは、多くのアドベンチャー系の美少女ゲームに見られるもの で、ヒロインの少女一人一人に対する比較的固定されたシナリオが用意され、 主人公の行動選択(多くの場合マップ移動)如何によって、その場その場で関わっ たシナリオが進行するようになっている。特定の少女とのシナリオを結末まで 進めることができれば、その少女とのグッドエンドが待っている。「同級生」、 「同級生2」、「下級生」などの elf系、「きゃんきゃんバニィシリーズ」な どカクテルソフトのアドベンチャー美少女ゲームなどがこれである。また、 Leaf の「To Heart」や「White Album」などもこれである。
並行連鎖シナリオと分岐シナリオの複合といえるのがタクティクスの「One - 輝く季節へ」である。最初にどのヒロインのシナリオに進行すべきかを決定す るために並行連鎖シナリオを用い、そこで一応の結末を向かえたシナリオから 先が分岐シナリオになっている。どのシナリオにも入れない場合はバッドエン ドになる。
並行同期シナリオのもっとも良い例はチュンソフトの「街」である。複数の主 人公の一見して関連のない複数のシナリオが存在し、それぞれのシナリオは基 本的に一本道のシナリオであるが、シナリオ間の関連性があることから、プレ イヤーは主人公を要所要所で交替させ、かつシナリオの交錯するところでの正 しい選択を行なうことで、全員のシナリオを並行して進めることになる。また、 シーズウェアの「Eve burst error」や「Desire」などは、マルチサイトシナ リオで、同じ事件を複数の主人公の異なる視点で見るものである。シナリオ間 の交錯がない点では「街」のような複雑性はない。
同期連鎖シナリオの例としては、「慟哭そして…」が挙げられる。館の中の探 索をし、殺害されかけている少女たちを助けることが目的であるこのゲームで は、時系列として、どの時間にどの少女が危機に遭遇しているか、また、どの 部屋のどの鍵が開いているか、というのが概ね決定されている。したがって、 ある時間ステップのある状態からは、次の時間ステップのいくつかの複数の状 態に遷移することになる。登場する少女たちとのイベントもそれぞれ「どの時 間ステップでどの場所で発生するか、どういう履歴のもとで発生するか」が厳 密に計画されている。並行連鎖型シナリオでも、ある程度のタイムステップを 入れているものが多いが、同期連鎖シナリオは、これが厳密に行なわれている。 なお、「同級生」シリーズにおいては、並行連鎖シナリオでゲームが進むが、 どの場所にどのイベントがあるか、ということは、乱数を用いているわけでは なく、厳密な状態遷移表によって計画されていると言われている。確認してい ないが、そうであるとしたら、このゲームも、並行連鎖型シナリオではあるも のの、そのバックボーンとして同期連鎖シナリオを採り入れていることになる。
ランダムアクセスシナリオは、パイオニアLDCの「serial experiments lain」 で初めて登場したといって良い新しい方式である。複数の人物による記録、あ る程度客観性のある記録などが概ね時系列に沿って配置されているが、プレイ ヤーはほぼ自由な順序でそれらの記録を読むことができる。そこから描かれて いるストーリーを推測するものである。記録などの相互矛盾や不確実性、主観 性によりマルチサイトシナリオ性、並行連鎖シナリオ性なども兼ね備えている。
驚くべきことは、これらの非常に性質の異なるシナリオ型が、ノベルゲームと いう文芸によって初めて本格的に可能になったといえることである。どの方法 も本質的にはランダムアクセス性のある書籍などのメディアで十分可能であっ たから、分岐シナリオも並行連鎖シナリオも書籍において実現することはでき たはずであるが、明示的にシナリオの断片に鍵をかけることのできるノベルゲー ムであるからこそ、また、インタラクティブなインタフェースによって「鍵の 開け方」を提示することができるからこそ、多くの人に受け入れられるように なたといえる。
プレイヤーがプレイするという点から、多くのノベルゲームにはプレイヤーが 操る主人公が存在する。主人公の知っていることはプレイヤーも知っているこ とになっていて、そして、主人公がどう行動すべきかをプレイヤーが指定する というのが基本である。そのためノベルゲームでは、記述されている文章など は主人公の一人称で書かれることが多い。しかし、これは決してそうでなけれ ばならないということではなく、主人公をはじめとする登場人物すべてを三人 称で描く方法もあり得る。
さらにノベルゲームにおいては、シナリオが複雑に分岐したり、最初から複数 のシナリオが同時並行でながれたりする都合上、視点を途中で変更することも 可能であり、それがより一層複雑なゲームを演出する。
ここでプレイヤーの視点ということで分類しておこう。
一般的なノベルゲームは「一人称単一主人公」の形式をとっている。これは、 プレイヤー自身が主人公になり切ることで、より感情移入をしやすくし、ストー リーをの中の主人公を自分自身として感じてその世界に埋没させるには良い方 法である。
一方三人称で主人公を描く場合、主人公が本来あずかりしならいことも、プレ イヤーが知ることができるという利点がある。そして、プレイヤーが行動を制 御する対象はたった一人の主人公ではなく、複数のだれをも操ることができる ので、より多角的にシナリオを進めることも可能である。アリスソフトの「ア トラク=ナクア」は三人称を用いて主人公の初音の視点で描いている。しかし、 第二の主人公というべき「奏子」の行動も制御できる場面がある。
こうして、「複数主人公」が実際上可能になる。この方法は「マルチサイトシ ナリオ」と呼ばれ、シーズウェアの「DESIRE」や「EVE Burst Error」におい て、広く知られるようになった。なお、この方法をより発展させたのが、チュ ンソフトの「街」である。街においては、記述自体は、三人称で語られている。
この「複数主人公」の方法は「並行同期シナリオ」の場合に効果的である。ラ ンダムアクセスシナリオの形式をとっている「serial experiments lain」の 場合は、一つ一つの場面が日記という形式をとっているため、その視点は日記 を書いた人物ということになる。さらに客観的な記述や記録もあり、それらは ときに「神の視点」ともいうべきものを提示している。マルチサイトの発展し た姿であるといえる。
分岐シナリオのゲーム、とくに文章を読み進めるタイプのゲームはもっとも単 純な「選択」を使ったものが多い。ビジュアルノベル、サウンドノベルなどは ほとんどこれを用いている。
並行連鎖シナリオを用いた複数のヒロインの美少女ゲームなどは、「マップ移 動」や「行動計画」が多様されている。「マップ移動」を用いるものは、アド ベンチャーゲームと呼ばれるものが多く、行動計画を用いるゲームは「シミュ レーションゲーム」と呼ばれている場合が多い。
日本型ロールプレイングゲームは「要素ゲーム」を使ったものがほとんどで、 その多くはタクティカルゲームである。そしてこれらのほとんどが単一シナリ オに近い構成になっている。
「問題解決」は、初期型アドベンチャーゲームにあったものである。今後推理 アドベンチャーゲームなどで復活の兆しがある。
次に、シナリオ分岐の方法について、シナリオ構成法との関連で考えてみる。
直接分岐は分岐シナリオのゲームに多いものである。選択した結果がすぐにシ ナリオの分岐に影響し、結果が分かる。
遅延分岐も分岐シナリオのゲームに多い。多くの分岐シナリオでの分岐はこの 二つで行なわれている。遅延分岐はフラグ立てと呼ばれる。また、同期連鎖シ ナリオのゲームでは、この遅延分岐が非常に自然な形で入ってくる。それぞれ の時間ステップごとに複数の状態が存在する同期連鎖シナリオでは、ある状態 から次の時間ステップの状態へ遷移するときに、遷移可能(連鎖可能)なもの とそうでないものがある。さらに、履歴に応じてこれを制御することもある。
クリア条件分岐は、複数回ゲームをプレイすることをプレイヤーに要請するも ので、一度めのプレイでは至ることのできない分岐先などが、二度目以降で現 れるものである。リーフの「痕」はこれを多用し、分岐型のシナリオをかなり 一本道のシナリオに近い形で観賞するように強制している。elfの「YU-NO」 もこれに近い。パイオニアLDCの「serial experiments lain」の場合は、エン ディングを向かえたプレイの回数にしたがってアクセスできる情報を増やす方 式をとっている。
累積分岐は美少女ゲームに多いもので、いわゆる「好感度」によってゲームの 結末が変化するようなものである。また、要素ゲームを用いるロールプレイン グゲームなどでは、戦闘成績、経験値などを用いて、先のシナリオを変化させ るものがある。
ランダム分岐は並行連鎖シナリオの美少女アドベンチャーゲームなどで多用さ れている方法である。プレイヤーの意志とは関係なく勝手にゲームの進行がラ ンダムに選ばれる。攻略をしようとするプレイヤーにとってはあり難くない方 法である。
複合条件分岐は今後さまざまな検討がなされるであろうもので、おそらくノベ ルゲームの今後の発展の鍵となるべきものである。ただしあまりにも複雑な複 合条件は、プレイヤー側の攻略を非常に難しくする結果にもなる。アイテム取 得とそのアイテムの取得条件によって行動が制限されるものもこの中に入るで あろう。elfの「YU-NO」 における異なるシナリオ間での複雑なアイテム依 存性や、データイーストの「慟哭そして…」における文字通り「部屋に入るた めの鍵開け」のためのアイテム取得、チュンソフトの「街」における複数シナ リオの交錯によるザッピングや選択の複雑な関連によるパズルなどもこの部類 に入るだろう。とくに「慟哭そして…」においては、アイテム使用の条件が非 常に複雑で多様性がある点も注目すべきである。これは基本的に「ゲームらし いゲーム」を演出するのに重要な要素であるともいえる。
FOGの「久遠の絆」は、ビジュアルノベルの形式を持っているが、プレイヤー 側の行動という点では、単なる選択肢の「選択」だけでなく、短時間にパター ンを入力する要素ゲームや、戦闘シーンでのジャンケンのような方法など、さ まざまな方式をもっており、さらにシナリオの分岐も直接分岐、遅延分岐、ク リア条件分岐、累積分岐などを絡めて、かなり複雑なゲームに仕上げている。 まさに、これまでのノベルゲームの集大成といってよい。
一般的に単一の時系列を記述している小説、映画、ドラマなどの従来型の文芸 においては、気をつけるべきことは、単一の時系列における因果関係、整合性 である。しかし、シナリオに分岐があるノベルゲームにおいては、かなり複雑 な整合性も考慮しなければならない。そこで、小説などの本質的に単一シナリ オである場合と、分岐シナリオ、局所分岐シナリオ、並行連鎖シナリオ、並行 同期シナリオ、ランダムアクセスシナリオなどの複雑なシナリオ多様性をもつ ノベルゲームにおける整合性を整理してみる。
「単純整合性」については説明を省く。
「初期設定に関する整合性」とは、あるノベルゲームにおいて何らかの殺人事 件が起こったところからシナリオがスタートするとした場合、シナリオは分岐 し、ある結末において、Aが犯人であるというときに、どの分岐先のシナリオ においてもAが犯人でなければならないという整合性である。この点について は、分岐先でAが犯人でない状態にする事象を起こすことはできない。NEXUS の「m …君を伝えて…」は、このような整合性をことごとく崩した作品であ る。ヒロインの武蔵野香は、あるシナリオにおいてはシナリオスタート時にす でに死んでいて、主人公の前に幽霊として登場するが、別のシナリオではごく 普通の少女として登場する。このことはそれぞれの分岐先の結末において判明 するが、これはかなり挑戦的な整合性の破棄であろう。全シナリオに共通の設 定を「謎」として、全シナリオを読みとくことで謎解きをさせるゲームにおい ては、「謎」は全てのシナリオで共通でなければならないから、その意味でこ の整合性が完全に保たれていなければならない。
「外部事象保存に関する整合性」は、どのシナリオでも、シナリオのあずかり 知らない事象は共通でなければならないということである。地震が起こるとか、 雨が降るという事象は共通である必要がある。また、主人公を取り巻くシナリ オの変化が影響を与えないような事件も共通していなければならない。また、 事象が共通であるというのは、事象の発生時刻も同一でなければならないとい うことである。この整合性による制約は比較的厳しいもので、とりわけ並行連 鎖シナリオなどの多い美少女ゲームなどで、一つのシナリオの連鎖が遅延され た場合に、夏祭、バレンタインデーなどのイベントがずれないようにしなけれ ばならない。
「因果関係の保存に関する整合性」は、分岐した先のシナリオのあるシナリオ で、Aという事象の当然の帰着としてBという事象が発生しているならば別の 分岐先においても、同様のことが起こっていなければならないということであ る。この整合性を満たしていない例として、elfの「YU-NO」において、亜由美 シナリオがある。このシナリオでは豊富の執拗な行動によって亜由美は自殺に 追い込まれ、これは主人公が助けない限り自殺は阻止できないのであるが、別 のシナリオにおいては、亜由美は豊富から同様の行動を受けているにも関わら ず自殺しなりということである。分岐した先のシナリオがそれぞれストーリー の面白いように発展してしまった場合、この整合性は非常に満たしにくいとい える。
「分岐先での単純整合性の保存に関する整合性」については簡単である。局所 分岐したその部分で主人公が喫茶店に行ったとする。しかし局所分岐のその部 分で別のシナリオでは主人公は喫茶店に行ってないとする。後のシナリオで、 主人公の行動として「あの喫茶店にいったとき」などという記述があったとし たら、この記述はもし主人公が喫茶店にいっていないシナリオを読んだプレイ ヤーにとっては奇異な記述となってしまう。これは、本来単純整合性そのもの であるが、局所分岐シナリオというものが存在するノベルゲームにおいては、 かなり注意しなければならない整合性である。比較的単一シナリオに近いアリ スソフトの「アトラク=ナクア」では、局所的な分岐で条件が異なった場合、 後のシナリオを細かく変更することで、この整合性を保っている。この整合性 を厳密にチェックするためには、プレイヤーがゲームを始めてから、ある時点 までのシナリオの履歴を精密に保存しておき、これが後の記述に反映されるよ うにシステムを作る必要がある。
では、このような整合性は果たして、どれくらい必要なものなのだろうか?上 記で述べたように、整合性を破っている例はいくらでもある。また非常に苦労 してほぼ完全に整合性を保たせ、成功しているゲームもある。
たとえば初期設定に関する整合性については、小説などでは、結末において、 それ以前の部分を読んだ読者が当然だと予測した初期設定をことごとく覆す、 いわゆる「どんでんがえし」というものがある。ノベルゲームにおいて、複数 のエンディングがある場合、この「どんでんがえし」の内容をエンディングご とに違うものにするという演出方法もあろう。しかし、サスペンス系のゲーム などは、読者が読み勧めながら、真犯人を特定するとか、事件の背景を推測す る、などという点に醍醐味があるのだから、分岐シナリオや同期連鎖シナリオ のゲームの場合、できる限り整合性がとれていないと、ゲームのテーマや目的 自身が意味のないものになってしまう。
整合性をどれだけ守るべきかというのは、ゲームの内容、質、対象とするプレ イヤーによって異なるが、ゲームの演出の上で、かなり重要な要素であり、ま た一般的には「守れるものなら守るべき」ものであると思われる。もちろん、 これを守らないことが、重要なテーマであるようなこともあり得る。「serial experiments lain」においては、記述内容がわざと矛盾し整合性を保ってない が故、プレイヤーは真実はどこにあるのかいろいろと考えなければならない。 これはストーリーのテーマを表現するための重要な演出方法であるといえる。
おそらく、ノベルゲームの発展の歴史からすれば、最初に単一シナリオ型のゲー ムが存在し、これは、従来の小説などと同じ構成法をベースに内容の構成が行 なわれていたと考えられる。ついで、複数のヒロインが登場する美少女ゲーム や恋愛シミュレーションゲームが登場し、その中で、互いにほとんど関係を持 たないエピソードが散りばめられるということになり、その際に、それぞれの ヒロインごとに異なる性格を与えることで、プレイヤーにゲームを進めながら 結果的にヒロインを選ばせるという方向になったと思われる。
恋愛シミュレーションゲームの金字塔といわれるコナミの「ときめきメモリア ル」においては、メインのヒロインである藤崎詩織の他に、それぞれ個性的な 性格をもつヒロインを用意し、プレイを進めると、特定の条件で、特定のヒロ インとのショートエピソードが「イベント」として発生する仕組みになってい た。そのイベントの内容は、それぞれの女の子の性格に合わせて作られている。 このようなそれぞれが独立した単発のイベントが発生するものに対して、イベ ントの連鎖を採り入れたのが、「同級生」シリーズなどに代表される「並行連 鎖シナリオ」のゲームであり、イベントの間に因果関係に基づく依存性を入れ、 イベントの連鎖がそれぞれのヒロインについての一つの物語を編み出すという ものである。とうぜん物語の内容は、それぞれのヒロインごとの性格に合わせ て作られるので、全く異なる物語が複数並び立つことになる。
このような初期の複数の物語が並行して存在するゲームにおいては、ゲーム全 体のテーマ性は比較的基本的なものしかない。「同級生2」などでは、主人公 は女好きな高校生で、回りにはいろいろな性格設定のヒロインが複数いて、ど のヒロインとの物語が進むか、によって最終的には主人公自身の性格まで変化 し、全く異なるエンディングを迎える。したがって、このゲームは、「青春時 代のいろいろな可能性のある恋愛物語を描いたもの」ということになるかもし れない。
こうして、複数の物語に一貫したテーマを与え、それぞれのシナリオ、エピソー ドが明確に一つのテーマ/内容に対して役割を持っている形式のゲームが現れ る。最初にそれは、分岐シナリオのゲームにおいて起こったと思われる。代表 的なのは、Leaf の「雫」「痕」や elf の「YU-NO」である。
「痕」では、4人のヒロインが登場する。そして、4人ごとに別のシナリオが 存在する点では、並行連鎖シナリオのゲームと共通している。しかし、このゲー ムは分岐シナリオのゲームであるため、物語全体の設定、主人公の性格設定な どは完全に共通で整合性を保っている。その結果、それぞれのヒロインごとの 物語が互いに共通の設定を介して、それぞれ異なる役割を演じていて、4人全 部の物語を総合することで、共通の設定、テーマが語られる仕組みになってい る。メインのヒロインである千鶴の場合は、「家族の絆」という視点で、謎の 猟奇殺人事件の発生から事件の犯人を倒すところが語られている。しかし、こ の千鶴シナリオでは、犯人は誰であるか最後まで分からない。犯人が誰である か、という刑事事件的側面は、梓シナリオで明確に語られる。こうして、猟奇 殺人事件そのものについては、梓シナリオで解決する。ところが、そもそもの 猟奇事件の原因となる「鬼の血、鬼の一族」という点は、謎のままであり、こ のことは、楓シナリオで語られる。楓シナリオでは千鶴シナリオや梓シナリオ で発生した事件は起こらず、別の事件が起こる。そして、楓シナリオの裏側で、 犯人柳川の主観で語られるシナリオがある。その後で、鬼の一族の現代に残る 怨念という別の部分が初音シナリオで語られる。全体として、四部構成になっ ていることで、家族の絆を軸にした事件の発生と解決を描いた千鶴シナリオが 「起」となり、この事件の社会的刑事事件的側面での解決を描いた梓シナリオ が「承」となり、この二つのシナリオで描かれる事件が起こらず、別の事件が 描かれ、鬼の伝説に関する詳細が語られる楓シナリオが「転」、そして、全て の謎が解け、あらたな未来を予測させる初音シナリオが「結」であり、全体と して、「起承転結」の形式がしっかり与えられている。それぞれのシナリオで は、ヒロインはそれぞれのシナリオに最も適した性格設定がされている。千鶴 はやさしい姉のような存在で、家族の絆を感じさせ、それでいて強さも持ち合 わせている。犯人と直接対決する梓は男勝りな攻撃的性格であり、一族の過去 を語る楓シナリオでは、楓は謎めいた少女として描かれる。そして、初音は、 鬼の怨念を語るにふさわしく、やさしく、そして人なつっこく、可愛いが、哀 しさを感じさせる性格設定になっている。このような「ヒロインごとのシナリ オ」が別の役割を演じて、一つの共通のテーマ、設定を語る形式は、「YU-NO」 においても明確である。
もちろん、単一シナリオ型のゲームに、同期連鎖型シナリオ形式で物語に膨ら みを与えるゲームもありうる。「慟哭そして…」を例にとると、そもそも、館 に閉じ込められた主人公と少女たちの、生死をかけた脱出がこのゲームの内容 である。そして、登場する少女たちが、決まった順番で殺害される危機に遭遇 する。これを救出するのがゲームにおける重要な目的である。ストーリーとし ては、館に閉じ込められ、つぎつぎと降り注ぐ危機を乗り越え、少女たちを救 出し、脱出するというストーリー以外にあり得ない。しかし、少女の生死の危 機に順序があることで、当然、どの少女を救出できたか、どの少女が殺害され たか、によって、状態は分岐していくことになる。あるシナリオは、履歴によっ て次のステップの特定のシナリオにしか連鎖できない。基本的には一本道のシ ナリオのように見えるが、それぞれの時間ステップごとの状態が、可能な次の 複数のの一つの状態へ遷移する形で、物語が膨らんでいく。ストーリーとして は、主人公が殺害されるバッドエンド以外に、生き残った少女たちとともに、 脱出するエンディングがあり、また、主要なヒロインである三人については、 それまでに全員の少女が生き残っている場合にのみ犯人との直接対決のエンディ ングが用意されている。そして、犯人の目的、犯人の行動といった真相につい ては、この主要なヒロイン三人のそれぞれの「犯人対決エンディング」が別の 側面から語ることになる。単一シナリオに膨らみを与え、それぞれのプレイの しかたによって、それぞれ別の側面から犯人サイドの真相を語るなどの工夫が こらされており、一つの事件を扱っているのに、プレイヤーのプレイ次第で大 きく広がりをもつさまざまなシナリオが生成されるという仕組みになっていて、 さらに、その生成されるシナリオは全て一つのテーマで束ねられていることに なる。
こうして、複数のシナリオを束ねることができるノベルゲームが個々のシナリ オに役割分担させて、全体で一つのテーマを語るようになってきた。Tactics の「ONE - 輝く季節へ」では、複数のヒロインのシナリオを並行連鎖シナリオ の形式を主にとりながらも、全てのシナリオが、共通のストーリー展開をする ようにして、一つのテーマをいろいろな視点で見せるようにしている。幼いこ ろに悲惨な体験をした主人公は、幼いながらも現実世界に絶望し、永遠の世界 を夢見るようになる。そして、永遠の世界に行こうとし永遠の世界の少女と 「永遠の世界に行く」と約束してしまう。高校2年になったときに、普通の生 活をそこそこ幸せに暮らしていた主人公は、その過去の約束をしたことから、 やがて永遠の世界に旅立つことになる。そこで、高校生活において特定のヒロ インと深い絆を持つことができれば、永遠の世界から戻ってくることができる、 というのが共通のストーリー展開である。そして、6人のヒロインが、それぞ れ別の形の絆を作る相手として登場する。一つ一つのシナリオは独立している が、その裏に共通のストーリー展開と共通の「約束」という「過去の設定」を 持たせることで、全体が一つのテーマを描く作品として強く結び付いている。
この共通のテーマを持つことで、狙いは分かるがあまり成功していないのが、 おそらくチュンソフトの「街」であろう。全く異なるタイプの主人公8人の全 く関係ないシナリオが、共通の街「渋谷」を舞台とすることで、いろいろな場 所で交錯しているのだ、というのがこのゲームのコンセプトであろう。ヤクザ の話や大根俳優の話、オタクな刑事の話や、複数の女の子を妊娠させる高校生 の話、ダイエットに燃える女性の話、フランス傭兵部隊から戻ってきた男の話、 奇妙な団体に入ってしまう青年の話、自分の文学を書こうと思っている作家の 話、どれも全く違う話だが、ところどころでこの主人公たちの交錯するイベン トが発生する。ただ、それぞれの話があまりにも「奇想天外」で現実性に乏し いが故、コンセプト自身が現実性の乏しい話になってしまい、結局、一つの街 でのいろいろな人の人生の交錯というものが描けずに終っている。
内容的構成法が最悪の例が、「久遠の絆」である。全体として、千年に及ぶ愛 と争いをテーマとし、主人公が「平安時代」「元禄時代」、そして「幕末」に おける前世の自分の夢を見るという形で、全体構成をし、かつその結果として の現代の生活がある、という形でプロットを作ったにも関わらず、「それぞれ の時代の前世の夢」というものが明確に役割を分担してないが故、どの時代の 話もみな似たような話になってしまい、かつ、登場する三人のヒロインの性格 設定は違うが物語における役割がはっきりしないため、メインのヒロインであ る万葉の陰に隠れてしまっている。
このような形で、共通のテーマ性を、分岐する、あるいは並行するシナリオそ れぞれに役割分担させる形式が、おそらくノベルゲームにおける内容的全体構 成の重要なポイントになるだろう。内容的にこの共通のテーマをそれぞれのシ ナリオで、あるいは登場人物に役割分担させて、一度のプレイで一つのシナリ オを見ただけでは、全体が不明であり、全体をすることが要請されるようなゲー ムが、おそらく、多くの人を最後まで飽きさせず、全部のシナリオ制覇をした くなるゲームになるだろう。これが、実際複数のシナリオを束ねることのでき るノベルゲームの今後の一番重要なポイントであると思われる。 ここでポイントをまとめる。
一口にノベルゲームといっても、扱う内容は、サスペンスもの、恋愛もの、冒 険もの、などなどいろいろある。そして、内容に応じて、それぞれ定まったシ ナリオの形を持っていると考えることができる。そこで、内容とシナリオ型と の関係を見てみる。
並行連鎖シナリオの恋愛ゲームの一つの問題点は、個々のヒロインとの関係は 十分に描けても、複数のヒロインに跨るイベントや物語を書きにくいというこ とである。このため、複雑なフラグ管理を用いて、複数のヒロインに一つのシ ナリオを設け、最終段階で一人のヒロインのシナリオへ分岐させるなどの方法 を持ちいているものもある。
しかし、単一シナリオでは、一度ゲームが終れば、二度目に行なう必要がなく なることから、二度目以降もプレイさせるという目的のために、分岐シナリオ を用いるものがある。また、マルチサイトシナリオと呼ばれる複数の主人公を もつゲームでは、一人の主人公から見た事件として描いたあと、別の主人公か ら見た同じ事件を描くことで、多面性を与えるようにしている。この場合、複 数の主人公のそれぞれのシナリオをスイッチしながら読み進めたりすることで、 ようやく全ての謎の解明が可能になっている。
今後、開拓すべきものとしては、同期連鎖シナリオを用いて単一なシナリオを 自由度高く膨らませる方法であろう。「慟哭そして…」がかなりそれに近いが、 このゲームにおける謎解きは、ほとんどが館内の鍵開けに関するもので、この ゲームの真相を明かす謎解きには、このゲームの特徴である同期連鎖シナリオ が有効に活用されているとはいえない。
冒険の基本は場所を移動することであるから、その移動先でそれぞれイベント が発生し、そのイベント発生の履歴などで、エンディングが決まるとしたら、 このゲームは基本的に、並行連鎖シナリオのゲームになるだろう。
冒険もののゲームの多くが、RPGスタイルで、単一シナリオで描かれる場合 が多いようであるが、これも今後いろいろな分岐形式を採り入れて、発展させ る余地のあるものだと考えられる。並行連鎖シナリオの他に、同期連鎖シナリ オや分岐シナリオにするなどして、大きな地域、世界の冒険を行なうようなゲー ムが可能だろう。
この場合、謎解きもなく、かつ複数のヒロインとの恋愛を束ねる必要もないこ とから、そもそも、ゲームとして成立させる必要性はそれほど存在しない。す なわち、分岐をあまり必要としないゲームである。
このようなテーマを描いたものでは、基本的に単一シナリオが原型となる。そ して、分岐するとしても、局所的なもので、それはシナリオに膨らみを与える に過ぎない。また、エンディングは、最終的に一つしかあり得ないので、どの ような分岐をしても、最後には一つのエンディングに導かれる。プレイヤーの 判断ミスなどは、すべてバッドエンドに導かれるだろう。このようなゲームと しては、アリスソフトの「アトラク=ナクア」がある。化け物の主人公初音と、 彼女が気まぐれから助けた奏子という少女との互いの愛情を軸に、初音の宿敵 銀との闘いを描いたものである。舞台を高校に設定し、そこで起こる事件など を多面的に描くために、局所分岐シナリオの形態をとり、ただ一度だけ分岐し た場合は、バッドエンドに至る。
この種のノベルゲームにおいては、シナリオがパラレルワールド的に分岐する のは、せいぜい局所的なものに留まることになる。むしろ、物語に膨らみを与 えるのは、恐らく登場する人物の視点の違いによる主観、解釈の相違といった ものであろう。したがって、描いている事象が同じで複数の視点で見るマルチ サイトにするか、このマルチサイトをさらに発展させたランダムアクセスシナ リオにするのが良いと思われる。その意味で、サイコホラーをランダムアクセ スシナリオで描いた「serial experiments lain」はかなり斬新でかつ適切な 方法論をとったと言える。