K子さんの家で |
K子さんの家での、5日間の生活を書きます。
ホームパーティー |
ちょうどK子さんの家に着いた夜は、K子さんの友達の30歳の誕生日だった。「時差ぼけじゃない?きついでしょ?家に残る?」そう言われたが、パーティー楽しそうだし、一人で家にいてもつらいので、パーティーに参加することにした。
プジョーの自家用車に乗せてもらい、友達の家へK子さんとだんなさん、子供(女の子)といっしょに行った。納屋みたいなところで、大きなテーブルを囲み、薄暗い明かりの中で15人くらいで食事をした。子どもや大人そして日本人2人(私とK子さん)がメンバーだ。
テーブルの上には紙の皿とプラスティックのコップが並び、大きな皿には、サラダや肉、グラタンなど食べ物がのっている。大きな皿をまわして、ひとりずつ自分の分をとり、次の人へとまわす。グラタンがすごくおいしかったのを覚えている。
この時、生まれて初めてワインを飲んだ。白と赤両方飲んだ。白はフランス人には飲みにくいらしく、私に飲めるかどうか尋ねてきた。とてもおいしかった。この辺は、ボジョレヌーボーで有名なボジョレーからとても近く、ワインもおいしい。
皆フランス語で楽しそうに話しているが、私には全然分からず、K子さんが通訳してくれたときに、たまに話すくらいだった。しかし、みな大声で笑っており、雰囲気が非常によく、楽しかった。
言葉は全く分からないのにみんよく話し掛けてくる。食事の最後の方では、非常にアルコール度の高いりんごの食後酒を、ファイヤーウォーターと言って、飲め、飲めとすすめてくる。私は酒には自信があったので一気にグラスを空けた。口の中は燃えるように熱くなる。しかし、りんごのほのかな香りが口の中に残って、おいしかった。みんな私が一気に飲み干したのでびっくりしているようだった。
すごく盛り上がり、楽しかった。帰りはみなお別れのキスをしていた。私には初めてのことで、「自分もしなければいけないのかな?」と照れくさいな、と緊張していた。しかし、お別れのキスをし合って、私も仲間だと認められたような気がして、うれしかった。
改装中の部屋での夜 |
2階の部屋は改装中で、壁を打ち抜き新たな部屋を作るということだが、その工事現場のような部屋でマットと布団を敷いて、寝ることになった。この日は9月11日で、出発前日本では半袖で寝ていたが、こちらの寒さは半端ではなかった。長袖、長ズボンのジャージ、上はセータを着て、布団と毛布をかけて寝た。しかしそれでも、風がどこからか入ってきて、とても寒かった。
しかし、その日の夜は、ぐっすりと眠れた。先ほどのファイヤーウォータとワインとやっと言葉の通じるところにきたという安堵感からだろう。初めての海外一人旅で言葉が分からず、何もかもが分からない事ばかりで、気疲れしていたが、ここへ来てからは、何もかも日本語で教えてくれるし、困ることはなかった。旅行2日目にしてやっと楽しいと思えた。
*)今考えると、このファイアーウォーターはカルバドスだったのだろうか。
家事手伝い |
部屋をかしてもらうかわりに、家の仕事を手伝った。まき割り、畑仕事など。
まき割りは、昔みたテレビのアニメのように、丸太の上にまきを立てて、斧を振り、半分、4分の1とまきを割って、倉庫へ運ぶ。まきは暖炉にくべるためのもので、冬に備えるのだ。手が痛くなったが、アニメの主人公になったような気がして、結構面白かった。今までこのような事はやったことがなかったし、本物の暖炉を見るのも初めてだったからだ。
畑仕事も手伝った。畑を鍬でならしたり、草むしりをしたりした。ナメクジが畑にいたのだが、そのグロテクスさに驚いた。ナメクジは全長5cm程度で、色は緑をベースとして、鮮やかなオレンジ色のラインが何本も入っている。あまりにも、不気味だったので。これは何?とK子さんのご主人(フランス人)に尋ねた。もちろん簡単な英語で、”What's
this?”。これがご主人と1対1での最初の会話だった。ご主人は何と説明したらいいのか分からない様子だったが、一生懸命説明してくれた。結局はK子さんからナメクジだと教わったのだが、うれしかった。
また、言葉が通じないので、いつもおかしい仕草をして、僕を笑わせようとしてくれて、うれしかったし、楽しかった。この時だ。僕がフランス語を勉強しようと思った瞬間は。絶対この人とフランス語で話をしたいと思った。
檻の中に飼ってあるウサギやニワトリにも餌をやったりもした。
友達の日本人 |
K子さんの友達の家へ遊びに行った。家といっても、そこは元貴族。城である。まるで夢のよう、しかし城に住んでいる人が現実にいるのである。しかも奥さんは日本人。だんなさんはエールフランスの機長。子供は二人で、賢こそうで、高そうなセータを着ている。まるで欠点がない。
奥さんは半年以上フランスで過ごし、何ヶ月かを仕事で日本に行くそうだ。かっこいい。そういう生活に憧れてしまう。
町へ買い物 |
車に乗って、町へ買い物へ。30分くらい乗っていただろうか。子供をバレエのレッスン学校で下ろし、K子さんと二人で、郵便局へ行き、ショッピングセンターへ行った。
K子さんは郵便局が嫌いらしい。用件によって並ぶ場所が細かく分かれているらしく、並んでも別のところへ行けといわれることが多いらしい。私は、何も分からないままついていっただけだった。郵便局は黄色が基本色で、赤い日本の郵便局とは雰囲気が違う。
ショッピングセンターは、日本にもよくある郊外型のものとさほど変わりはない。違うのは、ならべてある商品がフランスの生活にあった物である(当たり前だけど)ことだ。酒のコーナにはワインがたくさんならべてある。チーズ売り場があり、100種類以上あるのでは、と思うほどたくさんあるチーズを切り売りしてくれる。パスタ類は数が日本よりも多く、見たこともないような食べ物がたくさん並んでいる。逆に、味噌もなければ、明太子もない。
私は明日のおばあちゃんとの食事の招待に備え、酒とシクラメンの鉢植えを買った。また、雨に備え、折りたたみ式の合羽を買った。
帰りに子供を迎えに行き、家へ帰った。家では、子供が「見て、見て。」と行ってバレーを踊ってくれる。何とかわいらしい子供だろう。その後、部屋でいっしょにテレビを見て(もちろん内容は全然理解できない。)、今度、いっしょにシャンピニオン(きのこ)を取りに行こうと言うことになった。K子さんよりも、シャンピニオン採りはうまいらしい。食べれる物か、食べれない物かを上手に見分けれるそうだ。
この近くには森があり、湿度が高くなるとシャンピニョンがたくさん生えるらしい。
おばあちゃんの家へ |
ご主人のお父さんとお母さんとお兄さん家族がいる隣のとなりの家で食事をした。隣といっても歩いて1分くらいはかかる。
フランスでは食事は5時間くらいかかるから、覚悟しといてねと、K子さんから言われており、おおげさだなあと思っていたが、本当に5時間くらい食事をした。びっくりした。K子さんもフランスに来たころは、言葉は分からないし、苦痛だったらしい。
シクラメンとお酒をプレゼントし、お礼のキスをおばあちゃんにしてもらい、テーブルへついた。手作りの料理と、ワイン、パスティスなどをえんえんと食べ続けた。(2年後にここを訪れた時、このシクラメンを大切に育てていると言って見せてくれた。もう忘れられたのではないかと思っていたので、とても嬉しかった。)
さすがに子供は大人の話がたいくつらしく、途中で別の部屋でビデオを見るということになった。私も会話がわからないので、いっしょにビデオを見た。ビデオも分からないけど・・・
最後の夜 |
ここでの最後の夜、私とK子さん一家の4人で食事をした。具体的に以後の旅行予定をたてていたわけではないので、もう2週間くらい滞在すればどうですかと、言われていた。ご主人はぜひ泊まっていけと言うし、子供ともきのこ狩りに行こうと言っていたし、その子供は「ずっと住めばいいのに」と言ってくれた。非常に迷ったが(住むのを?)、この村から列車を乗り継ぎ、フランス中央部のロワールの城巡りに向かうことにした。あまり長居するのも申し訳ないし、せっかくフランスまで来たので、他の町も見たかったからだ。飛行機のチケットは1ヶ月のオープンチケット、あまり時間もない。
食事の話に戻るが、最後の夜ということで、一家の宝物のワインを空けてくれた、ボジョレーの地区で一番高い物らしい。ワイン通でもなく、初めてワインを飲んで5日くらいの初心者の私。しかし、この赤ワインはとてもおいしかった。それは、K子さんたちのもてなしや優しさが、より一層おいしく感じさせてくれたのではないでしょうか。ご主人はワインの飲みかた(味わいかた)を教えてくれた。まず色を見、グラスをまわしワインをかき混ぜ、一口含み喉を鳴らすように味をみる、と言う風に。もちろんフランス語で。K子さんが翻訳してくれる。言葉が分からないことがつらい。絶対にフランス語を勉強したいと思った。非常に別れがつらい。テーブルの上にはこの前僕が餌をやったニワトリがでた。さすがに頭が出た時は、ひいてしまった。静かに目を閉じたニワトリの首から上が皿の上にのっている。脳みそがおいしいらしいのだが、さすがに食べれなかった。
この時が非常に嬉しかったので、それ以降のことはあまりよく覚えていない。
次の日は、ご主人がひとりで、車で私をバス停まで送ってくれた。バスの運転手に私が降りるところを伝えてくれて、バスが出るまで、私を笑顔で見ていてくれた。もう何日か泊まればよかった、別れたくない、少し後悔もある。また、ご主人の優しさが、言葉にならないほど嬉しかった。(もちろんフランス語を話せないので、言葉にならなくて当然だが)。この時の私の感動した気持ち、嬉しさを伝えようと思っても、通訳してくれるK子さんが今日はいない。私はただ「サンキュー、サンキュー」と繰り返し言うだけだった。
バスの中で、私は誓ったのだ。絶対、フランス語を覚えて、ここへまた帰ってくるんだ。この気持ちをフランス語で伝えたいと。