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訪問地マップ はじめてのフランス


1993年9月

ぶらりと、初めての海外旅行へひとりで行った。それまでは、一人で旅にでたこともなく、フランス語はおろか英語もろくに話せない。でも突然海外に行きたくなったのです。
なぜフランスを選らんだのか、それは、たんなる偶然だ。たまたまバイト先のお客さんに紹介してもらった一人の女性に出会ったからだ。
そして、この旅がきっかけで、それから、私は、何度も何度もフランスを訪れる事となるのであった。

大学3年生、しかも2回目の。9月のある日、突然海外に行きたくなった。10月には大切な進級テストが控えている。現実逃避したかったのかも。そんな時、バイト先のお客さんが5年ぶりにフランスから日本へ里帰りしている女性を紹介してくれた。その女性はブルゴーニュ地方に住んでいる。ワインを作るためのブドウ狩りのアルバイトの話を聞いた。世界中から学生が集まり、昼はいっしょに汗を流し、夜は料理を囲み、それぞれの国について遅くまで語り合う、という。私はこれだ!と思い、フランスに行こうと決めた。しかし、このアルバイトは...

■ パリへ ■

田舎の標識初めての海外旅行である。初めての飛行機である。初めての一人旅である。
8月上旬に旅行に行こうと決意して、パスポートやチケットの準備をして、ガイドブックを1冊買って、さあて出発だ。9月のある早朝、大きい新品のリュックを抱え、フランスに帰った女性に渡すお土産をもって、バスにのり、空港へと向かう。
大韓航空ソウル経由パリ行きだ。空港では何をどうすれば飛行機に乗れるのか分からないので、自分の前に並んでいる人をよく観察して、手続きを済ませた。

はっきり言って飛行機が飛び立つ時は感動だった。滑走路に向かいゆっくり動き出す機体、飛行機嫌いの友達から聞いた飛行機の離陸がもうすぐ始まろうとしている。と同時に、飛行機が飛び立ったとたんにいろんな初体験が待ちうけていることだろうと思うと、わくわくしてくる。飛行機が止まった。離陸許可を待つ。機体は今までと違うスピードで加速をはじめ、しばらくするとふわっと浮いた。おおっ、飛んだ!窓の外を見て町がどんどん小さくなり雲が近づくと感動した。

しかし、10時間以上の飛行機での旅は長い。英語と韓国語の2カ国語映画を見るわけでもなく、唯一の日本語の2時間物の音楽番組を何度も繰り返し聞く。学校の給食のような機内食を食べ、ガイドブックを必死に熟読する。ホテル予約してないけど、大丈夫なのかな。初めて外人と話すけど言葉は通じるのかな。まてよパリまでどうやっていったら良いのかな。個人旅行でなくツアーにすれば良かったかな。乗り物の乗り方など旅の情報のところを、不安いっぱいで注意深く読んだ。

■ 旅の初日(パリ) ■

飛行機がパリに着くと、不安でいっぱいになった。ああ、これからは何もかも自分でしなければならない。今日泊れるところはあるのかな〜。
空港に着くと、あたりは外人ばっかり(当たり前だけど)。圧倒されながら、ホテルを予約する為にInformationへ行った。列ができていて、後ろに並んだ。自分の順番が近づくにつれて、ドキドキしてくる。
ああ自分の順番だ・・・「3000Fくらいのホテルを探してます。」 と一言だけ英語で言った。通じたかな?「3000F?」と係りの人がびっくりして聞き返したので、300Fとあわてて訂正した。さすがに3000Fのホテルに泊るような人間には見えなかったらしい。リュック背負って破れかけたジーンズをはいて3000F(約6万円)のホテルに泊る人はいないだろう。きれいな服を着ていくと狙われるかもしれないと思って、破れかけのジーンズにしたのだ。ホテルはどこら辺が良いかときかれ、どこでもいいやと思いながらも、相手の行っていることがよく分からず、YesYesと適当に答え、どこかに決まったようだ。地図を渡してくれて、○を付けてくれる。行き方を説明してくれているようだが、よく分からないけど、早く切り上げたかったので、Thank you と別れを告げた。

ホテルには22時までにはつかなければいけないらしい。今は19時30分。パリに行くRERとやらの乗り場へはバスで行くように言ってたな。乗り場まで行き、「これって有料?」と思いながら、バスを乗る人を観察していたが、どうもよく分からなかった。バスに乗るのをためらい、2,3回パスした後、バスへのり運転手に「RER?」「タダ?」と言い運転手の後ろの席に座った。でもどこで降りればいいんだろう?RERの駅に着くと運転手が「ここだ。」と教えてくれたので、助かった。

RERのチケットを買うときもドキドキしながら、「パリ行きチケット一枚」と言って、何も聞き返されないように祈りながら、チケットを買った。

出口の標識
出口はsortie

North stationでメトロに乗り換えっていってたな。でもNorth stationは大きく、どこに行けばのりかえれば良いのかも分からない。まわりを見ながらきょろきょろしていた。夜遅いせいか、教えてくれそうな係りの人もいないし、改札ではきっぷを通さないでイカツイ大男がたくさん改札を飛び越えている。うわーああいうのにつかまらないようにしよう。乗り換えが分からないからいったん外に出てみるかと思ったが、EXITと書いてあるところもなく出口が分からない。どうしようと思っていた時、男が話しかけてきた。「何してるの?」私は彼に教えてもらい、無事メトロの乗り場へ向かった。しかし、かなり長時間もじもじしていたから、22時までホテルに着くかどうか心配だ。今晩泊れるのかなぁ。

ホテルに着くと21時50分まさにぎりぎりだった。パスポート見せて、お金払って、部屋に行き、「やっと着いた〜。」と荷物をおろした。
あせりもあったし、重いリュックも担いでいたし、汗びっしょりだった。
意外とホテルって汚いなあと思いながらも、シャワーを浴びた。顔は不安でげっそりやつれていた。なんで来たんだろう、言葉は通じないし帰りたい気持ちだった。
ホテルの部屋

■ ブルゴーニュへ ■

日本で会ったフランスに住む女性K子さんのいるブルゴーニュへ向かう。La-Guicheへはリヨン駅からTGVのMacon(マコン)駅で降りる。マコン駅までフランス人のだんなさんが迎えに来てくれることになっている。
ホテルを出る時、お金払った?とフランス語で聞かれたのだろうか、従業員部屋に受付の人が消えていき、ロビーで少し待つと、再び出てきて何やら話しだす。そのまま分からずにたっているとおいでおいでするからついて行くと出口にでてバイバイされた。あっもう出て言いといってたんだろうなぁ。そう思い、リヨン駅へ向かった。昨夜予習した成果もありリヨン駅までは難なくメトロを乗り継ぎ行くことができた。

パリ・リヨン駅構内
リヨン駅内(パリ)

でもここではTGVの席を予約しなければならない。 マコンロッシュステーションへ行きたい。そう言ったがどうも通じないようだ。何故だ?一言の英語なのに何故?相手が何か言ってるが分からない。どうも出直してこいと言ってるようだ。仕方なく並びなおし出直した。また通じない。でも今度は後ろの人が助けてくれた。どこに行きたいの?それだけを言えば良いよ。僕はマコンで待ち合わせしてるから行かなければならないんだ。じゃマコンって言えば大丈夫だよ。そうアドバイスしてくれた。マコンに行きたいそういうとチケットを買うことができた。ホッ。
どうもマコンにロッシュというのをつけたため分かってもらえなかったようだ。

到着時間をK子さんに電話する為にはテレホンカードを買わなくてはならない・・・通じるかな?そう思ったがさすがにテレホンカードはすんなり買えた。K子さんに電話すると今度は喉が渇いてきた。店にはいろんな見たこともない飲み物が並んでいるが、なんて注文すれば良いのだろう。飲みたかったけど仕方なくおなじみのコカコーラを買った・・・

TGVの旅は快適だった。指定の座席には誰も座ってなく、何もしゃべる必要なく、マコンに着いた。マコンに着くとだんなさんはまだ着いてなかったようで、こじんまりしたかわいらしい駅だなと、キョロキョロしていた。だって僕は初めてだからどんな人が来るのかわからないもんね。「日本人がこんなところで何してんだい?観光かい?」タクシーの運転手が冷やかす。確かに日本人なんか来そうなところではない。おじさんが一人「さと?」 と聞いてきた。この人だ。つなぎ服を着た、大きなやさしそうな人だった。車の中での会話もほとんどなく、友達のところに寄り道しながら、家へついた。

ここへは1週間くらい泊めてもらった。改装中の工事現場のような部屋に寝せてもらい、まき割りしたり、家事手伝いしたりして。ホームパーティーに参加したり、近くの城にすむ日本人と会ったり、スーパーに買い物へ行ったりして、普段の生活を見ることができ、フランス人と触れ合うことができフランスに慣れてきた。初日の不安な気持ちはなくなっていった。残念ながらぶどう狩りのバイトは規制が厳しくなりEU諸国外の人は働けなくなったそうで、しかも私が労働許可証を持たないことが分かれば、友達の経営者が逮捕されるというのであきらめることにした。


■ 城廻り/トゥール ■

k子さんたちと分かれた後、トゥールを拠点に、古城巡りに行った。1日目はアンボワーズ、ブロア、2日目はアンジェ。この時、2日目に寝坊してシュノンソー城へ行きそこないました。
話すのもためらいなくなってきた。といいつつ、食べ物はマクドナルド、飲み物はコーラばっかりですが。知らないものを頼むのってなかなか怖い。

アンボワーズ城 ブロワ城 アンジェ城
アンボワーズ城 ブロワ城 アンジェ城

■ リヨン/アヌシー ■

丘の上の教会
リヨン

k子さんからリヨンに住むUさんを紹介してもらい、アパートに泊めてもらった。貧乏一人旅とはたまにはずうずうしさも必要なんですね。Uさんの家にはフランス人の女性、僕よりちょっと年上ぐらいの女性が遊びに来ていた。話してみたかったが、言葉分からないしと、おっくうになったが、Uさんが通訳してくれた。
Uさんが街を案内してくれるというので、外へ出かけ、メトロに乗り、どこかへ連れて行かれた。丘の上の教会、ローマ遺跡、眺めがよく、カメラを部屋に忘れたのが悔やまれる。

ローマ遺跡を歩いていると、突然Uさんが「神父さん!」と日本語で叫んだ。どうみてもフランス人の老人が「はい!」と日本語で答えた。その後は、神父さんも同行して、教会の鐘を特別に鳴らしてくれたり、仕掛け時計の内部を見せてくれたりした。神父さんは日本好きで、研修に来ている日本人シスターたちと夜は、神父さんの作る田舎スープをご馳走になった。
日本語で話せるので、楽しかった。アヌシーはアルプスの山が見れて美しいという話しになったので、早速翌日行くことにした。

UさんはTGVのアヌシーまでのチケット、アヌシーからパリまでのチケットをフランス語で購入してくれた。かっこいい、マコンに行くのに僕が苦労したかったチケットをいとも簡単に買っている。ん〜、すごい。帰りの飛行機の予約までしてくれて、リヨンの駅まで送ってくれた。

アヌシー湖
アヌシー湖

■ 再びパリへ ■

パリでは★なしの安そうなホテルがあったので、そこに泊ることにした。トゥールでも英語でホテルに泊れたし、フランスでの生活も問題なくなったので、簡単に入口のドアを開けることができた。最初の頃はドアを開けて中に入るのがどれだけ勇気のいったことか。
 ホテルに入り、フロントのおばあさんに「部屋は空いてますか?」と英語で話しかけた。しかし、おばあさんは英語で答えてくれませんでした。今まで初めてだ。今までは何とか僕の下手な英語で用を足せてきた。フランス語分からないから出て行こうかと思ったが、おばあさんが一生懸命身振り手振りでコミュニケーションを取ろうとしてくれたので、僕も何とか、身振り手振りで答え、部屋を取った。
 そして、出発日までのわずかな滞在期間を楽しもうと思い、Uさんにとってもらった飛行機のチケットをよくみると、1ヶ月以上さきの便が間違えて予約されているではないか。あと1ヶ月滞在したら試験を受けられない。また留年してしまう。
慌てて大韓航空のパリ支店まで行って、予約を変更してもらった。大韓航空では日本語が通じた。良かった。

飛行機の予約を変更するとあとは残す滞在の日々を観光名所を見て楽しんだ。絵葉書やテレビで見た、エッフェル塔、凱旋門が目の前にある。とくにセーヌ川をゆく遊覧船を見た時、子供の頃テレビで見たパリの風景が目の前にあり、感動で体が熱くなるのが分かった。

いよいよ日本へ帰る日の前夜、レストランに入ることにした。言葉の壁が高くて、マクドナルドなどファーストフードばかり食べていたが、思い切った。ここまで来てマクドナルドばかりではつまらない。きのこの入った赤いスープとワインがおいしかった。ホテルの部屋の窓からは黄金に輝くエッフェル塔が見える。隣のアラブ人スーパーで買ったワインを飲みながら、旅を振り返る。最初の頃の不安はもうない。ずっとびくびくしていた自分とは違い、くつろいでいる。ずっとフランスにいたい。そう思える。この夜僕はエッフェル塔に誓った。また必ずフランスへくるぞ!親切にしてくれたフランス人とまた話すんだ

セーヌ側の遊覧船