今日の吉田先生(『この世の果て』)

  果てしなく暗い野島ドラマ。こんな暗い話を夜中から明け方にかけて一挙再放送しないで下さい(笑)あらすじも結末も、清水紘治が演じている医師がどういう役なのかもwebで見て知ってしまっているので、ひたすら清水さんを見るために、あるいは登場話数を確認するために見ることになります。暗くて重くて、あらすじを書くのはしんどいドラマなので、メインストーリーに関する突っ込みは一切しません(おい) ひとつだけ書くと、役者・三上博史には唸らされた。高村士郎というキャラクターは彼の演技力なしに成立しなかったでしょう。泣き顔ひとつで「あぁ、すごい役者だなぁ」と思わされたのは富田靖子以来です。
  清水さんの野島ドラマ出演は「ひとつ屋根の下」(1993)に続いて2本目で、以後「ひとつ屋根の下2」(1997)「世紀末の詩」(1998)と続くわけですが、「ひとつ屋根の下」の宮下院長と「この世の果て」の吉田先生はなんかこう…役がかぶってませんか。いや、個人的には吉田医師の「あの」設定は美馬坂幸四郎に似ている!と敢えて主張しておこう、敢えて。ある意味全然違うんですけど(笑)

清水紘治の役柄: 眼科医、吉田潔。まりあ(鈴木保奈美)の妹、なな(桜井幸子)の主治医。偽善が嫌い。自他とも認める(?)金の亡者らしい。


第1話「雨のシンデレラ」

  郵便局員のまりあは全盲の妹、ななの手術代を稼ぐために夜はクラブで働いている。手術を受けたものの、ななの目は見えるようにならない。……というわけで、ななの主治医役、見慣れた白衣姿の清水さん登場ー(笑)「手術は成功しました。しかし、角膜裂傷が原因で緑内障が併発して…」とか何とか説明しかけていたのですが、まりあにすごい剣幕で遮られたので説明は途中でおしまい(笑)それでは今後のことをお話しましょう、というわけで、角膜の移植手術をすれば目は見えるようになる、しかし順番待ちはほぼ5000人だと現状説明。まぁ優先順位を上げることはできますがね、と要するに「私に金を渡せば何とかしよう」という意味のことを言います。移植手術って医者の一存で5000人分も順番待ちをすっ飛ばせる仕組みになっているのかしら、コーディネーターとか何とか怪しげな利権団体があるんじゃないのですか、というのはともかく。私の予想とはちょっと違って、意外に普通のお医者さん風の演技です。落ちを知っているので、もっと最初から全開でいくのかと思っていました(←何が?)。今回の清水さんは意外に饒舌(笑)


第2話「目の見えぬ純愛」

  色々あって財閥の跡取り息子、神矢征司(豊川悦司)に投げつけられた50万円を吉田に渡すまりあですが、「これは会計に渡る金です」とにべもない吉田医師。手術代か入院費用ということらしい。「繰上げ」を融通するお金は別途必要ですからよろしくね、ということです。「私をひどい医者だと思っているでしょう?金の亡者だと。確かにお金はあるに越したことはない。しかし私はそのためだけに言っているのではないんですよ」「私は偽善が嫌いでね」、などといいたい放題な吉田先生。「いかにも親切ぶった人たちが会場につめかける」「テレビの募金番組」がどうこうとか、フジテレビに喧嘩を売っているのか(笑)しまいには、安全な船の上から浮き輪を投げる人間ではなく、飛び込んで溺れ死ぬ人間を見てみたい、とか言い出します。飛び込んで助けるのではダメで、溺れて死んで欲しいというところに業の深さを垣間見せますね(笑)でもこうやって「本当に他人のために自分を犠牲にできる人間」を見たいと思い続けて、もしそういう人間を見つけたら、この先生は何を思い、どうしたいのかしら。誰彼構わず、胸中を打ち明けていたわけではないはずなので、何故まりあにこのようなことを言ったのか、とかね。他人のためにどこまで自分を犠牲にできるか、というのは、このドラマのテーマのようです。……というような作品の根幹に係わる大切な話のシーンで私が何を考えていたかというと、「あー、清水さんの眼鏡、度が入ってない」(爆笑)……伊達眼鏡なんですね♥(笑)
  まりあの家の玄関で士郎が「ただいま」と言って、まりあもしかたなく「ただいま」と言うシーンが好き。三上博史、可愛いなぁ(笑)


第3話「愛と死の十字架」

  事前調べの通り(笑)、出演なしです。


第4話「流血の運命」

  まりあは士郎の妻に金を要求した金で、ななの手術を実現しようとします。どうやって手に入れた金なのか、差し支えなかったら教えて欲しいですね、とご満悦な吉田センセイ(笑)「人ひとり、売ったのよ」というまりあの答えに更に満足げ。「まぁいいでしょう。あなたの顔をみれば、大切な何かを失うという私の条件にはみあう何かでしょう」とか、そんなことして人を試してまわってるのか、この先生は。もう今にも「くっくっく」とか笑い出さんばかりの浮き浮きっぷりなんですけど!(←どういう浮き浮きだよ)いやー、今回はいい回だったなぁ、と思いました。実に清水さんっぽい演技じゃないですか?
  まぁ、結局まりあは士郎と別れたくなくて士郎の手を潰す、と凄んでみたり、それにほだされた士郎が自分の手にガラス瓶を突き立てたり、というなんかすごい展開になったわけですが。あの奥さんも意外に士郎のこと大事にしてるように見えましたけどね、私には。少なくともピアノを弾く機械としての士郎を欲していただけではない感じがしましたが。


第5話「愛だけを信じて」

  小切手を破ってしまったまりあは妹の手術のための金を用意できなくなってしまいます。「こちらも危ない橋を渡ろうとしてるんです」とドタキャンに苦言を呈する吉田先生。そりゃそうですね。手術は中止だといわれて、妹に何と言えばいいのかと迷うまりあにはきっつい一言。「正直におはなしなさい。土壇場で金が惜しくなったんだと。目を治すことよりも、自分が大事になったんだとそう言えばいい」 こうなったらこうなったで「医者は患者の命を救うのが仕事ですが、慈善事業ではありません」とかそれなりに楽しそうなんだよな、この人は(笑)それ見たことか、という感じで。
  世間の荒波に揉まれて苦戦する士郎の姿に心が痛みます。転職活動は人の心をぼろ雑巾にしますよねー。


第6話「すれ違う心」
第7話「引き裂かれた姉妹」
第8話「その愛を失う時」
第9話「小さな命が消える」


  士郎がどんどんダメな男になっていきますな。まりあのために全てを捨てたつもりの士郎ですが、プライドまで捨てなくてはいけないとは思っていなかったでしょう。32歳、職歴なし、免許も資格もなし。彼の妻がいった通り「ピアノを取ったら何も残らない」士郎は、社会の底辺でボロボロになっていきます。仕事もままならずヒモのように暮らしている彼はついにまりあにこう言ってしまいます。「俺の指を返して」と。それだけは言っちゃダメだろ、という一言ですが、でも彼を責める気にはなれませんね。その後の落ちっぷりはともかく。やっぱりプライドって大事ですよ。記憶喪失のふりをしてまりあのところに転がり込んだ士郎が、あれだけチャーミングで優しい素敵な男だったのは、自分が誰なのか、どんな男なのか知っていたからこそだと思います。だから士郎の対極として最後まで「かっこいい男」であり続ける神矢ですが、かっこよくて当たり前なんですよ。あんな男は。あれだけ恵まれた境遇にいれば、自分より下の境遇の人間に親切にするのは簡単なことです。まして惚れた女に対しては。でも神矢がまりあに惹かれた理由が母親に似ているから、というのにはがっかりだ(笑)あれは完璧王子様(笑)の穴をつくるつもりで書かれた設定なのか、普通の萌え設定として書かれたのか、どちらなのか気になる。
  愛のために「何か」を捨てられるか、というのがこのドラマのテーマのようですが、「何か」を捨てるならいっそ命を捨ててしまったほうがいいんじゃないの、と思ったりもする。命を捨てた人は後悔できないけれど、他の何かを捨てた人はいつか必ず後悔するでしょうからね。そこまで読んで吉田先生は第一回の名セリフを吐いたのかどうか。そう、長々とメインのストーリーについて語ったのは吉田医師に出番がないからです(笑)


第10話「盲目の妹に光を」

  いい回でした…! こういう、ぐっと拳を握り締めたくなるような清水さんの名演技が炸裂する回があるから野島脚本ドラマはやめられない(笑)
士郎を助けるために金が必要なまりあは、死んで保険金を士郎に残し、角膜をななに提供しようとする。私の角膜をななに移植して、というまりあに「そんな手術はできません。腎臓の移植とは違うんですよ」と呆れ顔をする吉田先生がいい。こういう普通の人っぽい演技と、直後の「私は死ぬんだから」と言うまりあに対して「本気なら、見せてもらえますか」と応じる深淵を覗いた者的な演技の落差が好き。まりあと吉田は道路を前にして会話を交わします。妹の手術とは別件で金が必要になった、頭が悪いからもう考えるのはいやになったの、という言うまりあ。「どのみち長く生きるつもりはなかった。ただ、ここのところちょっと……夢見ちゃってたんだ」「知ってる?自殺でも生命保険、下りるんだよ?」(←下りないよ!吉田先生も突っ込んでくださいよ、そこは)。煙草に火をつけようとして、なかなか火がつけられないまりあのために風を遮ってあげる吉田医師がジェントルマンです。しかも両手で、つまりわざわざ鞄を置いてというのが(笑)…吉田先生はまりあに甘いと思う。ほだされてるのかと思いきや、実はそうでないところがますます甘くないですか。「あなたのお芝居、なかなかです。金が用意できなくて私の同情を引こうとしてるんでしょう。……まぁ、いいでしょう。角膜手術の順序の入れ替えの手数料はもう少しまけてあげても」。この時の苦笑が「それ見たことか(やはり本気で死ぬつもりはないんでしょう)」という感じではないところがいいです。このシーンの演技が全12話の中で一番好き。まりあに背を向けて歩き出した吉田医師が、車の急ブレーキの音に驚いて振り返る→人ごみをかきわけて倒れているまりあを見下ろすところまで含めて。
  今回のエンディングはいつもの"Oh My Little Girl"ではなく、シューベルトの「アヴェ・マリア」。しかし、ピアノ→チェロ→女声ボーカルとかぶせるのに、調を変えるのはやめて欲しかった。どういう意味があるんですか、あれは。あとマリアが飛び出す場所がどう考えてもあんな場所で飛び出したって死ねるわけはない、という場所だったのはいかがなものか。

第11話「愛する者の死」

  まりあの母、夕子(吉行和子)がアパートの一室で遺体で発見される。夕子とともに布団の中で見つかった男は何日か前に死んでおり、警察は後追い自殺と判断した。まりあ宛ての遺書には男はまりあの実父であること、病気でもう長くない彼を看取るためにアパートを借りたことなどが記され、角膜をななに移植して欲しいとあった。どうして急に手術の順番がまわって来たのかと不思議がるななに、自殺した母の遺言で角膜を移植できるとは言えず、言葉に詰まるまりあ。事情を察して何の義理もないのに、しょうもない嘘をついてやる吉田医師萌え。士郎とか神矢が嘘をつくなら「ふーん」でお終いなのですが、いつも悪人ぶっている吉田先生だとニヤニヤしてしまいます。
  ルミを見つけて「この世の果てに連れて行く」と言っていた佐々木(小木茂光)の最後の会心の笑みがよかった(この人好きだわー、ホント)。ルミ・大男組(?)のラストが「春琴抄」というのは納得がいかん。
  ななが通っている病院の外観が映ったのですが、「石川眼科」とあってびっくり。あんな危ないことをしている吉田医師が雇われとは驚きましたね。(今、確認したら第1回で「石川眼科」は映っていました)

最終話「未来を君に捧げる」

  ななの手術の後、医院をやめたという吉田医師を「お礼を言いたい」と訪ねるまりあ。吉田はまりあに会ってもらいたい人がいる、と言って彼女を隣の部屋に通す。生命維持装置をつけて横たわるのは、吉田の妻で、結婚式の直前に事故にあい、20年間この状態だという。看病に疲れていたし、この先を考えると怖かった。もう妻を愛しているのかどうかさえわからない、と言いつつ、まりあの母を見て、病院から自宅に引き取ったという吉田。「これが私に与えられた運命なんだ。人間は愛だけで生きるんじゃない。運命を受け入れて生きるとき、より穏やかな幸せを掴めるかもしれません。もうこれで何かにもがき苦しむことも無い」
  え、ええっ、こう来ます?吉田医師の話の落ちは知っていたし、このドラマのことを語る人はよくセリフを引用するのでセリフまで把握していたはずなのですが、清水さんの演技が予想外だったので(「尊厳死のことも考えた」と泣くところ)ちょっと動揺してしまいました(笑)おかげで吉田医師の自宅が、清水さんの演じている役にしてはしょぼくれていることに対する驚きが吹っ飛んでしまいましたよ。というか、登場人物の中でも吉田医師の自己犠牲は相手から何の見返りも期待できない分、深すぎて怖い。そのうえ、最終回で「もうこれで何かにもがき苦しむことも無い」と、ここまで悟ってしまっては見ているこちらがやるせない。この先、彼にどんな未来があるというのでしょうか。相手のために命を投げ出した人間は、その後苦しむことはない。捨てられることもない。でもただ横たわって生きていく妻のために様々なことを犠牲にして生きていくのは……。でも他人にはそこまでを求めずに「死ぬと分かって尚、助けに飛び込む人間を見たい」という吉田先生は意外に甘い人だと思いました。徹底的なリアリストに見えて、実は意外に甘い人、というところは実に「ひとつ屋根の下」の木内院長です。
  吉田とその妻、ラストの士郎とまりあは対になっているのでしょうが、「自分の運命を受け入れて」といっても士郎はまりあに直接的にも間接的にも負い目を負い過ぎているので…。そのために、もしかしたら何十年も頑張れるかもしれませんが、でも頑張ったその先に何があるのか、と思うとどうだろう。「その先」を考えるラストじゃないんでしょうね、どうも。結局「この世の果て」という言葉を口にしたのは佐々木だけか……。まぁ、吉田医師もたどり着いてそうですけどね、この世の果てに。