n-ro101 Luiza が5時までに来るかどうか,わたしにはわかりません。

「Luiza が5時までに来るかどうか」は c^u Luiza venos g^is la kvina horo。venos は alvenos を使っていうこともできます。 「5時」の horo は省略して la kvina とすることもできます。時刻は序数詞(unua, dua, tria,...)で表し,冠詞を付けます。
「来るかどうか」は au~ ne を付けても付けなくても構いません。日本語では「来るか来ないか不明」という意味を表すときに,「来るかわかりません」というと「来るかもしれない」という意味に取れるので,「どうか」を入れて「来るかどうかわかりません」といいますが,課題文の「5時までに来るかどうか」の「どうか」も単に口調をよくするために入っていて,「来るか来ないか」という表現のように,「来ないか」を明示しているのではないので強いて訳す必要はありません。

「5時までに」の「までに」は,ここでは g^is を使っても antau~ を使っても同じです。ただし,「土曜日までに」のように基準に幅がある場合には,g^isとantau^では意味が違うので注意してください。

比較:
(1) Redonu la libron antau^ la kvina.
その本は5時になる前に返してください。
(2) Redonu la libron g^is la kvina.
その本は5時までに返してください。
(3) Redonu la libron antau^ sabato.
その本は土曜日より前に返してくだい。(遅くとも金曜日中に)
(4) Redonu la libron g^is sabato.
その本は土曜日までに返してください。(遅くとも土曜日中に)
(1)と(2)は同じ意味ですが,(3)と(4)は違いますね。

antau~ ol la 5-a も誤りです。antau~ ol の後には「主語 + 動詞」が置かれます。次の例文に見られるように,主節と従属節の動詞が同じ場合には従属節の動詞が省略されることがあります。

参考:
Haruo alvenis antau~ ol Akio (alvenis).
ハルオはアキオ(が来る)より前に来ました。

「わたしにはわかりません」は mi ne scias とすればよいのですが,これに続ける文の c^u を ke にするのは誤りです。Mi ne scias ke ... という文は成立しません。例えば,Mi ne sciis ke Masao estas kuzo de Haruo (わたしはマサオがハルオのいとこであるということを知りませんでした)という文は成立しますが,Mi ne scias ke Masao estas kuzo de Haruo (わたしはマサオがハルオのいとこであるということを知りません)という文はおかしいですね。Mi ne scias c^u Masao estas kuzo de Haruo (わたしはマサオがハルオのいとこであるかどうか知りません)とすると自然な文になります。

同じように Mi ne estas certa ke ... という文も成立しません。Mi estas certa ke ...(わたしはきっと...だと思います)を否定文にすると, Mi ne estas certa c^u ...(わたしには...かどうかわかりません) の形になることを覚えておきましょう。
kompreni 「理解する」という意味なので,この課題文で mi ne komprenas のように使うことはできません。

訳例
Mi ne scias c^u Luiza venos g^is la kvina.


n-ro102 Silviaがそのときそのビルの中にいたかどうかわかりますか。

「Silviaがそのときそのビルの中にいたかどうか」は c^u tiam Silvia estis en la konstruaj^o。tiam の位置はかなり自由で c^u Silvia tiam estis en la konstruaj^o, c^u Silvia estis en la konstruaj^o tiam など,いずれも可能です。ただし en la konstruaj^o はひとつの句として固まっているので,tiam がこれらの語の間に入り込むことはできません。au~ ne は付けなくてもよいのですが,付けても構いません。「いた」 は restis を使っていうこともできます。

「ビル」は konstruo か konstruaj^o を使うのがよいでしょう。domego と聞くと巨大な domo を思い浮かべるでしょうが,domo は konstruo por homlog^ado(居住用の建物)を指すのが普通です。高層マンションなどは domego と呼ぶことができますが,日本語の「ビル」のイメージとはかなり違います。palaco は「宮殿」という意味で使われるほかに,公共の豪華な建物にも使われます。日本語の「ビル」の意味と重なっている部分があるので状況によっては使えますが,企業の事務所が大部分を占めているような「ビル」を指して使うのには不適当な語です。

「わかりますか」は 大部分の訳が c^u vi scias となっていました。もちろん,これでもよいのですが,日本語の「わかりますか」は,相手が知っているかどうかを尋ねる場合だけでなく,話し手が自分の知りたい情報を知ることができるかどうかを尋ねる場合にも使われますから,c^u mi povas konfirmi や c^u mi povas sciig^i のような表現がぴったりする場合もあります。konfirmi を使うときは,c^u ではなく ke を使うことに注意してください。

C^u vi scias, ke Silvia tiam estis en tiu konstruaj^o? は「Silviaがそのときその建物の中にいたことをあなたは知っていますか」という意味ですから,この課題文の意味とは違いますね。

訳例
C^u vi scias c^u Silvia estis tiam en la konstruaj^o?
C^u mi povas sciig^i c^u tiam Silvia estis en la konstruaj^o?


n-ro103 あなたがお断りになる理由を教えていただきたいと思うのですが。

「あなたがお断りになる理由」は la kialo de via rifuzo というのが,いちばん簡潔な表現です。la kau~zo kial vi rifuzas のようにいうこともできますが,rifuzi を -as にするか -is にするか,それとも -os にするかは,発話するときの状況によります。
話し手が何か申し出たり,依頼したりしている場で相手がその申し出,あるいは依頼を断っている状況でこの質問をする場合には rifuzas を使っていうでしょう。また,話し手はまだ相手から直接断りのことばを聞いていなくて,第三者から相手が断る意向を持っているという情報を知らされている場合なら,rifuzos を使って尋ねるでしょう。rifuzis を使うと「(あなたが)お断りになった(理由を)」という意味になりますが,状況によってはこの表現も使えるでしょう。rifuzi と同じ意味の malakcepti を使うこともできます。
なお,rifuzi, malakcelpti は「拒絶する」という意味合いを持つ語なので,第三者に Mi rifuzis lian peton(彼の依頼を断ったよ)ということはあっても,依頼者に対して Mi rifuzas vian peton というのはかなり失礼な表現になります。丁寧に断るときは Mi bedau~ras ke mi ne povas akcepti vian peton(申し訳ありませんが,お申し越しの件はお引き受けすることができません) のようにいうのがよいでしょう。
「理由」の訳語として rezono を挙げている辞書がありますが,rezono には「理由」という意味はありませんし,rezoni の名詞形は rezonado の形で使うのが普通です。英語の reason(理由)と同じ語源の語ですが,意味の違いに注意しましょう。
kialo pri via rifuzo 冠詞を付けて la kialo de via rifuzo とします。neigas という語は使われません。
「教えていただきたいと思うのですが」も丁寧な表現ですから,Mi volus sciig^i や C^u mi povus sciig^i のように -us のかたちの動詞を使っていうのがよいでしょう。親しい友人などに対しては,mi volas や mi deziras を使ってもよいのですが,この課題文のような丁寧な表現に volas や deziras に使うことは避けたほうが無難です。Bonvolu sciigi は mi volas sciig^i などよりは丁寧な表現ですが,C^u vi bonvolus sciigi としたほうがずっと丁寧な表現になります。Mi volus scii の scii は「知っている」という意味ですから, sciig^i(知る状態になる)を使いましょう。
petegas を使うと「教えてくださるまで引き下がりませんよ」という慇懃さの中の強引さを相手に感じさせる恐れがあります。
ここでは instrui を使うことはできません。instrui は「知識や技術を教える」という意味で「情報を教える」というときの「教える」に使うことはできません。

訳例
C^u mi povus sciig^i kial vi rifuzas?
C^u vi bonvolus diri al mi la kialon de via rifuzo?


n-ro104 ぼくがきみの立場だったら,彼の提案を断らないよ。

「ぼくがきみの立場だったら」は,se mi estus en via situacio のようにいうことができます。situacio は pozicio や loko を使っていうこともできますが,loko のときは sur を使うのが普通です。また,「ぼくがきみだったら」という意味で se mi estus vi という表現も可能です。いずれの場合も,実際にはそうでないことを仮定していうのですから,estus と -us の形でいいます。
なお,この課題文のように主節と従属節の主語が同じ場合には,従属節の主語を省略することができるので,その例を訳例に挙げておきます。

「彼の提案を断らないよ」は,mi ne rifuzus lian proponon。-as や -os を使った訳がありましたが,これも話し手が実際に断るわけではないので,-us を使っていいます。同じ意味内容を mi akceptus lian proponon(彼の提案を受け入れるよ)という表現で伝えることもできます。rifuzi の代わりに malakcepti を使っても同じですが, rezigni には 「(提案を)断る」というような意味はありません。

訳例
Se mi estus en via situacio, mi ne rifuzus lian proponon.
Mi, sur via loko, ne rifuzus lian proponon.


n-ro105 あなたはその場で彼の依頼を断るべきでした。

「その場で」は tuj, senprokraste がぴったりですが,tiam も使えるでしょう。senprokraste と tiam は文頭,文尾,動詞の前後のどこでも置くことができますが,tuj はこの課題文では rifuzi(malakcepti)の直前に置くのが普通です。ここでは tuj と senprokraste は意味の上では同じですが,tiam はこれらの語と同じではありませんから,tuj または senprokraste と tiam の両方を使っていうこともできます。tiam は「そのとき」という意味のほかに文脈によっては「それなら,そういうことなら」という意味に使われますが,tuj と senprokraste には,そういう意味はありません。「その場で」は「その場所で」という意味ではないので,tie を使うのは不適当です。

「彼の依頼を」は lian peton。普通の語順では rifuzi, malakcepti の後に置きますが,文頭に置くと「(ほかの人の依頼なら別だが)彼の依頼は」というニュアンスを伝えます。

「断るべきでした」は半数の訳が間違っていました。「断るべきです(断らなければなりません)」は devas rifuzi(malakcepti)といいますが,「断るべきでした(断らなければならないのに断らなかった)」は devis rifuzi(malakcepti)ではなく estus devinta rifuzi(malakcepti)といいます。devis rifuzi(malakcepti)は「断らなければなりませんでした(だから断りました)」という意味になります。過去の出来事であることを明示する estus devinta は形が重いので,話の内容が過去であることがはっきりしている場合は, devus で代用してもよいでしょう。estus devinta と同じ意味で,devintus という形を使う人もいます。
bezoni は「〜する必要がある」を表し,devi に比べると意味が弱い表現です。
rifuzendi を使った訳がありましたが,-end という接尾辞は kiu devas esti 〜-ata(〜されるべき)という受け身の意味ですから,vi rifuzendis は「あなたは拒否されるべきでした」という意味になります。

訳例
Vi estus devinta tuj rifuzi lian peton.
Vi devus tuj rifuzi lian peton.


n-ro106 マサオは来るべきだったし,来ることができたのに,来ませんでした。

「マサオは来るべきだった」は Masao estus devinta veni または過去のことであることが明らかな場合には estus devinta の代わりに devus を使うこともできます。前回の解説で述べたように devis を使うと「〜しなけらならなかった(ので〜した)」という意味になるので,ここでは不適当です。
「来ることができた(のに来なかった)」は estus povinta。過去のことであることが明らかなばあいには povus を使っていうこともできます。povis 〜は実際に〜したときに使います。
なお,estus devinta kaj povinta の強調形は estus kaj devinta kaj povinta のように kaj を2回使っていいます。

参考:
Mi povus malkas^i la veron.
わたしは真相を暴露することができますが,暴露しません。
Mi povas malkas^i la veron.
わたしは真相を暴露することができます。(暴露することを暗示)

「のに」は sed または kvankam や malgrau~ tio ke を使っていうことができます。tio を省略した malgrau~ ke という形も使われます。kvankam devus ... は kvankam li devus ... としなければなりません。kvankam の後の主語や動詞の省略については,バックナンバー n-ro82 の解説をご覧ください。
Masao devus kaj povus veni, sed ne venis のように sed の後の li は省略することができますが,Ne venis, malgrau~ ke Masao devus veni ... のように主節の主語を省略していうことはできません。

訳例
Masao devus kaj povus veni, sed li ne venis.
Kvankam Masao kaj devus kaj povus veni, li ne venis.


n-ro107 Bertaは Robertoがそれをすることができたのに,しなかったのだと思っています。

「Robertoがそれをすることができたのに」は Roberto estus povinta fari tion sed。「Roberto はそれをしなかった」を先に書いて kvankam ... と続ける場合には kvankam li povus fari tion のように li を使って書きます。この li povus fari tion は li povus fari または単に li povus のように省略することができます。「〜をする」は fari を使っていいましょう。fari には fari decidon(=decidi), fari demandon(=demandi), fari eraron(=erari), fari komplezon(=komplezi), fari konfeson(=konfesi), fari peton(=peti), fari promeson(=promesi), fari konkludon(=konkludi), fari servon(=servi)などの形で目的語の動詞形と同じ意味を表すような使い方と,fari devon(義務を果たす), fari taskon(任務を果たす)のように plenumi(を遂行する)という意味を表す使い方があります。

「〜できたのに」は過去のことですから,それを明示するには estus povinta の形を使うことが必要ですが,Roberto ne faris tion kvankam li povus fari のように主節で過去のことであることが分かっている場合は estus povinta の代わりに povus を使うことができます。Roberto povus fari tion sed ne faris という形のときは最後の faris を読む(聞く)までは過去の出来事についていっていることが分かりません。Roberto povus fari tion sed ne faras(Robertoはそれをすることができるのに,しない)という現在形の文もあるからです。だから estus povinta の形を取るほうがよいのですが,実際にこの課題文のような文が使われるときは,それまでの話で過去の出来事であることが分かっているでしょうから,そのような状況の中では povus で代用しても誤解されることはないでしょう。

「Bertaは〜と思っています」は pensi または opinii を使っていうことができます。pensi は「理由があってそう考える」という意味ですが,opinii は「主観的な判断でそう考える」という意味です。diri al si は Berta diris al si ke ...(Bertaは ... と思った)のように過去形でいうのは自然ですが,「... と思っている」という現在続いている状態を表すときに使うのは不自然な感じにないます。

訳例
Berta pensas ke Roberto ne faris tion kvankam li povus fari.
Berta pensas ke Roberto estus povinta fari tion sed ne faris.


n-ro108 Vanja は近所の人たちに可愛がられています。

「近所の人たちに」は de siaj najbaroj。siaj を la にするのはよいのですが,何も付けない najbaroj はよくありません。会話だったら聞き手は Kies najbaroj? と聞き返すでしょう。日本語では明示されていなくてもエスペラントでは,それを明示しなければなりません。例えば「彼は財布からコインをひとつ取り出しました」といえば,「財布」は彼のものであることは日本語では自明のことですが,エスペラントでは Li elprenis moneron el sia monujo と言わなければなりません。

体の部分や身に着けている衣服などを指すときは,mia, via, sia などの代わりに冠詞を使うことができます。この「身に着けている」という限定に注意して次のふたつの文を読んでください。

比較:
(1)Li demetis la c^apon.(彼は帽子を脱ぎました。)
(2)Li surmetis sian c^apon.(彼は帽子をかぶりました。)

(1)の文 c^apo は,「身に着けている帽子」ですから la を付けることができますが,(2)のc^apo は「身に着けている帽子」ではないので,冠詞を付けて la c^apon というと,聞き手は「ん? どの帽子?」と戸惑うでしょう。ただし,これはこの(1)と(2)の文が単独で出てくる場合のことで,もし文章の中でこのふたつの文が(1), (2)の順序で出てくるときは,(2)の文でも la c^apon と冠詞を付けていうでしょう。帽子はさっき脱いだ帽子を指しているからです。(もし別の帽子をかぶったのだったら,Li surmetis sian alian c^apon というでしょう。)

「近所の人」ひとりは najbaro。ここでは najbaroj とします。najbaruloj とはいいません。najbaroj と同じ意味を持つ proksimuloj を使うこともできます。新約聖書の Amu vian prokusimulon,kiel vin mem(自分のように隣人を愛せよ<ルカ伝 10:27>)はよく知られています。

「可愛がられています」は受け身形を使って estas amata といえばよいでしょう。(受け身についての詳しい解説は,ここをクリックしてください。)

訳例
Vanja estas amata de siaj najbaroj.


n-ro109 そんな大きな音を立てたら,近所の人が苦情を言いますよ。

「そんな大きな音を立てたら」は,これから立てようとしている人に対していうときは,se vi faros tian bruegon のようにいえばよいし,すでに大きな音を立てている人に対していうときは,se vi faras tian bruegon というよりも,se vi ne c^esos fari tian gruegon(そんな大きな音を立てるのを止めないと)のようにいうほうが自然でしょう。
「音」はここでは sono ではなく bruo, bruego を使いましょう。不快な感じを与える音は bruo を使っていいます。
「近所の人」は najbaroj ですが,ここでは viaj か la を付けましょう。
「近所に住む人全員」を指して via najbaraj^o を使うことはできますが,najbaraj^oj と複数形にするのはよくありません。
「苦情を言いますよ」は plendos を使っていいましょう。plendus のように-us の形にするのはよくありません。(-us の用法についての詳しい説明はここをクリックしてください。)
reklamacii は「何かの返還や履行を求めて役所などに苦情を申し出る」という意味ですから,この課題文に reklamacios を使っていうのは不適当です。
 
訳例
Se vi faros tian bruegon, viaj najbaroj plendos pri tio.


n-ro110 マサオがハナコに愛を告白したことを,マサオの友だちはみんな知っています。

「マサオの友だちはみんな知っています」は c^iuj amikoj de Masao scias。la amikoj de Masao scias としても, この文では同じです。冠詞付きの複数形名詞(la --)は de 〜 などで修飾されると,「〜の--全部」という意味を表すことができます。ただし文脈によっては「--全部」ではなく,特定の -- を指す場合もあります。
Liaj amikoj scias で始まる形はよくありません。Liaj amikoj scias, ke ... という文の構成にすると,最初にいきなり「彼の友だち」と出てくるので,聞き手(読み手)が「えっ,誰の友だち?」と戸惑うからです。「友だち」は男の友だちばかりでなく,女の友だちもいると考えて geamikoj を使った訳も寄せられましたが,amikoj は男女を含んだ意味で使われるのが普通なので,ge- を付けなくても構いません。tutaj amikoj de Masao
のようには言いません。tuta は,もの全体をひとつにまとめて表す表現で,la tuta mondo(全世界), la tuta Japanio(全日本)のように単数形で使われます。(国名は無冠詞で使われますが,形容詞が付くと 冠詞を付けるのが普通です。)

比較:
la tuta lando(全国)
c^iuj landoj en la mondo(世界のすべての国々)

「マサオがハナコに愛を告白したことを」は ke li konfesis sian amon al Hanako または ke li konfesis al Hanako sian amon。「マサオ」は主節(c^iuj amikoj de Masao scias)に出ているので,ここでは li を使っていいましょう。Masao を繰り返しても誤りではありませんが,li を使うほうが普通で,そのほうがスマートです。Masao konfesis al Hanako lian amon は sian amon としないと「マサオの愛」を指しません。

比較:
Masao uzas sian komputilon.
マサオは自分のコンピューターを使っています。
Masao uzas lian komputilon.
マサオは彼(マサオ以外の誰か)のコンピューターを使っています。

訳例
C^iuj amikoj de Masao scias ke li konfesis sian amon al Hanako.