課題文n-ro441 Braun博士は,その翻訳を完成させる前に亡くなりました。

解説
Braun博士は亡くなりました: Doktoro Braun forpasis と言うのがよいでしょう。Doktoro は D-ro と書かれることもあります。「亡くなりました」は「死にました」の婉曲表現ですから,morti の婉曲表現である forpasi を使って言うほうがよいでしょう。

その翻訳を完成させる前に: antau^ ol kompletigi la tradukon のように言うことができます。この文では mortis の主語と kompletigi の意味上の主語が同じであるから後の主語を省略することができるのですが,後の主語を省略せずに antau^ ol li kompletigus la tradukon と言うこともできます。kompletigus の代わりに elfarus や finus を使ってもよいのですが,動詞が -us になっていることに注意してください。これを -is とするのは誤りです。「完成させる前に」亡くなったと言うことは,kompletigi しなかった,と言うことですが,kompletigis, elfaris, finis は,実際に「完成した」ことを意味するので,この文で kompletigis などのように言うと,論理的に破綻した文になります。ただし,antau^ ol で導かれる節(主語+動詞)の動詞がいつも -us と言うわけではありません。下記の比較の文をご覧ください。

比較:
D-ro Braun forlasis Japanion antau^ ol li kompletigus la tradukon.
Braun博士は,その翻訳を完成させる前に日本を去りました。(だからその翻訳は完成しませんでした。)
D-ro Braun forlasis Japanion antau^ ol li kompletigis la tradukon.
Braun博士は,その翻訳を完成させる前に日本を去りました。(しかし彼はその後,翻訳を完成させました。)

訳例
D-ro Braun forpasis antau^ ol kompletigi la tradukon.
D-ro Braun forpasis antau^ ol li kompletigus la tradukon.


課題文n-ro442 わたしはそのボールが地面に落ちる前に,両手でキャッチしました。

解説
わたしはそのボールを両手でキャッチしました: mi kaptis la pilkon per la manoj のよう言うことができます。per la manoj は per ambau^ manoj, ambau^mane としても同じです。ambau^mane はひとつの単語ですから,ambau^ mane と2語に書くのは誤りです。ambau^ の前には la や miaj などは付けません。これは ambau^aj についても同じことが言えます。per la du manoj, per miaj du manoj としても誤りではありませんが,per la manoj と言うのが普通です。kaptis の代わりに ricevis を使うのはよくありません。ricevi には「受け取って自分のものにする」と言う意味があります。la pilko estas kaptita の estas は estis にしましょう。「〜された」と言う過去の行為は estis 〜-ita の形で表されます。受動態については『
エスペラント初級・中級の作文』, p.104に用例を挙げた詳しい説明があるので,ご参照ください。

地面に落ちる前に: 「それが」を補って antau^ ol g^i falus sur la teron のように言います。sur la teron は teren, surteren としても同じです。sur la tero の tero は teron としなければなりません。sur la tero は「地上で」を意味します。tersurfaco は「地面」の訳語としては正しい語ですが,「地面に落ちる」と言うときには使いません。fali sur la tersurfacon は「土地の表面に落ちる」と言う日本語に当たる表現で,この課題文のような場合には不似合いな表現に感じられます。tero には冠詞を付けます。falus al la tero の al la tero はよくありません。fali al la tero は「地面に向かって落ちる」と言う意味ですから,これが野球の場合なら,antau^ ol g^i falus al la tero は「(バッターが打ったボールが)地面のほうに向かって落ちる前に,つまり(ボールが)空に向かってどんどん高く上っているときに」と言う意味になります。al la surterfacon は文法的にも誤りです。al の後に 対格(-n)を置かれることはありません。ボールは落ちなかったのですから,falis ではなく falus としましょう。-us には時の概念が含まれないので,過去の出来事であることを正確に伝えるには estus falinta と言うべきなのですが,この表現は重いので,課題文のように誤解される恐れのない状況では,falus で代用するのが普通です。antau^ ol fali は,ここでは誤りです。antau^ ol の後に不定形の動詞を使うことができるのは,不定形の動詞の意味上の主語(文中には明示されていない主語)が,主節の主語(ここでは kaptis)と同じである場合に限られます。この課題文では kapti するのは「わたし」で,fali するのは「ボール」ですから,antau^ ol fali のように言うことはできません。antau^ g^i falus は antau^ ol g^i falus としなければなりません。antau^ は前置詞ですから,節(主語+動詞)の前に付くことはできません。antau^ la surterig^o de g^i は誤りではありませんが,「それの着地の前に」と言う硬い表現ですから,ここでは antau^ ol g^i falus sur la teron のように言うほうがよいでしょう。

訳例
Mi kaptis la pilkon per la manoj, antau^ ol g^i falus sur la teron.
Antau^ ol la pilko falus sur la teron, mi kaptis g^in per ambau^ manoj.


課題文n-ro443 きのう,わたしは雨が降り出す前に帰宅しました。

解説
きのう,わたしは帰宅しました: hierau^ mi revenis hejmen または hierau^ mi revenis al la hejmo と言います。Hierau^, mi revenis ... のように,hierau^ の後にコンマを置いた訳が3例ありましたが,これはよくありません。日本語では「きのう,わたしは ...」のように書くことがありますが,エスペラントのコンマの用法は,日本語の読点の使い方と同じではないので注意してください。

雨が降り出す前: antau^ ol ekpluvis または antau^ ol komencis pluvi のように言います。-us を使った訳が応募訳の三分の一を占めましたが,この課題文の場合に -us を使うのは誤りです。antau^ ol で導かれている節(主語+動詞)の動詞が表していることが,実際に起きた場合には -is を使い,起きなかった場合には -us を使って言うのですが,この課題文では雨は実際に降ったのですから,-is を使って言わなければなりません。課題文n-ro441 の解説の中に挙げてある「比較」の文で,antau^ ol li kompletigus と antau^ ol li kompletigis との違いを確認してください。なお,antau^ ol で導かれている節の動詞は,-us, -is だけでなく,-as, -os の形を取る場合もあるので,正しく使い分けることが必要です。
antau^ ol ekpluvi も誤りです。antau^ ol の後に不定形の動詞を置くことができるのは,主節と従属節の主語が同じ場合に限られますが,この課題文の主節の主語は mi で,従属節は無主語文ですから,「主語が同じ場合」と言う条件を満たしていません。「雨が降り出す前」は antau^ la ekpluvo と言うこともできますが,この課題文の場合は聞き手も雨が降ったことを知っていると考えるのが自然ですから,ekpluvo には冠詞を付けましょう。

訳例
Hierau^ mi revenis hejmen antau^ ol ekpluvis.


課題文n-ro444 あしたは Manjo が目を覚まさないうちに出かけます。

解説
Manjo が目を覚まさないうちに: antau^ ol Manjo vekig^os と言います。日本語では「目を覚まさない」と否定文になっていますが,ここでは antau^ ol のあとが肯定文になることに注意してください。antau^ Manjo vekig^os のように言うことはできません。英語の before は前置詞としてだけでなく,接続詞としての機能もあるので,before Mary awakes(Maryが目を覚まさないうちに)のように言うことができますが,エスペラントの antau^ には接続詞としての機能がないので,antau^ ol としなければなりません。また,英語では before に導かれる副詞節の中では現在時制で未来を表しますが,エスペラントでは未来の行為や状態について言うときは, -as ではなく -os を使って言います。antau^ ol tiam, kiam Manjo vekig^os は ol を削除すれば正しい文になりますが,上に挙げたように antau^ ol Manjo vekig^os と言うほうが簡潔です。この vekig^os を vekig^us とするのは誤りです。今回も -us が使われている誤りがいくつか見られましたので,antau^ ol の後で使われる -us の用例を挙げておきます。

参考:
Mi kriis antau^ ol Manjo tus^us la pentraj^on, "Ne tus^u!".
わたしは Manjoがその絵に触れる前に「さわらないで!」と叫びました。

この文は,わたしが注意したので Manjoはその絵にさわらなかったと言うことを表しています。日本語の「さわる前に注意した」と言う表現は,「注意したからさわらなかった」のか,それとも「注意したがさわってしまった」のか分かりませんが,エスペラントでは tus^us を使えば「さわらなかった」ことを表し,tus^is を使って言えば「さわった」ことを表します。つまり,-us を使うと「その行為(さわると言う行為)が起きなかった」ことを表し,-is を使えば「(わたしが叫んだ後で)その行為が起きた」ことを表します。この課題文の antau^ ol Manjo vekig^os は,「(わたしが出かけた後で) Manjo が目を覚ます」と言う行為が起きることを表します。-us を使うと「(わたしが出かけた後でも) Manjo が目を覚まさない」と言うおかしな意味になってしまいます。
antau^ ol Manjo vekig^i は誤りです。antau^ ol に続く文の主語が,主節(ここでは mi ekiros)と同じ主語の場合には antau^ ol vekig^i と言うことができますが,ここでは vekig^i するのは Manjo ですから,antau^ ol Manjo vekig^os としなければなりません。

出かけます: ekiros がよいのですが,ここでは「(家から)出る」と言う意味の eliros を使ってもほぼ近い意味を表すことができます。

訳例
Morgau^ mi ekiros antau^ ol Manjo vekig^os.


課題文n-ro445 わたしは誰も目を覚まさないうちに,その部屋を出ることができました。

解説
誰も目を覚まさないうちに: antau^ ol iu vekig^is というのがよいでしょう。状況によっては vekig^is が vekig^os になります。antau^ ol iu vekig^is は副詞節なので,動詞(ここでは vekig^i)の時制は,この話をしている時点からみて過去のことであれば -is, 未来のことであれば -os の形を取ります。ですから,きのうのこととか,あるいはもっと前のことについて話している場合なら,vekig^is を使っていいますし,話し手が部屋から出てくるのを待ち受けていた人にいう場合なら vekig^os を使っていいます。
antau^ ol neniu vekig^is(veig^os)のように neniu を使うのは誤りです。前回の課題文の解説の中で述べたように,antau^ ol に続く文は否定文ではなく,肯定文になるので,ここでは antau^ ol iu vekig^is(veiig^os)といいます。dum neniu vekig^is というのはよくありません。vekig^i は点動詞ですから「〜している間に」という意味の dum の後に置くことはできません。

その部屋を出ることができました: mi povis elig^i el la c^ambro といえばよいでしょう。elig^i は eliri に,povis は sukcesis とすることもできます。

訳例
Mi povis elig^i el la c^ambro antau^ ol iu vekig^is.


課題文n-ro446 わたしが女であることに誰も気づかないうちに,わたしは彼らと別れました。

解説
わたしが女であることに誰も気づかないうちに: antau^ ol iu rimarkis ke mi estas virino のようにいうことができます。iu は iu el ili(彼らのうちの誰かが) という
表現もできますが,iu de ili とするのはよくありません。英語ではこういう場合,of を使いますが,エスペラントでは el を使っていいます。

参考:
Masao estas unu el miaj amikoj.= Masao is one of my friends.
(マサオはわたしの友だちのひとりです。)

「気づく」は rimarki のほか trovi を使っていうこともできます。trovi には trovi ion(iun) 〜-a(ある物,ある人が,〜であることに気づく)という形の使い方と,trovi ke io(iu) ...as(-is, -os)という形での使い方がありますが,この課題文では後者の形でいうのがよいでしょう。trovi min ina は「わたしが女であることに気づく」という意味ではなく,「わたしが女性的であることに気づく」(男性的な性格だと思っていたが,女らしさがあるということに気づく) という意味になります。rimarki iun virino という用法はありません。ekrimarkis min esti mi virino という表現は誤りです。ke mi estis virino の estis は estas とします。この ke節は名詞節ですから,「気づいた」時点を基準にして -as, -is, -os が決まります。この点も英語と違うので注意が必要です。

参考:
Mi rimarkis ke Masao mensogas al mi.=I noticed that Masao was lying to me.
(わたしはマサオが嘘をついていることに気がつきました。)

rimarki, trovi の時制は,ここでは -is とするのが自然な形です。

わたしは彼らと別れました: mi disig^is de ili, mi apartig^is de ili のようにいえばよいでしょう。状況によっては「彼らと関係を絶った」という意味の mi rompis kun ili も使えるでしょう。

訳例
Mi disig^is de ili(,) antau^ ol iu rimarkis(,) ke mi estas virino.


課題文n-ro447 Helenaは,刃物を持った男が部屋に入り込む前に,ドアを閉めました。

解説
Helenaはドアを閉めました: Helena fermis la pordon といいます。pordo には冠詞を付けます。無冠詞にすると,「どこかの部屋のドア」を指すことになって不自然な文になります。冠詞には,あることについて述べているときに,それが紹介の役目をつとめることによって,それに関連しているほかの事物に付けるとか,全体の状況から何を指すのかが明らかな場合に付けるという用法があります。

刃物を持った男: viro kun tranc^ilo en la mano というのが,簡潔な表現です。viro havanta tranc^ilon en la mano や viro(,) kiu havis tranc^ilon en la mano などのようにいうこともできますが,kun を使う表現は応用範囲が広いので,辞書などで調べて使い方をおぼえておくと,いろいろの場面で役立ちます。ただし,viro kun tranc^ilo だけでは,男が刃物を手に持っていたのか,ポケットに入れて持っていたのかが分かりません。日本語の「持つ」には「所有する,携帯する,...」など,いくつかの意味がありますが,ここでは「手の中に入れて保つ(広辞苑)」という意味で使われているのですから,en la mano を付けていいましょう。porti にも en la mano の意味は含まれていません。関係詞(ここでは kiu)を使うときは,kiu havas ... ではなく kiu havis となることに注意してください。kiu で導かれる形容詞節の動詞の時制は,主節(ここでは Helena fermis la pordon)を基準にするのではなく,この文を書いた(話した)時点を基準にして決まります。
viro に冠詞を付けるのは誤りです。la viro kun tranc^ilo en la mano は「刃物を持った男が」ではなく,「刃物を持った(その)男は」という意味になります。

(刃物を持った男が)部屋に入り込む前に: antau^ ol (viro kun tranc^ilo en la mano) envenus en la c^ambron などのようにいいます。課題文では,男が Helena の部屋に入ることはなかったのですから,動詞は -is ではなく -us を使っていいます。

参考:
Helena kriis, "Ne envenu!", antau^ ol viro envenis en la c^ambron.
Helena は男が部屋に入る前に「入らないで!」と叫びました。(しかし,男は入ってきました。)

「部屋に入り込む」には enpenetri も使えますが,invadi は不適当です。enirus al la c^ambron の al la c^ambron は en la c^ambron としましょう。al の後の名詞,代名詞に -n が付くことはありません。「(部屋に)入り込む」は Helena の側からいえば, enveni(入ってくる),部屋の外にいる人からいえば eniri(入ってゆく)を使っていいます。ここではどちらでもよいということにしましたが,もし課題文が「わたしは,刃物を持った男が部屋に入り込む前に...」という文であれば,eniri を使っていうと不自然な文になります。日本語でも「わたしは男が(わたしの部屋の中へ)入ってくる前にドアを閉めました」は自然な文ですが,「わたしは男が(わたしの部屋の中へ)入ってゆく前にドアを閉めました」は不自然な文ですね。

訳例
Helena fermis la pordon, antau^ ol viro kun tranc^ilo en la mano envenus en la c^ambron.


課題文n-ro448 わたしは,野球帽をかぶった男に腕をつかまれる前に逃げました。

解説
野球帽をかぶった男: viro kun c^apo sur la kapo といえばよいでしょう。日本語には c^apo に対応する言葉がないので,「ふちのない帽子」といわなければなりませんが,日常会話ではそのような説明的な言い方をしないで,「野球帽」のように言うことがあります。「野球帽」というのは「野球選手などがかぶる,前につばのある帽子」(広辞苑)を指す語で,必ずしも野球をするときにかぶる帽子だけを指す語ではないので,「野球帽」の「野球」にこだわって baspilka とか basbala を付ける必要はありません。もちろん,例えば警官に「どんな男でしたか」と尋ねられたときには,kun vizierc^apo sur la kapo(ひさしの付いた帽子をかぶった)という正確な表現を使っていうでしょうが,友だちに話したり,ブログに書くときなどの場合には c^apo だけで十分です。世界的に見れば,野球がほとんど見られない国が多いことも知っておく必要があります。kaskedo は使えますが,vertc^apo はローマ教皇などがかぶっている半球状の帽子ですし,c^apelo は「縁のついた帽子」ですから,どちらもここでは不適当です。

腕をつかまれる前に: 受け身形で書けば antau^ ol mia brako estus prenita または antau^ ol mi estus kaptita c^e la brako などのようになりますが,この prenita, kaptita の -ita を -ota にするのはよくありません。ただし,ここでは寄せられた訳のほとんどに見られた形「(彼が)腕をつかむ前に」にして,antau^ ol li kaptus min c^e la brako または antau^ ol li prenus min c^e la brako というのがよいでしょう。c^e は je としても同じです。日本語の「腕をつかむ」の直訳 antau^ ol li kaptus mian brakon, antau^ ol li prenus mian brakon としても通じます。-us を使うのは, 実際に「つかまれる」という行為は起きなかったからです。c^e, je のところに per を使うのはよくありません。per la brako とすると,「(男が)腕で(わたしをつかまえた)」という意味になります。

比較:
Li kaptis min c^e(je) la(=miaj) manoj.(彼はわたしの両手をつかみました。)
Li kaptis min per la(=siaj) manoj.(彼はわたしを両手でつかまえました。)

腕は二本あるのだから,どちらの腕か特定できない場合には冠詞を付けないのではないか,という疑問を持たれた方がおられましたが,無冠詞にするのは誤りです。冠詞は体の部分や身につけている衣服などについていうときに,所有形容詞(mia, via, lia ...)の代わりに使われることがあるので,li kaptus min c^e la brako の la は, mia の代わりに使われているのです。もし「右腕」であることをいいたいときは,c^e la(=mia) dekstra brako といいますが,どちらかに特定する必要のないときは c^e la(=mia) brako といいますから,いずれの場合にも冠詞は必要です。『エスペラント日本語辞典』の見出し語 la のところに〔所有形容詞(mia, via...)の代用〕と書かれていますが,これは上に述べたように,体の部分や身につけている衣服などについていうときに限られるので,例えば「これはわたしの本です」という意味を, C^i tio estas mia libro ということはできますが,この mia を la にして C^i tio estas la libro とすると,「わたしの本」ではなく,「いま話題にした本」などのように,聞き手の知っている本を指していうことになるので注意してください。

参考:
Pilko trafis mian vizag^on kaj la okulvitroj rompig^is.(ボールがわたしの顔に当たって,かけていたメガネが割れました)
Pilko trafis miajn okulvitrojn sur la tablo.(テーブルの上に置いてあったわたしのメガネにボールが当たりました)

逃げました: 「逃げる」は forkuri を使っていえばよいのですが,エスペラント文としては mi forkuris だけでなく,どこから逃げたのかということを明示するのがよいでしょう。日本語で「わたしは,野球帽をかぶった男に腕をつかまれる前に,その男から逃げました」のようにいうと,くどい表現になりますが,エスペラントでは下の訳例に挙げたようにいう de viro を入れていうと正確で申し分のない文になります。
「逃げる」は eskapi や fug^i を使っていうこともできますが,rifug^i を使うのはよくありません。La Nova Plena Ilustrita Vortaro de Esperanto の見出し語 rifug^i には,Oni ne uzu "rifug^i" en la signifo de "forkuri"(rifug^i を forkuri の意味で使わないこと)という(注)が付けられています。『エスペラント日本語辞典』の見出し語 eskapi のところには,Mi fug^is sed ne povis eskapi.(私は逃げ出したが,逃げおおせなかった)という用例を挙げて,eskapi の意味に含まれる sukcese(うまく,まんまと)が fug^i には含まれていないことが説明されています。

訳例
Mi forkuris de viro kun c^apo sur la kapo antau^ ol li kaptus min c^e la brako.


課題文n-ro449 きのう雨が降っていなかったら,わたしは家にいませんでした。

解説
きのう雨が降っていなかったら: この表現は,事実と反対のことを表す表現ですから,-us を使っていわなければなりません。pluvis を使った訳が数例寄せられましたが,pluvis は実際に雨が降っていたことを表します。-us は時の概念を含んでいないので,過去の出来事であることを表すには se ne estus pluvinte というのが正確な表現なのですが,ここでは hierau^ といっしょに使うので,se ne pluvus の形で代用することができます。hierau^ の位置は自由ですが,ne estus pluvinte, ne pluvus はひとかたまりで使うので,例えば,ne と pluvus の間に hierau^ を置くことはできません。仮定法で過去を表すには estus -inta を使うとおぼえていると,この課題文でも se ne estus pluvinta としてしまいますが,ここでは無主語文なので se ne estus pluvinte としなければなりません。estus pluvinte の代わりに pluvintus ということはできますが,この形は一般的とはいえないので,乱用は避けたほうが無難です。

わたしは家にいませんでした: mi ne estus restinta hejme というのが正確な表現ですし,「きのう雨が降っていなかったら」に se ne estus pluvinte hierau^ を使った場合には,それに揃えてこのようにいうのがよいのですが,se ne pluvus hierau^ を使った場合には mi ne restus hejme として形を揃えたほうがよく,pluvintus を使った場合は mi ne restintus hejme とするのがよいでしょう。hejme は en mia hejmo, en mia domo などのようにいうこともできます。

訳例
Se ne pluvus hierau^, mi ne estus hejme.
Se ne estus pluvinte hierau^, mi ne estus restinta hejme.


課題文n-ro450 もし今晩結果が分かったら,電話でわたしに知らせてください。

解説
もし今晩結果が分かったら: se vi ekscios la rezulton のようにいうのがよいでしょう。動詞は -us でなく -os を使います。今晩結果が分かるかどうか分からないのだから,と考えて -us を使われたのかもしれませんが,-us にはそのような不確実さを表す働きはないとおぼえておきましょう。もともと未来のことは,たいてい不確実なものです。例えば,「あすの会合に出席します」といって本人はそのつもりでいても,何らかの支障が起きて出席できないことにならないとも限りませんが,それでも Mi c^eestos と -os を使っていいますね。
「分かる」は,ここでは ekscii または sciig^i を使っていうのがよいでしょう。scii は「知っている,分かっている」という意味ですから,ここでは使えません。trovi は,例えば Mi trovis lin malhonesta.(彼が不誠実であることが分かった)のように,「付き合ってみたら」という経験の中で「分かる」という場合には,ぴったりの表現ですが,ここでは不適当です。klarig^i は「はっきりしていなかったことが分かる」という意味ですから,ここでも使えますが,ekscii, sciig^i を使うほうが一般的でしょう。scii を使うのはよくありません。

「今晩」は hodiau^ vespere, c^i-vespere といいます。hodiau^a vespero だけでは誤りですから,en la hodiau^a vespero としなければなりませんが,はじめに挙げた表現のほうが簡潔です。c^i tiu vespere は誤りです。tiu は名詞を修飾することはできますが,副詞(ここでは vespere)を修飾することはできません。ここでは nokte, en c^i tiu nokto ではなく上に挙げたように c^i-vespere などを使っていうのがよいでしょう。一般に nokto は「就寝してから夜明けまでの間」を指す語ですから,就寝するまでは,10時,11時であっても vespero といいます。

電話で: per tefono または telefone といいます。置く場所は自由です。

わたしに知らせてください: sciigu min または sciigu al mi といえばよいでしょう。informu min または informu al mi を使っていうこともできます。bonvolu -i の形を使えば丁寧な言い方になります。
「電話でわたしに知らせてください」をそのまま訳すると,sciigu min telefone などのような文になりますが,エスペラント文としてはこれでは不十分で,「(あなたが知った)その結果を」という言葉を入れる必要があります。tion, pri tio とした訳が大部分を占めましたが,tio を使うと「その結果(の内容)」ではなく,「結果が分かった」ということを指すので,la rezulto を指す g^in, pri g^i を使っていいましょう。

訳例
Se vi ekscios la rezulton hodiau^ vespere, sciigu min pri g^i per telefono.