課題文n-ro461 おそらく Petro は,わたしたちのサークルには入らないでしょう。

解説
おそらく: vers^ajne, probable, supozeble などを使っていえばよいでしょう。これらの語を置く位置は,文頭または Petro の直後のどちらでもかまいません。強いていえば,文頭に置いたほうが「おそらく」の強調になります。eble は「ひょっとすると,もしかすると」という日本語の意味に近く,課題文でこの語を使うと「入らないかもしれないし,入るかもしれない」という意味になるので,ここでは不適当です。
日本にエスペラントが紹介されてから,長い間「eble=おそらく,多分」という誤訳が継承されていました。この誤訳が気になっていたわたしは,1976年の夏に5週間ほど日本に滞在した文通友だちのイギリス人 A. Marshallに会ったとき,「日本人の eble の使い方がおかしいと思いませんか」と尋ねてみました。(彼は Brita Esperantista Asocio の元委員で,流暢なエスペラントを話しました。) 彼は日本人の使う eble をまったく奇異に感じているといって,日本のエスペラント界で eble がそのように誤用されている原因が辞書にあるのであれば,適当な方法でほかの人にも知らせるべきだ,と勧めてくれました。そこでわたしは La Revuo Orienta の1977年6月号に「eble と多分」と題して,eble と「多分」とは同じではないという一文を発表しました。その後この文章に対する反論(eble の訳は「多分」である)と,わたしのそれに対する反論が載るなどのいきさつがありましたが,いまでは「eble=おそらく,多分」が誤りであることは定着しています。しかし,古い辞書(三宅小事典,『日本語エスペラント辞典』の初版,など)では,「eble=おそらく,多分」になっているので訂正しておくとよいでしょう。

入らないでしょう: 「入る」は ne anig^os, ne alig^os, ne membrig^os を使っていうことができます。いずれも al io の形で使われるので,ne membrig^os de はよくありません。ne eniros en も使えますが,en の後には対格(-n)の名詞が置かれるので,eniri en ion の形で覚えておきましょう。anig^i, membrig^i は「(協会,サークルなど組織の)一員になる」という狭い意味で使われますが,alig^i, eniri は「加わる」という広い意味で使われます。

わたしたちのサークルに: al nia rondo, al nia grupo, al nia klubo などのようにいいますが,eniri を使ったときは上に述べたように対格の名詞を要求するので,ne eniros en nian rondon のようにいわなければなりません。

訳例
Vers^ajne Petro ne anig^os al nia rondo.


課題文n-ro462 わたしには,マサオがわたしを覚えているかどうか分かりません。

解説
マサオがわたしを覚えている: Masao memoras min または Masao povas rekoni min のようにいえばよいでしょう。「まだ覚えている」という意味で ankorau^ memoras ということもできます。

かどうか分かりません: ne scias を使っていうこともできますが,mi ne estas certa, c^u というのが,この課題文ではいちばんぴったりした表現です。ne estas certa は ne certas としても同じです。日本語の「分かる」には,いくつかの意味があるので,エスペラントでは使い分けることが必要です。下に挙げる例文の「分かる」では,scii が使われていますが,この scii, ekscii を esti certa や certi に置き換えることはできません。

Mi ne scias kion fari.(わたしは何をしたらよいのか分かりません。)
Kiel vi eksciis, ke mi estas c^i tie.(わたしがここにいると,どうして分かったのですか。)

「分かりません」を ne komprenas というのは,ここでは誤りです。kompreni は「理解する」という意味ですから,この課題文で使うと意味不明の文になってしまいます。jug^i を使うのも誤りです。jug^i は「判断する」という意味です。

参考:
Mi ne povas jug^i, kiu el la du estas prava.
わたしには,ふたりのうちのどちらが言っていることが正しいのか分かりません。

「かどうか」を直訳して au^ ne を付けることもできますが,従属節(この課題文では c^u Masao memoras min)の頭に使われる c^u には「かどうか」という意味があるので,au^ ne は付けなくてもかまいません。日本語で「マサオがわたしを覚えているかどうか分かりません」のように「どうか」を付けるのは,「覚えているか分かりません」よりも「覚えているかどうか分かりません」というほうが聞き手に分かりやすい言い方である,という日本語の問題です。

訳例
Mi ne estas certa, c^u Masao memoras min.


課題文n-ro463 わたしには,あなたがおっしゃっていることがよく分かりません。

解説
あなたがおっしゃっていること: ここでは kompreni の目的語になるので,「あなたがおっしゃっていることを」の形になって,tion, kion vi diras といいます。diras の代わりに parolas を使うのはよくありません。diri は diri ion の形で使われますが,paroli は paroli pri io の形で使われるのが普通です。paroli Esperanton(エスペラントを話す)などの用例がありますが,この表現も paroli en Esperanto のように,対格(-n)の語を取らずにいうことできますから,「diri は他動詞なので目的語を取って diri ion, diri ke ということができるが, paroli は自動詞だから前置詞を入れて paroli pri, paroli en のように使い,paroli ke の形はない」と覚えておいてよいでしょう。
tion, kion vi diras の tion は省略することができます。ただし,省略できるのは tion kion のように,tio が関係詞 kio と同じ格(主格または対格)であるときに限られます。英語の that which は that と which の格が違っても what の形で使えますが,エスペラントでは英語と違うので注意してください。

参考:
Mi sendos al vi tion, kio estis promesita.
I'll send you what was promised.
どちらも「お約束の物をお送りします」という意味ですが,この tion は kio と格が違うので省略できません。

わたしには, よく分かりません: mi ne bone komprenas というのがよいでしょう。scias, jug^as を使っていうのはよくありません。ne bone が入っていない訳がありましたが,mi ne komprenas は mi tute ne komprenas(まったく分かりません)に近い表現ですから,課題文の「よく分かりません(少しは分かるが十分には分からない)」を表すには ne bone を入れましょう。

訳例
Mi ne bone komprenas, kion vi diras.


課題文n-ro464 マサオがいまわたしに言ったことは,本当のことですか。

解説
マサオがいまわたしに言ったこと: tio, kion Masao j^us diris al mi といいます。「いま」に nun を使うのは,ここではよくありません。この「いま」は「いまさっき」という意味で,ほんの少し前のことを指します。『エスペラント日本語辞典』の見出し語 j^us の項には「日本語では単に"今"と訳すことも可能だが,いくら近くとも過去のことと捉えている。現在を指す nun との違いに注意」という注意書きが載っています。同じ辞書の見出し語 nun の項には「=j^us 」という記述がありますが,これは nun の注意書きと矛盾しています。

比較:
J^us batis la deka. いま10時を打ちました。(いま打ち終わったところ)
Nun batas la deka. いま10時を打っています。(いま打っている最中)

tio を受ける関係詞は kiu ではなく,kio です。kio は io, c^io, nenio, tio を受ける関係詞ですが,これらの語に形容詞が付いている場合には kiu で受けます。

比較:
Tie trovig^is nenio, kio min interesis.(そこにはわたしの興味を引くような物は何もありませんでした)
Tie trovig^is nenio nova, kiu min interesis.(そこにはわたしの興味を引くような新しい物は何もありませんでした)

「わたしに言った」は,diris al mi といいます。diris min は誤りです。diri は他動詞ですが,「人」を目的語に取らないので,diri iun ではなく,diri al iu ion の形で使われます。英語は二重目的語を取ることができるので He told me a lie(彼はわたしに嘘をついた)のようにいうことができますが,この told me がエスペラントでは diris min ではなく diris al mi となります。

本当のことですか: tio を主語にして C^u tio estas vera? といえますが,vera は vero または veraj^o という名詞を使っていうこともできます。

訳例
C^u tio, kion Masao j^us diris al mi, estas vera?


課題文n-ro465 わたしは自分の目で見たことしか信じません。

解説
わたしは〜しか信じません: mi kredas nur 〜n というのが一般的な表現です。「〜しか」というときは,nur を 〜n の直前に置かなければなりません。mi nur kredas とすると「わたしは信じるだけです」という意味になります。エスペラントは語順がかなり自由ですが,nur や ne は直後に置かれた語を修飾するので,これらの語の位置には気をつけましょう。

参考:
Mi nur vidis g^in.(わたしはそれを見ただけです。)
Mi vidis nur g^in.(わたしはそれだけを見ました。ほかの物は何も見ていません。)
Nur mi vidis g^in.(わたしだけがそれを見ました。ほかの誰も見ていません。)

kredas je 〜 は「〜の存在を信じる」という意味ですから,ここでは不適当です。

参考:
Petro kredas je nifoj.(PetroはUFOの存在を信じています。)

「わたしは〜しか信じません」は mi ne kredas escepte 〜n(〜を除いて信じない)という表現を使っていうこともできます。

自分の目で見たこと: tion, kion mi vidis propraokule のようにいえばよいでしょう。この tion は kion と同じ格なので,省略することができます。propraokule の代わりに per miaj propraj okuloj ということもできます。propraj は入れなくてもよいのですが,入れたほうが「自分の目で」ということを強調することになります。per のところに kun を使うのは誤りです。mia okule は誤りです。okule は副詞ですから mia で修飾することはできません。miaokule と1語にすれば語法上の問題はなくなりますが,この語が使われている文は見たことがありません。

訳例
Mi kredas nur tion, kion mi vidis propraokule.


課題文n-ro466 あなたが Marko から取り上げたものを,彼に返しなさい。

解説
あなたが Marko から取り上げたものを: この訳は tion, kion vi forprenis de Marko となるので,応募訳の三分の一はこの訳またはこれに似た訳でしたが,ここでは de Marko ではなく de li を使います。その理由は下で述べます。tion は関係詞の kion と同じ格なので省略することができます。tiun, kiun とした訳がいくつか寄せられましたが,課題文のような文では tion, kion を使うほうがよいでしょう。tiun, kiun は取り上げたものがひとつ(一個,一本など)に限られるのに対して,tion, kion は対象が単数か複数かに関係なく使えるからです。
「取り上げる」は rabi でなく forpreni を使っていうのがよいでしょう。rabi は「強奪する」という語と同じような語感を伴う語ですから,例えば,刃物を突きつけて奪ったような場合にはぴったりの語ですが,そうでないような場合には forpreni を使っていうのがよいでしょう,

彼に返しなさい: この文もそのまま訳すと redonu al li となりますが,ここでは al li ではなく al Marko を使います。この課題文は命令文ですから,Redonu で始まる文にするのが普通ですが,Redonu al li tion, kion vi forprenis de Marko という文は,人称代名詞(ここでは li)が初めに出てきて,聞き手が一瞬とまどう原因になるからです。日本語の文では Marko が初めに出てきて,そのあとで「彼」が出てくるので聞き手には何のとまどいもありませんが,エスペラント文の語順では日本語と逆になることに注意してください。日本語の影響で当然のことと思われていることが,国際的にはそうでない場合があることに注意しましょう。例えば,分数を書くとき,日本人は分母を先に書きますが,ヨーロッパの人にはこのことが奇異に思われるそうです。これは日本語では,例えば「二十五分の一」のように分母から言い始めるのに対し,エスペラントでは unu sur dudek kvin のように分子から言い始めるという違いがあることによるものです。また,「○は正解の記号,×は不正解の記号」のような記号の使い方も国際的には通用しないということも知っておくとよいでしょう。

訳例
Redonu al Marko (tion), kion vi forprenis de li.


課題文n-ro467 あなたがそこで見たことを,すべて話してください。

解説
あなたがそこで見たことを,すべて: 「あなたがそこで見たすべてのことを」と言い換えて c^ion, kion vi vidis tie とします。tie の位置は vi の前でも vidis の前でもかまいません。la tuton, kion vi vidis tie のような訳がいくつか寄せられましたが,これは誤りです。関係詞 kio の前に置くことができる代名詞は io, c^io, nenio, tio だけです。「見た」には rigardis ではなく,vidis を使いましょう。rigardi が意識的に目を向けて眺める」という積極的な行為であるのに対して,vidi は「見える,目にする」という受動的な行為をいいます。また,vidi には「見て知る」という意味を内包していますが,rigardi は「眺める」という行為だけをいうという違いがあります。

比較:
Mi rigardis c^irkau^en sed vidis nenion, c^ar tie regis mallumo.(わたしは周りを見ましたが,真っ暗だったので何も見えませんでした)

話してください: Diru または Bonvolu diri を使っていうのが一般的な言い方です。al mi または al ni を付けていうこともできます。特別な状況の下では(例えば,アフガニスタンから帰国したジャーナリストに講演を依頼するときなどなら),Bonvolu paroli pri ... のようにいうことができますが, paroli c^ion とはいわないことに注意してください。paroli は「ある言語を話す」というときには,paroli Esperanton(エスペラントを話す)などのように,paroli 〜n の形で使うことができますが,そのほかの場合には paroli pri の形で使われます。

訳例
Bonvolu diri c^ion, kion vi vidis tie.


課題文n-ro468 わたしはあなたに,将来あなたの仕事に役立つものを何かあげましょう。

解説
わたしはあなたにあげましょう: mi donos al vi というのが一般的です。mi donu al vi という言い方は一般的ではなく,国際的にはあまり聞かれません。mi donas というのは,ここではよくありません。doni は点動詞ですから,一回きりの行為については -as の形を取りません。発話と行為が同時に行われる場合には,-as の形を取ることができますが,「これをあげましょう」ではなく,「何かあげましょう」といっている文脈では,発話と行為が同時であるとは考えられませんから,donas というのは不適当ということになります。donos のところに donacos を使っていうこともできますし,mi pensas doni, mi volas doni を使うこともできます。

将来あなたの仕事に役立つものを何か: ion, kio utilos por via laboro en la estonteco のようにいえばよいでしょう。estonteco は estonto としても同じですが,どちらも冠詞か via を付けます。関係詞はここでは kiu ではなく kio を使います。io, c^io, nenio, tio を受ける関係詞は kio であるということを,しっかりおぼえておきましょう。utili は「ある人の役に立つ」というときは utili al iu, 「何かに役立つ」というときは utili por io のように使うのが普通ですから,「utili=役に立つ」というおぼえかたをしないで,utili al iu, utili por io の形でおぼえるのがよいでしょう。helpi にも「役立つ」という意味がありますが,helpos vian okupon ではなく,helpos al via okupo の形で使われます。ただし,helpi を「助ける」という意味で使うときは helpi iun の形になります。
ion, kio nepre estos utila por via laboro の nepre は不自然ですから,certe にしましょう。nepre も certe も「きっと」という日本語に訳されることがありますが,nepre は命令や約束の文の中で「必ず」という強制や義務を暗示する意味で使われる語です。

訳例
Mi donos al vi ion, kio utilos por via laboro en la estonteco.


課題文n-ro469 マサオは,自分がほしいものは何でも手に入れることができると思っています。

解説
マサオは〜と思っています: Masao pensas, ke 〜 または Masao kredas, ke 〜。ke の前のコンマは省略する人もいます。「と思っている」という意味で使われる pensi は pensas, ke の形で使われます。pensas 〜i とすると intensas 〜i(〜するつもりである)という意味になるので,ここではこの形を使うことはできません。

自分がほしいものは何でも手に入れることができる: povas havigi al si ion ajn, kion li volas のようにいうことができます。havigi al si は ekhavi としても同じですし,volas は deziras とすることもできます。voli と deziri は同じ意味ではなく,voli が「意志」に重点を置いた表現であるのに対して,deziri は「気持ち」に重点を置いた表現です。「何でも」には c^ion ajn も使えます。c^io だけでもよいのですが,ajn を付けたほうが「どんなものでも」という強調になります。「手に入れる」に akiri を使うことができますが,gajni はここでは不適当です。gajni は,例えば懸賞で賞金や景品を手に入れる場合にはぴったりの語ですが,「金を払えば何でも手に入る」というような場合の「手に入れる」は akiri を使っていいます。同じ語源で形も似ている英語の gain には「努力,競争で〜を得る」という意味がありますが,エスペラントの gajni はフランス語の gagner(ガニェ) の持つ「くじ,かけごとなどで儲ける」という意味だけで使われます。kion li deziras enmanigi は kion li deziras enmanigi al si としなければなりません。havebli は物を主語にして使う動詞です。

参考: Organike kulturitaj legomoj haveblas c^i tie.(有機栽培野菜はここで入手できます。)

訳例
Masao pensas, ke li povas havigi al si ion ajn, kion li deziras.


課題文n-ro470 Karlo はその展示会場で,注意を引かれる興味深いものを,何も見つけることができませんでした。

解説
その展示会場で: en la ekspoziciejo といえばよいのですが,「展示場」には ekspozicio, eksponejo, ekspozejo も使えます。『エスペラント日本語辞典』では ekspozicio に「展示場」の意味が挙げられていませんが,PIVには Ejo, halo, kie oni ekspozicias という意味が挙げられています。

注意を引かれる興味深いものを,何も見つけることができませんでした: trovis nenion interesan, kiu altiris lian atenton というのが,標準的な表現ですが,この形の文を寄せられたのは1例でした。nenion interesan, kio ... の kio は kiu とします。interesan が付いていなければ nenion, kio ... となりますが,形容詞が付いていると
n-ro464 の解説で例文を挙げて説明したように,関係詞は kiu になります。
参考のためその例文を採録しておきます。

Tie trovig^is nenio, kio min interesis.(そこにはわたしの興味を引くような物は何もありませんでした)
Tie trovig^is nenio nova, kiu min interesis.(そこにはわたしの興味を引くような新しい物は何もありませんでした)

nenion, kio estas rimarkinda kaj interesa の estas は estis としなければなりません。ke で導かれる名詞節の場合は,主節が過去形でも Mi vidis, ke multaj infanoj ludas en la parko(わたしは大勢の子どもたちが公園で遊んでいるのを見ました)のように従属節の動詞(ここでは ludas)は現在形ですが,形容詞節や副詞節の場合は,主節の動詞(ここでは trovis)から見た「現在」ではなく,実際の「現在」が基準になります。上に挙げた例文の内容は「わたしは公園で遊んでいる大勢の子どもたちを見ました」というように言い換えることができますが,その場合は Mi vidis multajn infanojn, kiuj ludis en la parko となります。kiuj で導かれる節は形容詞節なので,名詞節では ludas となっていたのが,形容詞節では ludis となっていることに注意してください。同じ理由で nenion, kio altiras atenton kaj interesas sin は nenion, kio altiris lian atenton kaj interesis lin としなければなりません。sin とすると,この節の主語である kio に呼応する再帰代名詞になるので,Karlo を指すには lin としなければなりません。なお,再帰代名詞の詳しい用法については,「再帰代名詞 si, sia の用法」をご参照ください。nenion ajn のように ajn が nenio に付くことはありません。altiris atenton, altiris intereson はどちらも lian を入れることが必要です。

訳例
En la ekspoziciejo Karlo trovis nenion interesan, kiu altiris lian atenton.