British Medical Journal Vol.320 p683-690, 11 March 2000

● コンピュータ診断支援システムは患者さんに恩恵をもたらすのか?

   貴方が病気になったとしましょう。こんなことは考えるのも嫌なことですが、限りある生の人間には、避けられないことです。さて、身体の不調を自覚した貴方は、まず、医者に行くか、行かずに我慢するかを「判断」せねばなりません。もし、貴方が医者に行ったとすれば、今度は医師が貴方の身体の不調について「診断」することになります。今回はこうした「判断」や「診断」についての話題です。

 コンピュータがチェスで人間を打ち負かす時代になりました。将棋ソフトも序盤、中盤までは人工頭脳が最善手を打てるようになったと言われています。医師の診断も患者さんの症状の訴えや、過去の病歴や現在の生活の様子の問診、診察、更にいくつかの検査結果などの全ての情報を論理式、やフローチャート、診断基準に照らし合わせながら、結論に到達する作業です。コンピュータがチェスの世界一を打ち負かす時代ですから、病気の診断にもコンピュータを利用しようと考えるのも肯けます。
 しかし、こうした病気の診断を支援するコンピュータの開発は最終的に患者さんに役立つものでなければならないのは言うまでもありません。私のようなコンピュータ好きの医者はついついソフト自体の面白さに目が行きがちです。また、時代もITブームに乗り遅れまいとするあまり、本来の目的である「患者さんにとってのメリット(生命の延長、健康な生活)」を科学的に検証することなく「自明」と決めつけている傾向があるように感じます。

 「コンピュータ診断支援システムは患者さんに恩恵をもたらすのか否か?」この疑問に、University of BristolのAlan A Montgomeryたちのグループは一つの答えを出し論文(British Medical Journal 2000;320:686-90)に発表しています。

 この研究はイギリスのAvon地区でコンピュータ診断支援システムEMISあるいはAAHを使用している第一線診療所(General Practioner, Practice Nurse)96の協力を得て実施されました。実際には、使用しているコンピュータ診断支援システムで層別し、ランダムに割り付けた27診療所で実施されました。患者さんの対象は60歳から79歳の高血圧症の患者さんです。

 ところで「高血圧症」患者さんの治療の目的は「血圧を下げる」ことではありません。患者さんにとって血圧値はあくまでも仮の指標に過ぎません。患者さんにとって大切なのは高血圧症に合併する狭心症や心筋梗塞、脳卒中、末梢血管障害の発症を防ぎ、最終的に死亡率を下げることです。この点についてはこのシリーズでもたびたび取り上げてきました。(血圧EBM)。
 さて、一人の高血圧症患者を前にした時、医師はその患者さんの@血圧値に加え、A性別、B糖尿病の有無、C喫煙の有無、D年齢、E総血清コレステロール値とHDL(善玉)コレステロール値の比などのデータを総合して5年先に心臓や血管の重大な病気が起こるリスクを評価(診断)します。(この評価方法はインターネット上でも紹介されています。http://cebm.jr2.ox.au.uk/docs/progosis.html

 この心血管病リスク評価も他ならぬ「診断」です。その診断には先に述べた@〜Eの項目をそれぞれ数値化して6次元的に配置し最終的にリスクを%値で求めます。その診断(計算)に要する簡易マトリックスを「心臓血管病リスクチャート」と呼びます。このチャートも先のhttp://cebm.jr2.ox.au.uk/docs/progosis.htmlに紹介されていますから、五目並べなどの桝目が好きな方はご覧になられると良いでしょう。リスク計算がマトリックスチャートでできるくらいですから、このリスクをコンピュータで求めることはさして難しいことではありません。患者さんの@〜Eのデータを打ち込むとパッとその患者さんの5年後の心臓血管病のリスクを診断する、そんな「リスク診断支援するコンピュータシステム」が現に存在しています。なんだと思われるかも知れませんが、現場の医師にとっては、碁盤の目のような表を見ながら時間をかけてリスク値を割り出すよりスマートな方法に思えます。また患者さんに「貴方の心臓血管病のリスクは数値でこれこれですよ。」と告げることで、患者さんご自身も治療に身が入るのではないかと思いたくもなります。

 Alan A Montgomeryらは910名の高血圧症の患者さんを次の3つのグループにランダム(無作為)に割り付けました。(ランダム化とはいわゆるエコヒイキ(Bias)を避ける方法です。)グループは@「リスク診断支援するコンピュータシステム」と「心臓血管病リスクチャート」を併用し治療するグループ、A「心臓血管病リスクチャート」のみを使用するグループ、B両者を使用せず、通常の診療をする3つグループです。この3グループを1年間定期的に診察(追跡調査)し、その間に死亡したり、転居した患者さんなどを除いた合計614名の患者さんについて最終的に解析しました。
 
 その結果、治療開始一年後の「心臓血管病リスク」の変化についてみると「リスク診断支援するコンピュータシステム」と「心臓血管病リスクチャート」を併用し治療したグループの方が「心臓血管病リスクチャート」のみを使用したグループよりかえってリスクが高くなっていることがわかりました。また、どちらのグループも通常の治療を行なっていたグループと比べてもリスク改善率が高くはないことも分りました。一方「心臓血管病リスクチャート」を使用したグループでは通常診療グループよりも収縮期血圧が有意に改善してはいましたが、これもコンピュータを使用したグループの話ではなく、また血圧降下自体は先にも述べたようにあくまでも患者さんにとっては仮の目標での好転にすぎません。
 
 結論は、高血圧症患者の治療の過程で用いられた「心臓血管病リスクを計算するコンピュータ診断支援システム」は、患者さんの心臓血管病リスクや血圧値の減少に特に有効性が認められないというものです。
 
 もちろん、この研究だけで全ての「コンピュータ診断支援システム」を否定するのは非論理的です。この研究自体の限界もいくつか指摘することもできるかと思います。しかし、この論文から学ばねばならないのは、どんなに魅惑的な数値をどんなにスマートな方法で計算しても、それを患者さんに伝える医師とそれを了解する患者さんは共に生身の人間であるという当たり前の事実のような気がします。コンピュータがこんなに発達している現代でも人類はコンピュータを闘争や恋愛という根源的な行動に利用していることを考えれば、まあ至極当然の結論なのでしょう。科学的事実を生身の患者と医師がどう共有するかの作業が問われているような気がします。


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