2024年3月4日



    1.「山の辺の道」紀行

    2.三輪山の神話

    3.神話の主たちの系図

    4.三輪山と穴師山

    5.年表(ヤマト政権誕生〜 )

    6.(まとめ)大和盆地の歴史と三輪山

    ・参考資料へ飛ぶ






「山の辺の道」を歩いてきて、大学仲間とのZoom会で『山の辺の道 散策 と 卑弥呼の時代』のテーマで発表しました。
 古代史を趣味とする者は居ないので、「三輪山の神話」と「歴史年表」の頁を追加し、写真のスライドショーでコースを紹介しました。
 質問も色々と出て好評でした。これは、そのレジメに手を加えたものです。

  大和は 国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和し美し     日本武尊





古代ヤマト王権が誕生した 奈良・山の辺の道を歩きました。

山の辺の道は、天理〜桜井までですが、途中の柳本駅〜三輪駅までの約半分の行程でした。
その行程途中も、丘陵地帯から降りて 纒向遺跡〜箸墓古墳 を見てから戻りました。












穴師山














三輪山







D→H→I→@
の順に巡りました。




佐紀古墳群
航空レーザ測量プロジェクト
柴原聡一郎氏撮影





JR柳本駅から、古びた町屋の中の小道を歩きます。途中、周濠に囲まれた黒塚古墳があります。
3C後半築造で、三角縁神獣鏡が33面出土した謎の古墳です。
更に進んでいくと、巨大な崇神天皇陵に行きつきます。周濠も巨大です。

堰堤に沿って行くと、山の辺の道に出会います。
ここから丘陵に沿った小道を進みます。眼下には大和盆地が一望です。遠くに金剛葛城の山並が微かに見えます。
進んで行くと景行天皇陵が見えてきます。







景行天皇陵あたりからは大和三山が見えます。耳成山・畝傍山が霞の中から突き出てました。
山の辺の道を離れて下り、景行天皇陵を参拝してから巻向駅に向かいます。
駅の裏には「纒向遺跡」があります。



纒向遺跡は整備された公園になっていました。
建物群の柱穴には柱が立っており往時の姿を思い浮かべることが出来ます。
遺跡の南には箸墓古墳の姿が見えます。

箸墓古墳へ向かいました。





15分程で、箸墓古墳の周濠に着きました。
後円部には、周濠は無く、すぐ下に小道が通ってます。それに沿ってグルっと回りました。
途中で家並みの間から、古墳の中心軸が穴師山を指しているのを確認しました。
古墳の反対側も、ご陵に沿って小道がありました。


箸墓古墳を離れて三輪山方面へ歩きます。
田んぼの畔には、神の山・三輪山に向かってお地蔵様が祀られていました。
踏切があり、単線の線路を越えて、集落を越えて、檜原神社に向かいました。





坂道を上がりきると、檜原神社に着きます。
ここは天照大神を祀り、元伊勢の伝承地・倭笠縫邑です。鳥居の正面には二上山が望めます。
春分・秋分の日には、山頂に夕日が沈む有名なビューポイントです。

ここから山の辺の道に合流して、山道を進みます。
途中に、能「三輪」(三輪明神と玄賓僧都の交流)で有名な玄賓庵があります。
狭井神社などを経て、神の山・三輪山の中心地・大神神社へ着きました。
三輪は酒の神が鎮まる地でもあります。で、地酒「三諸杉」の小瓶を購入しました。


山の辺の道は、奈良に住んでいた時以来で、半世紀ぶりになります。
歩いて、其の地の空気を肌で感じて、神話伝承がより身近に感じられました。



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 三輪山の神話


     今日の三輪山と大鳥居        2024年4月25日撮影( まるえつ@maruetsu55)


 この地では、神の山・三輪山はとても 身近に感じられました。






三輪山神話(1) 古事記の イクタマヨリヒメ  (出典:崇神天皇の項)

 活玉依姫のもとに夜になると麗しい若者が訪ね来て、二人は恋に落ち、姫は身ごもります。
 姫の両親は不審に思い、若者が訪ねてきた時に赤土を床にまき、糸巻きの麻糸を針に通して若者の衣の裾に刺せと教えます。
 翌朝、糸は鍵穴を出て、残っていた糸巻きは三勾(みわ)だけでした。赤土で赤くなった糸を辿って行くと三輪山にたどり着きました。
 若者の正体は大物主大神であり、お腹の子が神の子と知るのです。糸巻きが三巻き残っていたことから、この地を美和(三輪)と名付けたということです。

 この大物主大神は、大和に降臨してきた出雲出身のニギハヤヒ命のこと。ニギハヤヒは三輪山を好み、その麓に居住した。
 後に三輪山の神・大物主とニギハヤヒは同一視された。






三輪山神話(2)古事記の イスケヨリヒメ  (出典:神武天皇の項)

 三輪の大物主神が、三島溝杭の娘の勢夜陀多良媛(せやだたらひめ)のもとに、朱塗りの矢に化け、流れに乗って訪れ、媛が厠でその矢を見つけて、
 持って寝室に入ると、矢は立派な男神となり、媛の婿になった。
 伊須気依媛(いすけよりひめ)はその二人の子で、「神の子」と云われるようなった。

 神武天皇は、神の子イスケヨリヒメに会いに行った。
 7人の乙女が高佐士野で遊んでいる中の先頭にイスケヨリヒメが居た。誘いに、乙女は「お仕えしましょう」と答えた。
 イスケヨリヒメの家は、三輪山の山百合が沢山ある佐井川の上にあった。天皇は家に行って、一夜共に寝た。
 神武天皇はイスケヨリヒメを大后とした。

 神武天皇は、ニギハヤヒの降臨した大和を目指して日向を出て大和に入った。(※1)
 そして神の子イスケヨリヒメと結婚することで(婿入りによって)で、ニギハヤヒの国を継いで この国を治めることになった。

※1:神武天皇の東遷について、古事記は、「高千穂宮で東遷の相談をする」、とだけですが、
   日本書紀では、東征会議を開き、『東の方に良い土地があり、青い山が取り巻いている。その中に天の磐舟に乗って降臨した饒速日という者がいる。
   そこに行って都をつくろう。』と、記しています。






三輪山神話(3)魏志倭人伝の 卑弥呼

 倭の大乱(大和・出雲の争い)の終結は、大和の倭迹迹日百襲姫(ヤマトトトヒ モモソヒメ)を出雲の大物主の妻とする儀式により、大和・出雲の双方で共立する形で行われた。
 儀式には、大物主の象徴の三輪山が必要で、大和の他に、出雲の隣の伯耆の三輪山の地(淀江の三輪神社)、吉備・総社の三輪山の麓で行われ、「卑弥呼(日巫女)」が誕生した。
 卑弥呼は神の妻であり、天皇より上位の存在になった。   (出典:古代史の復元)





三輪山神話(4)日本書紀の 倭迹迹日百襲姫命

 百襲姫は大物主神の妻となったが、神は夜にしか姿は見せなかった。
 百襲姫が朝に姿を見たいと願うと、翌朝大物主神は櫛笥の中に小蛇の姿で現れたが、百襲姫が驚き叫んだため恥じて御諸山(三輪山)に登ってしまった。
 百襲姫がこれを後悔して腰を落とした際、箸が陰部を突いたため姫は死に大市に葬られた。
 人は墓を「箸墓」と呼び、昼は人が作り、夜は神が作ったと伝えられている。
 (ここに出てくる箸は、大物主の神に配膳するための祭祀用の祭器「折箸」のことです。)





三輪山神話(5)古事記の オオタタネコ  (出典:崇神天皇の項)

 崇神天皇の時代にパンデミックが発生し、人民が皆死に絶えそうな事態になった。
 天皇の夢に、大物主神が現われ、「病は私が流行らせた。病を止めたいなら、大田々根子を捜し私の社を祀らせよ」と告げた。
 大田々根子は大物主とイクタマヨリヒメの間に生まれた子の 次の次の次の子で、三輪山(の三輪神社)で大物主を祀ると流行り病は収まった。
 大王の漢風諡号は、「神々を尊崇する」の崇神とされた。





三輪山神話(6)能 「三輪」 玄賓庵 

 『大和国三輪の里に玄賓(げんぴん)という僧がすんでいました。
 玄賓の庵に、樒(しきみ)を持ち、閼伽の水を汲んで毎日訪ねる女の人がいました。
 玄賓が不審に思い、名前を尋ねようと待っているところへ、今日もその女性がやってきました。
 折しも秋の寂しい日のことでした。
 女の人は玄賓に対して、夜も寒くなってきたので、衣を一枚くださいと頼みます。玄賓はたやすいことですと、衣を与えました。
 女の人が喜び、帰ろうとするので、玄賓はどこに住んでいるのかと尋ねました。
 女性は、三輪の麓に住んでいる、杉立てる門を目印においでください、と言い残し姿を消しました。

 その日、三輪明神にお参りした里の男が、ご神木の杉に玄賓の衣が掛かっているのを見つけ、玄賓に知らせます。
 男の知らせを受けた玄賓が杉の立つところに来ると、自分の衣が掛かっており、歌が縫い付けてあるのを見つけます。
 そのとき、杉の木陰から美しい声がして、女体の三輪の神が現れました。
 三輪の神は玄賓に神も衆生を救うために迷い、人と同じような苦しみを持つので、罪を救ってほしいと頼みます。

 そして、三輪の里に残る、神と人との夫婦の昔語を語り、天の岩戸の神話を語りつつ神楽を舞い、
 やがて夜明けを迎えると、僧は今まで見た夢から覚め、神は消えていきました。』


『三輪山全体をご神体に戴く三輪の里は、独特の神秘性をたたえた、非常に魅力的な土地です。
能の三輪もまた、この地にふさわしく、神秘性と詩情に満ちた物語となっており、どこか懐かしく、幻想的な雰囲気がゆったりと漂っています。
観客は、玄賓僧都とともに、三輪山の麓の杉木立のなか、現実の世界から、魔法にかけられるかのように、
だんだんと、不思議なあちら側の世界へ足を踏み入れていきます。
気づけば、気高く美しい女体の姿を取った三輪明神に相対し、三輪の神の遠い昔の神話を聞き、夢のような神楽に浸っています。
さらには、天の岩戸の神話を目撃することになります。
地謡は「覚むるや名残なるらん」と結びますが、本当に、夢から覚めるのが名残惜しくなる、そんな能です。』


出典:the能ドットコムの「三輪」: 写真の能「三輪」は友枝昭世さん(前シテ・後シテ)です。


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 神話の主たちの系図 (「古代史の復元」から)
              

 (饒速日尊
  大物主神━━事代主命━┓┏奇日方天日方━━━飯肩巣見━━建甕尻━━豊御気主━建飯賀田須━━━大田田根子
             ┣┫                                        
  鴨建角身━━活玉依姫━┛┗媛蹈鞴五十鈴媛┓                            
                (神の子) ┃           
   日向津姫┓              ┣━━神八井耳━━武宇都彦━武速前━孝元天皇━開化天皇━崇神天皇  
       ┣━茅草葺不合尊━神武天皇━━┛          
  高皇産霊神┛    


  ※活玉依姫(いくたまよりひめ)=勢夜陀多良媛(せやだたらひめ) その娘の 媛蹈鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめ)=伊須気依媛(いすけよりひめ
   鴨建角身=三島溝杭 (賀茂健角身命(八咫烏)=陶津耳命=三島溝杭耳命 と考える)
   奇日方天日方: 媛蹈鞴五十鈴媛の兄で、神武天皇に仕えた(食国政申大夫)



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三輪山と穴師山


三輪山を愛した饒速日命は、亡くなって三輪山の隣の穴師山の頂上に葬られた。
そこは三輪山が見えて、大和平野も一望出来る場所であった。

古墳時代の幕開けとなる、

@巻向の宮殿列(左・中):その為 建物群を東西軸から5度傾けた。
A箸墓古墳の主軸(左・下
B崇神天皇陵の主軸(左・上

はみな 穴師山山頂のニギハヤヒの御陵を向いて造営された。


 @巻向宮殿の中心軸は穴師山を指す  A箸墓の後円墳の中心軸も穴師山を  B崇神天皇陵の中心軸の先は穴師山



穴師山の山頂を望む

(穴師坐兵主神社へ行く途中のカフェから)



2024年3月15日撮影( まるえつ@maruetsu55)




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    訂正  234年 → 239年



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(まとめ) 大和盆地の歴史と三輪山

1.弥生時代は、縄文人の部族が大和盆地の山麓に集落を形成していた。
  彼らは、盆地の外の河内にやってきた弥生人と敵対していた。


2.AD25年ごろ、北九州から船団を組んでやってきた(出雲出身の)饒速日命が生駒山を越えて大和に入り、
  土地の豪族のナガスネヒコに迎え入れられ、三輪山の麓に居住した。
  ニギハヤヒは三輪山の神の大物主の命とされた。


3.AD83年、日向を出た神武天皇(狭野命)が 大和に入り 即位した。  → 倭国に統一政権誕生
  神武天皇はニギハヤヒの国を目指して、そこに婿養子として入りに来た。
  そして、神の子のイスケヨリヒメ(ニギハヤヒ命の孫娘)を大后とする(=婿養子になる)ことで 大和に迎い入れられた。


4.初期の大和王権が誕生した地「山の辺の道」の散策では、
  卑弥呼の墓(箸墓古墳)、崇神天皇陵、景行天皇陵、纒向遺跡、三輪神社(大神神社)、檜原神社、玄賓庵、狭井神社 を訪れました。



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古代ヤマト王権が重視した三輪山は、古事記の出雲神話編にも登場します。


  オオクニヌシとスクナビコナは共同で国作りしたが、スクナビコナは亡くなった。
 「私一人では国を作れない。誰か一緒に国造りしてくれる神はいないものか」と嘆いたら、海を照らしてやってくる神があった。
 神は「私の為に宮を造って祀るのであれば、一緒に国造りしましょう」と言った。オオクニヌシが「どのように祀ればいいでしょうか」と尋ねると、
 「倭の青垣の東の山の頂上にお宮を作って私を祀りなさい」と答えた。そこで御諸山(三輪山)の上にこの神を祀った。
                                   (古事記 上巻:オオクニヌシの系譜、スクナビコナの神)


三輪山一帯は出雲神話に記されるような、素晴らしい土地で、饒速日命が降臨し、神武天皇が東遷し、卑弥呼が都する土地でした。
そして三輪山は、古代ヤマト王権が重視していた「神の山」で、王権の核心でした。

                                          (2024年3月23日)




(参 考)
 ・魏志倭人伝の謎を解く ―陳寿の編纂を復元してみるー  
 ・私の歴史年表 



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