ロンディニウムから北に伸びる石畳の街道を進む、蹄と轍と軍靴の音がブリタンニアの曇天に響く。雲は厚く、街道はかつて数百年の昔に敷かれた当時の平坦さを今尚保ってはいたが時に摩耗される中で表面は土埃に覆われて方々が雑草の芽に破られるようになっていた。
帝国が誇る街道は丘の起伏を縫うようにただ真っ直ぐに伸びているが、それはそのような道を選んだのではなく道が平坦になるように大地を削り抜いた故である。一度街道を外れれば人が思う以上に灌木に覆われた丘や生い茂る林が視界を遮り、バルバロスが暮らす北の彼方を窺うことは容易ではない。
ジャン・ジェラルディンが常勝の名を関する第二十ウィクトリア軍団で騎兵隊長の任に就くために陣営地を訪れると、既に塹壕が深く掘られている周囲は柵で囲われており地面は慣らされて天幕が整然として並べられていた。帝国がバルバロスを迎え撃つことになるであろう、遠くアクエ・スリスの平野を見下ろす丘上の高台である。
陣営の秩序と統率は古将軍と呼ばれる父ジェラルディンの厳格な鍛錬が行き届いていることを意味していた。戦場と変わらぬ生活が平時でも求められることは帝国古来の伝統であり、違えば追放どころか肉刑や死刑も平然として行われる。
構えられた陣門の左右に仰々しく立っている衛士が古式に則った作法で若者を迎える。彼らが携えている大盾は木製の表面に重い鉄板が打ちつけてあり、第二十軍団を現わす交叉する二つの十字が描かれていた。興隆を迎えていた数百年の昔であればまだしも、二十もの軍団が帝国に存在する筈はなくウィクトリアの名と同様に虚勢を感じさせるが十年前の戦いで、バルバロスを倒した羽飾りの名前でもある。
「騎兵隊長ジェラルディンが着任する。徽章を確かめられよ」
ジャンは帯同していた旗兵に軍旗を掲げさせた。その先端には帝国の象徴たる銀鷲が飾られており、鉄製の長柄には続けて所属する軍団や隊の徽章が示されている。彼が率いる騎兵隊はこの旗に従い戦場を駆けることになるのだ。
衛士が右手を高く掲げて敬礼すると、ジャンも馬上姿のまま答礼して陣営に足を踏み入れた。どうも自分には似合わない姿だと思ってはいるが、立場に相応しい振る舞いをすることは彼自身と彼の隊の者たち双方にとって必要なことである。ロンディニウムで誰もいない屋敷を守っている娘が見たら、何と言うであろうかと心の中で苦笑してみせる。
吹きすぎる風が陣営を抜けてアクエ・スリスに駆け下りていく。陣門の傍らにある高札には古将軍の厳格な軍律が公用語で書き記されており、知らずに訪れた若い兵はまずそれを見て愕然とするが不平を言う間もなく陣営地の生活に放り込まれることになる。軍団における兵士に帝国の市民権は通用せず、戦場の労苦を覚悟していた彼らには戦場よりも過酷な訓練が待ち構えていた。
時を経るごとに帝国が衰退して軍団兵がその質を落としている事実を誰もが知っていたが、彼らを率いる古将軍はたとえ人数を減らしてでも羽飾りの名に相応しい精兵だけを残すことを考えた。だからこそ十年前の戦いで彼らは勝利を掴むことができたのであり、死を恐れぬ兵士ではなく死を平静に受け入れる兵士たちは一人でバルバロスの十人を相手取るとすら言われている。それは誇張こそあれ虚偽ではなかった。
右に首を巡らし、左に向けると陣営の中央を抜ける本道はそのまま本陣へと続いており左右には兵士たちが詰める天幕が立ち並んでいた。陣営は原始的な野営を行う場所ではなく長期に生活ができる町であり、長く構えられるときは下水が掘られて水道が引き込まれると天幕は次々と石造りの家屋に立て替えられていき、月が一巡りもすればバルバロスの集落よりもよほど立派な町に姿を変える。溝を掘り木石を担ぎ建物を組み上げる、そのすべては軍団兵が行いそれが彼らの規律と肉体を頑健にする鍛錬を兼ねていた。
些か苦笑させられるのは、選抜されて羽飾りと呼ばれることになる精鋭の少なくない数が純粋な帝国の出自ではなく、バルバロスの血を引く者や友邦部族の若者であるという事情だった。皇帝を僭称するコンスタンティウスが多くの兵を大陸に連れ去って以来、その傾向は更に強くなったが銀鷲を仰ぐ者は誰であれ受け入れることも帝国の伝統である。争いは一面を見ればバルバロスと、帝国に与したバルバロスの戦いなのだ。
「そら、娘のような隊長のおでましだぞ」
「乗っている馬は立派なものじゃないか」
囁かれる声はジャンの耳にも届いている。軍団の主軸は羽飾りの兜を着けた重装歩兵であり、ジャンが率いる騎兵の数は羽飾り十人に対して一人がせいぜいである。そして騎兵は馬に乗れねば務めることができないから、幼い頃から馬に親しんでいるバルバロスの若者が選ばれることが多かった。勇猛な彼らにすれば、司令官の息子というだけで隊長になったジャンが命を預けるには足る相手だとはとても思えないだろう。
騎兵の陣営地は羽飾りのそれとは別に構えられていて、厩を置く広さはあるが規模は遥かに小さい。ジャンは本陣に入ると慣例通り必要な手続きを済ませていたが、司令官たる古将軍は軍団の過半を率いて演習に出ていて不在だった。本陣を後にしたジャンはその足で彼が指揮すべき騎兵の陣営地に向かう。羽飾りの陣営に比べると工事が遅れており、天幕に替える石造りの建物も見当たらないのは規模の小ささによる人員不足だけが原因ではないだろう。
バルバロスに特有の赤や茶の毛髪が目立ち、長く伸ばしたり髭を生やした者も少なくない。帝国古来の文化であれば髪は短く刈って髭を剃る者が多いが、数百年のうちに多様化しており羽飾りの陣営でも口煩く言われることはなかった。
ジャンの着任は予め伝えられており、騎兵たちが広場に集まるがそれは雑然とした集団でしかなく新任の隊長を迎えるというよりも噂に聞く「娘のような隊長」とやらを一目見てやろうという好奇心が強いように見える。ジャン・ジェラルディンはそれを当然だと思っているし、自分が戦場に相応しくない人物であることを知っているが彼の心中には戦場に身を置くに相応しい姿の模範があった。ロンディニウムに只一人残るフィオレンティナ・ロッサリーニ・プリシウスであれば、戦場に赴けぬことを心から悔しがっていた彼女であれば雑然とした部下たちを前にしてどのように振る舞うであろうか。
決して多くはない、騎兵の全員が殊更時間をかけて集まると形だけは畏まったように並んでいるが、従順な様子とは到底言い難く居並んでいる表情は挑発的で敬意の欠片すら見出すことができなかった。ジャンは気にする素振りも咎める様子も見せず、陣営の広場に構えられている演壇に登るとゆっくりと、騎兵の右から左にまで視線を向けてから演説を始める。この瞬間から、彼は隊長に相応しい人物になろうとするのではなく既に隊長に相応しい人物でなければならなかった。朗々とした声がブリタンニアの曇天に流れる。
「新任の騎兵隊長がお前たちに問う。騎兵の役割とは何か」
羽飾りと呼ばれる歩兵の役割が敵と戦い、これを打ち倒すことであれば騎兵の役割とはその歩兵のためにために誰よりも先に敵中に飛び込み味方を優位に導くことである。誘うのであれ、惑わすのであれ、分断するのであれ一団となった騎兵隊は敵に突き出される最初の槍であらねばならない。
堂々とした演説には話に聞く柔弱な素振りはなく、騎兵たちはやや意外にも残念にも見える様子が窺えるがジャンは構うことなく続ける。彼らが真摯に耳を傾けているか、それはさしたる問題ではなかった。
「いざ戦場に出れば騎兵隊はただ一騎も欠けることがない一団であることが求められるが、私はお前たちがそれに相応しいかを知りたい。一刻の後、私はアクエ・スリスの地勢を知るために馬を駆り陣営を出るだろう。お前たちは私に従うことができるならばついてくるがいい。その者を我が騎兵隊に配属するが、全軍に先んじて戦場に乗り込むことすらできない者は頼むから不要な馬を捨ててもっと勇敢な者に譲ってくれたまえ。私はお前たちが推薦する者を喜んで抜擢するだろう」
娘のような隊長がこれほど高圧的な演説をするとは思ってもおらず、兵たちはその殆どが唖然とするかむしろ呆れ果てていた。不平や抗議の矢が放たれるよりも早く、ジャンは言いたいことだけを言って演壇を降りてしまうと彼のために割り当てられていた天幕に向かう。出立までさして時間はなく、ロンディニウムからのわずかな荷を下ろしたら馬と装備の準備をしなければならない。
誰もいない演壇の前で置き去りにされた騎兵たちは開いた口が塞がらないといった様子をしていたが、にわかに騒然として悪口や雑言が飛び交う。そこに好意的な言葉を見つけることはできず、勝手にするがいいという意見が大半だった。天幕に引き上げていたジャンも外の様子は分かっていたが敢えて姿を見せようとはしない。
戦場も知らない坊ちゃんが口だけは勇敢なものだ。世間知らずの無謀な若者なら娘のような息子の方がまだしも人の迷惑にならないだけましだった。兵士たちは口々に罵るが彼らとて実際に戦場に赴いたことがある者など数えるほどもいない。だが新任の隊長は彼が宣言した一刻が過ぎると本当に馬を駆り陣営を出てしまう。放言した挙げ句に引き下がれなくなったようだと、嘲笑する声が聞こえたがジャンの演説を聴いて馬を用意していた者もおり、間抜けな隊長の顛末を見物しようと次々と鞍に跨がった。
馬が駆ける足は進軍する人の足など及びもつかないほどに速いが、休みなく駆け続ければ馬とてすぐに潰れてしまう。歩兵よりも軽装とはいえ鎧を着て武器を下げた人間を背に、必要な速度を保ちながら長く歩かせるには相応の練達が必要で、馬の背に荷を括りつけて自らは傍らを歩く例すらある。ジャンは構わずに馬の背に乗っていたが、馬を潰さぬ配慮が必要になると同時に赴く先で不意の事態があれば俊敏に動けるようにしておかなければならない。
長城はバルバロスの侵入により破られて久しく、帝国と彼らが治める地域の境は既に明確なものではないが、十年前の戦場に近いアクエ・スリスの周辺は互いが暗黙のうちに緊張の目を向ける領域となっていた。
丘に囲われて広く開けている平野には幾本もの谷間や間道が合流しており、軍勢が集まるには都合が良い。過去にも幾度かの戦いが行われており帝国の記録に残されていた。馬を駆り平然と乗り込んだジャンはアクエ・スリスの正面を右から左へと往復するが、見晴らしが良いのは平野だけで視界の端から端までを囲っている丘の起伏や木々に隠れた山道、谷間の隘路や灌木の茂みがあらゆる方向を遮っている様子が分かる。振り返れば丘上にある羽飾りの陣営地を仰ぎ見ることもできず、戦場で武器を振るうだけであれば不都合はないが広く戦いを追うのであれば周辺の地勢を知らないで済ませることはできそうにない。
無謀な隊長に従う騎兵たちはジャンが先んじて戦場を訪れた理由を実感する。すべての山道、すべての隘路、すべての起伏や灌木の影にバルバロスの戦士が潜んでいるように感じられて、彼らの隊長は方々を巡っては間道や兵を伏せる場所を一つ一つ探すことに忙しい。戦場に踏み入れて平然とした様子で軽やかに起伏を越えていく手綱捌きは尋常なものではなく、馬に慣れたバルバロスの若者でも従うのがやっとだった。姿を見せぬ恐怖に身をすくめながら懸命に隊長の馬を追い、数刻が経つとジャンは馬を下りて堂々と野営を張り火を焚いてまずい小麦のパンを焼いてみせた。その火と煙が敵を招くのではないかと、兵士たちが不安を口にするが娘のような隊長は動じた素振りもない。
「この地勢で敵の様子が分からないのはバルバロスも同じだ。我々がそうであるように、仮に斥候を見つけても互いが伏兵や本陣の存在を恐れているから迂闊に襲いかかることはできない。この火がバルバロスに気付かれてもそれで襲われることはないさ」
当然のように答えると交替での見張りを任じて、厚い毛の外套にくるまるようにして寝てしまった。気が付けば兵たちは戦場を平然と行き交うジャン・ジェラルディンに従い、馬を縦横に駆り三日をかけてアクエ・スリスを踏査する頃には彼らなりの規律と連帯が生まれていた。二度、馬を駆るバルバロスの数騎を見たがジャンが言明した通り相手には近寄ろうとする様子がなくこちらも敢えて近付こうとはしなかった。それが赤早の送り込んだ兵であることにジャンは確信を持っている。
バルバロスの英雄レッド・スイフトは帝国の文明に学び軍団を精鋭に鍛える方法もその扱い方も心得ている。ジャンの叡智は彼に拮抗することができるかもしれないが、彼の勇気はフィオレンティナの借り物に過ぎなかった。アンドラステの勇気とカレイドウェンの叡智、それを兼ねるレッド・スイフトを相手にジャンが対抗できるものであろうか。
その夜は珍しく空を覆う厚雲が晴れてブリタンニアの叡智を示す月がアクエ・スリスを照らしていた。暗がりに差し込む明かりはかつて野蛮であって人を導く恩恵そのものである。
古将軍ジェラルディンが鍛錬した羽飾りの軍団兵は勇名に相応しい力を戦場に振るうことができるだろう。数百年に渡り多くの勲を遂げてその名を知らしめてきた戦士の群は時を経ても未だその力を衰えさせてはいない。馬の部族を率いるであろう、赤早はその事実を知っているが彼とてもバルバロスの全軍を統率できる訳ではなく雑多な部族が集結するその一部を預かるに過ぎなかった。帝国の羽飾りは少数でも精鋭が鍛えられており、勇猛なバルバロスは数で圧倒しているが赤早がいても尚優位は帝国が握っている。だが探求するジャンの思索はアクエ・スリスの勝敗が戦場の外で決められる危険性と、それに我れ先に気付く者は古将軍ではなく赤早だという事実に気付いていた。自分はそれを知ることができても防ぐ手立てがない、目を閉じたジャンはブリタンニアの夜が更けても、彼自身の思索から解放されることがなかった。
幾度目かの夜が明ける。着任した早々に陣営を出立した新任の騎兵隊長が帰参すると、陣門を守っていた衛士は慌てたようにジャンに本陣への出頭を言付けた。予想したことではあるが馬を預けて徒歩になったジャンを古将軍ジェラルディンとそれを補佐する幕僚たちが待ち構えている。床几の前に昂然と立つ姿を見るまでもなく、自分の行為が問題視されていることは明らかだった。前置きもなく開かれた古将軍の口調も詰問するものでしかない。
「戦場は踏査されるべきであり、敵を近くにして隊長の命令に従った騎兵の勇気は讃えられて然るべきである。だが司令官に断りなく陣営を出た隊長の行為は断罪されるべきものだ。立場ある者がそれを理解していなかったとは思えぬが、お前が軍規を軽んじた理由は何か」
古将軍の言葉は当然で、指令が保たれなければ軍律は維持できず羽飾りの根幹を支える統率が崩れてしまう。ジャンの行為は死罪に問われても不思議はなく、当人もそれを承知していたとあればことは一層重大だが息子は父の温情など期待しておらずいっそ堂々と処罰を受けるつもりでいた。
「将軍の意で出立したと思えば、兵は自分を認めぬであろうと考えました。処断は当然のことです」
「正直なのは良いが軍律を破った罪は看過できぬ。お前を斬に処す以外の決定が見つからぬ」
厳格を過ぎて酷薄に響く言葉に当人たちよりもむしろ周囲の幕僚や兵が動揺する。まさかそこまではすまい、そう思いながら古将軍ジェラルディンがこと軍律においてどれだけ厳格であるかを誰もが知っていた。確かにジャンの短慮は事実であるし、無謀ではあるが罪を償う働きによって取り戻させても良いのではないか。ジェラルディンの幕僚たちはそう進言し、ジャンに従う騎兵も隊長を擁護する声を上げる。
「戦いを前に隊長を処断するのは不吉だ」
「俺たちに今更新しい隊長を用意するつもりか」
騎兵隊にはバルバロスを出自とする若者が多く、彼らには隊長の無謀も勇気もともに敬愛すべき姿に見える。ジャンは数日を彼に従ってくれた忠実な部下たちに感謝しながら、それでも心の隅で自分はこの状況を予測していたのではないかと自問せずにはいられない。それは見えすぎる目を持つのではなく、単に計算高く狡猾なだけかもしれないのだ。
処断されるならばやむを得ないとジャンは半ば本気で考えていたが、赦される可能性を考えなかったといえばそれは嘘にになるだろう。それでも古将軍ジェラルディンならば父よりも司令官として公正に振る舞う、そう考えたからこそ裁かれるべき愚挙を承知で敢えて軍律を無視する方法を選んだつもりでいる。首を差し出せと言われればジャンは素直に従うつもりでいた。
口々に唱えられる声に古将軍ジェラルディンは僅かすら表情を変えず、何を考えているかは当人にしか知る由はない。だが娘のような息子と評されたジャンが忠実な騎兵に擁護されている様は父としては勿論、司令官としても歓迎すべき事柄には違いなかった。バルバロスに対峙する帝国はその出自の多くをバルバロスの友邦に頼っているのが実情であり、同族を相打たせようとしている隊長が部下の信頼を勝ち得ないようでは腹中に刃を抱えているにも等しい。その忠誠には千金の価値があるが、だが軍律を破ることを認めればすべてを支える根幹が崩れるかもしれずジャンの行動に温情を与えることはできなかった。重々しく、司令官の声が陣営に響く。
「お前たちの主張は分かった。だが秩序と軍律を最も重んじる羽飾りの陣営で、罰を与えぬ訳にはいかぬしそれも軽い罰であってはならない。騎兵たちは各々が鞭を手にせよ。お前たち自身の手で、軍律を破った隊長を打てば今回の件は赦そう」
笞刑を受け入れれば斬首は免れる、それは死なぬだけましかといえばむしろ死んだほうがましと思える類の処罰であり、枝木の鞭は思いきり打ち据えれば一打で皮膚を裂き肉を削ることができる。まだ生きていれば首は落とさずにおくというのが古将軍の言葉だが、苦しみが続かぬよう首を落とすことはむしろ慈悲に基づいた処断だった。
司令官の厳格さに皆が色を失うがこれ以上の譲歩は望めないだろうし、譲歩を許されたことが余程寛容であることを誰もが知っている。当のジャン・ジェラルディンは流石に平静を装おうとして失敗しているという顔をしていたが、不安げな部下たちに視線を向けると意を決した、あるいは諦めた様子で一つだけ言わせて欲しいと言って笑ってみせた。
「真面目に打たないともう一度やれと言われるから、それだけは勘弁してくれ」
新任の騎兵隊長は倒れるまで鞭打たれ、倒れた後も打たれるとまるで動かなくなり、天幕に担がれてから治療だけは施されたが目が覚めたのは二日の後であった。その二日の間に隊長としての責を怠ったとしてむしろ叱責されると当然のように騎兵隊を率いる任に戻るよう伝えられる。立っていることすら必死の様子だが、強い薬を呑み下して一時をごまかすと隊旗の長柄にすがりつきながら彼の陣営に戻る。後々薬が切れたときにどうなるかは考える気も起きない。
隊長の帰参を迎える騎兵たちは整然と集まると無謀で勇敢なジャン・ジェラルディンに右腕を高く掲げてみせる。探索行に従った、忠実な騎兵たちが列の先頭に居並んでいた。