第二章 求婚者たち


 国境に近い、街道沿いの宿場の夜はごく静かに明けて、陽光と朝霞が入り込んでくる食堂では旅姿の人々が気ぜわしい様子で出立前のごくわずかな時間を過ごしている。怠惰そうな猫を抱えた子供が一人、街道で見た青年のことを楽しそうに話していたが、父親に連れられると早々に馬車に押し込まれて姿を消していた。

「もう出立するわよマデリン、時間かかりすぎ」
「ユーニスこそもっと身支度に時間をかけなさいな」

 旅装束に身を包んで腰に護身用の剣を吊るしている娘の声に、水鳥の髪につば広の帽子をかぶった娘が憎まれ口をたたいている。彼女たちが下りてきたころには食堂の人影は消えて太陽はその全身をとっくに世界に現している。曇りがちで日が昇っている時間が短いブリタンニアで、旅人の朝が遅くてもよい理由は特になかった。
 ブリトンの国境を北に越えて、アングル人たちが暮らしているマーシアまで街道を歩き続けて数日はかかる。古い帝国の時代に設けられた宿場は街道を一日歩いてちょうどたどり着ける場所に置かれていたから、出立が早ければそれだけ到着も早くなる道理である。遅れて宿を出る娘たちに街道脇の衛士が手を振ると、ユーニスは頭を垂れてマデリンは手を振り返していた。

「宿場に関所がくっついてると気は楽ね。まあ、宿代に関銭を乗っけられちゃうのは仕方ないけど」

 帝国の末裔を自称するブリトン人は国にとっての街道の意義を知っていたから、隣接するマーシアやサクソンとの国境で人の往来を妨げようとはせず衛士も最低限しか置いていない。それで交流や交易が活発になったとはいえないが、サクソンの兵士を連れたクレオがユーニスをごく当たり前に追いかけていたように国境の警備は厳しいものではなくその気になれば自由に行き来することはいくらでもできた。
 一行の顔ぶれはユーニスと馬を引いた彼女の護衛、庵を出たマデリンとキルバートの二人、それにサクソンの若頭クレオを含めた五人になっている。ゆるやかな起伏のある石畳の街道を歩きながらマデリンは新しい友人の話を聞いていたが、ユーニスが生まれたローザラインの家はブリトンでも帝国の時代にまでさかのぼる由緒正しい旧家の家柄で、彼女たちが今歩いているマーシアとサクソンに接する国境の周辺もローザラインの所領だった。

「でも最近は国境も落ち着いてきたみたいよね。なにしろサクソンの王子様がブリトンの領内に自由に入れるんだから」
「まったくだな」

 マデリンの呟きにもっともらしくうなずいたのは当の青年クレオで、ユーニスはおかしそうに笑っている。かつて一代の英雄アルトリウスがブリトン人を率いた戦いで、多くのアングル人とサクソン人が彼らに倒されたが、賞讃と憎悪を一身に浴びた英雄はある日突然姿をくらますと伝説だけを残して消えてしまっていた。
 真相は今も不明のままだが、英雄がいなくなってマーシアやサクソンが意趣返しに攻めて来ることもなく、なし崩しに事態は鎮まっていた。アングル人もサクソン人もアルトリウスに被った傷が大きくて決起するどころではなかったとも言われているが、いずれにせよ勝ったブリトン人も勝者の論理を振りかざす余裕はなく両者が手を打つには手頃な時期だったという事情もある。

「ローザラインはブリタンニア最後の戦いで生き残った数少ない家のひとつよね。女当主が人々を連れて辛うじて今のブリトンの地に落ち延びた」
「よく知っているわね」

 マデリンの博識に感心しながら、ユーニスは彼女が旅に出た理由を友人に話している。ローザライン家はブリトンで最も古い家のひとつだが、領地が隣国に接していることもあって常日頃からサクソンやマーシアとは親しいとはいえずとも特に敵対することもなく接していた。言葉を交わす機会があれば相手の言い分を聞くことができる、現当主であるユーニスの父親はそう考えていた。

「お父様は争うよりも受け入れることが帝国の伝統だと仰るわ。私もそう思う」
「白痴帝の演説ね。いずれ我らの振る舞いも先例のひとつとしてあげられることになるのだろう」

 アルトリウスが身を投じた数々の戦いでも、ローザライン家はブリトンが優位にありながらなお戦いを批判する立場を譲らなかったらしいく、貴族たちの間では裏切り者めいて見られることもあるが、彼らがいなければ現在のブリタンニアの情勢はもっとキナ臭いものになっていたかもしれない。
 そのローザライン家に当主である父とユーニスの二人しか血縁者がいない、それが現在の事態をいささか困ったものにしていた。現当主は老いてもおらず虚弱でもなかったが、妙齢のユーニスが婿を迎えればそれは穏健なローザラインの主張に影響を与えるかもしれない。

「それで何人かの男性が私に求婚をしてきたけど、ローザライン家には帝国最後の戦いで家を継いだ女当主の例がある。聞いた話だけれど、マーシアには一時期彼女が過ごしていた別邸が残されていて、そこでは幾つかの手記も見つかったというわ」
「なるほど、虫除けの護符が欲しいってことね」
「それもあるけどね」

 そのたとえに笑った表情がユーニスの本音なのだろう。名家の一人娘が自由な恋愛などできぬことを理解できないほど彼女は子供ではなかったが、妙齢の女性としては政治的な理由で殿方に言いよられて気分がよかろうはずもない。おとぎ話のような白馬の王子様、などと冗談のつもりで口にしたとしても王子とはサクソンやマーシアの王子のことかと非難されるのがユーニスの立場だった。
 街道を歩きながら、首を軽く傾けるとつば広の帽子の下で水鳥の髪が揺れる。マデリンはそれ以上の追及をやめると、ユーニスの後ろに従っている護衛に向き直る。旅装束に軽い胸当てと甲まで身につけた、どこか無個性な外見がいかにも兵士然として見える男性だった。

「そこの兵士A。あなたはユーニスに言いよってる男どものことは知ってるのかしら」

 唐突に、しかも無礼な名前で呼ばれた男は当惑するが、確かに彼が護衛に選ばれた理由は多分に政治的なものだったから自分の立場というものはわきまえているつもりだった。彼の口から話すのであれば中立な、あるいは波風が立たない評価を意識しなければならないと口調まで押さえたものになる。
 ユーニス自身が妙齢で、ローザラインの家柄を思えば求婚話などすべて挙げればきりがなかったろう。マデリンにすれば羨ましさも煩わしさも感じてしまう話だが、だからといってユーニスもよりどりみどり選べる立場ではなく他人が交通整理まで行うのだからよほど気の毒というものだった。

「誰かが決めたわけではありませんが、ユーニス様に求婚を表明している方は数名おられます。いずれもブリトンの有力な貴族の方々ですが、ただ私からは申し上げにくいのですが、いささか問題もございまして」

 兵士Aの言葉に重なるように、轍の音と馬が小さくいななく声が重なった。皆がいっせいに振り返ると街道をゆっくりと進む馬車を先導する馬上の姿が見える。足を止めるユーニスの表情を見るに、あまり歓迎する素振りがないことは明らかだった。先頭の馬上から石畳に下りたのはいかにも優男然とした青年で、大仰な振る舞いから大仰な声で呼びかける。

「我が麗しきユーニス。たかが求婚者の身で貴女の行動を縛ることなどできようもないが、立場ある身で国境を越えるとはもう少し頭の固い貴族連中にも気を使うべきではないのだろうか」

 豊かな金髪を波打たせながら、背を反らしているのではないかと思える大袈裟な姿勢と演説めいた口調が劇作を披露する役者のように見える。顔立ちは整っていて眉目も悪くないが、熱っぽい視線が青年の大仰さを更に引き立てていた。
 フランシス・バーンはユーニスの傍らにいくつかの見知らぬ顔があることに気づくと、挨拶を怠った非礼を詫びてから相変わらずの口調で名を名乗る。ユーニスの連れには明らかにサクソン人の装束を着た男もいてフランシスは眉をひそめるが、あえて追求しようとはしない。

「フランシス・バーンと申します。お見知りおき願いましょう」

 フランシスはブリトンでも有力な家の次男に生まれ、基本的には悪意がなく善良な性質をしているが、友人知人からは「詩人のフランシス」と呼ばれるほど浮世離れをして日頃から狩りと詩吟と舞踏と劇作にうつつを抜かしているような青年だった。言動を見るだけでも彼がユーニスの求婚者の一人とやらであることは疑いなく、兵士Aが言いにくそうにしていた理由もわかろうというもので、マデリンが呆れたように息を吐いた。

「あたし、ユーニスに同情するわ」
「ありがとう。でもそんなことを言うものではないわ」

 マデリンの声が聞こえたのだろう、フランシスはわざとらしく笑うが、寛容な態度は崩さず気分を害した様子もない。彼は彼なりにユーニスの身を心から案じていたし、彼女が国境を越えてマーシアに行くことに賛同もしていなかったが、それはブリトンの現在と未来を考えてのことでも決してなかった。

「ユーニスのような、美しい女性が危険な旅に出るなんて僕は反対なのだ、ああ、反対なのだよ」

 当人としては心からの演説なのだろうが、口調も内容もとんだ大根役者としか言いようがない。さすがに皆が毒気を抜かれた体で滑稽な道化に視線を向けていたが、大根役者の演説に表情すら変えなかったユーニスはむしろ厳しく思える声と表情で口を開いた。

「貴方のお考えは伺いました。それで、貴方ご自身はどうなさるおつもりなのですか?」

 ユーニスは礼儀正しいが決して穏やかな娘ではなく、ましてフランシスの詩作に登場しそうな深窓の令嬢にはほど遠い。友人の意を察して、語を継いだのはマデリンである。

「口先だけで人が動かせるなら苦労はないということね。ユーニスが言う通り、あんたにはユーニスに替わってマーシアの競技会に出るつもりがあるということかしら」

 その言葉にフランシスだけではなくユーニスも皆もいっせいに表情を変える。平然としているのはマデリンのことを心得ているキルバートくらいのものだったが、まったくこの娘は何でもお見通しでいるらしい。
 マーシアで開催される馬上競技会は、馬の扱いに長けるアングル人にとって名誉ある大会で国中の町や集落から腕自慢たちが集まってくる。参加者は国の内外を問わず歓迎されて、勝者は人々に称えられてマーシアの領主に謁見することもできるが過去にブリトン人がこの競技会に出たという話は聞いたこともない。

「そうでもなければこの時期に馬を引いてマーシアになんて行かないわよね。でもそれがローザラインの別邸を訪問するためというのはいまいち納得できないのよ。他にも理由があるのかしら」

 マデリンの言葉はユーニスを追及するものではないが、ユーニスにも彼女が考えていることを隠そうとするつもりはない。彼女が考えているのはごく単純で、端的にいえばブリトンとマーシアとサクソンの三国が友好関係を結ぶこと、具体的には街道にある関所を完全に開いてしまい、往来する人や荷物から関銭をとることをやめようと思っていること、そして競技会を機会にすればマーシアの領主と話ができるのではないかということだけである。だがそれを理由にしてローザラインの別邸を訪れたいというのもまぎれもなく彼女の本音だった。

 かつて帝国が治めていた時代、ブリタンニアの街道には関所も関銭も存在していなかった。それで人が往来できたならブリトンはそれに倣うべきだとユーニスは考えている。この小さなブリタンニアの島で人々の交流が遮られてよいことなどなにもない。
 互いに矛を交わしたブリトンとアングロサクソンが交わることに異を唱える者はいくらでもいて、彼らの主張ももっともだが閉じたままではそれ以上に広がることもない。開明的な娘の言葉に呆れて首を振ったのはサクソンの若頭クレオである。

「それにしても、それを俺がいるところで話すかね」
「でも、マーシアから戻ったら同じお話をさせて頂くつもりですのよ」
「ああ。嬢ちゃんが心からそう言っているのはわかってるつもりさ」

 まったく型外れというならば、マデリンよりもユーニスこそ型外れの性格をしているのだろう。苦笑するクレオの目に唖然としているフランシスの顔が映る。

「おお!だがマーシアの民は馬を扱って久しく、馬上競技の名手エオムンドは鞍にまたがり右手でも左手でも弓を射て雁を撃つことができると聞く。そのような戦士を相手にして麗しき女性が槍を握るなど僕は耐えられない、君に翻意を要求したい」
「なるほど求婚者の要求か。じゃあ俺が嬢ちゃんに求婚して競技会に出ればあんたの心配も解決しそうだな」

 クレオの発言に皆が呆気にとられるが、サクソンの若頭は半ば冗談で半ば本気でいるらしい。ブリトンの若い娘が国と国の修好のために馬上競技会なんぞに出ようとしている、そのような祭りがあれば止めるのではなく名乗り出るのが彼の流儀であった。

「馬を扱って久しいのはアングル人だけじゃない。なにしろ俺の馬はサクソンで最高の駿馬なんだ、すぐに国に戻って一番優れた馬と一番優れた戦士が駆けつけてやるから、あんたらにはゆっくりマーシアまで向かってくれるとありがたい」
「あら。行き先がわかってるのなら現地で会いましょうよ」
「なんだよ、ブリトン人は冷たいな」

 マデリンの冗談におどけるクレオに笑い声が続く。断る理由もないが断ったところで勝手についてくることは疑いないだろう。だがマーシアの競技会にブリトンの貴族とサクソンの王子が出るとなれば笑いごとでは済まず、マデリンも表情を改める。

「つまり、あんたはブリトンとマーシアの間に立って友好の使節になってくれるってことね」
「さてどうかな。俺がブリトンに婿に行くかもしれんし嬢ちゃんをサクソンにさらっていくかもしれんぞ」

 サクソンの若頭があっさり言ってのけるとユーニスもマデリンもすぐには言葉を返せず、青年はしてやったりの顔になる。フランシスとは異なる意味で、問題のある求婚者が登場したということらしいが青年がどこまで本気で言っているのかはわからなかった。
 あっさり宣言したクレオに驚いていたフランシスも、ようやく体勢を立て直すと引き連れていた従者を呼びつけてから彼の馬を引いてこさせる。薄墨毛の立派な馬の首筋をなぜながら、青年はユーニスではなくクレオに向かって宣言してみせた。

「僕はひとつだけ君に訂正を求めたい。君は僕のことを口先だけ、言葉だけの男だと考えているのかもしれないが、言葉には人を動かす力があると僕は信じているのだよ。むろん僕の言葉は僕自身も動かす、だから僕は君に侮られたまますごすごと引き下がるわけにはいかないだろう。僕もマーシアの馬上競技会に参加するのだ。ブリトン人が馬を扱えないなどと考えないでいただこう」
「さっきよりはよほど余程ましな演説じゃないか。まあ、せいぜい頑張るんだな」

 世の中には恥辱にまみれて平然としている者もいるが、少なくともフランシスはそうではないらしい。クレオの言葉はからかっているようにも聞こえるが、相手が真摯であることを認めて敬意を払っていることもわかる。だが男たちの発言に辛辣で容赦のない評価を下したのはマデリンだった。

「もう一度言っていいかしら。あたし、やっぱりユーニスに同情するわ」
「マデリン!」

 どうやら問題のある求婚者たちはユーニスの意見などお構いなしで話を進めるきらいがあるらしい。だが当のユーニスも人の言葉を聞いて意見を曲げる性質ではないから、苦笑はしても彼らの同行を拒絶することもしないだろう。
 旅の人数も増えて国境を越えればアングル人の国マーシアはすぐそこである。英雄アルトリウスの戦いを終えて後、小さなブリタンニアの一隅で小さな国同士が互いに争っても意味はない。閉ざされている門を開くのは開放的な若者たちの手によるのだろうが、たぶんクレオもフランシスも、そしてユーニスもそのような難しいことは考えてはいない。

「別に断る理由はありませんもの。好きにして下さって構いませんよ」
「だってさ。せいぜい頑張りなさいな、あたしは気の毒な男たちの喜劇を呑気に見物させてもらうわね」

 だからこそマデリンは彼女に従おうとする。はじまりの魔術師が興味を惹かれた娘とその一行は、とりたてて深刻な様子もなく旅の仲間が増えることを陽気に喜びながらブリトンの国境を越えていくのだ。


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