その時代、かつて数百年来あり得なかった寒波が大陸を吹き荒れると、追い立てられた人々は雪と氷に覆われた故郷を捨てて西方に足を向けた。作物はおろか家畜が食む下草さえ氷と霜に埋もれたから彼らは生きていくために他を顧みることなど考えることもできなかった。
古くは絹が伝わり、金貨や香料が運ばれた交易路を伝って人間が訪れると翌日には更に多くの人間が訪れる。町はすぐに人で溢れたが寒波は収まらずに彼らを養うだけの薪もなければ麦も足りなかった。こうして人が土地を滅ぼしてしまうと溢れかえった人々は更に西に移動した。彼らが大陸の西の端にたどり着いた頃には世界は滅んでいた。飢えた狼と呼ばれる、大陸で起きた人々の大移動の記憶である。
「ずいぶん風が穏やかになったわね」
「季節が変わればもっと暖かくなるわよ。ありがたいわ」
馬上競技の汗を内海の暖かい風で乾かしているユーニスにマデリンは自然な笑顔になる。かつて大陸を席巻して、世界に文明をもたらした帝国も狼の時代には数百年におよぶ統治の果実が食い荒らされて久しい。痩せ衰えて、権威も実力も失われた帝国の末期には大陸に何人もの皇帝が名乗りを上げて救いがたい争いを繰り広げたが、それは海峡を隔てたブリタンニアでも同様で最後の皇帝が大陸に去るとすべては見捨てられてしまう。
ブリタンニアの支配はとうに弱まっていて、皇帝は軍団兵のほとんども連れて行ったから、それまで蛮族と呼ばれていた原住民がわずかに残されていた帝国の都市を打ち倒すとついに彼らは父祖伝来の土地を取り戻す。蛮族は帝国に虐げられていた訳ではなく、協力者として臣従させられていただけだから帝国が敷いた都市や街道を用いて文明を引き継ぐことができた。ブリタンニアは小さな島だが、西方を流れる暖流のおかげで世界を滅ぼした寒波の影響は少なくささやかな恵みがもたらされていた。
やがて帝国が引き上げたのと入れ替わるように、大陸から海峡を越えて野蛮な狼たちがブリタンニアに侵入を試みるようになる。彼らは勇猛だが文明も文化も知らず、獣の肉を食い毛皮を着た彼らをブリタンニアの人々は海の狼と呼んだ。訪れた地の誰にも受け入れられず、すべてを滅ぼしてきた狼がブリタンニアの先住民と手を結ぶことはあり得なかったから、これまでは帝国がブリタンニアを守ったように今度は蛮族が飢えた狼からブリタンニアを守らなければならなかった。
「でも帝国の人々も死に絶えていた訳ではなく、生き残った人は蛮族と協力する道を選んだ。それを主導したのがローザライン、帝国を売り渡して人々を救った女性よ」
ユーニスの家は遠くローザラインの直系に遡る。帝国最後の戦いと呼ばれる戦場に赴いた軍団兵は、悪夢のような城塞を築くとおびただしい数の蛮族を道連れにしたがけっきょくは最後の一兵まで弊れて全滅した。それでブリタンニアにおける帝国の支配も潰えたが、わずかに生き残った女や子供や老人らは街道を逃げてブリタンニアの南西部にかろうじてたどり着くとここに至って帝国と蛮族はようやく手を結ぶことができた。
生き延びた帝国の人々を指導したのはローザラインという女性だが、彼女は蛮族の守護者である英雄レッドスイフトに降伏する道を選ぶ。それで人々は殺されずに済んだが帝国は完全に滅びて蛮族に統合されると彼らは以後ブリトン人と呼ばれることになった。ローザラインの決断は帝国の血統が完全に滅ぼされて失われることを防いだ一方で、帝国の歴史にとどめを刺したとして後の人々には賞讃も罵倒もためらわれる評価を受けている。
「でも帝国を売ったローザラインの末裔が今度は小ブリトンを売ろうとしているのだから、頭の固いお貴族様が頭に血を上らせるのも無理はないのかしらね。もう少し内海で獲れる鰯でも食べればいいのに」
マデリンの冗談は出来がよいとはいえないが、ユーニスを非難する貴族の筆頭格であるペンドラゴン卿が魚嫌いなことを彼女は知っているのではないかと思えてくる。
帝国と蛮族が手を結んだブリトン人はブリタンニア伝来の文化を継承する正統な末裔を自認すると同時に、かつては世界を席巻した文明を引き継ぐ子孫でもあった。古びた砦や都市、街道や水道は数百年を経てもそのまま使うことができたから、彼らは再びブリタンニアに根付くと一時は海峡を越えて訪れる狼どもを退けて数世代の穏やかな時代をもたらすことに成功する。かつては都であったロンドンや内海に面するチェスター、山脈に近いエジンバラといった都市が独立してそれぞれが小さな国として栄えるようになった。
馬上競技会を終えて、日はすでに傾いており人々が祭りの喧噪に散っていく中でユーニスたちは馬具を片付けながらマーシアの老騎士エオムンドを交えて言葉を交わしている。エオムンドは自分の娘や息子のような年齢の客人に対しても礼儀を欠かさない人物で、この後面会することになっている頭首エオメルの伯父にあたる人物でもあった。
「アルトリウスが率いるブリトンと戦い、多くの犠牲を出してからそれほど歳月が過ぎた訳ではない。だが儂らは戦士を遇することを知っている。貴殿らがエオメルに会うことを認めない者はこのマーシアにはおらなんだ」
「光栄です。これで父や母に何を言われようと、幼い頃から馬を乗り回していた甲斐があったというものですわ」
ユーニスの冗談に初老の戦士が破顔する。マーシアで馬をよく扱う戦士は尊敬に値する存在であり、ブリトンの訪客であるユーニスやサクソン人のクレオが競技会で活躍したことで頭首エオメルは快く彼らを迎えるだろう。ユーニスが貴族の娘としては常軌を逸した存在であることはエオムンドも理解しているが、英雄アルトリウスや魔術師メルディンを輩出した小ブリトンであれば決してあり得ぬことではない。
英雄アルトリウスと彼を支えた魔術師メルディンの出自は小ブリトンの人々にも知られていない。伝説によればアルトリウスは帝国最後の戦いを率いた将軍の末裔だとも言われているが、実際には戦いを率いた将軍とは姓も異なっているし、記録を紐解いてもアルトリウスの名前はそれより二百年も昔の軍団長の名前に見つけることができる程度だった。
アルトリウスはキルブライトと呼ばれる剣を手にしていて、それは黄金で打ち出された二匹の蛇を象っていて抜かれると蛇の頭から二筋の炎が立ち上り、それがあまりにも恐ろしいので対峙した四百七十人の敵は誰も彼に目を向けることができぬまま切り殺されるしかなかったと言われている。
メルディンは魔術師とも狂人とも言われていて、もともとあらゆる未来を見通す力を持っていたが、戦乱で正気を失うと森をさまよいながら動物と暮らしているのをアルトリウスに見出されたという。彼の予言はアルトリウスを大いに助け、後には始まりの魔術師メルディンとしてブリタンニアの伝説に語られることになる。
「儂もすべての戦いに出たわけではないが、あれは勝てる気がせなんだ。戦っても戦わなくても罠に嵌る。灌木と丘に覆われたこの島が儂らのものではないことを幾度も思い知らされたものだ」
エオムンドが戦場で見たブリトンの英雄は長髪に長身のまさしく伝説から抜け出してきたような人物で、二匹の蛇に例えられる剣を軽々と振り回して一振りで一人が、二振りで二人の戦士が倒された。四百七十人を切った伝説は大げさだとしても、アングル人もサクソン人も迷い里のようなブリタンニアの地で翻弄された挙げ句にアルトリウスの前に立てても圧倒されるばかりだった。
アルトリウスは十二回の戦いのすべてでブリトンに勝利をもたらしたが、決定的な勝利を得る十三回目の戦いを前にして姿を消すと出奔したと言われている。伝説では西の海に漕ぎ出して神々と王の地に渡ったとも言われるが、十二回目の戦いで負った傷から病になると高熱を出して死んだとも、包帯に毒草を巻かれて殺されたとも言われていた。
それでアングルとサクソンが攻め込めばブリトンは滅ぼされていたかもしれないが、これまで多くの誘いに乗せられていた彼らはこれもアルトリウスの罠ではないかと考えた。彼らはブリタンニアを征服することが目的ではなく、大陸を追われて新天地を求めただけの人々だったからこれまで手に入れた土地でもいちおうは満足することができたし、小ブリトンを滅ぼせば次はアングルとサクソンが互いに争うことになるからその前に手を打って足元を固めたほうがよい。
こうしてブリタンニアの中央はマーシアを主とするアングル人の、南はサクソン人の領土になった。残された南西部は小さなブリトンとして、帝国時代からの貴族たちの手で今も治められている。
アルトリウスの出奔とともに魔術師メルディンも姿を消していたが、実際にはアングル人にもサクソン人にも十二回の戦いでメルディンの姿を見た者は誰もおらず、魔術師の存在はアルトリウスの伝説に乗じて創作されたのであろうとする声すら存在する。アルトリウスの伝説はその後ブリトンの古い伝承と混じり、後には大陸にも伝えられて真偽の定かではない寓話が幾つも作られると、王を支えた円卓の騎士や彼らの悲恋話が新しく書き加えられたおとぎ話として後代まで伝えられることになった。魔術師の存在もその多くが後に書き加えられた創作であろうという者もいる。
「でも予言なんて天気の予想と一緒よ。たとえ明日晴れることを知っても尊き者は土を耕し漁に出る人々なんだから」
水鳥の髪に乗せたつば広の帽子を少し目深にして、老戦士の述懐にそう言ってみせるマデリンこそこれまで魔術師にも等しい予言を幾つも披露していたが、彼女が森の庵を出奔してユーニスの旅に従ったのは彼女が主を得たからではなく友人を見つけたからでしかない。なにしろこの友人ときたらマデリンの助言も忠告もおかまいまく、彼女が正しいと思うことをただ勇敢に成し遂げようとするのだから始末に負えるものではなかった。
マデリンが物心ついたときから、彼女は大人たちに囲まれていてそこで多くのことを学ばされた。マデリンには奇妙な才能があったらしく、思いついた言葉が未来を言い当てることがたびたびあって大人たちは彼女のその言葉を聞こうとした。それは彼女の中では明確な理由も理屈もあるのだが、あまりにも速く、正しい結論が誰にもわからない思考でもたらされるから他人にとっては魔術師の予言となんら変わるところがなかった。
歴史を紐解いてみれば彼女のような存在は幾人か見つけることができる。彼らは総じて天才と呼ばれたり、英雄や偉人とされる業績を残すこともあるが、当人にすれば人よりも少しものを考えるのが速いという程度の違いでしかない。大人たちはマデリンをもてはやした一方で、誰も彼女のようにものを考えようとはしなかった。
「耕すのは分かるけれど、晴れた方が漁にも都合がいいの?」
「海によるわね。あまり晴れてると水面に来ない魚もいるけど、ブリタンニアの内海は浅いし暖流で温かいから、波さえ穏やかなら網を置くだけで漁ができるのよ」
荒れた海峡を渡るための船であれば大型で底の深いものが必要だが、内海や沿岸で使う船は底も浅くて横波でも受ければひっくり返ってしまう。天気が悪ければ船は出さないのがこの地域ではふつうだと、マデリンは彼女の知識を惜しげもなく披瀝してユーニスは素直に聞いていた。
海の狼をブリトン人が退けてから、数世代の穏やかな時代が過ぎるとアングル人やサクソン人が再びブリタンニアを襲うようになった。だが大陸ではすでに帝国が滅びていたように、時代を経てブリトンも疲弊していたから今度は彼らも対抗することができずに侵入者がブリタンニアを我がものにしてしまう。彼らはまとまることができなかったからそれぞれの部族が勝手に王を掲げて国を名乗り、一方で生き延びた人々はブリタンニアの南西部に押し込められると小さなブリトン、小ブリトンと呼ばれるようになる。
島の一画に押し込められた小さなブリトンとアングロサクソンの戦いは十二回も行われた。初めの戦場はグレイン川の河口で二番目から五番目まではリヌイス河畔にあるドブグラスの周辺、六番目はバスス川で七番目はケリドンの森、八番目がグレニオン、九番目がレギオンと呼ばれている陣営跡地で十番目がトリブレイト河畔、十一番目がウグネト山、そして最後の十二番目がベイドン山の戦いだった。
これらの戦いでブリトンの英雄アルトリウスは十二回の戦いにすべて勝利したと言われている。サクソンの族長の息子である若いクレオは彼の親や兄から忌々しい戦いの記憶をさんざん聞かされていた。
「そりゃあもうひどい目に遭わされたらしいぜ。戦おうとすれば罠に誘われて戦わなければ火で燻されて、ようやく剣を交えたと思えば目の前にいるのは味方だった。アルトリウスの相手をする前に同士討ちで傷だらけさ」
「すみません」
なにもユーニスが謝罪する筋のことではないが、アルトリウスの戦いは小ブリトンで語られている英雄譚とはいささか違ったものらしい。だが何度も叩きのめされるとこれ以上の戦いにうんざりしたサクソン人もまた、それまで手に入れた土地で満足することにして部族の男たちにはあのような卑劣に染まらず純朴に強くなれと諭したものであった。
「だが戦いに卑劣も何もない。いったいどうやればあれだけ勝てるか知りたいものだ」
「十二回の戦いの記録はブリトンにも残されていません。父に聞いた話でもそれぞれが灌木に潜んで馬が通れば足を切れとか、石火矢が聞こえたら大声でわめきたてろと言われただけだと言います。なにしろ千人のサクソンを百人で追い返せと言われて、ものを考える余裕など誰にもなかったとか」
「百人だって!おいおい幾らなんでも」
大袈裟な、と言おうとしたがそれが誇張ではなく事実だとすればアルトリウスが恐れられたのも道理である。
興味深そうに耳を傾けていたエオムンドも驚いた顔を隠せずにいる。翻弄され、多くの犠牲を出して戦いに懲りたアングル人とサクソン人は彼らが手に入れた土地に居つくとその後は国をまとめることに専念した。もしもアルトリウスが健在でブリトンとの戦いが続いていたら、いずれアングル人もサクソン人も追い出されてブリタンニアはブリトン人の手に戻っていたのではないだろうか。
「そんなの無理に決まってるじゃない」
断言したのはマデリンである。十二回も戦い、そのすべてに勝ったのにブリトン人は彼らの土地を少しも取り返せていない。彼らにできたのは勝つことによってアングル人とサクソン人にもう戦いは嫌だと思わせることで、アルトリウスと彼に助言をした者はただ敵に嫌がらせをするために戦っていたのだ。
マデリンの説明には英雄の権威も魔術師の智慧もあったものではないが、ユーニスもクレオもエオムンドも彼女の言葉が意味している事実を等しく理解する。前々から思ってはいたがいよいよ聞かずにはいられなくなったクレオが水鳥の髪の娘に向き直った。
「アルトリウスの伝説は誰でも知っている。無敵のキルブライトを振り回した長身長髪の英雄と彼を導いた魔術師メルディンの存在もだ。あんたらを見てそれを思い出さない訳がない、十三回目の戦いを前にして姿を消した英雄と魔術師が、いま俺たちの目の前にいるなんてことはないだろうな」
クレオの目はマデリンとキルバートに等分に向けられていた。彼の疑問が事実だったとして今更彼らの関係が変わる訳でもなく、誰もが戦いにうんざりした世界で過去を蒸し返しても意味がない。だが真実が隠されているならそれを知りたいと思うのは当然だった。
あえてわざとらしい口調で尋ねられたことを楽しんでいるのだろう、マデリンは指先を唇に当てるともったいぶった沈黙を見せるがそれはなるべく劇的な返答ができないかと言葉を選んでいるだけのように見えた。
「一つは外れ。アルトリウスは勇敢で誰にも尊敬された立派な戦士だったけれど、ベイドンの戦いで負った怪我がもとで斃れると、彼の剣キルブライトは彼の弟子をしていた不真面目な男の手に渡されたわ。
そしてもう一つは外れでもあるし当たりでもあるわね。狂人と呼ばれたメルディンは戦乱に巻き込まれて正気を失うと病で亡くなるまで森の庵で暮らしていた。でも彼には妹がいて、彼女は人と少しだけちがった方法で物事を考えることができた。人よりも少しだけ速く解答を導くことができる、私の才能を評してアルトリウスはロジック・ユーザーと呼んでいたわ」
アルトリウスは小ブリトンに勝利をもたらしたが、彼を導く助言者が幼い娘だと告げることはできず魔術師メルディンの素性はほとんどの者が知らなかったし、もしも英雄の傍らにいるマデリンを見たところでそれが始まりの魔術師だなどと思うはずもなかった。
マデリンは大人たちに求められるままに戦いに勝つ方法を教え続けたが、それで実際に勝つことができたのはアルトリウスがすぐれた指揮官でもあったからだろう。マデリンの助言がアングル人とサクソン人をブリタンニアから追い払うためのものではなく、戦いにうんざりさせるためであることも彼は理解して剣を掲げていた。
だが十二回目の戦い、ベイドン山の戦いで勝利した人々はアルトリウスが倒れて動揺したところにマデリンの助言を聞いて絶望する。アングルとサクソンを相手にした十三回目の戦いでブリトンは決定的な敗北を得るであろう、それが一度も外れたことがない魔術師マデリンの予言だった。
英雄と魔術師の力だけで分不相応に勝利を得ていた人々は愕然とするとすべてを放り出して小さなブリトンの小さな領域に閉じこもってしまう。幸いアングル人とサクソン人は戦いはもう御免だと考えていたし、二度と目覚めないアルトリウスは内密に処理されると行方知れずになったことにすればよい。
「これがアルトリウスの伝説よ。私は逃がされて森で暮らしていたけど、ユーニスに会わなかったらもう少しあそこで退屈な生活を楽しんでいたでしょうね」
「やれやれ、とんでもない話だが信じないわけにもいかない。だが魔術師メルディンが今ここにいると知れて騒動にならないか心配だな」
おどけた調子で応じようとしたクレオが失敗する。なにしろアルトリウスの伝説は彼らにとって冗談で済ませることはできなかった。
「大丈夫よ。あなたたちの中には信用できない人もいるけどそれで私を害しようとする人もいないから。魔術師マデリンが断言するんだから間違いないわ」
「うむ、俺が信用できないことを断言するんだからあんたの目は確かだよ」
ユーニスがマデリンを裏切ることはない。他の者がマデリンに近寄れば彼らは友人としてそれを守るだろう。ならば彼女が出奔したことは不合理ではない、そこまで考えてクレオはふと考える。同じことをマデリンも考えているに違いないが、もしもそうであれば彼女はなんと不幸な才能を手に入れてしまったのだろうか。友人の考えすら見透かしてしまえることが幸福である筈がないではないか。だがクレオの考えを見透かしたマデリンはごく自然に言ってのける。
「そうでもないわ。私は私の意思でユーニスの旅に従っているだけ、それにあんたたちの単純な考えなんてロジック・ユーザーでなくても見透かすことができるもの」
「なるほどそれはもっともだな」
「でもマデリン、みんなを信用しないのはよくないわよ」
ユーニスの言葉で皆が息を吐く。すべてを見通す始まりの魔術師マデリンが庵を出た理由はただユーニスに興味を持ち彼女の友人になりたかったからである。そしてユーニスがマデリンとともに旅をしている理由はただ友人と旅をすることが楽しいからというだけだった。マデリンは彼女の能力がなくてもユーニスに従ったろうし、ユーニスはマデリンの能力など最初から気にもしていない。
あらためてクレオはユーニスの一行に顔を向ける。彼女が連れている兵士Aと呼ばれている護衛、求婚者を自称するフランシス、サクソンの若頭クレオとマーシアの老戦士エオムンド、それに森の庵を出た魔術師マデリンとキルバート、これで全員である。
「これでマーシアの領主エオメルが評判通りの奴なら、アングルとサクソンとブリトンの間に友人関係が成立するという訳か。呑気な嬢ちゃんの旅がたいそうなものだ」
「あの、これでもたいそうな旅のつもりでブリトンを出立しているのですが」
ユーニスの抗議にそいつはすまなかったと笑う。おそらくマーシアの領主はブリトンの使者とサクソンの王子にも好意的な態度を見せるだろう。あとはブリトンの内部できな臭い動きを見せている連中を抑えれば、ブリタンニアの風通しはもう少しよくなるかもしれない。かつては帝国が蛮族を従えたように、蛮族が帝国を迎え入れてブリトン人を名乗ったように、いずれは自分たちもグレート・ブリテンの民を名乗ることになるのかもしれない。
だがその前に彼らにはやることがありそうだ。幾人かは気が付いているだろう、マデリンは警告をしてくれたのだからなんとかそれを防がなければならない。もったいつけた言い回しをして、自分の正体を明かしてまで警告をしたということはマデリンが友人たちになんとかしてくれと助けを求めているということなのだ。ことは思ったよりも深刻なのかもしれない。
今はまだなるべく陽気な顔をして娘たち二人に笑ってみせる。事態が無事に解決するのであれば、誰が泣く必要もないし深刻な顔をする必要もない筈なのだ。