其乃六.英雄、梟雄、奸雄


 三国志の世界で戦場の華といえばまず一騎打ちの場面が思い浮かぶかもしれないが、実のところこの時代で一騎打ちを演じた武将なんてほとんどいないのが実情だった。武将とは戦士ではなく指揮官のことだから当然ではあるのだが、中には数少ない例外もいて一人がリョフ(呂布)であり一人がソンサク(孫策)である。父ソンケン(孫堅)が死んだ後、ソンサクはエンジュツ(袁術)から兵を借りると周辺の野盗や群雄の攻略に乗り出していたが父から受け継いだ彼の武勇と名望を頼って多くの人が集まるとあっという間に千人の兵が五千人にも増えたという。
 後の揚子江となる長江の流域を次々と平らげながら進軍するソンサクは昔の英雄項羽になぞらえて「小覇王」と呼ばれたが、それだけ危険な人物という意味でもあるので必ずしも褒め言葉とは言い難い。父に従った猛者たちも若君を助けると景気よく城や砦を落としていくが、ソンサクは敵には遠慮も容赦もなく会談の場で戟を投げつけて殺してしまう粗暴さがあった一方で、自分が認めた相手には信義を守って疑おうとすらしなかった。彼と一騎打ちを演じた武将を捕らえるとすぐに自由にして散り散りになった部下を集めに行くのを許したほどで、誰もが彼は戻らないと思ったがソンサクは疑いもしなかったという。
 やがてエンジュツが皇帝を自称するようになると離反したソンサクは独立を宣言、飼い犬に手を咬まれたエンジュツだがこの強すぎる犬を退治できる者は彼の犬小屋にはいなかった。自称皇帝を裏切ることにしたソンサクは本物の皇帝を擁するソウソウ(曹操)とよしみを結ぼうとするが、それよりもいっそ逆臣ソウソウから皇帝をお救いしたほうが早いと思いなおして北進を考える。だがこれが実現する前に一人で狩りをしていたところを以前彼が殺した群雄の残党に襲われてあっさり死んでしまった。享年わずか二十六歳の出来事である。
 ソンサクは父に似た英雄であると同時に父に似た野獣のような人物でもあったから、会談相手をいきなり切り殺したり手を組もうとした相手の留守を襲ったり野蛮で短慮なエピソードにも事欠かない。だからこそ破竹の勢いで勝ち続けることもできたのだろうが、彼のような男はけっきょく小物に殺されるでしょうとソウソウの幕僚に予言された通り最期はあっけない死を迎えている。覇王と呼ばれた項羽は勇に奢ったあげく大軍に追われて壮絶な死を遂げていたが、勇に奢ったあげく軽はずみに死んだソンサクはやはり小覇王ではあるのだろう。

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 ところで漢王朝の衰退はもはや上にも下にも隠すことなどできない有り様になっていた。なにしろ都も宮殿も今は廃墟、皇帝が従えるのは野盗くずれのやくざ者ばかりで国の印綬たる玉璽すら混乱の中でなくしていたから詔すら作れない。物語では廃墟になった都で玉璽を見つけたソンケンがこれをこっそり持ち帰ると、ソンサクが兵士を借りるカタにエンジュツに差し出したものを後にソウソウが手に入れたとあるが実際には玉璽が失われて後の行方は判然とはしない。宦官誅殺のどさくさにエンジュツが手に入れたのかもしれないが、彫られている銘が異なるという記述もあるくらいだから模造品がいくつも作られても不思議はない。
 玉璽の模造品が作られたように、この時代は新しく皇帝を自称する人が何人も現れるが「偽帝」という残念な呼び名を与えられたのはエンジュツだけである。もともと長安から皇帝が逃げたときにもそれじゃあ自分が皇帝になるよと言い出して、このときは部下たちが必死になって止めるとそんなことよりも逃げた皇帝を手に入れるのが先ですぞともっともな助言をされている。実のところ国の統治があまりにもひどいから自分が国を興そうというのはけっしておかしな話ではないのだが、ちょっとした問題があるとすればエンジュツの統治もあまりにもひどくて諸侯からも兵士からも民衆からも嫌われていたことだった。
 結局皇帝はソウソウを頼り、あらためてエンジュツは皇帝を名乗ると漢帝国に代わる仲王朝を創設する。とある予言書に「漢に代わる者は当塗高だ」と書かれていて、術という漢字には塗と同じ意味があるというのが彼の言い分だが正月の宴席のさなかとはいえこじつけが過ぎるようには思えてしまう。とはいえ世襲でなく皇帝を名乗るなら理由なんてこじつけるしかないのだから、あとはエンジュツに人を納得させる実力と人望があればたぶん文句は出なかっただろう。だがエンジュツは名門貴族の嫡子として従兄の悪口をふれ回り、戦争は他人に任せて勝てば金も名誉も独り占め、領地では重税を取り立てて自分と家族の豪奢な生活を支える浪費を厭わないような人だったから周囲には文句が湧き出した。
 新皇帝エンジュツの即位を宣言しためでたい席には祝辞ではなくたしなめる声が上がり、列席していたソンサクもこれ幸いとばかり離反と独立を宣言してしまう。目の前で最強の番犬に逃げられたエンジュツはリョフに縁談を持ちかけるがそっぽを向かれたのは知っての通り、軍勢を向けるも部下の寝返りが相次いで大敗した。隣国の領主を暗殺してなんとか糊口をしのいだが、ソウソウに攻められるとやっぱり壊滅的な被害を受けてしまい、敗北と飢饉に追い詰められてとうとう憎き従兄エンショウ(袁紹)に帝位を差し出しますと嘆願する。エンショウは別にそんなものは欲しくないが見捨てるのも忍びないと、迎えが送られるがこれすらリュウビ(劉備)に邪魔されて頓挫してしまうと気落ちした偽帝は血を吐いて死んでしまった。のどを潤すために蜂蜜の入った水を求めたが「血の水はございます。蜜の水はございません」と返されたという挿話が残っている。
 こうして即位と同時に気の毒なほどの凋落ぶりを見せて短命に終わった仲王朝だが、エンジュツが皇帝を名乗ったのがそんなにいけないのかといえば決してそんなことはないだろう。何しろ彼は皇帝を名乗らなくてもたぶん似たような結末になっていただろうと思われるのだから。

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 この頃、皇帝を迎えていたソウソウは大将軍に任官されるがこれを辞退してエンショウに地位を譲っている。これによって形式ではエンショウがソウソウの上司になるのだが、ソウソウの手元には皇帝がいるのだから上司も部下も関係ないしエンショウにすれば大将軍が皇帝に逆らうわけにいかないから上手い手だというしかない。ちなみに長安から皇帝を守ってきた、と自分では思っていたトウショウ(董承)は娘が皇帝の側室だったから国舅とでもいうべき立場だが、次第に強大化するソウソウの専横を恐れて暗殺を図るも発覚して処刑されていた。懐妊した娘も一緒に処刑されていたから後代ソウソウの残酷さを示すエピソードの一つに数えられている。
 さてここで国舅トウショウの事績を振り返ってみよう。もともとはトウタク(董卓)の部下に仕えていた一兵士で、トウタクに従い出世した後は混乱する長安での権力争いを演じた一人である。彼らの中で皇帝は旨味の抜けたニワトリのあばら骨のようなものだったが、それでいて捨てるには惜しく手放そうとしてはやっぱりよこせと奪い合っていた。結局皇帝を連れて廃墟の洛陽に向かうことになったトウショウだが、かつての仲間、今は山賊に追いかけられると船べりにすがりつく仲間の手指を刀で切り落としてようやく都にたどり着いたときには随行わずか数十人になっていた。更にその数十人の中でも派閥争いが起きたからトウショウはこっそりソウソウを呼ぶと彼以外の全員を追い払うことに成功した。正式に爵位も将軍職も与えられて長安組では彼一人が生き残ったというわけだ。
 だがこんな人物が最終的にはソウソウを追い落とそうとしないはずがなく暗殺を考えたのも当然だろう。物語では憂国の義士のように描かれているトウショウだが実際はただのやくざ者で、この性格では孫が生まれたら今度は皇帝が邪魔になって追い落とそうとしたにちがいない。ソウソウが彼の娘を殺したのも残酷ではあるのだが外戚と宦官にさんざ悩まされた後漢の宮廷で皇帝の舅が反逆してその娘を生かしておけるはずがないのである。

 玉の宮居の春の夢、
 夢にやどせし貴の御子、
 夢から夢の、あの世にぞ、
 この身もろとも!

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