5月〜春の大遠足〜
埼玉県知事である岡田ダメ男は、かねてより宿敵千葉県の目玉、東洋一の巨大遊園地を大いに意識していました。彼は千葉、埼玉の争いにピリオドを打つため、世界一の遊園地を建設する計画を立てたのです。それが県知事から国会議員という栄光への道の第一歩である、と彼は確信していました。そこで彼は建設予定地の大地主である「三月伸一」氏に土地を提供するように依頼しましたが、いくら金を積んでも三月氏は首を縦に振りません。業を煮やした岡田は殺し屋を雇い、三月氏を自殺に見せかけて始末してしまいました。
こうして100万平方メートルの土地は岡田の計画通り巨大遊園地「デゼニランド」に利用されます。埼玉県の誇りであるデゼニランドは大人気を博し、千葉県民、東京都民を始め、誰も埼玉をダサイとは言わなくなりました。岡田はもうけた金でデゼニランドの隣にホテル「エンペラー埼玉」を建てようと工事を始めたところ、江戸時代のものと思われる箱が出土します。その箱には三月家い代々伝わる「三月磨臼」と呼ばれる純金の臼のありかを示す地図が納められていました。岡田は、さっそく三月磨臼を掘り出すとデゼニランド内に隠します。
ですが、その岡田も三月氏暗殺を依頼した殺し屋に殺されてしまいました。三月氏は死の前に殺し屋に三月磨臼を手に入れたものを殺すように依頼していたのです。
その後、この殺し屋をはじめ、ウワサを聞いた多くの人間が三月磨臼を求めてデゼニランドに入りましたが、岡田のワナにはまり、誰ひとり生きて返っては来ませんでした。果たしてあなたは「三月磨臼」を探し出すことができるでしょうか、それとも、他の人と同じ運命をたどるのでしょうか。
「・・・これだ」
東京湾埋立地、東京コーヤクランドにある私立バスキア学園高等学校。かつて東京都市博が中止となったときに、残された膨大な開発予定地域の一部を第三セクターごと買い上げ、その地に建設された学園で、謎の校長ミスター・ホワイトは彼の学園と生徒のオモシロイ未来に思いを馳せています。その彼にして逸材が揃っている、と思わずにはいられない今年の新入生たちはその日、明日野湖周辺へ春の大遠足に向かっていました。彼らの学園生活を想像力に満ちた、不必要なほどに豊かなものにするべく彼は日夜苦闘を続けているのです。
東京都近郊にある、明日野湖から苫ヶ岳に到る道のり。私立バスキア学園高等学校春の大遠足の一行は、高速バスに揺られて湖のほとりに下ろされるとそこで一時解散を告げられます。コースは生徒自身が決めるものであり、彼らは決められた夕刻の時間までに明日野湖から苫ヶ岳を越えたところにある宿に着くことと、その中で活動した成果によって単位が与えられることだけが定められていました。決められた目的を果たすために活動する能力というものは、社会に出れば当然のように求められる能力なのですから。
「ほ〜らみんな、自然を好きなだけ満喫してらっしゃい」
穏やかな顔で言うと黒髪黒目の少女、佐藤愛(さとう・あい)は彼女の大切なペットたちを解き放ちました。カラスや毒蛇、サソリに犬猫が楽しげに湖のほとりを駆けまわる様子に、周囲はほがらかな阿鼻叫喚につつまれています。時刻はまだ午前中、昼すぎまでに湖をまわり、午後に苫ヶ岳を登れば宿までそれほど厳しい道のりではありません。開放感に浸っている愛の背後から、厳しげな声がかけられました。
「そこなお嬢様、ペットを連れ歩くときはヒモや鎖でつなぐべきですぞ」
愛が振り向いた先に立っているのは、彼女の同級生である信濃宗一朗(しなの・そういちろう)。老人めいた古風な言い回しをする宗一朗は当年68歳の立派な老人であり、秋田県の名家である実松家の住み込み執事として昨年まで勤めていたのが、本格的に学問を追求するために暇を告げてバスキア学園に入学していました。背筋をぴんと伸ばし、悠然とした足取りですたすたと近づいてくると、愛の手首をとってゴキリとひねりあげます。
「痛たたたたたっ。何をするんですか!」
「どうにもお行儀が悪い。私が直してさしあげましょうぞ」
主人を守るべく、忠実な愛のペットたちは爪や毒の牙をむきだして宗一朗に襲いかかります。老執事も木製のステッキを握ると振り回して応戦、毒蛇リリーの牙が老体にふかぶかと刺さりますが、執事の精神でそれに耐えた宗一朗はステッキのひと突きで愛を地面に沈めます。記念すべき初戦を制した宗一朗は、若輩の同級生たちに彼の礼節を広めるべく湖畔に目を向けましたが、陽光を反射する湖面に心を奪われた次の瞬間には、するどい献花を脳天に突き立てられてどうと倒れました。
広野紫苑(ひろの・しおん)は楽しみにしていた遠足が期待どおりの晴天となり、美しくあたたかい日差しが彼女の期待以上の風景を見せてくれていることに満足していました。いつもの着物ではなく、遠足に向けた歩きやすい軽装。穏やかな湖に添える一輪の花を目に、ここで一冊の本を取り出して読むのも悪くないと彼女が考えていると、視界の片隅ではなにやら異様な騒ぎが起こっています。
「ああ・・・ポエムの朗読をしている時のあの高揚感!そしてボクを見る人々の熱い視線!」
入学一ヶ月にして、それが誰であるか聞くまでもない薔薇小路綺羅(ばらこうじ・きら)はすでに興奮してできあがっていました。外見だけは自他ともに認める美青年、遠足らしく動きやすい服装ということで、ブルマを装着した姿で自分に酔いしれている姿は、紫苑の風景になかなかそぐわないモノです。彼女は無言で切っ先をとがらせた投げ生け花を放ると、綺羅は避けるそぶりもなくこめかみに花を突き立てますがひるむ様子もありません。
「美しい湖に美しいボク、そして美しい花までボクを飾り立てるというのか!」
その言葉に、自分の美的感覚を侮辱されたような気がした紫苑は必要以上にするどい花先をぶんぶん投げつけると、針山のように花を突き立てた綺羅はその数がちょうど20本に達したところでようやくどうと倒れました。はあはあと肩で息をしていた紫苑は、ようやく心を落ちつけると頭の上に乗せた帽子を直して、静かになった湖の風景を愛でるべく手近なベンチに腰を下ろします。
明日野湖をぐるり取り囲んでいる遊歩道、おだやかな湖畔を藤原マヤ(ふじわら・まや)は愛用のラケットを背負って、軽快にジョギングしていました。外見も内面もボーイッシュなスポーツ少女、日々、コーチ直々の厳しい訓練を受けている彼女にとって基礎練習は欠かせません。たとえ高校生にもなって遠足で、たとえ高校生にもなっておやつが300円までであろうとも、それを理由に練習をさぼることはできないのです。
「あれ?キミは確か・・・えーと、誰クンだったっけ?」
「いや、いいんだ別に・・・」
同級の女生徒からのなんとも残酷な挨拶を受けて、龍波吹雪(たつなみ・ふぶき)は肩を落としました。年齢相応に不健全さを持っている空手青年としては、あまりに無体なバスキア学園サバイバル修学制度には未だ完全に馴染みきれていないもの、でなければ単位が取れないとあればそうも言ってはいられません。例外こそあれ基本的には、生徒同士で同じ課題を達成することを認めない、という一種ふざけた制度のおかげで、遠足先での研究課題でさえ単位とすることもできるし、それを奪うことだってできるのです。その場所が明日野湖自然研究路の一画にあたり、多くの水棲植物が植えられている場所であることを吹雪は知っていましたし、マヤも吹雪の姿を見てそのことに気がつきました。
無言で足をそろえ、間合いを図る二人。と、マヤの足が一瞬ふかく沈み込むと「RR」と書かれた秘密のラケットが思いきりフルスイングされます。ばこんといい音がして、頭を抑える吹雪。
「もらった!食らえ、サイドワイ・・・」
そう言って必殺ボールを手にしたところで、吹雪はふところからトランペットを取り出します。龍波荒神流と呼ばれる空手道の奥義、シャネルズの桑野信義ばりにトランペットを構えると、
「ぱぷー♪」
その一撃でマヤはぶっ飛ばされてしまいました。どのやらこの気がふれた学園の流儀を把握しつつある吹雪、なるほど御無体な技や攻撃であっても相手を倒しさえすればそれで良いらしい。と思った瞬間、自然研究路の芦原を突き抜けて一人の少女がずぶぬれの姿を現します。
「海人(うみんちゅ)は湖ごときものともしないのデス!」
そう言って現れた今帰仁シュリ(なきじん・しゅり)は沖縄出身、アメリカ人ハーフの看護婦志望、今は水もしたたりまくるいい娘でした。どうも湖を泳いでショートカットを図ったらしいのだが、それにどのような意味があるかは定かではありません。よくぞそれを担ぎながら泳いできたものだ、と思わせる巨大な注射器を構えると、おもむろに鋭い針先を吹雪に突き立てます。
「静脈注射デス!」
その確かにDEATHと呼ぶに相応しい一撃によって、あと一歩をあっちの線に踏み出せなかった吹雪はかなりよくない顔色になってくずおれます。看護婦の鑑となるべく、シュリの手厚い看護を受けたことが彼にとって幸運であったかどうかは分かりません。
ところで今帰仁シュリには、というか今帰仁シュリのプレイヤーは馬が好きでしたがこの場合は関係ありません。ですが、馬といえば私立バスキア学園には自称テキサスのカウボーイがいました。明日野湖周辺、地元の資料館がある一画で、言わずと知れた藤野牧男(ふじの・まきお)はお気に入りのポンチョを着て、同じことを考えていたらしい伊賀の忍者娘、葵若葉(あおい・わかば)と対峙しています。
「食らえ!雨霰煙玉でござるよ、ニンニン」
「もいっちょ煙玉でござるよ、ニンニン」
「更に煙玉でござるよ、ニンニン」
小動物のように走り回って底抜けに元気、しかも粗忽者といういささかアレな若葉がひっきりなしに投げつける煙玉から、間違えて混ざったらしいお菓子やアメ玉がばらまかれます。これはどうも彼女の遠足のおやつではないだろうか、と思われるなんだか気の毒な攻撃にも、カウボーイは動じる素振りを見せません。そう、牧男には動じる必要のない理由がありました。
「行くぜ!ディープイ%パクト!」
ヒヒーン、といういななきとともに牧男がまたがっている雄馬が突進、若葉をなぎ倒してしまいました。馬上姿のまま悠々と資料館に足を踏み入れようとする牧男を呼び止める声。
「あいや待たれい!そこな御仁、いかに勝負とはいえ人馬で二対一とはいささか不公平であろう」
同郷である伊賀の里の忍者として、若葉の理不尽な死(死んでません)を見過ごすことができない服足半蔵(はったり・はんぞう)は正義感の赴くままに馬上のカウボーイを呼び止めます。正義の覆面忍者に呼び止められた牧男は馬を返すと手綱をしっかりと握り、まったく堂々と答えました。
「カウボーイにとって馬は自分の足も同然だぜ」
「うむ、それなら仕方あるまい」
潔い牧男の態度に感服した半蔵は、倒れた若葉を介抱するとすぐに樹間へと消えていきました。疾風のように現れて疾風のように去ってゆく、その様子に若葉もまた同郷の兄のような人への尊敬を新たにします。
(でも今時頭巾姿はダサいでござるよ、兄様)
もしもこのバスキア学園のサバイバル修学制度に違和感を感じていない生徒がいたとしても、それは桐生美和(きりゅう・みわ)ではなかったでしょう。彼女は今年の新入生の中でもごく尋常な常識人の一人であり、それはとても不幸なことでした。まともな同級生が一人としていない、一人としていないかもしれない、一人としていないんじゃないかな。ちょっと覚悟はしておけと不安を感じつつもこのアレな世界になじめずにいる、自分のモラリストっぷりに辟易しなくもありません。
「だが貴女はよほどしっかりしておられますな。まるで涼子お嬢様の若い頃を見ているようですぞ」
そう言って彼女の前に立つ、信濃宗一朗にしたところで美和の健全な目にはどうにもまともな人間には見えませんでした。齢68歳にして同級生と言われて、それを当然に受け入れることができるほど彼女は大物ではありません。
「あの・・・涼子って誰ですか?」
「もちろん私がお仕えした実松玄誠様の御令嬢である。私の四つほど年下の御子であるが、聡明で気品があり礼節を弁えた、日本婦女子の鑑とも言うべきお方ですぞ。その涼子様を娘子が呼び捨てにするとは無礼千万!」
不条理にも突然怒りだした宗一朗は、固い木のステッキで美和に殴りかかります。慌てて竹製の1mものさしで受ける美和、伊達に彼女も剣道を嗜んでいるわけではありませんが、叶うことなら彼女は学生生活でこんな技術を役立てたくはないのです。一方で、敬愛する涼子お嬢様を侮辱された宗一朗は正義の怒りに燃えて、貧弱なものさしを弾きとばしてしまうと厳しく打ち据えて無礼な娘を追い払いました。
「お嬢様!宗一朗はやりましたぞおお!」
軽く頭を抑えながら、色々なものに疑問を感じつつ退散する美和は、湖の畔に知った顔を見て気を取り直します。広野紫苑は湖というよりそこに隣接する洋館を見上げて、この場所にこの建物を建てた人間の豊かな想像力を心の中で褒め称えていました。明日野湖周辺は日本が開国してより、横浜から入国する外国人が療養する地域の一つとして知られており、あちらこちらにそうした外国人が滞在するための施設が点在しているのです。
「あら、桐生先輩お元気ですか?」
「あのね・・・先輩呼ばわりするのはマヤだけで充分よ」
「うふふ。冗談ですよ、美和さん」
ころころと笑う紫苑の姿に、美和は多少安堵の表情になります。この娘も決して尋常な存在とは言えませんが、どこぞの美しいポエマーや老執事に比べればずいぶん真人間に近い存在といえようものでしょう。何しろ同年に忍者が二人もいる学園というのは聞いたことがない、と美和が言おうとしたところで、彼女たちの視界にはその忍者が果たし合いをしようとしている様が目に入りました。ひとめで分かる頭巾に覆面の忍者装束に身を包んだ服足半蔵の前には、どことなく風来坊な、渡世人風味の青年の姿があります。
「お主、なかなかできるな」
「これでもニッポンじゃあ二番目の床屋でさあ」
ちっちっち、と人差し指をゆっくりと振って。そう言ったのはカミソリ斬七朗こと三崎斬七朗(みさき・ざんしちろう)。かつて日本一の男に敗れ、その借りを返すべく日々腕を磨いているという床屋道一直線の青年です。二人のできる男同士の対峙がただで終わる筈もなく、ゆっくりと間合いをうかがうと刹那、斬七朗愛用のかみそり「耳なし」が閃きます。
「芸術は散髪ですぜ!旦那」
「うぬ!」
必殺の二連眉落としを覆面一枚でかわすと、意外に端正と呼ばれる顔を一瞬だけ見せた半蔵は後ろにひと跳び、開いた両腕を空に突き上げました。
「かーーーーみーーーかーーーぜーーーー!!」
よく響く三ツ矢雄二の声につづいて、ファンファーレと淫らなサックスの音色があたりに鳴り響きます。半蔵の頭上に発生した赤桃色の稲妻が旋風とともに斬七朗に襲いかかりました。半蔵必殺超電磁神風の術を受けて、斬七朗はしばらく立ち尽くした後、ゆっくりと前のめりに倒れます。その威力はすさまじいものでしたが、何故かこの術は女性に使ってはならぬとかいや女性に使う術であるとか、そのように里では言われていた理由が半蔵にはどうも分かりません。
「男子たる者、婦女子を護るべきという事であろう」
とりあえず自分を納得させることにしました。
明日野湖をひとめぐりして昼を過ごし、午後からは苫ヶ岳を登る登山コースへと入ります。明日野湖を渡り、さっそく一単位を取って意気揚々としている今帰仁シュリ。見かけによらず体力のある彼女にしてみれば、この程度の急坂でも坂のうちには入りませんでした。
「ナイチンゲールは戦場でも湖でも山でもひとっとびなのデス!」
足取りも軽く、山坂を登るシュリの頭上が少しかげると、太陽光線を遮った黒羽根のカラスが頭上を旋回しました。獲物が屍となるそのときを待つように、周囲には殺気を帯びた獣の気配が満ちていきます。シュリの野生の勘は寸前で危険を察知し、身をひるがえすと一瞬前まで彼女がいた場所に、サソリの毒針が空を切りました。
「あらあらみんな、おとなしくしてないと駄目よお」
にこやかな声で、彼女にとっては可愛らしいペットたちをなだめる佐藤愛。次の瞬間には不自然にヨダレを垂らした黒犬レオンが飛び出すとシュリに襲いかかりますが、シュリはステップしてこれもかわすと大力無双の検温パンチ。きゃいんと声をあげてレオンが一歩を引くと、主人が信頼するカラスのジョンが急降下。これに猫のミーコが絶妙な連携で研ぎすまされた鉤爪を立てて、次々と愛のペットたちが群がるとシュリをホラー映画の犠牲者に仕立てあげました。とどめは最初の一撃をかわされていた、サソリのアイの一撃。
「・・・DEATH」
「みんな、ちゃんとおあずけをしなさいね」
いくら高校生といえども登りの急坂ともなれば、体力のない者には決して楽な道ではなかったでしょう。まして老人の足であればなお気がかりなところでしたが、少なくとも息を切って苦労している紫苑の目には、自分の4倍以上も人生を閲している筈の信濃宗一朗が疲れた素振りはまるで見えませんでした。
「健康で健脚でなければ執事の激務は務まりませんぞ」
「それはお見それしましたわ」
胸を反らしている宗一朗に、紫苑は遠くから投げ生け花の切っ先を閃かせると見事、眉間にアイスランドポピーの花が突き立ちます。枯れ枝のような老執事はそのまま周囲の枝木に溶け込むかのように、茂みに横たわりました。
「・・・花言葉は、いたわり」
ひなげし、虞美人草とも呼ばれるポピーはかつて項羽と劉邦の最後の戦いで、項羽が愛する虞妃とともに劉邦の大軍に包囲されたときに別れの宴を開いてから自刃して果てた虞妃の側に咲いたといわれる美しい花でした。きっと宗一朗の屍(死んでません)も虞美人ほどではなくとも美しく飾り立てられるのでしょう。
苫ヶ岳も山頂が近づくにつれて、視界は開けて周囲は丈の短い草と小さな石や岩でおおわれ、高地の空気が汗ばんだ肌を心地よく乾かします。その時、山頂への歩みを並べていたのは愛用のかみそり「耳なし」を手にしたカミソリ斬七朗、トランペットを手に力強く足を踏み出す龍波吹雪、そして雄馬にまたがっているカウボーイの三人でした。男が三人、山頂への道を歩むのであればその心中は一つ、誰が最初に登頂を果たす栄誉を手に入れるかというそれ以外にはありえません。横に一列で並んで歩く二人と一人&馬の歩調が少しずつ早く、激しくなりやがて彼らは駆け出します。
「龍波式・・・打突!」
まず最初に倒すべきは、最も恐るべき者でした。一歩を踏み出した吹雪は併走する馬の横腹に向けて力強い空手の突きを打ち込みます。動物愛護精神にもとる一撃は、馬上の牧男をカウボーイからロデオの騎手に変えると、激しくいなないて立ち上がる馬上から振り落とされます。山坂をごろごろを転がり落ちる牧男を後目にする吹雪ですが、今の攻防で斬七朗に貴重な時間を与えました。
「切りそろえてあげやすぜ!旦那!」
ひゅん、と閃くかみそりの一閃。バックステップした吹雪の前髪が数本、宙に舞いますがその動きは斬七朗に山頂への道を開くものです。勝利を確信した笑みを浮かべると、振り向いて駆け出す斬七朗に吹雪は奥の手のトランペットを取り出しました。
がっ。
ためらいもせず、吹雪の手を離れたトランペットは、正確なコントロールで放物線を描き斬七朗の脳天を直撃します。吹雪はゆうゆうと追いつくと、少し曲がったトランペットを拾いあげてから山頂にある標識の前に立ち、広々とした風景に視線をひとめぐりさせると勝利の楽を吹き鳴らしました。
「ぱぷー♪」
晴天に恵まれた苫ヶ岳の山頂で、気分よくトランペットを吹き鳴らしている吹雪。ぱぷぱぷという呑気な音色が山に響きわたり、自分はさぞ絵になっていることだろうと吹雪は満足しています。勝利とはそれに相応しい報償をもたらすものであり、山頂に立つことは山において男の報償であるのですから。
その吹雪の背をがっしと羽交い締めにすると、半蔵は得意の稲妻落としで飛び上がって脳天から逆さに落とします。半蔵の美意識に沿っていえば、山や木のてっぺんに立ち、布を風にはためかせる姿は忍者の見せ場であるべきでした。覆面姿の半蔵はかかとを揃えて山頂にある標識の上に立つと、頭巾から伸びた布がばたばたと風になびきます。
山頂を越えれば後は下りが多くなり、学生たちの心も宿で待ち受ける楽しみへと移り変わっていくようになります。ですが、この大遠足もまたサバイバル修学制度の対象というのであれば、それは貴重な単位を得る機会でもありおざなりに過ごすことは許されません。山頂に一人立つ栄誉を惜しくも奪われた斬七朗もまた、学園の単位を得て床屋の腕を磨くためにも戦いを避けることは許されないのです。彼の視線の先には、山腹の休憩所で行われるという詩の朗読会を待ちきれず、すでに始まってしまっている綺羅の姿がありました。
「ああ!あの熱い視線、あの熱い視線が・・・あの犯すような目で見られていないとボクは!」
斬七朗は日本で二番目の床屋でしたが、目の前にいるブルマ姿の男はきっと何かが一番目に違いありません。彼は愛用のかみそり「耳そぎ」を取り出すと、綺羅を整然と切りそろえるべく刃を振るいます。流れるような動きで綺羅の毛先が切りそろえられ、綺羅は自分の姿が美しく加工されていく様にまるで北斗有情破顔拳を受けたかのように恍惚の表情を浮かべていました。そして自慢のカミソリで必殺二連眉落としを狙い手首をひるがえした瞬間、綺羅は斬七朗の手をとると詩の朗読を始めます。
こんな夜更けに風吹く中を
馬をとばして行くのは誰だ
馬には父が子供をしっかり
大事にかかえて 乗っているのだ
「どうして怯えて顔をかくすのだ」
「父さん 魔王が見えないの? あの冠とあの長い裾」
「なんでもないよ 霧のながれだ」
「いい子じゃ おいで わしといっしょに
たのしい遊戯をしてしんぜよう
きれいな花は岸辺にあふれ 家には金の着物がどっさり」
「父さん 父さん 聞こえないのかい?
魔王が小声でぼくに言うのが」
「落ち着くんだよ なんでもないよ
枯れ葉にざわつく風の音だよ」
「いい子じゃ 行こう わしといっしょに
うちの娘によく世話させる
娘ら夜ごと音頭をとって 歌や踊りで寝かせてくれる」
「父さん 父さん 見えないのかい?
あそこのかげに魔王の娘が」
「見えるよ おまえ よく見えるとも
古い柳がひかってるんだよ」
「かわいい子供じゃ きれいな子供じゃ
いやというなら 無理に連れて行く」
「父さん 父さん 魔王がぼくに
つかみかかって乱暴するんだ」
父はふるえて馬を駆りたて うめく子供をしっかり抱え
やっとのことで家にもどった
そして斬七朗の耳もとに息をかけると、そっと囁きます。
「・・・腕のわが子はもう死んでいた」
すでにいってしまった綺羅と立ち直れずにいる斬七朗を残して、学生たちは苫ヶ岳を下る道を歩みます。あとは宿に待っているであろう、夕食なりお風呂に一番乗りを果たすべく下り坂を疾走していたのは若葉でした。湖の上であれば水蜘蛛を履いて走り、山に来てからも木の上を平気でとびまわる彼女は確かに忍者だけのことはありましたが、下り坂であれば道なりに加速をつけて走る楽しさを捨てることはできません。自分の足が止まらなくなるスリルに小さな身体を高揚させて、文字どおり風のように駈けていきます。
「くるぞ、くるぞ、くるぞ、くるぞ。手ぇごわいーでござるよー」
そう口ずさんでいる若葉の左右、山道沿いの木々の隙間には併走する黒犬や追ってくるカラスの姿がちらほらと見られました。囲まれたと若葉が気づいた瞬間、視線の先、道の向こうにいた愛が彼女のペットたちに声をかけます。
「みなさ〜ん、食事の時間ですよ〜」
そう告げる愛の手には確かに、犬猫や連れてきたペット用の餌が抱えられていましたが、動物たちは併走する若葉もごちそうの一部と見なしたのか牙をむき出して襲いかかります。まとわりつく黒い煙のような獣たちに囲まれて、若葉の姿が一瞬、見えなくなりますがそれは彼女が胃袋に消えたからではなく、更に加速をしたためでした。落ちこぼれ忍者を自認する若葉でしたが、逃げ足だけは誰にも負けない自信があるのです。
「雨霰煙玉でござる!ニンニン」
そして動物たちを煙に巻くべく、放った煙玉と間違えて混ざった午後のお菓子はどちらも空腹の獣たちを足止めすることに成功します。そのまま突進、ペットたちを待つ愛ごと飛び越えて先に行こうとしますが、すんでのところで石につまづくと転げ落ちかかりました。
「にゃっ!?」
「きゃあ!?」
奇妙な叫び声をあげて、頭上から落ちてきた若葉は愛を下敷きにすると周囲には土ぼこりが立ちこめ、しばらくして治まりました。全身をいつものすり傷だらけにして、若葉はそれでも元気よくぴょんと立ち上がります。あるいはお尻の下敷きにされた、不幸な愛がクッション代わりになってくれたのかもしれません。
「えーと、えーと・・・忍法!落下式体当たり!の術!」
とりあえずそう叫ぶと、再び走りはじめました。すべろうが転がろうが気にした風もなく、忍者は軽快に走ります。やはりこの期に及んでくると、せっかくなので宿への一番乗りを果たしたいところした。
「ゆけよ、ゆけよ、ゆけよ、ゆけよ。負ぁけるなーよー!」
そう口ずさんで走る若葉の左右、今度は黄色く丸いボールが飛来すると、彼女の足元につぎつぎと着弾しては激しく弾みます。新たな追手に彼女が気づき、振り向くと走りながら追ってくるのは藤原マヤでした。スピードではもちろん、若葉にかなわないとはいえ時折打ち込まれる強烈なスマッシュは正確に若葉の足元に着弾し、避けながら逃げるために振り切ることができません。それでも快速で逃げる若葉にマヤは立ち止まると、今度はサービスで投げ上げたボールを思いきり打ち込みました。
「サァイド・ワインダー!」
先ほど、明日野湖畔で吹雪には防がれた一撃です。「RR」と書かれた秘密のラケットから繰り出されたボールは重く、力強い軌跡を描いて若葉に襲いかかりました。鎌首をもたげる蛇のように、横にとんだ若葉に向かって軌道を曲げると頭に直撃します。うにゃあという悲鳴をあげて、若葉はそのままコースアウトすると茂みに転がり落ちていきました。
「よーしっ。これで一番乗り!」
にこやかな笑顔で、元気よく跳ねるマヤ。到着一番乗りと宿での一番風呂の権利を意外なところで手に入れます。意気揚々と到着、クールダウンのために少し宿の前で歩調を整えていたところに、続いて歩いてきたのは桐生美和でした。やはり意外な生徒の二番手到着に、マヤは驚きと嬉しさが混ざった声をあげます。
「先輩!早いね」
「あんまり妙な目には・・・えーと、合わずにすんだからね」
微妙に言葉を濁している美和の言葉に、どこか違和感があったとしてもマヤは気づくことができませんでした。彼女が気づいたのはもう少し別のことです。
「あれ?先輩いつもの1mものさしはどうしたの?」
「ああ、あれ折れちゃったのよ。そう、もったいないわね」
やっぱり微妙に言葉を濁している美和が手にしていたのは、いつもの竹製のものさしではなく、とても固くて握りごこちのよさそうな木の棒でした。きっと山を歩くための杖にしたのでしょう。美和は少ししみのついた棒をそこらに立てかけると、マヤと一緒に宿へ入ります。
その日、私立バスキア学園春の大遠足で最後に宿にたどりついたのは老齢が堪えたのであろう、撲打のあとも生々しい信濃宗一朗となりました。
「お嬢様ぁ・・・この宗一朗、負けませぬぞぉ」
† つづく †
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