8月〜サマースクール〜
千葉県我孫子市にある手賀沼のそばちかく、そこにホワイト・デーモン・ファクトリーことWDF社の研究施設が建てられていることは周知の事実になっています。規模は小さいながらも人型汎用工作機械をすら製造する技術力を持ち「ゆりかごから乳母車まで」をモットーに幅広い事業を手がける謎の企業として知られていました。そしてその潤沢な資金によって運営されている、東京湾埋立地にある東京コーヤクランドに建てられた巨大な学園施設こそ、私立バスキア学園だったのです。
「しかし何故里からこのような任務が・・・いや、忍びたるもの主君の言葉に疑問を持つべきではあるまい」
黒装束に身を包み、つぶやいているのは今回本編を欠場となる服足半蔵(はったり・はんぞう)です。次回の参加を楽しみにしつつ今回は伊賀の里から密書を受けて、WDF社に潜入を試みている最中でした。一見して何の変哲もないプレハブ製の建物、ですがネオ・コウベシティにあるOLEEN病院のようにそこには広大な地下施設が設けられていたのです。
新月の闇に隠れて屋根から屋根へ飛びまわり、窓枠に設けられている赤外線を避けて槍ぶすまや落とし穴といった罠をかわした半蔵は、物音一つたてずに地下へと続く階段に足を踏み入れます。ですが、その様子が複数台の暗視カメラによって捕らえられていたことに彼は気がつきませんでした。
東京コーヤクランドの別名で知られている東京湾埋立地にある、御台場の地に設けられた私立バスキア学園高等学校。学期末の試験も終わり、夏を迎えた休みの季節に学生たちは予定されているサマースクールへの期待をふくらませていましたが、成績の振るわなかった一部の生徒はきたるべき補習に向けて不安を抱いています。
「強くあれ」を標榜する絶対実力主義をうたうバスキア学園で、いったいどのような補習が行われるものか彼らにも想像がつかずにいました。かつて補習を受けたことのあるという先輩生徒に尋ねても、彼らは一様に口を閉ざしてその恐ろしきを語ろうとはしません。一人などは補習の言葉を聞いたとたんにガルルルと恐慌を来たし、野生児ハリマオのようにチョコレートを与えなければ収まらなかったほどでした。
「まあ、なるようになりまさぁ」
「何をやらされるのかなあ・・・」
泰然と構えているカミソリ斬七朗(かみそり・ざんしちろう)の横で、不安げに星裏香陽(ほしうら・こうひ)はつぶやきます。先月、この学園に転入したばかりの香陽はジャニーズ系美少年という表現が似合う爽やかな顔にどこか納得のいかない表情を浮かべながらも、学生寮の前で小さな荷物を担いでいます。
実家の喫茶店が不況でつぶれて、大阪から転校してきたばかりの少年にとって、単位が足りずに補習に呼ばれることはいたしかたのないところだったでしょう。彼らの視界にはバスキア学園の広大な敷地を近付いてくるシャトルバスが見えていましたが、厚い鉄板が打ち付けられた車体はすべての窓が鉄格子で塞がれており、その事実が少年の不安に不必要なほどの確信を与えていました。
数十分ほどバスに揺られた後、彼らが連れて行かれた先はしごくまっとうに見える研修施設の中でした。安堵とともにいささか拍子抜けした香陽たちは周囲に目をやりながら、建物の奥へと案内されていきます。あらかじめ動きやすい格好に着かえておくようにと言われていた少年はアルバイト先の制服である蝶ネクタイを結んだ半袖シャツに、黒いスラックスとエプロンを身につけていました。隣りにいる斬七朗はやはりいつもの床屋スタイルをしていますが、床屋道を極めるべく日々鍛錬に励んでいる彼がこれ以外の格好をしているのを香陽は見たことがありません。
暗がりの通路を生徒たちは一列になって歩かされますが、左右に立ち並ぶ石の灯篭や壁面にびっしりと刻まれている漢文が彼らの警戒心を煽ります。そこに何が書いてあるか、生徒たちはほとんど分かりませんでしたが修行のために諸国を旅していた斬七朗が辛うじて一部を読み解いたところでは、六道輪廻や仏の教えにまつわる知識が書かれているとのことでした。やがて通路は終わり、突き当たりにある重い扉を開いた先には広い空間と、その中央に立つ一人の男の姿がありました。
「我名は大威震八連補習講師、白大人!此時汝等を冥府魔道八竜道へ先導する!」
講堂めいて見える広い部屋で、彼らを待っていたのはラーメンのドンブリのような模様を頭に彫り込んだ、なまず髭の男でした。白い王大人(ホワイト・ターレン)と名乗るその人物はバスキア学園で漢文を教えている講師らしく、今回彼らの補習を担当しています。大威震八連補習(だいいしんぱーれんほしゅう)と呼ばれるバスキア学園の補習制度は八つの課目に分かれており、すべてをくぐりぬけた者には単位が与えられるとのことでした。
補習は後に向かうごとに過酷さを増し、最もよい成績を上げた一人には特別に他より多くの単位を与えることも告げられます。サバイバル修学制度を標榜する、バスキア学園にふさわしい方法といえるでしょう。国籍不問、能力主義、新進気鋭をうたい、実力ある者がそれに見合ったものを勝ち取るのがこの学園の本文であるのです。
「面白れぇ!全力でぶつかるのみ、それが男塾魂よ!」
威勢よく叫んだのは龍波吹雪(たつなみ・ふぶき)です。龍波荒神流空手の跡取りである少年は古い伝統に捕らわれない性格をしていましたが、最近見たという何かのアニメDVDには思いきり捕らわれてしまったらしく、素肌に長ランと呼ばれる改造学生服、そして背中には日本刀という男塾スタイルで補習に挑んでいました。
前日は寝る間も惜しんで九九とローマ字の練習に励み、油風呂で心身も鍛えており補習に挑む準備は万端、整っています。ですが、大威震八連補習の過酷さはそんな吹雪の男塾魂をすらはるかに越えるものでした。
数時間後、講堂には魂を抜き取られた生徒たちの屍(死んでません)が横たわっています。彼らは吹雪たちと同様に補習を受けさせられていた生徒たちですが、比喩的表現を用いれば叩きのばされたり足からごしごしとやられたり、たいらになってはりついたりしても風が吹くともとにもどってしまうのです。そしてやはり比喩的表現を用いれば、うおーという縮んでしまうような声の中でぐらぐら沸いた油やすごいやけ石、なまりの熱湯や火の川を渡らなければいけません。誰かが思う地獄の表現があるのであれば、ここがまさにそうであり、ふつうの者の想像を絶しているのは当然なのです。
「ありがとう・・・ございましたぁ」
そんな中でもあくまで比喩的表現で、せぼねがおれるほどの惨劇に遭いながら香陽が補習成績トップに至った理由といえば、当人も含めて誰も思い出すことを拒む記憶の中では判然とはしません。あるいは次席での補習通過が床屋道を追う斬七朗であったことを思えば、香陽の持つ本格派珈琲店流接客術の技が白い王大人をリラックスさせることに成功したのかもしれませんでした。
こうして多くの犠牲者を出しながらも苛烈な補習は無事に終わり、傾いた赤い日に包まれてシャトルバスを下りた香陽は生きて帰ることができた安堵感を味わいながら、日差しの暖かさを背に感じていました。不足していた単位のかなりの部分も埋めて、安堵していた少年に涼しげな声がかけられます。
「あら、星裏くん・・・補習の帰り?」
その声に、思わず顔が赤くなったことを知られずに済んだことを少年は夕陽に感謝しました。桐生先輩こと桐生美和(きりゅう・みわ)はこの血沸き肉躍る学園の中で不幸にも健全な常識を持っている生徒であり、香陽が密かに憧れる先輩でもあったのです。もちろん、彼女が先輩ではなく同級生であるということはこの際ささいな問題でしかありません。
元来剣道の心得があった彼女は先のスパークリングカーニバルを含めた入学以来の立ち回りを見込まれたのか、夏休みを機に剣道部にスカウトされており、日舞とかけもちの仮入部という名目でその日の練習に参加していました。竹刀や防具は女子剣道部室にあったものを借りていたので、道衣だけを入れた大きなバッグを肩に担いでいます。その姿に、香陽の傍らから力ない声が上がりました。
「あうーぅ、先輩なのだー」
「だから先輩じゃないって」
美和が香陽を見つけた理由は、おそらく少年と一緒に補習に参加していたナンジャさん(なんじゃさん)の姿に気付いたからでしょう。大威震八連補習のあまりの苛烈さにいつもの元気を失っていた印度娘も、美和の姿を見て香陽と同じく地獄に羅刹を見た思いになったらしく、好物のグリコパナップを握りしめながら美和の周囲をぐるぐる回っています。それは尻尾でもあれば激しく振っていたにちがいないと思わせる様子でした。
さんざん叩きのばされたり足からごしごしとやられたり、たいらになってはりついたりしても風が吹くともとにもどってしまったというナンジャの話は実際にそれを目にしていない美和には半分も意味が理解できませんでしたが、なにやら恐ろしいことがあったということだけは間違いがない様子でした。
「たいへんだったみたいね、大丈夫?」
「あ、はい!このくらい大丈夫です!」
接客業らしからず返答につまりながら、珈琲店の制服を着たジャニーズ系美少年は軽く背を伸ばします。補習も無事に終わりあとはサマースクールを控えるのみで、少年は楽しい夏になればいいなと期待に胸を高鳴らせていました。
【大威震八連補習 成績】 ○香陽×斬七朗×吹雪×ナンジャ×牧男
サマースクールは広大なバスキア学園の敷地内ではなく、久しぶりに東京を離れた高原にある研修施設で行われることになります。過ごしやすい環境の中で課外授業を含めた勉学に励むとともに、旅先の集団生活でコミュニケーション能力を磨くことがいちおうの目的となっていました。
めいめいに大きな荷物と期待感を胸に抱えている、生徒たちを引率するのは白い王大人と彼が連れている三角頭巾を被った白装束の男たち。大威震八連補習を受けていた一部の生徒たちは不安を感じていたに違いありませんが、この学園でそうした不安が消えるようなことがある筈もありません。ただ、生徒たちを乗せるバスも今度は鉄板や鉄格子で覆われたものではなく、しごくまっとうな観光バスであって、それはむしろ実力主義のバスキア学園で単位が不足することがいかに恐ろしいかを現しているかのようでした。
「・・・もっと強くなりますように」
先日のスパークリングカーニバルで優勝した広野紫苑(ひろの・しおん)はもともとがあまりモノを欲しがらないたちであったためか、結局彼女の願いは広野家の家訓にある「強く正しく美しく」にふさわしくも実に抽象的なものでした。ですが願いは願いであり、ふさわしい成績を残した生徒の願いは叶えられるべきだったでしょう。謎の校長ミスター・ホワイトが少女に何を与えたのか、この時点ではそれを知るものは誰もいませんでした。
ともあれ、高原の施設は大規模なものであり宿舎の他にも講堂や屋外運動場、遊歩道のある公園に牧場や人造のビーチまで備えられているというものでした。国際的な学園を志すバスキア学園らしく、梶原一騎漫画のように炎天下のグラウンドをうさぎ跳びで引きまわすような教育方針とは無縁ということなのでしょう。
生徒たちを乗せたバスはゆっくりと敷地内を走り、開け放たれた窓から高原の空気が流れ込んで彼らの肺をこころよく冷たい空気が満たしていきます。ゆるやかに曲がりくねった道路を進む車体に併走して、ぱかぱかと蹄鉄の立てる音が耳に入ってきました。
「さぁついたぜ、ネーハイ%ーザー」
そういってまたがった鞍の上から名馬の背をぽんぽんと叩いた藤野牧男(ふじの・まきお)は、カウボーイスタイルの肩にずだ袋を担ぎなおします。お馬さんレースが好きで確率研究会所属の彼がなぜ自称テキサスのカウボーイスタイルをしているのか、それを知るものは彼以外に誰もいません。スパークリングカーニバルで優勝を遂げている紫苑たちをライバル視しているらしく、鋭い視線をバスの中に向けていました。
生徒たちを乗せたバスと馬が施設に到着すると、宿舎に荷物を置いた彼らは選択した課目に従い二手に分けられます。芸術課目を選択していた牧男や紫苑たちが連れて行かれたのは、アーティスト・コートと呼ばれている彫刻の立ち並んだ広場でした。幾何的な庭園づくりの各所に置かれている様々な像が、彼らの芸術心を刺激してやみません。
「ああ・・・ああ!あああ・・・うっ」
誰であるか今更言うまでもない薔薇小路綺羅(ばらこうじ・きら)は、美しい彼が美しい彫刻に囲われている姿にすでにいってしまっています。名の通り夏の薔薇が植え込まれている庭園の小路に彼が立つことによって、アーティスト・コートの美は完成されるのだと言わんばかりでした。生徒たちが集まるのを待って、白装束の男たちを従える白い王大人が重々しくサマースクールの開校と彼らへの課題を告げます。それは「美しさを表現せよ」というものでした。
「ああ!・・・ああ、あああああっ!」
まるで世界が自分のために存在しているのではないかという愉悦に浸りながら、綺羅は更なる高みに達しています。美しさを表現する、それは美しい薔薇小路綺羅以外の誰にふさわしい課題だというのでしょうか。さっそく脱ぎだしたポエマーを後目に生徒たちは各々の表現力を試されますが、魅惑で不埒な夏の妖精はあっという間に柏の葉っぱ一枚と化していました。そこにすかさず巨大な電極を取り出したのは殺人看護婦こと今帰仁シュリ(なきじん・しゅり)です。
「やはりここは必殺シャイニング・インパクト・デース!」
おもむろに巨大な電極を突き刺すと、美しい帯電体質になっていたポエマーの肉体が青く光り始めます。それを見て一計を案じた紫苑は自分の美的感覚と違いすぎる半全裸男に向けて、必要以上にするどくとがらせた切り花をつぎつぎと投げつけました。その意図を察したのか、香陽もどこかから音響設備を持ち出すと耳に心地よいBGMを流しはじめます。最後にネー%イシーザーを駆る牧男が爆発寸前の輝きの前に躍りだし、いななく名馬を後足立たせると右手を天に突き上げました。
「来た!見た!勝ったァーッ!」
古代ローマの英雄ガイウス・ユリウス・カエサルの騎馬像が完成した瞬間、過負荷状態に達した綺羅が爆発して青白い輝きが名馬と騎手を照らします。シーザーの名を冠する馬に乗った牧男はいまやキケローも認める終身独裁官でした。すでに風景の一部と化してしまった綺羅の姿はそこにはなく、燃え尽きた残骸しか残されてはいません。
【アーティスト・コート 成績】 ○牧男○シュリ○紫苑○香陽×綺羅×マヤ
カウボーイが二千年前の古代に思いを馳せている頃、芸術課目以外を選んでいた他の生徒たちはアスリート・コートと呼ばれている運動場に連れ来られていました。莫迦げた規模を誇るバスキア学園ほどではなくとも、こうした施設に相応しい広さを持つ赤土のフィールドに集められた生徒たちに向けて、やはり白い王大人が現れると三角頭巾を被った白装束の男たちを従えながらこちらも重々しくサマースクールの開校と課題を告げます。それは「強さを表現せよ」というものでした。
広野紫苑の家に伝わる家訓ではありませんが、やはりバスキア学園に強さは書かせないものでしょう。こちらではサバイバル修学制度にふさわしい、いつもの激闘が繰り広げられることになりそうでした。
「・・・そっか、トンボは剣道部に置いてきたんだっけ」
期末試験の折りに武器として手にしていた、地ならし用のトンボは剣道部の稽古で振りまわす訳にもいかず、あちらに置いたまま帰ってきてしまったことを美和は思い出しました。これはうっかりしていたなと、日舞と剣道部をかけもちする娘は手で近くに手頃な得物がないものかと首を巡らせます。古来より「良禽は木を選び賢人は主を選ぶ」とはいいますが、より実戦的な彼女としては得物を選ばずとも技は振るうことができる筈でした。
とはいえ競技場だけに長柄の得物になりうるものは限られており、目に入ったものといえば誰かが置いていったらしい杭打ち用の巨大なハンマー程度です。手にとってぶんぶんと振り回してみると、ハンマーの重い頭は多少バランスが悪いとはいえまともに命中すればトムとジェリーのように人間をぺしゃんこにすることだってできるでしょう。
強さを表現する。巨大な得物を手になじませながらゆっくりと構える美和と早くも間合いを測るように、ゆらりと立ったのは斬七朗です。愛用のカミソリ「みみなし」を掌の中でくるりとまわすと、陽光をはねかえした刃先がきらりと光りました。
「いきやすぜ、お嬢さん!」
強敵を相手に腕を磨くべく、先手をしかけたのは床屋道を邁進する渡世人です。右手でも左手でも振るうことのできる変幻自在のカミソリが、巨大なハンマーの表面にかまいたちのような無数の細かい傷をつけました。機動性では及ぶべくもない美和は樽ほどもあるハンマーの頭で「みみなし」の切っ先を受け止めつつ一撃必殺の機を探りますが、日本で二番目の床屋は容易にその隙を与えません。一本のかみそりで客人の顔をきれいに剃り上げる、その集中力は床屋の十八番でした。
「ミーコ、ジョン、レオン、リリー?マックも一緒に楽しく遊んできなさぁーい」
「ンモォーッ!」
新しく牛のマックを加えて、佐藤愛(さとう・あい)は彼女のかわいいペットたちに高原の空気と芝の感触を満喫させるべき解き放ちます。だらだらとよだれを垂らした黒犬レオンが走り出し、必要以上に爪をとがらせた猫のミーコと人の頭に乗るのが大好きなカラスのジョン、そして毒蛇リリーは赤土のフィールドをはいまわって最後に巨牛のマックが大型草食獣ならではの力強い突進を見せて不幸な剣士たちをなぎ倒しました。
スパークリングカーニバル優勝の望みとして愛に贈られていたマックはもりあがる背中の筋肉がこぶのように逞しく、蹄のひとかきは地面を深く掘り起こします。
次々とはねとばされていく不幸な犠牲者たちの傍らをくぐり抜けて、影のように躍りだしたのは葵若葉(あおい・わかば)でした。夏向きにノースリーブで軽装の忍者服を着ている姿はどこか何かを勘違いしているように見えなくもありませんが、現代を生きる女子高生忍者としてはおしゃれは欠かせない要素なのです。
赤土のフィールドの上を低い体勢ですべるように走る、小柄な若葉が手にしている短い苦無(くない)の刃がどこまで巨牛に通じるものか。彼女の兄弟子である半蔵はかつて、巨獣を相手に倒した刃をすべらせることでその皮膚を裂こうとしたことがありましたが、それすらも猛り狂う牛には通じなかった記憶が思い起こされます。
数百キログラムを越える草食巨獣の突進は巻き込まれれば最後であり、圧倒的な力の前ではただ一度のミスが確実な死を招くことになるでしょう。伊賀の里では落ちこぼれと言われながらも、足だけは自信のある若葉は機を探りながら巨牛の周囲を駆け回っていましたが、意を決すると得意の分身の術で五人の姿に分かれ、暴走する巨牛のまわりを丑寅・辰・午・申・戌の五方向から囲います。
「技を借りるでござるよ、吹雪殿!」
そう叫ぶと両手を顔の前にかざし、五人の若葉は力強い光と炎に包まれました。「真夏の太陽」と名付けた火遁の術はビーフをローストビーフと化すべくこんがりと燃え上がりましたが、未熟な若葉の技ではオーブンレンジというよりせいぜいストーブといった程度の火力しか出すことはできません。
それでも夏の暑い盛り、過ごしやすい高原とはいえ周囲を五つのストーブに囲まれた巨牛はだらだらと汗をかくと、しばらく走り回った後で力なくへたりこんでしまいます。酪農牛が暑さに弱いことを知っていたとは思えない、若葉の頭脳プレーによる勝利でした。
【アスリート・コート 成績】 ○若葉○愛○斬七朗×吹雪×先輩×ナンジャ
課題をこなすことによって問題解決能力とコミュニケーション能力を磨く、バスキア学園のサマースクールは日本語に訳した夏期講習会というよりも元来のサマースクールの主旨に近いイベントであり、庭園や運動場から戻ってきた生徒たちが宿舎で共同生活を営むこともまた重要な教育課程なのです。
いわゆる係や役目といったものは学園からは提示されず、細かなスケジュールも与えられず、食事であれ入浴であれ就寝であれ用意されているものを伝えた後は生徒たちの自主行動に任されていました。自主と自由には自律が伴う、それが本来の自立心のあるべき姿なのですから。
「はいはい、もう消灯しなさい!」
「えー、先輩まだ早いのだー」
「夜は更かすためにあるのデース」
などという会話があったかどうか分かりませんが、翌日、健全に目を覚ました生徒と耐えがたい眠気に襲われている不健全な生徒たちにはそれぞれに自由な時間と、ひとつだけの課題が与えられることになります。それは翌日の活動にそなえて、三人一組のチームを作っておくようにということでした。
活動とやらがバスキア学園の常識に照らしていえば過酷な戦いになるであろうことは想像に難くなく、おざなりな組み合わせでは後の苦労を増やすだけにもなりかねません。とはいえ、快い高原の空気の中で課題だけのために自由な時間を犠牲にすることもまた正しい姿勢とは言えませんでした。公的な立場と私的な欲求の双方を満たすことこそが、社会的動物である人間には自然に求められる能力であったのですから。
施設の一角にある、高原の小さな牧場は一面が下草で覆われており、そこらに放たれている牛や羊たちがおとなしげに草を食んでいます。マザーウェル・ファームと呼ばれているこの牧場は地元の酪農学校と提携をしているらしく、下草に使われている牧草にも栄養のあるクローバーなどがよく研究された配分で混ぜられていました。ことに牛馬を連れている愛や牧男にとって、ここはありがたい場所であったかもしれません。
「カウボーイには牧場と酒場があれば充分なのさ」
さすがに酒場はありませんが、先のアーティスト・コートで美しく決めていた牧男は機嫌もよく名馬にまたがり牧場の風を肌に感じています。牧草に覆われた一隅ではのんびりと草を食んでいる巨牛の角に紫苑が楽しげにリボンを結んでおり、他のペットたちやそれを連れている愛の髪にも色違いのリボンが飾られていました。
動物と花を愛する少女たちが高原の下草に囲まれて、風に髪とリボンを揺らせている光景は牧男の目から見ても絵画にふさわしく思えるものでしたが、草むらに隠れている毒蛇リリーの姿が見えないことだけはカウボーイに野生の危険を感じさせます。
どさり。
まるで人間が草原に倒れるような、その音にぎくりとした牧男は首を巡らせますが、視界に入ったのは牧場に面した木々の間から現れた黒装束の少年が倒れる姿と、その後ろに影のように立つ赤と黄色の装束に身を包んだアフロヘアーの男でした。倒れた少年が同級の伊賀忍者であることに気付いたのは、やはり彼がいないことを気にしていたらしい藤原マヤ(ふじわら・まや)です。
「ちょっと、服足クンじゃないの!?どうしたのよ!」
うめき声をあげている少年に駆け寄ったテニス少女に向かって、口を開いたのは見覚えのない赤黄装束の男でした。白く塗った顔にはピエロのような化粧をほどこしており、口元を吊り上げた陽気な表情をした目には氷点下の冷酷さしか感じとることはできません。
倒れた半蔵の様子を見るに少年がこの不気味な男の手にかかり、ここまで連れて来られたことは間違いがないでしょう。にやけ顔にゆっくりと長い舌を伸ばすと、赤黄装束の男は笑いました。
「俺たちの正体を嗅ぎ回るものはこういう目に遭う」
バトルだ!
謎の襲撃者である赤黄男は一瞬の足捌きで間合いを詰めると、固く握りしめた拳を牧男の駆る名馬ネーハ%シーザーの横腹に叩き込みます。後足立つ名馬に振り落とされたカウボーイには目もくれず、赤黄男は次の獲物を見定めると紫苑の投げつけた生け花の切っ先をショートニング油でべっとりと揚げてしまいました。更に愛のかわいいペットたちも友人の危機によだれを垂らして襲いかかりますが、ビーフ100%ではアフロ男を倒すことはできないのです。
思いも寄らぬ恐るべき敵の襲来に、背に担いだ日本刀を構えた吹雪の耳に苦しげな半蔵の声が聞こえてきました。
「奴は校長の・・・あれこそ刹斗罵流(せつとばりゅう)格闘術、気を付けるでござる!」
「知っているのかライトニング!?」
半蔵の言葉に驚きの声をあげる吹雪。ライトニングというのが誰のことかは分かりませんが、刹斗罵流とはかつて中国の豪傑馬丁迅が編み出した格闘術であり、歩定徒(ほていと)と呼ばれる足捌きと独林狗(どつりんく)という手技を合わせた一打必倒の拳法に源流があると言われています。
万里の長城を越えて襲来する騎馬民族に対抗するために馬丁迅が編纂した技は1754年に北米アメリカ大陸に渡ると、バイソンをも組み伏せる開拓者の技術として急速に変化、発展を遂げました。こうして倒したアメリカバイソンの肉をパンに挟んで食べるようになったのが、今のハンバーガーの原型になったのです(民明書房刊「世界の伝統料理1」より)。
懇切丁寧な解説を終えた半蔵の身を柔らかい地面に横たえると、宗方流の重い仕込みラケットを構えたマヤは迎撃に出るべく立ち上がって友人を傷つけた襲撃者へと向かいます。
「行っ・・・けぇー!」
頭上に打ち上げたボールにラケットをたたきつけて、スカッドミサイルにパトリオットの連弾を打ち放ちますが、土蜘蛛のようにはねまわった赤黄男はするどい手刀を少女の鳩尾に打ち込むとこれを沈めてしまいました。
残るは吹雪と斬七朗のみ。俊敏な相手に大刀は不利と感じたか、学ラン少年は構えていた日本刀を背に戻すと代わりにトゲつきのボクシンググローブを手にはめます。それは悪名高い古代ローマ皇帝ネロが、大火の主犯としてキリスト教徒を処罰するときに考案したとディオン・カシウスが伝えているかもしれない撲針愚(ぼくしんぐ)の装備ですが、スーパーサイズの連続摂取により多量のエネルギーを蓄積している赤黄男は構える吹雪の視界から一瞬で消えると、次の瞬間には鼻先が触れ合いそうな至近距離に姿を現しました。
「ばぁ!」
鼻頭に強烈な頭突きの一撃を受けた吹雪も倒れ、赤黄男はケケケと甲高い叫びをあげると暴走した動きはますますスピードとパワーを増大させていきます。首筋から頬にまで伝う静脈は太く浮き上がり、瞳孔は散大して脈打つ筋肉は破裂しそうなほどに巨大化していました。
「喰ってやる・・・必殺、魅我末喰ゥ(みがまっくう)」
「!!」
そして人間離れをした跳躍力で飛び上がるとミル・マスカラスばりに降下する赤黄男に、その真下に潜り込んだ斬七朗は愛用の「みみなし」を抜くと雷をともなう閃光を閃かせます。その鋭い軌跡が空気を裂き、気圧差が電気を生み出す秘奥義、雷光回し斬りと呼ばれる至高の技でした。
がらがらと音をともなう稲妻が天から落ちて、激しい衝撃とともに光と影が反転した次の瞬間、黒こげになって地面に落ちていた赤黄男はわずかに立ち上がりかけますが、力尽きるとどうと倒れました。切り揃えると同時に雷光でパーマもかけてしまう、床屋道の奥の手を見せた斬七朗はつぶやきます。
「・・・これができるのは日本じゃあ二人だけですぜ」
まさか刹斗罵流の使い手を倒すものがいるとは思っていなかったのか、赤黄男は伏せたまま最後の力で首を持ち上げるとケッケッケェと力のない嬌声を上げました。
「たいした腕だぜぇ・・・だがすでに、ヤツは放たれた。手前らに安心する暇なんてないんだぜェ、ケッケッケェー!」
警告をともなうけたたましい笑い声を上げると、力を使い果たした赤黄男は最後の息を吐きました。いったいバスキア学園に何が起こっているのか、いつものことかと思いながら生徒たちは三角頭巾を被った白装束の男たちに片付けられている、赤黄男の屍(死んでません?)に目を向けています。
【マザーウェル・ファーム 成績】 ○斬七朗×愛×紫苑×吹雪×マヤ×牧男
高原の牧場で血で血を洗う戦いが繰り広げられていた頃、アングルシー・ビーチと呼ばれている人造ビーチでは波頭が少年少女の肌を洗っていました。大型のプール施設はリゾート風の砂浜まで備えており、泳いだり走り回って足腰を鍛えることもできるようになっています。
彼らに与えられた課題は翌日の活動に備えて、チームを組むための仲間を探すということでした。手を取り合うために必要なものに何を求めるか、それは能力であったり相性であったり信頼感であるかもしれませんが、とりあえず香陽はビーチチェアやパラソルを備えた客席に、本格的な珈琲セットを用意して耳に心地よい落ちついたBGMを流し、皆に煮出した冷たいコーヒーを振る舞う用意をしています。
自分ができることを果たせば悪い結果は生まれまい、そう考えて日差しの下でいつものコーヒーチェーン店の制服を着ている少年の耳に、娘たちの争う声が聞こえてきました。
「ナンジャ!ダメに決まってるでしょ!」
「せんぱーい!ワタシだって泳ぎたいのだあー!」
なにやらもめているらしい美和とナンジャの様子に目を向ける香陽。どうも印度人らしく?まっぱ姿で泳ごうとして先輩に激しく止められているようで、あまりに公序良俗に反しようとしている様子に少年としては怯まずにはいられません。良識派を自認している桐生先輩ならずとも、止めない訳にはいかなかったでしょう。
とはいえ印度娘にも言い分はあって、彼女が指さした先にいる美しいポエマーが柏の葉っぱ一枚で泳ごうとしているのに、なんで自分は駄目なのかといえば美和にすればたいへん説明に困りました。
「さあ!お望み通り、夏の妖精薔薇小路綺羅の魅惑で不埒な肢体をその目に焼きつけて!焼きつけてぇー!」
アーティスト・コートで美しさを競う課題に敗れたことは美しい薔薇小路綺羅にとって屈辱以外のなにものでもありませんでしたが、屈辱を感じている自分の姿もまた美しいことに気付くと挫折によって更に美しさの増したポエマーは生まれ変わったビューティフル・ポエマーとなって夏の陽光に魅惑で不埒な肢体を晒しています。
バスキア学園でも群を抜いて公序良俗に反するポエマーに向けて、高速で飛来した杭打ち用の巨大なハンマーが投げつけられると衆目の見守る中で叩きつけられて熟した柿のように平たく潰れました。ジリブランの伝説的な魔法のハンマーは、投げるとその持ち主の手に返ってくるのです。
「予備でよければ拙者の水着が合うかもしれないでござるよ」
駄々をこねるナンジャに助け船を出したのは、当初は高原のサマースクールということで水遊びを断念しかけていた若葉でした。半分意地になって水着と浮き輪と砂遊びセットを用意していたのがこの時は役に立ったようで、荷物に詰めていた予備の水着を感謝する印度娘に渡します。似たような背格好をしていることもあってなんとかサイズも合ったようで、しばらく更衣室に引っ込んだ後で姿を現すとやや窮屈そうに言いました。
「胸とお尻だけきついのだー」
「なんかむかつくでござる」
こうして気が付けば男性陣は平たく潰れたポエマーと、接客に専念している香陽だけになっていたこともあって美和やナンジャ、若葉にシュリはプライベート・ビーチでの水遊びを存分に堪能します。
チーム選びということであれば、先輩を慕うナンジャはお守りの意味も込めて美和が面倒を見ることになりそうですが、その他では前月のスパークリングカーニバルでの指名に応えられなかったこともあり、若葉はシュリを手伝うことを決めているようでした。
「でもビーチで電極はカンベンでござるよ?」
「もちろんデース」
水着姿にパーカーを羽織っている桐生先輩や浮き輪を腰に波に浮いている若葉、存外に刺激的なシュリやナンジャの姿にやや平常心を乱されながらも、接客業の本分を忘れない香陽は冷水や煮出したコーヒーをすぐ出せるように用意をしています。必要なものを振る舞う心遣いは接客業の基本であり、本格派珈琲店流接客術をうたう自信の技でした。
クーラーボックスに入れた氷も充分な量があることを確認してから、お客様たちの様子を見るべくビーチに目を向けた香陽は周囲の様子、空気のにおいとも言うべきものがどこか変わっていることに気が付きます。それは接客に必要な鋭敏さによるものだったのでしょうか、少年の視界の向こう、娘たちが水遊びをしている場所からはだいぶ離れている水面にただよう小さな影を見付けました。不規則に左右に動きながら近付いてくる影は波をともない、やがて黒ずんでとがった背びれが水面から突き出した様子を見て少年は叫び声をあげました。
「さ・・・サメだぁーッ!」
その声と同時に、水面から躍り出たのはサメの中でも最も凶暴とされているハンマーヘッド・新庄ジュンペイ(しんじょう・ずんぺい)だったのです。
気付かれたことを悟ったのか、波をけたてて泳ぎ迫るハンマーヘッド。マザーウェル・ファームでも同様の襲撃があったことを香陽や美和たちはまだ知りませんが、どうやらこの襲撃者を撃退することもまたサマースクールの課題のようでした。
とはいえ慣れぬ水辺や砂浜では足元も悪く、あるいは膝から腰まで水につかった状態で凶暴な魚顔の男相手に実力を振るうことができるかどうか、誰もが不安なしとはできません。
「パナップ!パナップパナップパナップパナップパナー!」
と元気よく走り回ろうとしたナンジャも水場ではカバディの技を使うどころではありませんでした。機動力が命の若葉も事情は同じであり、古いダサダサアイテムだからと伊賀忍者御用達の水蜘蛛を置いてきてしまったことを後悔する暇も与えられません。
「ぶくぶくぶくでござるー」
砂と水に足捌きが封じられてしまうことでは美和も同様ですが、それでも背に担いでいた巨大なハンマーを抜いて正面に構えると、間合いを測って迫り来るハンマーヘッドを待ちかまえながら迎撃の一打に精神を集中させます。相手の攻め手をついて踏み込むことができれば勝機はある筈でした。
ずらり並んだ歯をむき出して、ついに至近距離まで到達した魚顔の男が水面から身を躍らせた一瞬。タイミングを計った踏み込みで正確にかぶと割りを落とすとそのまま切り返し、胴打ちにつなげた美和の巨大なハンマーの頭がハンマーヘッドの胴体に横腹から打ち込まれます。ぐしゅうと叫び、身体をくの字に曲げたジュンペイの巨体が水に落ちると大きなしぶきが上がり、視界が遮られると手負いとなった魚顔の男は兇悪な口をぐぱあと開いて高く飛び上がりました。身をそらせながら美和の頭上に落下する姿に、かつてカウボーイが生死の境をさまよった惨劇が呼び起こされます。
「せんぱぁーいッ!」
それが誰の叫びであったのか。恐ろしいハンマーヘッドに美和が喰われると思った瞬間、横合いから突き出されたシュリの必殺ぷらずま☆ふらっしゅの電極が軟骨魚類のやわらかい腹部に突き立ちバオー・ブレイクダーク・サンダー・フェノメノンばりに放電が行われると高圧電流60000ボルトだッ!
「電気!ぼくの電極から電気が発せられているデース!」
レントゲン写真のように骨まで透ける、その一撃でハンマーヘッドは倒されると水中に沈み、引いていく波に乗せられて沖合いへと流されてやがて消えていきました。
周囲には静寂が訪れ、後には潮騒の音だけが残されますがビーチで電極を使うのはやはり危険だったのか多少は友人たちを巻き込まなかったとはいえないかもしれないような気がするつもりです。
【アングルシー・ビーチ 成績】 ○シュリ○先輩×綺羅×若葉×ナンジャ×香陽
野を駆けて水辺に遊び、木々の下をたたずみ土の暖かさに接する。数日間を過ごした夏の高原は最後の夜を迎えており、空気はいっそう冷ややかになって月明かりと照明灯からもたらされる光、そして生徒たちの輪の中心に設けられたかがり火の炎が世界を照らしています。古来より光は知性を、炎は力を宿して人間に道を指し示してきました。
「こうなったら自分が伊賀忍者の力を見せるでござるよ!」
気合いを入れた若葉が意気込みます。保険医に連れられていった半蔵からWDF社の調査とそれに続く襲撃の話を聞き、謎の校長の思惑に不気味なものを感じないでもありませんでしたが今は学生として目の前の課題を果たすことも忘れる訳にはいきません。同門のシノビとして、若葉は半蔵兄様の分まで伊賀忍者の力を示す気概を見せています。
サマースクール最終日の課題は犯苦羅血怨(ぱんくらちおん)と名付けられた、三人一組のチーム同士による対抗戦が予定されていました。犯苦羅血怨とは古代ギリシアのミロス王が考案したとされる決闘法であり、三人ずつの罪人を組に分けて互いに争わせたのがその起源であると言われています。
中でも有名なヘドビウスとダビウスの戦いでは、残忍なダビウスがヘドビウスをことさら痛めつけているあいだに、ヘドビウスの仲間の二人がダビウス以外の罪人を倒して勝利を掴んでいました。身を賭したヘドビウスは息絶え、その勇気を讃えると同時に、怨念と悔恨を残して果てたダビウスをも忘れないために犯苦羅血怨の名が付けられたと言われています(民明書房刊「エーゲ海−古代格闘史の浪漫−」より)。
チームワークが問われる戦いを控えて、若葉はキャンプファイアーに相応しく浴衣姿に大きめの帯を締めた姿が愛嬌を見せています。動きやすく丈の短いものを選んでまで、浴衣にこだわったのはなんちゃって忍者娘なりのおしゃれへのこだわりに他なりません。その浴衣娘とチーム組んでいるのは背に巨大なAED(自動体外式除細動器)と呼ばれる電気ショック器械を担いでいるシュリ、そして薔薇小路綺羅の三人でした。
「なんであれを連れているのでござるか?」
「あれがいるとあれと戦わなくてすむのデース」
ある意味反論のしにくい理由をあげられて、こうなったらひと夏のあばんちゅーるは対戦相手に期待せざるを得ないと思っていた若葉たちの相手となるのは愛と巨牛のマック、紫苑に名馬ネーハイシー%ーを連れたフォーホースメンとなります。
「俺様は!?」
名馬の背にまたがる牧男も加えたチーム、紫苑が用意した色違いのおそろいリボンは愛とそのペットたちにネ%ハイシーザーの尾の先にもくるりと巻かれていましたが、そこで手持ちが尽きてしまったらしく自分用のリボンがないことがカウボーイとしてはやや残念でなりません。
ですが彼にとって馬は自分の手足も同然であり馬に結ばれたリボンは自分に結ばれるリボンに等しく、それ以前に馬に譲ることを牧男がためらうようなことがある筈もないのです。問題は馬という生き物が実に繊細かつ臆病であることと、それを御す確率研究会所属の牧男が騎手としてどの程度の腕前を持っているかということだけでした。
「猫だましでござるーぅ!」
ぱちんと拍手一発、いつもの若葉の奇襲技ですがこれに驚いた名馬はやはりいつものようにカウボーイをロデオの騎手に変えてしまうと駆け出して夜の闇に姿を消してしまいました。会心の一打で一気に優位に立った若葉とシュリはこれを好機と走り出すと、連携も鮮やかに最大の脅威になりうる愛とペットたちに照準を絞ります。片手を軸に身体を横回転させる、SNK版真空片手独楽で黒犬ジョンや猫のミーコを怯ませると、すかさず巨牛マックに対したシュリが華麗なエスパーダのように電極を突き立てました。こうして一斉に散らばって逃げ出したペットたちを連れ戻すために、愛も戦線離脱をしてしまいます。もはや勝負は決まったも同然でしょう。
三対一の窮地に立たされた紫苑は軽く考え込むように長い黒髪を傾けていましたが、人差し指を唇に当てるといつもの朗らかな笑みを浮かべます。若葉やシュリが不審に見る前で、左右に目を向けて月夜の高原に咲いている小さな花に目をやると、すたすたと花に近付いてからおもむろに引き抜きました。その花を見付ける能力こそ、彼女がミスター・ホワイトに与えられていたものであることを少女たちは知らなかったのです。
「ゲゥエエエエエエエエエエエエエエエエエエエエッ!!」
引き抜かれたと同時にマンドレイクの花はこの世のものとは思えない叫び声を上げると、それを耳にしたものの意識を一瞬で刈り取ってしまいます。どさり、どさりと二人の娘が倒れる姿を見て紫苑は霊草の根をポーチにしまい込みますが、彼女が不機嫌に予想していたとおり唯一、立っているのは薔薇小路綺羅だけでした。
精神を崩壊させる叫びも最初から精神が崩壊している者には効き目がないのかもしれず、むしろインスピレーションを刺激されたポエマーに何かが降りてきたようです。
かわいい花 かわいい葉を
やさしい わかい 春の岬が
かろやかな指でたわむれ
ぼくの薄沙のリボンに撒きちらす
南西の風よ 翼にのせて このリボンを
恋びとの着物に巻きつけておくれ
すると あのひとは鏡の前にゆく
心はうきうき いそいそと
薔薇にからだをつつまれた
薔薇さながらに はなやぐ姿
ああ!ひと目でも いとしいひとを
それでぼくは満足する
ぼくの心が感じるものをあなたも感じて!
ぼくに!あなたの手をください
ぼくらふたりをむすぶリボンは
よわい薔薇のリボンではないように・・・
こうして身体中に巻き付けられた薔薇の蔦と、ぷすぷすと生けられた花で全身を朱に染めながらも、詩人の魂を全うした綺羅が紫苑を下して犯苦羅血怨決勝戦への切符を手に入れました。そして残る一枠を賭ける一戦はマヤと斬七朗に吹雪のライバルチームと、桐生先輩を慕うナンジャと香陽による先輩チームとの激突になります。
「こうなると星裏くんが頼りね・・・一緒にがんばろうね」
「は、はい先輩!」
「いや、先輩じゃないから」
調子に乗ると強い一方で波がありまくるナンジャは戦力としてはあまりに不確実であり、香陽の技を期待するしかないというのは美和の本心だったでしょう。もう一つ本心があるとすれば、日本の夏らしくせっかく着ていた浴衣姿で暴れ回ることにどうにも気が進まなかった事情もあるかもしれません。
相手には同じサービス業を生業とし、スパークリング・カーニバルでも大威震八連補習でも手を貸してもらったことがある斬七朗がいるとあって香陽の心中には複雑な部分もありましたが、戦友と腕と技を競うことを彼らが楽しみにしていることも事実でした。引率にして判定人である白い王大人が見る前で、勝負開始の声とともに少年が走り出すと爽やかな第一声が高原に響きました。
「いらっしゃいませ!おしぼりでございます!」
「この蒸し加減にコツがあるんですぜ!」
互いの初手はおしぼりと蒸しタオルが交錯、リラックスを誘う見事な技で双方の動きを封じ合います。更に高速機動でお小遣いをすべて費やしているらしいパナップの数々を投げつけるナンジャの技も、マヤが得意のパトリオット弾でそのことごとくを撃ち落とすとやはり互いに膠着して決め手を掴むことができません。
「ここは俺に任せてもらおう」
「やれやれ・・・仕方ないなあ」
そして勝負の行方はしぜん、浴衣姿で杭打ち用の巨大なハンマーを握る美和と、学ランの背からずらりと日本刀を抜いた吹雪との一騎打ちへと流れていきました。
元来ナンパ少年を自認し、成功率は低くとも女性を誘うことには目がない吹雪ですが、この状況であれば全力でぶつかる男塾魂を発揮するしかないでしょう。あるいは剣とハンマーを交わし合うことで生まれる友情というものもあるかもしれません。
両者ともに一撃必殺の得物を手に、対峙すると間合いを測りながら相手の様子をうかがいます。斬り合いならば、一見すれば剣道の心得がある美和が有利にも思えますが、空手を学んでいる吹雪も相手の攻め手に合わせて迎撃の技を打ち込む術を知っていました。どちらも迂闊に動けばその瞬間に、口を開いた奈落に落ち込むことになるでしょう。
ただ、もとより自分の不利を承知していた吹雪はそれを埋めるために、男の気合いと根性とを総動員して防御や回避すらも考えずに一撃の機会を狙っています。不可能を可能とする意の「魂剣石をも斬る」といふことわざは、これをいふなり。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・っ!」
巨大なハンマーの動きとは思えない、切り返しから予備動作のない無拍子による一撃が吹雪の制空権におどり込んできました。その動きに僅かの予測もつかぬ、美和の瞬撃を避けもせずに吹雪の(パクリ)一文字流斬岩剣の軌跡が縦に振り下ろされます。
ぎぃん、と鈍い音がして閃光が舞うと緊張感と戦慄をはらんだ静寂が周囲を包みました。長い一拍、二拍をおいて一陣の風がその静寂を破り、固いものが割れる音がすると割れたハンマーがごとりと音を立てて地面に落ちて、真っ二つにされた美和が真っ赤なしぶきをあげてどさりと倒れました。三角頭巾を被った白装束の男たちを従えて、白い王大人がゆっくりと歩み寄ると倒れている美和の足元に近付いて宣言します。
「死亡確認!」
「あー・・・酷い目にあった」
「先輩!無事だったんですか!?」
抑えた頭を振りながら、ややおぼつかない足取りで帰ってきた美和の姿を見付けて、香陽は驚きと安堵の表情を浮かべて駆け寄ります。少年と同様に喜びを全身で表現しているナンジャも無事に帰ってきた先輩のまわりをぐるぐると回っていますが、当の本人には吹雪と斬り結んだ後の記憶はいまひとつ曖昧でよく思い出すことができません。
もっとも両断されたハンマーの姿を見るに、あの激しい斬り合いの後ではそれも仕方のないことではあったでしょう。白い王大人と白装束の男たちによる中国四千年の医術とやらに感謝しておいた方がよいのでしょうか。
そしていよいよ高原のサマースクール、その最後を飾る犯苦羅血怨決勝戦に進出となった一方は強烈な必殺技を持つ斬七朗と吹雪にマヤが飛び道具でサポートにまわるライバルチーム、対するは機動力とパワーを分担したコンビネーションを見せる若葉とシュリの二人に秘密兵器として美しいポエマーが控えるサイコソルジャーチームの激突となりました。
「さあさあ一口どうだい、予想込みで格安にするぜ!」
すでにカウボーイが勝敗予想を始めている戦前予想では、ライバルチームはサマースクール中の戦績が今一歩振るわないでいるマヤが、サイコさんチームでは当たるも八卦当たらぬも八卦という綺羅の動きがそれぞれ鍵となるでしょう。総合力ではサイコさんチームがやや勝るというのが確率研究会員藤野牧男の下馬評でした。
周囲を月明かりと照明灯に照らされて、輪の中央に組まれているかがり火の炎もいまだ激しく祭りの夜を思わせる赤い光を投げかけています。その光を受けて長い影を地面に伸ばしながら、白装束の男たちを引き連れて現れた白い王大人は、両チームの顔を当分に見やってから重々しく最後の戦いの始まりを告げました。
「此時、犯苦羅血怨最終戦を行う!両軍、決斗勝負!」
その声と同時に、二千数百年以上前の古代ギリシアを彷彿とさせる戦いが現代に蘇ります。六人が一斉に動き出し、まずは宗方流庭球の裏流を扱うマヤが頭上に複数のテニスボールを同時に投げ上げるとスカッドミサイルの弾頭が打ち出されました。
「エースを・・・食らえっ!」
飛来する弾頭に捕捉された綺羅の全身に何発もの重いテニスボールが打ち込まれると、ぼす、ぼす、ぼすと円形のアザが全身に描かれて美しいポエマーはどさりと倒れました。景気のいい先制攻撃を活かすべく、トゲのついた撲針愚グローブをはめて接近戦におどり出る吹雪ですがこれを迎え打ったのは大力自慢の死神看護婦です。
「英語で言うならブラッド・フェスティバル・デース!」
堀口元気のアッパーストレートばりに沈み込んでから突き上げるシュリの検温パンチが吹雪の顎下を捕らえ、打ち上げられた男塾生の身体が宙に舞いました。どさりと顔面から落ちる吹雪の様子を気遣う時も待たず、技を尽くした攻防は激しさを増していきます。
「ちょっと椅子を倒しやすぜ!」
「お願いするでござるよ」
「お願いするでござるよ」
「お願いするでござるよ」
「お願いするでござるよ」
「お願いするでござるよ、ニンニン」
熱い蒸しタオルでさっぱりとさせてから耳掃除を繰り出してくる斬七朗に、若葉は分身の術で対抗。五人分のサービスを受けることによって、五倍満足しながらも相手には五倍疲れさせようという若葉の頭脳作戦です。ほぼ同時に五人分の散髪を行う斬七朗の至高の技量は感嘆に値しますが、五倍のサービスによって整髪料が足りなくなってしまうと戦いを断念せざるを得ませんでした。
「仕方ありやせん・・・お代はいりやせんぜ」
ここまで一進一退、二対一となった状況で追撃を図るべく検温パンチを狙うシュリですが、これはマヤの打ち出したパトリオットが正確に迎撃すると拳とテニスボールが衝突して互いに弾かれ、シュリがバランスを崩します。
すかさずリターンエースを狙ったマヤのスカッドミサイルが電極をかいくぐり、鳩尾に打ち込まれると死神看護婦を奈落の病院へと送り返しました。これでいよいよ一対一、五人に分身している若葉と必殺の居合いに構えたマヤの一騎打ちとなります。
「でも分身してるから五対一でござるよ、ニンニン」
「でも分身してるから五対一でござるよ、ニンニン」
「でも分身してるから・・・」
無体な自信を見せる若葉ですが、マヤの繰り出す宗方流庭球裏流の居合いは一撃必殺の技でこそあれ、機動力に勝る五人の若葉を同時に屠るのは容易ではありません。一人だけマフラーの色が違う裏若葉を合わせた、五人の忍者娘は短い苦無の刃を抜くと丑寅・辰・未・酉・亥の五方向からマヤを囲んで一斉に襲いかかります。
「もらったで・・・ござるよっ!」
「させないっ!」
五方向から同時に若葉の苦無が襲いかかる刹那、一瞬のタイミングを計ったマヤが地を這うように深く身体を沈めると、目標を失った五人の若葉が互いに激突しました。最後の好機にずしりと重い仕込みラケットを抜くと、解き放たれた虚空の瞬撃が若葉の側頭部を横凪ぎに刈り取って、忍者娘の意識とともにすべての分身も消え果てます。しばらくふらふらと立っていた若葉は、数瞬を置いて糸が切れたように崩れ落ちました。
一人残った勝者は最後の居合いを放った姿勢から、ゆっくりと姿勢をただしてラケットを下ろします。かがり火の前に立つマヤはゆらめく炎の灯火を逆光に背負いながら、ずしりと重い愛用のラケットをひと振りしました。
「瞬撃は攻めに在らず虚空を掴む、それが居合の心得!」
こうしてバスキア学園名物夏の犯苦羅血怨も終わり、白い王大人は感慨深げな顔で彼の学生たちを見つめています。後ろに従える三角頭巾を被った白装束の男たちの中には、なぜか赤黄色をした装束を着ている者や三角の頭巾が左右に突き出てぼたぼたと水を垂らしている者も混じっていましたが誰もそれに言及することはありません。
とはいえあくまでバスキア学園の本分は「強くあれ」という学園方針にあり、仮にわざわざ伊賀の里に任務を出させてまで手の込んだストーリーを作っていたとしても何を言うことができたでしょうか!戦いは終わり、後には怨みのない信頼感だけがきっと残るのです。
犯苦羅血怨優勝を果たしたマヤに吹雪、斬七朗の三人には副賞として旭%成からサ%ンラップ一年分が贈呈されていましたが、とりあえず持っていても仕方がないのですべて薔薇小路綺羅にあげてしまいました。彼らはある意味ではバスキア学園に相応しい、強さを求めることを知る若者たちであって夏の高原で出会った試練や黄金の体験こそが最も貴重な宝物であることを知っているのです。膝の下まで届く長い学ランを下げて、生徒たちを代表した吹雪が颯爽と声をあげました。
「桜花咲く、私立バスキア学園の校庭でまた会おう!」
† つづく †
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