エピローグ


 ユリウス・カエサルの死によって始まった三巨頭政とその分裂による混乱は終結し、伝統ローマ市民と元老院の支持を得てカエサルの最終的な遺産を手に入れたのはガイウス・ユリウス・カエサル・オクタヴィアヌスであった。戦勝軍は叛乱将軍であるマルクス・アントニウスと、エジプト星系統治者であるクレオパトラに刑死を申し渡す。だがその旗下で奮闘し生き残った将兵に処罰を与えないことが言明されると、アントニウスは釈明はおろか一切の発言もせずに無言のまま刑場に牽かれていったのである。戦場の勇者であるアントニウスは完全無欠の人格者ではなかったし統治者としての資質を問う声も多かったが、彼が部下に信頼されておりその信頼に値するだけの人物であったことも確かなのだ。
 また、これに先立ちクレオパトラはオクタヴィアヌスと短い会談を持ったとされているが、その内容は記録に残されてはいない。ただクレオパトラ自身は自らに刑死の裁定が下されると刑場に連れていかれる前に自ら毒杯をあおいで自害し、両者は伴に埋葬されその墓標にはギリシア・シリア・エジプト総督としてのアントニウスとクレオパトラの名が記されることになったのである。オクタヴィアヌスは生前に遡ってまで彼らの位階を敢えて奪おうとは考えなかった。

「元気を出しなさいな、と言うだけなら言っても良いでしょう?」
「テオドラ…?」

 戦乱の終結に伴い、ローマ軍は一部を残して大幅に解体されることとなったがテオドラ・ガリアヌスは階級を大将とし、その中核として残留することが確実視されていた。恐らくはローマ星系を中心とした治安部隊を統括することになるのだろう、彼女の目の前にいるサタジット・ラリベルは出身である南方、エジプト星系総督かカルタゴ星系の副総督として赴任することがやはり内定している。彼女自身は実家の商家があるカルタゴ方面への赴任を希望しているようだが、エジプトであればクレオパトラ亡き後の立て直しを、カルタゴであれば現地総督であるレピドゥスの補佐をすることになるのだろうか。グロムイコ・アンドレイ・アンドレイビッチは既に北方星系に戻り、ローマとの貴重なパイプ役として外交官の地位を再び与えられることとなっている。
 急な配転は新体制による改革が急速に進められる前哨であり、恐らく彼らが一堂に会することはもうないのだろうと思われた。戦乱のために集められた軍人たちは、戦乱が終われば不要になり解散させられるのだ。

 だが、その方が良いのかもしれない。「彼ら」はかつて伴に艦列を並べて戦い、後に互いに向き合って血を流し合わねばならなかった。大事に抱えるにはその記憶は些か苦く、棘が多かったであろうから。

「アルト達は…恩赦の後はどうするって…?」

 生き残った者もそうでない者も、ローマを立て直すための新たな道を歩むことになる。戦乱と混沌と騒乱が立ち去った後には、人は秩序と安全と健全な通貨を求めるものだ。オクタヴィアヌスは解体した軍の将兵に一時金か土地の所有権の何れかを与えて帰郷させ、また国家再建のために大規模な公共事業を開始することとしている。官僚組織を再編して中産階級出身の商人群を中心に据えつけ、ローマを動かしていた商人の協力を取り付けると同時に貴族派の不平を和らげるために元老院を統制する枢密院を選抜し、一段上の階位を設けた。
 星系に対しては総督職にある者に統治を委ねるとともに、縮小した軍備は中央集権として治安維持に腐心させ、航路の安全と通貨の安定をもたらす。これだけの改革を為したオクタヴィアヌスに対して元老院は「尊敬すべき人」という意味であるアウグストゥスの称号を奉る。オクタヴィアヌス改めアウグストゥスのその後の治世にもほころびがなかった訳ではなく、特に解放された文化が風俗や道徳を悪化させることはあったものの、ようやく訪れた平穏の時代を以降、人は次の戦乱に到るまでの短い間存分に享受することができたのである。

 であれば、流した血の量も決して無駄にはならないであろうか。
 戦友たちは軽く肩をたたきあうと、それを別れの挨拶としてその場を後にした。

 ローマに続く道を歩き、そして生きている者とそうでない者とが望んだ、
 ローマから出ずる道を。


episode end



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