SCENARIO#4
ミッドランド北部の冬はいつも酷く厳しい。雪は深く降り積もり、氷のような風は激しく吹き付けて骨まで冷えきらせる。冒険者たちはここ数週間、ストーンブリッジに住むドワーフ(Dwarf)のスタブに案内されて、雪と氷に封じこめられたグランドピアンの山麓へとのろのろとした旅を続けている。彼らは徒歩ではなく、ストーンブリッジからエディンバラに向かう隊商の荷台に載せられており、荷馬車には布や道具類、武器、塩漬けの肉、香料や茶が山積みにされている。毛皮やマンモスの牙からつくられた象牙の彫刻と交換する品物だ。
ドワーフの町ストーンブリッジで、ジリブランの戦いのハンマーを取り戻していた彼らは、グランドピアンに居を構える雪の魔女シャリーラを打倒すべく王の助言を受けていた。雪の魔女は水晶の洞窟と呼ばれている彼女の要塞であり、シャリーラは邪な怪物を従えるとこの世界に氷河期をもたらそうとしているのだ。王の話によれば魔女を打倒するために賢人ペン・ティ・コーラの助けを借りよとのことであり、彼らはそのために氷雪吹きすさぶ北方へと足を踏み入れようとしていた。
「でもさあ、氷河期なんてそうかんたんにおとずれるの?」
誰ともなく呟いたのは、マキと呼ばれる女剣士である。元来が能天気な性格をしており、悪い者がいるなら打倒すべきだと考えているが、それにしても件の魔女とやらの計画は壮大すぎるのではないかと思えるのだ。
「無理、とまでは言えぬ。世界と言わず町の一つ、城の一つを氷雪が覆うのであってもそれは人にとって氷河期がおとずれたに等しかろう。どのような技を用いるかは別の話だが」
「いずれにせよ、我々は賢人の叡智に触れようではないか」
白の狩人ガルド・ミラと魔法使いのサヴァンが言葉を交わす。グランドピアンの麓に近付くにつれて、肌を刺す冷気は厳しくまだ平地にあるというのに雪は常よりも深い。確かにこの氷雪が氷河となってアーガイルまで下るようなことがあれば、彼らがどくろ沼を抜けてウィロウベンドに開いた北の道や、ドワーフの暮らすストーンブリッジの平穏も保つことは難しくなるであろう。
ガルドの話を聞き、快風のフィアリアは眉をしかめていた。彼女はエルフ(elf)の森を出てより随分、人間とともに過ごし人間めいた仕草をするようになっている。仮に国を氷雪で覆うというのなら、彼女が知る強い精霊の力を借りれば決して不可能事ではないかもしれない。フィアリア自身にそれほどの力はなかったが、いずれにしても世界の均衡を崩す力は妖精の好みとは反するものだ。
案内役のドワーフに導かれて一行が向かっているのは山麓にある、とある洞穴である。遠くにグランドピアンの雪を頂いた峰が低い雲のなかからつき出ているのが見える。麓にたどり着き、街道を逸れる場所で荷馬車を下りて隊商に別れを告げると、更に数日を歩いて一枚岩に火鳥の姿が彫り込まれている洞穴の入り口が目に入ってきた。
賢人ペン・ティ・コーラに会うべく彼の洞穴を訪れていたのは白の狩人とフィアリア、マキに加えて魔法使いのサヴァンを含めた四人である。石段を上り、松明が不気味な光を内部に投げかけている洞穴は山のかなり奥まで通じており、足を踏み入れると長い衣をまとった人影が床に座ってこちらに背を向けているのを見つけた。案内のドワーフがゆっくりと近付いてから礼儀正しく名乗ると、人影は振り向きもせずに言う。
「よくぞ参った、儂がペン・ティ・コーラである。ストーンブリッジの客人よ、ジリブランは元気にしているかね」
その態度を奇妙に感じたマキは無礼な賢人の前に立とうとするが、回り込んで見たその姿に心臓がとどろく思いをする。彼女の目の前にいる男は二目と見られぬ姿で、体はねじくれ、顔は苦痛に歪んでいるにもかかわらず昂然として腰を下ろしている。ドワーフのスタブは手短に王からの言付けと雪の魔女を打倒すべく、グランドピアンを訪れた彼らの目的を語った。ペン・ティ・コーラはゆっくりと頷くと客人に語り出す。
「雪の魔女はかつて異境の都で生まれ育った祈祷師の女であった。彼女は部族の試練をなすために北の不毛の荒れ地をさまよい、生存の技術と意志を試さねばならかなった。火や避難所や他の逃げ場もなくグランドピアンの高地へ入り、素手で捕まえた雪鹿を食べたりした。そして試練が終わる最後の週になって、奥まった峡谷にある遠い窪地の底に、彼女は見つけてはならぬものを見つけたのだ」
一息をついて、賢人は続けた。
「それは彼女の脳に語りかけると善の邪道性と中立の冒涜性について説明した。そして彼女の前には全世界が氷に包まれた幻覚が広がり、そこでは彼女が全能の支配者になっていた。シャリーラは即座に改宗し、この目的を果たすためにすべてを捧げると誓ったのだ」
一行は理解した。それは恐るべき氷デーモン、魔人の信仰である。シャリーラは妖術師となり、死者を化け物として甦らせ、自分に仕えさせる術を学んだ。彼女はまた魔人に仕える化け物の一群を与えられ、これらが水晶の洞窟をつくった。グランドピアンを覆う氷とシャリーラの要塞、そして彼女が従える邪な軍勢が魔人の手になるものであることは、襲われ奴隷としてさらわれる近隣の犠牲者たちによってすぐに理解されることとなった。
そして怪物の跳梁を知ったペン・ティ・コーラはこれに目を光らせるべく炎の鳥を象徴する洞を作りそこに潜んでいる。フィアリアは彼女の不快な想像が的を射ていたことに一層の嫌悪感を覚えていた。エルフ娘の嫌悪感に気をとめる風もなく、賢人は雪の魔女の計画に立ち向かうならば、強い意志力を持たなければならないと告げる。壁にかけられていた、太陽を象徴する奇妙な仮面を下ろすとそれを一行に差し出した。
「太陽と生命は雪の魔女に対するに欠かせぬ力である。これはその一助となろう」
サヴァンが仮面を受け取ると、奇妙な文様が掘られたそれは目のところが空いていて被ることができるように作られていることが分かる。彼の魔法使いとしての知識によれば、仮面はそれを被ることで人に代わることができるものであった。病を癒すために頑健な巨人の面を被る部族の話や、聖霊に対するために先祖の仮面を被る祈祷師の話など枚挙すればきりがない。片眼鏡の魔法使いは礼を述べると、一行はグランドピアンを登る道筋へと戻るべくペン・ティ・コーラの洞穴を後にする。
† † †
雪の魔女が潜む水晶の洞窟はグランドピアンにあると言われていたが、要塞の在処をつきとめた者はいない。そして氷と雪に閉ざされているこの地の気候自体が、洞窟を難攻不落としていることにウェイ・ラスローは気が付いていた。蛮人めいた男は氷雪に耐えるために雪狼の毛皮をまとい、頭にはドワーフの名工の手になる金の羽根兜を被っていたが、その姿が蛮人の姿をより野卑なものに見せている。だがウェイは傭兵としてミッドランドの各地を巡っており、見た目よりもはるかに文明になじんでいる男であった。
洞窟の入り口を探すべく彼らは雪中に入り込んでいたが、山腹の雪は柔らかくゆっくり登る足は膝まで埋まってしまう。クレバスを迂回し、崖の縁に沿って歩いていると風が吹きすさび出し、雪をなんども顔に吹き付ける。勾配と渦巻く雪のせいで足取りははかどらないが、しばらく進むと張り出した岩の下に山腹にくっつくように建てられた小さな木造の小屋が目に入った。屋根には雪が高く積もり、窓の出っ張りからは長い氷柱がぶら下がっている。閉じたまま凍り付いた扉をウェイが体当たりをして開けるが、小屋の主は不在のようだ。毛皮猟師の持ち物である罠や毛皮、袋が片隅に積みあげてあり、木の寝台、テーブルと椅子、それにいくつかの料理道具は最近使用された形跡がある。様子を見渡したバリィ・ウォーグが天の助けとばかりに息をついた。
「丁度いい、ここで暖を取らせてもらおう。主が戻れば洞窟のことを聞けるかもしれん」
「賛成、いくらなんでも寒すぎるよね」
バリィの言葉に賛意を示したのは猫妖精キャットテイル(CatTail)のアン・ラッキーである。彼らは炉の底に埋められていた火を起こし、薪木をくべると荷を開いて暖かいシチューを煮込み始めた。狭い小屋に交替で見張りを立てると、あらためてグランドピアンを進むための装備を持ち直す。バリィは愛用の剣ではなく、重さのある槍と短い戦槌を手にしていた。
狭い小屋の中、彼の隣で同じように武器をあらためていたのは黒い僧衣を着たウンスイである。黒衣の僧は重い錫杖を手にしていたが、片方が尖っていて一見するとバリィの槍に似ていなくもない。
「これは、八幡に伝わるコンと呼ばれる武器」
八幡は東にある孤立した王国であり、戦闘での驚くべき技と深遠なる精神信条とを組み合わせた独自の文化を維持している。ウンスイも八幡かその近隣の出自であるのか、一行でも一際変わった存在となっていたがその技量は確かである。どくろ沼を出てよりウィロウベンドで沼地に没した犠牲者や化け物の供養にあたっていたらしく、ダークウッドを抜けて再び彼らと歩みを伴にしていた。体をあたためている間、小屋の主が帰ってくる様子はなく彼らは荷をまとめると深い雪のなかに出て山腹を登り出す。
山の高度と希薄な大気のせいで、あえぎながら一行は登りつづける。とつぜん、人間の叫び声に続いて凶暴なうなり声が聞こえる。前方のさして遠くないところで一人の毛皮猟師が必死に戦っているのが見える。相手は熊に似た巨大な獣で白く長い毛に覆われ、鋭い牙が口から突き出ている。殺人獣、恐るべき雪男(Yeti)だ。不運な猟師が雪男の鉤爪に掻きむしられて雪の中にうつぶせに倒れるのを見ると戦士たちは武器を手に走り出した。
猛女の弓の異名に相応しく、八幡に伝わるワキューを抜いて矢をつがえたのはフールフールである。彼女の同族であるドワーフの町、ストーンブリッジで新調した重い鎧を全身に着て、小柄な体を覆い隠すほどの鉄の盾を背負っている。雪山でなくとも鈍重にならざるを得ない装備だが、東方の長い弓はそれを補うだけの飛距離と威力を持っていた。
「我が弓こそ大地が意志!その身をもって味わうがいい!」
弧を描いて飛んだ矢が雪男の毛皮に突き立つと凶暴な獣は怒りの声をあげる。氷雪に耐える分厚い皮膚に、続けざまに二本三本と矢が刺さるが獣は怯んだそぶりも見せていない。すかさずパリィやウンスイ、ウェイが彼らの得物を構えて突進するが、殺人獣は一本が指ほどもある巨大な鉤爪を振り回すと一撃がウンスイの肩から胸にかけてを引き裂き、人の頭よりも大きな拳がウェイとパリィの二人をまとめて突きとばした。白い雪面に赤い飛沫が飛び散り、いきり立った雪男が巨体を乗り出して斜面を登りながら傷ついた獲物を咬み裂こうと牙をむく。
「させないよ!」
とっさに駆けだしたアン・ラッキーは足元に転がったパリィの槍を拾うと、両手で持ち上げてから力いっぱい投げつけた。賢人ヤズトロモにもらった魔法の手袋の力を得た槍は、狙い違わず獣の胸板に命中する。
怯みながら、それでも倒れる様子を見せぬ雪男は小賢しい妖精に目を向けるが、背後から忍び寄ったエア・トゥーレが幅広の剣を抜くと背中から切りつけた。するどく研いだ刃で大きく振り下ろした一撃は雪男の背中の腱を切り、獣の右腕が力なく落ちると身を傾げる。すかさず死角から回り込んだハインツ・シュタインは大木を思わせる長身を一層高く伸び上がらせて、重い平剣が俊速で振り下ろされると今度こそ化け物の右腕を肩口からどさりと切り落とした。化け物の絶叫が雪面にこだまして雪と冷気を振るわせる。
「離れろ、皆!」
その言葉を受けるまでもなく、アン・ラッキーが倒れているパリィの足を抱えると雪面を滑るように逃げ出し、エアがウェイを、ベレト・エカリムとフールフールが傷ついて動けぬウンスイや襲われた毛皮猟師を担いで暴れ回る殺人獣の鉤爪から遠くに逃れる。激しく血を流す獣がそういつまでも動ける筈はなく、巨大な血だまりが雪を浸すとすぐに動きが鈍重になって地面に倒れ伏した。ハインツは呻いている獣の死角側から油断せずに回り込むと、雪男の首筋に無慈悲な平剣の一撃を叩き込む。無用な殺生は本来好まぬが、やむを得ぬとあればそれを躊躇することはなかった。
「せめてこの一撃で、多くの未来を開こう」
呟いたそれはハインツなりの供養の言葉である。首を半分落とされた獣は目から生気が消えて動きも止まり、けが人がベレトの側に集められた。動ける者たちが近くの斜面から凍った雪を切り出して風雪をしのぐ壁を作ると、間に合わせの天幕をこしらえて暖をとる用意をする。
ウンスイの傷はやや深いが幸いにして致命ではなく、血を失ってはいたがさし当たり雪で止血をしてから薬草を当てて強く縛れば手当はできそうだった。ウェイやパリィの二人も雪に落ちたせいか怪我らしい怪我もなかったが、雪男に襲われていた毛皮猟師は目がほとんどふさがり、口のすみからは血が流れ、胸を深くえぐられておりどうにも手の施しようがないのをベレトはすぐに悟る。猟師は力をふりしぼってベレトの首に腕をまわし、死に際の言葉が聞き取れるように引き寄せると彼を助けようとした礼を言った。彼は人生の大半を山で過ごし、獣を狩っては毛皮をほかの品物と交換してきたが、つい先日まったくの偶然から伝説的な水晶の洞窟の入り口を見付けたというのである。氷河をくり抜いてこれらの洞窟を作ったのは雪の魔女の家来であり、主人の雪の魔女は美しいが邪悪な魔女でみずからこの世界の絶対支配者となるべく邪な力を利用して氷河期をもたらそうとしている。
水晶の洞窟の入り口はこの山の上の方にあり、開放されているが目くらましによって隠されている。不運な猟師は雪の魔女の戦士の一人が氷の壁をまっすぐ通り抜けて、それきり姿を消すのを見たのである。猟師は翌日また見付けられるように、入り口の上に毛皮の切れ端をぶら下げておいた。彼は充分な報酬を期待して、邪悪な要塞の在処を知らせるべく山を下りようとしたが悲しいことに雪男のおかげで望みは潰えたのである。猟師はいきなり手に力を込めたと思うと、音もなく雪の中に崩れ込む。死んだのだ。一行は雪をかぶせてやってから簡素な墓標を立てて、死者のために祈りの言葉を捧げると水晶の洞窟を目指した。
† † †
治療と休息を終えて、天幕を引き払った一行の目に、雪面を登ってくるガルドやサヴァンたちの姿が映る。賢人ペン・ティ・コーラから聞いた話を聞き、彼の太陽の仮面を確かめるとじわじわと雪面を登りつめてついに勾配が急すぎて登れない岩面に行き当たる。斜面を回り込むように歩いていくと、山の二つの峰の間の奥まった峡谷にある、遠い窪地の底を完全に埋めている巨大な氷の壁が見えた。
賢人に聞いた窪地の場所、氷の壁に猟師がぶら下げておいた毛皮の切れ端を認めて一行の心臓は躍り上がる。入り口など見えはしないがまっすぐに進むと、氷の壁にぶつかることもなく目くらましをきれいに通り抜け、氷をくり抜いて作られた長い地下道の中に入り込んだ。
「雪の魔女の力の源を止めるには、彼女が信奉する祈りを断ち切らねばならぬ」
ガルドが賢人の話を伝える。雪の魔女シャリーラを探し出すとともに、誰かが彼女の信奉する魔人の力を探し出す必要があった。白の狩人の言葉に真っ先に名乗りを上げたのはフィアリアである。彼女は魔人の邪悪さと危険さを知っており、これを止めるために力を尽くさなければならないと思う。
「ドワーフと蛮人と、それから足手まといになりそうな人はいらないのよ?野蛮な人たちには野蛮な連中の相手をしていて欲しいもの」
フィアリアの言葉は知らぬ者には侮蔑にしか聞こえないし、実際にそうだったのかもしれないが戦いに自信のある者が雪の魔女と洞窟の衛兵を相手取っている間に、隠密に動ける者が魔人の力の源を探すのが得策であったろう。結局、フィアリアの他にはガルドとアン・ラッキーという身の軽い者が集まり、護衛としてパリィが加わった。サヴァンはペン・ティ・コーラから受け取っていた太陽の仮面もあって雪の魔女に対することとし、他の者たちも水晶の洞窟に討ち入って魔女を探し出すことに決める。洞窟は細い通路がそれ自体を堅牢な要塞と化しているが、突入する一行にとっても少人数で戦うには適した場所であることを意味していた。
ウェイとフールフール、フィアリアの言う蛮人とドワーフが先頭に立ち洞窟を進むとその姿はすぐに見えなくなる。時を置かず、だが急ぐこともなくガルドたちは氷の壁面に身を隠すようにして通路を進むと脇の道に入って姿を隠した。洞窟が要塞であれば随所に罠が設けられている可能性は大いにあるし、調べながら進むにはアン・ラッキーやガルドの目は適している。
「御神体は人が集まるところにあるものだし、罠があるところに人は集まらないものだよ」
猫妖精の言葉は単純だがもっともなものであった。洞窟の随所では喧噪が聞こえて、侵入が知られたことを示していたが通路では音が反響してどの方面に人が集まっているのか、にわかには判別し難い。ガルドたちは人の目を避けながら幾つかの分かれ道を選びつつ進み、無闇に細くなる道を避けつつなるべく整った側を選ぶ。彼らの選択が正しかったことは間もなく証明され、広間に続く入り口の両脇に白いマントを着て頭巾を被った、背の高い衛視が二人立っている姿を認めることができた。
「冷たい空気よ、暫し眠りにつき楽を奏でるのをお止め」
フィアリアの囁きに答えた空気が振動を止めると同時に、アン・ラッキーが狙いすました短剣を衛視の喉元に投げると音も立てずに一人がくずおれる。驚いたもう一人の衛視が駆け寄るが、その叫びも武器が鳴らす音も周囲には響かないままにガルドが一息に飛びかかると短い剣の二突きでこれをしとめてしまった。
忍び寄ることには成功したものの、目の前の広間へ続く入り口には扉もなくすぐに騒動に気付く者がいても不思議ではない。剣を抜いたガルドやフィアリア、パリィたちは意を決して広間におどり込むと中では魔人の格好をした像の前にひざまずき、頭巾に覆われた顔を氷の床に押し当てた十人程度の男たちが「凍れるもの」を崇め讃える詠唱を続けていた。時ならぬ闖入者の姿に男たちは一斉に動きを止めると険悪な様子で手に手に棒を掴んで立ち上がり、不可思議な言葉をがなり立てながら迫ってくる。
たちまち一陣の殺陣が展開された。男たちはゴブリン(Goblin)やオーク(Orc)や原始人の集団であり、数は多いがガルドたちは広間の入り口に構えると狭い通路に飛び込んでくる相手に確実に剣を振るう。この状態なら背後から応援が現れぬ限りは危険はないであろうと、アン・ラッキーは後ろを見張りながら斬り合いはガルドやフィアリア、そしてパリィに任せていた。短い二本の剣で巧みに受けと攻めを使いこなすガルド、細剣で冷酷に亜人の急所を突くフィアリア、狭い場所で短い戦槌を振り下ろすパリィの三人に亜人たちはたちまち撃ち減らされてしまうと最後の一人まで片付けられる。これなら自分が出るまでもない、と些か大仰に考えたアン・ラッキーだが広間の奥、魔人の像が凍った四肢を動かしてゆっくりと立ち上がる姿に声を上げた。
「ちょっと!あれ、像が動くよ!」
見たままを叫びながら、自分でも間が抜けていると思わなくもないがその時は恐怖感が勝り自嘲する余裕もない。魔人とは異界にある奈落の底に湧き出す邪な存在であり、たいてい完全な姿で現れることは出来ぬものなのだ。まともに争えば人に倒せる存在ではない。
氷柱を折り、鈍重に立ち上がる魔人の像は広間の天井に達する巨体であり人の背丈の倍はあろうかと思われる。逃げるなら今のうちだときびすを返した猫妖精の視界に、ありえぬほど長く伸びる通路が飛び込んできた。果てのない通路の先には血にまみれて倒れている自分自身の姿が浮かび上がり、どこまで行けども逃げることなどできる筈もない。アン・ラッキーは思わず膝からくずおれかけて何かが奇妙なことに気付いた。どこか遠くから自分を呼ぶ声が聞こえている。
(あら、猫妖精は妖精のくせに夢も見ないのかしら?)
フィアリアの声が頭に響くと同時に、薄く光るエルフの姿がアン・ラッキーの目の前に現れた。その背後からは巨大な氷の魔人が近付いており、フィアリアは猫妖精を急ぎ立たせると果てのない通路を駆けはじめる。ややあって、アン・ラッキーは自分たちが魔人の見せている絶望の世界に捕らわれていることを知った。
異界から訪れた魔人は夢の姿をとって他者を異界に引きずり込むことができる。それは魔人に限った力ではなく、エルフのように異界と交信する術を持つ者にとっては慣れ親しんだ能力であった。自身妖精であるアン・ラッキーも異界の存在は知っていたが、彼女の種族は人の世界で暮らすうちにそうした力からは遠ざかって久しい。彼女たちがいるそこは水晶の洞窟の広間に違いないが、世界の裏側にある夢の中であっておそらくガルドやパリィはフィアリアとアン・ラッキーが姿をかき消したことに戸惑っていることであろう。
「じゃあ、これって四対一が二対一になってるってこと?」
「魔人はどちらの世界にも存在するのよ?一方は氷の像として、一方は魔人として。そしてそれだけではなく、夢の中には持ち込めないものがあるの」
フィアリアの言葉を聞いてはじめて、アン・ラッキーは自分が愛用する短い剣やその他身体の随所に忍ばせている針剣や刃といった道具が消えていることに気が付いた。異界にはたいていの金属は持ち込めず、振るうことができる力も限られている。夢の世界では魔法を用いねば戦うことができない一方で、魔人は夢の世界でも人を殺す力を持っているのだ。
氷魔人は心に小さな絶望を見せた猫妖精を夢の世界に落とし込んでから、一人ずつ始末するつもりでいたがフィアリアはそれを助けるために自らその世界に飛び込んだのである。どうして自分が猫妖精なんかを助けなければいけないのかと思いながらも、流れるような言葉の旋律を囁く。
「小さな私の夢よ、鋭い力を見せて」
快い風も吹かぬ世界で、フィアリアは彼女自身の精神に問いかけると小さな精霊を呼び出した。細く、鋭い力を集中してぶつけるが氷のような魔人のこめかみの皮膚をわずかに欠けさせることしかできない。しょせん彼女の持つ魔法の力で、魔人を倒すことができる筈もないのだ。だが、彼女の目的は魔人を倒すことにはなかった。
(気が付いて・・・!)
水晶の洞窟の広間で魔人の像が立ち上がるとすぐに、アン・ラッキーとフィアリアの姿が消えたことにパリィとガルドは驚きながらも、娘二人の姿を探してその場に留まっている。巨大な拳が振り回され、氷の像の鼻孔からは身も凍る冷気が吹き出されるが、彼らは身軽に立ち回りながら像の攻撃を避けて周囲を窺っていた。そしてパリィが頭上を見上げた刹那、像のこめかみのあたりが一瞬、固い刃で叩かれたように弾けると小さな破片が欠け飛んだのである。
「おやっさん!あいつを見たかい」
「うむ、娘たちはどこぞ近くにいるな」
姿も見えず、気配を感じることもない。ガルドはすばやく動くと動きの遅い氷の像の懐に入り込むようにして、短い剣で皮膚を削るように幾度も切りつける。細かい傷が刻まれ、それに応えるように別の傷がやはり細かく刻まれた。やはり、妖精の娘たちもともに魔人を相手取っているのだ。
氷の像は再び鼻孔から冷気を吹き出し、まともに浴びたガルドは全身を白い氷と裂傷に覆われて引き下がる。パリィは戦槌を構え、雄叫びを上げて氷の像に駆け寄ると膝の裏から渾身の一撃を打ち込んだ。バランスを崩し、傾いて膝立ちになった氷の像に今度はその膝を踏み台にして飛び移ると、高く頭上から戦槌を振り下ろす。
「お前さんの地獄とやらに!帰りな!」
重い槌の一撃が魔人像の角を打ち砕くと、像からすさまじい叫び声が聞こえて全身にひびが入り、音を立てて崩れると砕けた氷の欠片に過ぎなくなる。フィアリアとアン・ラッキーが消えたときと同様に突然、姿を現すと異界で力を使い尽くしかけていたエルフの娘がぐったりと屈み込んだ。異界ではエルフの魔力程度で魔人を倒すことはできないが、魔人の像はただの生命ある像であってこれを打ち砕けば魔人は彼の奈落に帰らざるを得なくなるのだ。
「これで、ここの力も弱まる・・・」
それだけ言うと膝をつき、倒れそうになる恩人の身体をガルドとアン・ラッキーが支える。パリィは崩れた氷の山を足でかき分けると、氷の残骸となった魔人像の姿を見おろしていた。
† † †
ウェイやフールフールを先頭にして、水晶の洞窟の通路をまっすぐに突き進んでいた一行の正面からゴブリンやオークを中心とした亜人の軍勢が手に手に武器を持って襲いかかってくる。数十人はいるだろうか、殆どは邪な亜人の群れだが中には山エルフや黒エルフ、ノーム小人(Gnome)といったこのような場所で傭兵として見かけるには珍しい姿も混じっていた。
「色が違えどエルフはエルフに違いない!」
フィアリアが聞けば激高して剣を抜きそうな言葉を吐きながら、フールフールは逃げ場のない通路に剛弓の矢を打ち込む。同時にウェイとマキが互いに大剣を振り回しながら切り込むと、狭い通路を塞ぐようにして立ちはだかった。
「恨むのはなしにしてくれよお!」
「あたしの力とパワーは無敵だあ!」
傭兵のウェイと自称マホウ剣士であるマキの戦い方は蛮人のそれにしか見えない。広さに限界のある通路での打ち合いは少人数で突入した侵入者に有利となってはいたが、洞窟を守る衛兵の数は減る様子がなくやがてその中に白い髭を生やし白い毛皮をまとった巨大な霜巨人(FrostGiant)の姿や、胸の悪くなるような灰色がかった白い皮膚に虚ろな目をした死者(Zombie)の姿が混じるに到って更に激しさと厳しさが増す。敵は無限ではあるまいが、味方の体力も有限ではありえないのだ。
「力無くして正義など語れるものか!行くぞ!」
「承知した!」
一度、押し返すべく切り開いた血路にエアとウンスイがおどり込む。バランスの良い幅広の剣と、固いコンを大振りにならぬように突き出して確実に化け物をしとめると作られた隙き間にハインツが入り込み平剣を振るった。だが激しい奮戦にも関わらず、要塞を守る化け物たちの数は多く押し戻されつつあり、左右の細い通路には回り込んだゴブリンが姿を現し正面からは傷だらけの霜巨人が咆吼を上げながら前進をやめない。先頭で剣を振るい続けているウェイやハインツの体力も限界に近く、片手で掴み上げた氷のかたまりが彼らの頭に投げつけられて潰されそうになった刹那、何か固いものが弾けるような甲高い音とともに亜人たちの間から絶叫する声が聞こえた。幾人かが頭を抑えて、膝をついたり自分がどこにいるかも分からぬようにふらふらと歩き回る。その様子に、何が起きたかを一瞬で悟ったウンスイが呟いた。
「彼奴等を縛る戒めが解けたか!ならば今こそ好機!」
「おおーぅ!」
混乱する亜人たちは互いを突き飛ばし、脇の通路に潜り込むか背を向けて逃げ出そうとする。戦意が残っているものにも武器を振るう余裕はなく、これを機に切りかかるウンスイたちの刃に瞬く間に叩きのめされた。そのまま駆け出して、要塞の地下道を進むともはや遮るものもなくどん詰まりに装飾の凝らされた木の扉が見える。勢いのままに蹴り開けて中に飛び込むとそこは天井が高くだだっ広い部屋になっていて、突き当たりが氷の壁になっている。部屋の中央には大理石の棺が開けっ放しになっており、蓋が側面に立てかけてある。
好奇心にかられたマキがゆっくりと石棺に近付くと女の不気味な笑い声が部屋にこだまする。白い毛皮をまとった美しい女がゆっくりと棺の中から起きあがるが、微笑したときにまぎれもない牙が見えた。彼女こそが雪の魔女シャリーラ、マキは雪の魔女が吸血鬼(Vampire)だと悟ってぞっとする。
雪の魔女は石棺から抜け出し、口をくわっと開いて歩いてくる。目の光が強烈で、剣を捨てろという声が頭の中に響くとマキの手から重い斬馬刀ががらりと落ちた。吸血鬼の言いなりになっているマキの様子に気付いて、サヴァンは賢人の忠告の意味を理解した。吸血鬼には人の心を操る力があり、不死の誘惑を断ち切るには生命の力が必要だ。勇気を引き起こす太陽の仮面を被ったサヴァンは足取りのおぼつかないマキを庇うように前に出ると、雪の魔女に対する。魔法使いは急いで考えをまとめるが、吸血鬼を殺す方法は心臓を貫くしかないことを思い出した。
「紐を、棒に!」
その声とともに、サヴァンの腰に吊していた縄がぴんと伸びて身を守るべく固い杖になる。フールフールが素早く構えた弓から矢を抜き放ち、吸血鬼の心臓を狙うが雪の魔女が毛皮のマントを振ると、凍りついた一陣の風が巻き起こって矢を反らせてしまった。サヴァンの仮面の表面にも霜がはりつき、すさまじい力に仮面の力が押されていることに気付く。だが彼が仮面を構えている限り、吸血鬼の目の光は太陽の仮面に吸い込まれて効果が失われることを知っていた。
「冷たい素振りはお困りの証拠かね、魔女殿とやら」
冷静を装って挑発するが、サヴァンは全身を覆いつつある霜のためにそれ程長く立っていることはできそうにない。だが、仮面の力によって吸血鬼の力の一つは封じられており、魔女は確実に追い詰められようとしていた。
「行くぞ!娘よ!」
「承知ぃ!」
声に合わせて幅広の剣を手に駆け出したエアが、姿勢を低くして吸血鬼の脇をすり抜けると背後に回る。大振りの斬撃を見せるがこれを当てるつもりはない、背後からの攻撃に雪の魔女が気を取られた瞬間を狙って、半歩遅れて駆け込んだウンスイのコンが垂直に突き立てられると化け物の心臓を貫き通した。
総毛立つような断末魔の悲鳴が上がると、雪の魔女の身体は崩れ出し、まもなく床に積もった塵の山と化す。賢人の力の助けがあったとはいえ、あっけない幕切れにエアは拍子抜けをするがウンスイの顔には不審の様子が消えていない。
「まだ邪な気配が消えておらぬ。気を付けろ、娘よ」
その声と同時にあたりに哄笑が響き渡り、続けて喋り出す声が聞こえた。ぼんやりとした人の顔の輪郭、雪の魔女の顔が宙に浮かぶと寒気がするような声で言う。
「そちは妾を殺しはしたが、妾は死ぬことはない。我が霊だけでもそちたちを殺すことはできるのじゃ。よく見ておれ!」
途端に、ウェイが声を張り上げて首をかきむしる。蛮人の周囲には白い煙のような雲が立ちこめており、呼吸を止められたウェイは顔が白くなってばたりと倒れ込んだ。控えていたベレトが慌てて駆け寄るが、辛うじて息は残されている。だが、状況が極めて危険であることには変わりがない。不死の化け物である雪の魔女はすでに生きてはおらず、生きていないものを殺すことはできないのだ。
「ちょっと!こんなのどうすればいいっていうの!」
「案ずるな。これは謎かけだ」
エアの叫びに冷静に応えたのは、倒れたウェイの口元に手をかざしていたベレトである。呪い師である彼女は仲間の傷を癒すために同道しており、戦いに加わることこそ少ないものの、多くの術や技についての知識を持っていた。それは覚えれば使えるというものではなく、目の前にある存在を知ることによって活かすことができるものである。
不死の化け物は生きておらず、生きていないものを殺すことはできぬ。だが雪の魔女が存在するのであれば、それは確かにそこにいるのだ。蛮人の身体をやさしく横たえると、ベレトは悠然として立ち上がるがそれを嘲弄するような魔女の声が氷の天井に響き渡る。自分を倒せるとでも言いたげな愚かな女の戯れ言を嘲るつもりだが、ベレトは泰然としたままで雪の魔女の挑発には乗ろうともしない。
「不死のしきたりであれば知っている。私も魔女だからな」
その言葉に、雪の魔女の声色が変わった。ベレトの周囲にウェイを倒したときと同じ、白い煙のような雲が立ちこめるが呪い師の女は懐から出した薬草の粉を撒き散らすと、たちまちかき消えてしまう。今や魔女の言葉には誰が聞いても分かる焦りの色が見えはじめており、凍りついた風が巻き起こると辺りに立つ者の皮膚を激しく打つがその力も先ほどまでと比べて弱まっている。エアやマキには何が起こっているのか理解できないでいたが、太陽の仮面を被ったままのサヴァンが前に出ると霜で赤く切れた腕を抑えながら魔女の霊に立ちはだかった。
「成る程、魔女殿は死ぬことはないが誰かに乗り移らねばいずれ力が果てて消えてしまうということですか」
哀れな霊の叫びはすでに哀願する調子に変わっている。不死の霊が生ある肉体に宿るためには相手の意識を破壊しなければならず、魔女の恐怖に絶望して背を向ける者が現れれば、霊はそこに入り込むつもりであったのだ。だが、今や誰もが魔女の力に恐怖をしてはおらず、肉体を失った彼女の霊は度重なる力の行使に削られて失われつつあった。
(このような・・・妾は・・・支配者・・・)
その言葉に続いて甲高い悲鳴が洞窟を満たし、広い部屋に一陣の風を感じる。ウンスイは周囲に首を巡らせ、先ほどまでの邪な気配が完全に立ち消えたことを知ると哀れな女に供養の言葉を送った。雪の魔女シャリーラと彼女の要塞である水晶の洞窟は完全に滅び去ったのだ。
† † †
美しい一日のはじまりだ。邪悪な魔女の霊は滅ぼされ、グランドピアンの斜面に照り返している暁の光が一行の目を細めさせている。魔女の部屋には氷の壁に封じ込められた、装飾をほどこした櫃が置かれていて剣で氷を砕いてみると中に多くの金貨や珍しい宝が収められていた。ベレトは古い術の記された一冊の書を、ウンスイはルーン文字の刻まれた短い棒を手に入れる。ルーンには神聖な意味が込められており、彼の国でいう独鈷杵に似ていた。
どくろ沼を抜けてウィロウベンドに到る街道が通り、アーガイルより北、グランドピアンに到るミッドランド北部はこれで安定することであろう。丘に住むトロールやダークウッドの闇エルフは依然として力を残してはいるが、ストーンブリッジの王ジリブランがにらみをきかせており、ドワーフの戦いのハンマーが邪なものどもを押さえ付けるであろうことは疑いない。
「だがまずは暖をとりたいな。しばらく寒い場所は御免だ」
「賛成賛成」
風来坊の戦士の言葉に、猫妖精が積極的な賛同を唱えると彼らは雪と氷に覆われた斜面をゆっくりと下りはじめた。彼らは休息を必要としており、またそれに値するだけのことをしたのだ。その休息が実際に手に入るかどうかは、また別の話になるが・・・。
...EPISODE END
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